弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年8月 2日

公爵家の娘

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 浅見 雅男 、 出版 リブロポート

 昭和の初めころ、日本には「赤い華族」が何人も出現しました。公爵や子爵の息子や娘、貴族院議員の息子たちが日本共産党員になって活動したり、共産党に定期的にカンパしたりしていました。彼や彼女らは東京帝大や学習院の在学中に共産党に近づき、サークルをつくって組織的に活動していたのです。今も、そんな青年たちがいるのでしょうか...。
 赤い華族の先駆けは、なんといっても有馬頼寧です。トルストイの思想に傾倒し、被差別部落解放運動に自ら参加しています。
 さて、本書の主人公は岩倉靖子です。その曾祖父・岩倉具視(ともみ)が明治維新のときに果たした役割があまりにも大きかったので、わずか150石の家禄しかない、公家社会の下層に属していた岩倉具視の死後、息子・具定(ともさだ)は公爵になったのでした。その子・具張(ともはる)の娘が靖子。母は西郷隆盛の弟の従道(つぐみち)の長女の桜子。靖子が生まれたのは1913(大正2)年1月17日。
 岩倉具視は、三条実美(さねとみ)と同額の5千石を明治2年9月に「賞典禄」としてもらっている。岩倉具視は、華族のために第十五銀行を創設した。
靖子は女子学習院に入ったものの、途中で日本女子大に転入した。英文科である。そして、この日本女子大に学ぶころ、靖子は社会的に目覚めたらしい。
学習院に学ぶ学生たちのあいだに共産党を支持する学生サークルが存在して、活動していた。これって不思議な気がしますよね...。しかし、実は、珍しいことではなかたのです。それほど、貧富の差が激しく、目立つものだったのでしょうね。今も超格差社会であり、トヨタの会長が年収34億円というのに、月収10万円以下で暮らしている人はごろごろいる世の中です。ところが、イデオロギーとして、自己責任論から抜け出せない人が、いかに多いことでしょう。
 靖子は共産党のシンパとなり、サークル活動に熱心になっていきました。といっても党員になったわけではなく、ビラ配布に協力したり、カンパしたり、会に仲間を誘ったりする程度だったのです。ところが、治安維持法の「目的遂行罪」は、それを許しません。犯罪行為として立件できるのです。特高たちが靖子を検挙したのは1933(昭和8)年3月29日のこと。靖子は簡単に自白せず、転向もしませんでした。
 靖子の父・具張の姉は、東伏見宮依仁親王妃の周子、つまり近い親族に皇族がいたのです。こうなると、特高も特別な配慮が必要になってきます。なにしろ、天皇につらなる皇族に下手に関わってしまったら、自らの汚点になりかねないからです。
 そして、実際にも、昭和天皇は、「赤化華族」たちの処遇には関心をもち、木戸幸一を通じて働きかけていたようです。「木戸日記」に、その点が記載されているとのことです。
 靖子は起訴され、市ヶ谷刑務所に送られました。結局、保釈で自由の身になるまで、8ヶ月ものあいだ独房で過ごしています。靖子が転向を表明し、保釈が認められたのは1933年12月11日のこと。そして、10日後には自死したのでした。享年20歳です。公爵の娘としての葛藤が自死を決意させたようです。本当に残念でした。
(1991年4月刊。1442円)

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