弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年10月 8日

公害・人権裁判の発展をめざして

司法


(霧山昴)
著者 豊田 誠 、 出版 日本評論社

 公害弁護団で大活躍していた豊田誠弁護士(以下、豊田さん)とは私も面識があり、親しくさせていただきました。豊田さんはイタイイタイ病、薬害スモン、水俣病、多摩川水害、ハンセン、えひめ丸事件に取り組み、活動をリードしてきました。全国公害弁護団連絡会議(公害弁連)では、事務局長、幹事長そして代表委員をつとめました。さらに、自由法曹団の団長もつとめています。
 豊田さんは、2023年3月に87歳で亡くなりました。この本には豊田さんの書いた論文そして語った内容が集められています。
この本を読んで圧巻だったのは、1982年に34期修習生に語った「大衆的裁判闘争と弁護士の役割」というものです。講演を起こしたものなので、とても読みやすく、教訓に富んだ内容です。
スモン事件の裁判に取り組んだとき、キノホルムの危険性を調べようと、東大と慶応の図書館に入り浸った。キノホルム(クリオキノール)という単語だけを手がかりとして、英語もフランス語もドイツ語も分からないのに、ひたすらインデックスを頼りにして調べあげていったというのです。豊田さんも同じことをしたのでしょう。ついに金沢の弁護団が東北大学の図書館で発見したのでした。すごいですね。まったくのムダ、としか言いようのない作業を何人もの弁護士がやったというのです。
 岐阜県の村にあるエーザイの図書館に行ったときには、スッカラカンになっていて、ポケットにはもう何千円しか残っていなくて、東京に戻ったときには素寒ぴんだったというのにも驚かされました。
次は労働事件。大日本塗料という会社を相手に裁判をして裁判では33連勝。ところが職場復帰という目的は達成していない。いったいどうしたらよいのか...、深刻に反省した。
 このとき、裁判でいくら勝っても本当に闘いが大衆的に広がっていないと、目的は達成できない。このことを身をもって体覚せざるをえなかった。
運動を広めるためには、弁護士がまず自分自身の目の色を変えなければダメ...。
鈴木尭博(たかひろ)弁護士は「ボンドの鈴木」と呼ばれた。ボンドとは接着のこと。喰らいついたら離れないっていうことでついたアダナ。
 人が変わることに確信をもつ。団結もちつき大会をやったし、全国歌謡大会もした。プラスバンドや琴、そして落語まであるという華々しい取り組みもした。
 最高裁は、公害裁判に関する協議会、裁判官会同をひんぱんに開催した。1969年に1回、70年に1回そして71年と72年には各2回も開かれている。これは、明らかに最高裁による陰湿な裁判統制というのは間違いない。裁判官統制が強められていった。
豊田さんは、ある事件で敗訴判決が宣告されたとき、「裁判長、ありがとう」と言った。いやあ、豊田さんでないと言えないコトバですよね。
 豊田さんの偉大な足跡を詳細に調べあげています。豊田さんが生まれたのは、八郎潟の湖畔の平野部。秋田県琴丘町。豊田さんの父は国鉄マン。8月15日のとき、豊田さんは小学4年生。
 偉大な先輩弁護士の足跡をたどることが出来ました。
(2024年6月刊。2200円+税)

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