弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2024年10月 2日
ブッダという男
インド
(霧山昴)
著者 清水 俊史 、 出版 ちくま新書
2500年前、北インドにゴータマ・シダッタ(サンスクリット語では、ガウタマ・シッダールタ)が生まれた。ブッダである。
シャカ族の王子として生まれ、裕福な生活を送っていたが、輪廻(りんね)の苦しみから逃れるべく、出家した。修行の末、35歳のとき悟りを得てブッダとなった。その後、45年間の伝道の末、80歳で死亡。
天上天下唯我独尊。この世で自分こそが尊い。私は世間でもっとも優れた者である。ブッダは、初期仏典のなかで自画自賛を繰り返している。
現代的な価値観に合致した人間ブッダを考えたら、神格化の間違いを犯してしまう。はるか昔の常識は、現代の常識とはまた違うことに留意すべき。
日頃の振る舞いの良い仏教信者でなければ、生命(いのち)の値段は「1人」として数えられない。邪教を信じて行動するタミル人たちは、獣に等しいから、いくら殺しても「人殺し」として計上されない。生命の価値に貴賤(きせん)を設ける、このような考え方は古代において珍しいものではない。
弟子のアングリマーラは、大量殺人鬼であったにもかかわらず、出家が許され、しかも世俗的な刑罰を受けることなく悟りを得ている。
ブッダは戦争の無益さを説いたが、王に対して戦争そのものを止めるよう教えてはいない。古代インドにおいて、国を支配し、武器をもって戦うことは、武士階級に課せられた神聖な生き方として認められていた。これがブッダが戦争を非難し、止めなかった理由である。
ブッダは、現代的な意味で、暴力や戦争を否定したわけではない。ブッダは漁師や狩人など殺生を生業とする人々も在家信者になれるとした。不殺生と殺生は相矛盾しながらも、両立する。古代インドにおいては、征服戦争も、武士階級である神聖な生き方として認められていた。
ブッダは、業と輪廻の実在を深く信じており、苦しみの連鎖から抜け出すことを真剣に考えていた人間である。
ブッダによるカースト批判は、司祭階級批判の一つ。
ブッダによるカースト批判は、貧困問題の解消や富の再分配を意味しない。仏教が強調しているのは、スーストを問わず、出家すれば悟ることができるという、聖の側の平等であって、俗の側の平等ではない。
仏教教団の序列は、出家前の階級にもとづくものではなく、出家してからの年月も応じて決まる。
インドの憲法を起草したアンベードカルは、50万人の不可触民とともに仏教に改宗した。現在インドには800万人以上いる、新仏教運動の母体となった。
初期仏典には、ブッダが女性を蔑視しているものが複数確認される。現代的な価値観からすると、初期仏典に現れるブッダは、明白に女性差別者である。
托鉢修行者たちよ、女は、歩いているときでさえ、男心を乗っ取る。女性は男性を墜落させる原因であるというのが、古代インド一般の理解である。初期仏典も、その理解にしたがい、男性の修行の妨げになるという点から、女性は批判されている。
ちなみに、キリスト教の聖書でも、女性蔑視の表現が多数あり、カトリック教会では、今なお女性は司祭につけない。ふむふむ、そうなんですか...。
仏教は、バラモン教と対立する沙門宗教の一つとして生まれた。
バラモン教では、死んだら雲散霧消するので、死後の生活などありえない。
ブッダは、決して不可知論者ではない。ブッダは一面智者として、懐疑論者を破折(はしゃく)する。
仏教は、コツ然と生まれたのではない。バラモン教を頭ごなしに否定するのではなく、彼らの築きあげた世界観を引き継ぎつつ、それを再解釈し、仏教の優秀性を強調した。
仏教、そしてブッダの真の姿をとらえようとする新書でした。ブッダが生きていたころの政治、社会状況をきちんと踏まえることの大切を自覚させられました。
(2023年12月刊。880円+税)