弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2024年9月25日
ザボンよ、たわわに実れ
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 力武 晴紀 、 出版 花伝社
戦前、1930年代に存在した無産者診療所。そこで活動した若き「女医」、金高(かねたか)満すゑの半生を紹介した本です。
戦前、治安維持法という悪法が人々の自由な言論と行動を厳しく弾圧していたとき、不正を憎み、目覚めた若者は行動を起こしました。
この本の主人公・満すゑは佐世保に明治41(1908)年に生まれました。私の父は明治42年生まれなので、一つだけ年長になります。
佐世保は昔も今も「軍港」です。昔は日本海軍の拠点港であり、今は米軍と海上自衛隊が支配しています。母親が急死し、叔父の家へ父親と二人で同居するようになり、やがて父親も病死してしまいます。それでも、養女となって佐世保高等女学校に入学。片道3時間かけて、毎日、徒歩で通学したというのですから、想像を絶します。午前5時に家を出たというのです。
女学校時代は「女傑」と教師から評価されていたといいます。教師から頼まれて女学校内の派閥抗争の仲裁人になったというのです。もはや、並みの女の子の域を超えていますね...。そして、上京して、東京女子医学専門学校に入学します。よほど、学業成績が良かったのでしょう。
そして、この女子医専に社研(社会科学研究会)があり、満すゑも入って活動を始めます。
なぜ戦争なんかするのか、生活が苦しくなるばかりなのに...。そんな疑問をもってレーニンの「帝国主義論」を読んで納得するのです。私も大学生のころ、マルクスそしてレーニンの本を必死で読みました。今ではほとんど内容なんて忘れてしまいましたが、ともかく、その緻密な論理展開にはしびれした。そうか、そういうことなのか...。目が覚める思いでした。
満すゑは1931(昭和6)年の卒業試験の最中、特高警察に検挙されました。学生仲間がかばってくれて試験を受けていたのですが、ついに捕まってしまい、卒業できなくなりました。それでも、学校当局は卒業式のときに、名前を呼んだというのです。
そして、五反田駅近くに1930年1月に設立された大崎無産者診療所に入って、医師の資格はないまま手伝うようになります。いま全国各地にある民医連の通院・診療所のハシリです。
1933(昭和8)年8月、満すゑは27歳のとき、治安維持法違反で検挙され、翌年、5月に起訴されます。
私の父・茂は当時、法政大学法文学部の学生で、我妻栄から民法を教えられ、また高文司法科試験を受験しました(不合格)。まったく同じころ東京にいたわけです。
そして、満すゑは市ヶ谷刑務所に2年半、囚人として収容されました。出所したときは、すっかり衰弱して、肋骨がゴツゴツ浮き出て、洗濯板みたいな身体になっていたそうです。
それでも満すゑは1939年4月、女子医専に復学し、翌1940年3月、31歳のとき卒業することができました。
そして新潟に行き、五泉診療所そして葛塚診療所で医師として働くようになったのです。
戦後は、民医連の病院のいくつかで働き、最後は東京中野区の桜山診療所で働いた。
すごいですね、三度も検挙されたけど、屈することなく医師として活動を続けたのです。1997年12月、89歳で死亡。その一生を追った労作です。
(2023年11月刊。1800円+税)