弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年8月28日

関心領域

ドイツ


(霧山昴)
著者 マーティン・エイミス 、 出版 早川書房

 映画をみて、原作本を読みました。でも、全然、印象が違います。
 なにしろ、映画では、アウシュヴィッツ絶滅収容所は高い塀の向こうにあるだけ、煙が見え、ときどき不気味な音が聞こえてきますが、内部の様子はまったく見えません。
 ところが、本ではゾンダーコマンドのリーダーが登場して作業の状況も自分たちの心理状況も語って教えてくれるのです。
 映画でも、臭いは感じることができませんが、本では収容所の周囲に住む人々からの苦情が紹介されます。この町では、夕方6時ころから夜10時ころまで誰も食べ物が喉を通らない。風向きが変わって、南から強く吹くから。臭いのせい。これに対して収容所側は伝染病でやられた豚を殺処分して焼却していると説明します。
 ドイツ軍が東部戦線でソ連軍と対決中で、スターリングラード攻防戦の最中です。マンシュタイン将軍(ナチス)とジェーコフ将軍(ソ連)が話のなかで登場してきて、当初は楽観的だったのに、ついにナチス軍は降伏してしまうという状況です。ユダヤ・ボリシェヴィズムは年内に打ち砕かれるだろうというナチス収容所側の予想が見事に外れてしまうのです。
 ゾンダーたちは、厚みのある革のベルトを使って残骸をシャワー室から死体保管庫まで引きずっていく。ペンチとのみで金歯を引き抜き、裁ちばさみで女性の髪を切り取る。イヤリングや結婚指輪をもぎ取る。そのあと、滑車装置に7体ずつ積み上げ、口を開けた焼却炉まで持ちあげる。最後に灰をすりつぶし、その粉塵はトラックに積んでヴィスワ川にまかれる。
 五感のうちで唯一、ゾンダーがある程度まともに保持しているのは味覚。ほかの感覚は、ひどいダメージを受けて死んでいる。触覚もおかしい。ゾンダーが、どんなものを見て、どんな音を聞いて、どんなにおいを嗅いでいるかを考えたら、食べ物の味くらいはまともに感じる必要があると納得してもらえるだろう...。
 ゾンダーは言う。もう死を恐れてはいないが、死ぬことは恐れている。死ぬ瞬間が怖いのは、苦痛を感じることになるから。いろいろ見てきた経験上、60秒もたたずに死に至ることはない。たとえ、首(うなじ)を撃たれても、本当に死ぬまでに必ず60秒くらいはかかってしまう。
 ゾンダーコマンド、特別労務班は収容所で一番悲しい人間である。それどころか、世界の歴史のなかで一番悲しい人間だ。
 映画のほうは死が至るところにある絶滅収容所に隣接する庭にプールがあって、子どもたちが楽しく泳ぎ、草も花も野菜もふんだんにある庭園、そして、人々は憩うのです。
 実に恵まれた環境なので、所長夫人は夫の転勤を断乎として阻止します。人間の本性が、こんなに使い分けの出来る生物であることが私は不思議でなりませんでした。
(2024年5月刊。2500円+税)

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