弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年9月 5日

海と路地のリズム、女たち

アフリカ


(霧山昴)
著者 松井 梓 、 出版 春風社

 アフリカの小さなモザンビーク島に住み込んで、人々の日常生活を細やかに調べあげ、分析している、面白い本です。
 モザンビーク島は、かつてはポルトガル領東アフリカの中心拠点として栄えた、せわしい島だった。今では、時間も現金も、漁業を中心にゆっくりとまわっている。
 居住地区は一見スラムのように過密なのに、どこよりも治安がいい。夜中に女性一人で歩いても少しも不安を感じない。小さな島の居住地区に人々は稠密(ちゅうみつ)に住まい、女性たちは友人や隣人どうし親密につきあう。身体を近づけあって相手に触れて親しさを確認し、秘密を打ち明けることで心を近づけあう。近隣の家を頻繁に行き来し、半開きの勝手口から声をかけて入っていっては、その家の女性とおしゃべりやゴシップに興じつつ隣人たちの台所事情ものぞいていく。そこで相手に食べるものがないとみれば、自分がつくった料理を皿に盛って相手の家に届けたりもする。
 まあ、ここまでは、なんとなく理解できます。驚くのは、この親密な関係が実は永続性がないことがしばしばだということです。その大きな原因の一つがゴシップです。あけすけなゴシップが行きかい、当の本人の耳にも入ります。そして疎遠な関係になります。ただ、徒党を組んで、誰かが孤立させられるというのはなさそうです。すると、どうなるのか...、また、女性たちはどうするのか、気になります。
 彼女たちは、目の前を濃密に飛びかうゴシップの渦中で、関係を悪化させすぎずに、しかし緊密に共在するのです。
 モザンビーク島で繰り広げられるゴシップは、その真偽を問わないままに他者の評判を流布する極めていい加減な社交であり、他者への応答をあるべき態度とする共生の倫理からすると、限りなく非倫理的な行為だろう。著者は、このように評しています。日本では考えられないと思います。
 著者が居住し、分析の対象とした人々の地区は島の南側の中流・下流層の人々が住む「バイロ」と呼ばれる地域。北側は、「シダーテ」という富裕層が多く住む地域。バイロの住民の大半はムスリム。バイロの女性は、夫の稼ぎをあてにせず、みずからも稼ぐ、堂々と振るまう「強い」女性たちが住んでいる。
 バイロの人たちは、必ずしも安いとはいえない鮮魚を毎日食べて暮らしている。それは島外から流入する現金があるため。
バイロでは、日々、隣人とのあいだで、皿に盛った調理ずみの料理を交換するやり取りが見られる。バイロでは、頼母子講(シティキ)が盛んにおこなわれている。
 島の離婚率の高さ、一夫多妻制のため、女性は夫と離別したあと、みずからの親族のもとに出戻ることが多い。
相手の家族が生活に困っているとみると、子どもの食事の分は助けるが、それは決して一家全員の分まではない。一定の距離を保つように線が引かれている。
 二つの家族のあいだで、相手の家族がひもじそうだとみてとると、孫の分のみ料理を分け与えるが、家族全員の分までは与えない。それは、お返しがあることを前提として、相手の生計の過度な負担とならないようにする配慮になっている。両者の関係性が負担になりすぎない距離感で保たせられている。これは、日本の昔の長屋であった共生、扶助関係とも違うのでしょうね。
 バイロの近所づきあいは、2~3日のうちに料理のお返しが求められている。共在を可能にする委ねすぎない身構え。そして、ゴシップの渦中で共在する。当初から、相手に過度に期待し、依頼でいばることをしないからこそ、深刻な裏切りも不信も生まれない。
 女性たちには、隣人たちと日々密に接し、相手とつながろうとしてしまう一方で、最後のところで相互に心理的な結びつきや連帯を求めすぎたり、みずからを相手に委ねすぎたりしてしまわない身構えがある。うむむ、そうなんですか...。大変興味深い社会生活の実情と分析でした。
 指導教官として小川さやか教授(「チョンキンマンションのボスは知っている」という面白い本の著者)の名前があげられているのを知って、同じような手法の調査だと納得しました。それにしても、男性、そして子どもたちが全然登場してこないのには、いささか欲求不満が残りました。
(2024年3月刊。5500円)

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