弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年7月17日

日ソ戦争

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 麻田 雅文 、 出版 中公新書

 ソ連が日本敗戦の直前に突如として満州に侵攻してきたことを卑怯だという日本人が今なお少なくありません。でも、それはアメリカが願っていたことであり、アメリカはソ連の日本侵攻のために莫大な物資(トラックや兵器、ガソリンなど)を無償で提供していたのです。ソ連のスターリンは何度もアメリカの軍需援助を求め、アメリカはそれに応じていました。なぜか...。アメリカ兵の死傷者を少しでも減らしたかったからです。アメリカ軍は日本本土に侵攻したら、100万人のアメリカ兵が死傷すると予測していました。実際には、「捨て石」にされた沖縄の犠牲の下、本土決戦はなかったので、「100万人」どころか本土では死者が「ゼロ」だったわけです。(「ゼロ」というのは、本土決戦によるものとしては、というだけです)。
 この本を読んで驚いたのは、スターリンは、日本が無条件降伏しても、すぐにドイツのように軍事強国として日本はよみがえるだろうと予測していたというところです。一般のソ連国民にとって、ナチス・ドイツからは大勢の近親者を殺されたことから発奮したが、4年も中立を守った日本が相手では切迫感がなく、日ソ戦争はソ連国民が奮り立つ戦争ではなかった。ソ連国民は厭戦(えんせん)気分にあった。そこで、スターリンはソ連国民の士気を鼓舞するため日露戦争で敗れた復讐に見せるよう演出した。
スターリンは日本の復讐を恐れて4つの手を打った。第1は、日本の民主化の推進、第2は対日同盟網の構築、第3に南樺太(カラフト)と千島列島の併合、第4に元日本兵のシベリア抑留。
スターリンは北海道を占領しようとしたのをアメリカに阻止されたことからシベリア抑留を始めたという説がありますが、それはないと私は考えています。ソ連は独ソ戦で2700万人もの国民を失って、労働力が不足していたのです。荒れ果てた国土の復興にドイツ兵捕虜を使いはじめ、それに味をしめて日本兵も使いはじめたというのが、もっともありうるところだと私は思います。
 ただ、そのとき、ポーランドの将校3万人をスターリンのソ連軍が虐殺した「カチンの森事件」のように、元日本兵の将校たちも抹殺される危険があったのです。スターリンがその気にならなかったのは幸いでした。まあ、それほど、復興のニーズが差し迫っていたのでしょう。
 スターリンは満州にあった工場の機械やあらゆる機材をソ連領に運び去りました。そして、この本では、武器は中国共産党に渡したとされていますが、実はスターリンは中国共産党を信用しておらず、むしろ蔣介石の国民党を信頼して、武器もこちらに渡そうとしていたのです。ところが、腐敗した国民党軍がやる気もなくモタモタしているうちに、ハツラツとした中国共産党軍(「八路」、パーロ)が先に「満州」を占領してしまったことから、日本軍の武器の大半は八路軍(パーロ)に渡ったということです。
 大変興味深い内容で一杯の新書でした。
(2024年5月刊。980円+税)

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