弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年10月29日

チャップリンが見たファシズム

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 大野 裕之 、 出版 中央公論新社

 著者は日本チャップリン協会の会長です。これまでチャップリンに関する本を何冊も書いています。チャップリン家が所蔵する膨大な第一次資料を丹念に掘り起こしてチャップリンの足跡そして、その偉大な作品の形成過程を明らかにしています。
 今回は、サイレント映画の最大傑作『街の灯』を公開したあと、気分を一新するために世界一周旅行に出かけたチャップリンの旅先での出来事が実に詳細に描かれています。
 旅行に出かけたとき、チャップリンはまだ41歳です。独身男性でもありましたから、旅行の行先では何人もの女性と親密な関係にもなっています。
 日本にもやってきて、1932(昭和7)年の五・一五事件に危く巻き込まれるところでした。幸い、チャップリンの気まぐれもあって、5月15日は首相官邸には行かず、大相撲を見物して、難を逃れました。危機一発でした。事件のあと、殺された犬養首相の息子に弔問もしています。
 チャップリンは歌舞伎なども鑑賞していますし、銀座で天ぷらを食べています。なんと、エビの天ぷらを30匹、キスを4匹も平らげたとのこと。すごい食欲です。若かったのですね。
 小菅(こすげ)の刑務所も訪問しています。雑居房、独居房そして工場、炊事場、病舎など見学したそうで、日本の刑務所の明るさ、清潔さに感銘を受けたとのこと。治安維持法違反で逮捕された被疑者・被告人もたくさんいたと思いますが...。
チャップリンは三越百貨店で「キモノ・スーツ」をつくって、着たようです。そして、「どじょうすくい」を踊ってみせたとか。日本の芸人が踊ったのを見て、それをすぐに再現できるというのは、やはり天才ですね。
 チャップリンの秘書として世界一周旅行に同行したのは広島生まれの高野虎市。チャップリンに誠実に尽くして大変気に入られ、一時期チャップリン邸に働く使用人17人全員が日本人だったとのこと。すばらしいことです。
1932年5月14日夜、東京駅にチャップリンが到着したとき、そこに詰めかけた日本人は、なんと8万人...。いやはや、ものすごい大群衆です。この日の入場券は8000枚も売れたというのですから、信じられない熱狂ぶりです。
 地下道に降りて、改札に向かう階段でチャップリンは仰向けになって、群衆に持ち上げられ、宙を泳ぎながら移動した。ハンカチ、ベルト、ボタンはすべてむしり取られた。自動車までわずか30メートルを10分かけて到着。いやあ、すさまじい...。これも歓迎のうちなんですよね。
 日本ではありませんが、ボタンやベルトが盗られてチャップリンのズボンがずり下がってしまったところもあるそうです。
ロサンゼルスで「街の灯」を上映するときには、2万5千人が詰めかけたそうです。これまた大変な熱狂ぶりです。アインシュタインがチャップリンの隣でみていて、「ああ、素敵だ!美しい!」と感嘆したことも紹介されています。
チャップリンという天才の素顔を少しばかり垣間見ることも出来て、休日の午前中、喫茶店でカフェラテを味わいながら心豊かなひとときを大いに楽しむことができました。
(2024年7月刊。2200円+税)

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