弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年7月13日

忘れられた日本史の現場を歩く

日本史(平安)


(霧山昴)
著者 八木澤 高明 、 出版 辰巳出版

 岩手県奥州市の山中に人首丸の墓碑がある。
 平安時代に、京都から坂上田村麻呂が大軍を率いて、東北地方を征服しようとやってきた。激しく抵抗していたのは蝦夷(えみし)と呼ばれる人々で、その首領はアテルイそして腹心のモレ。アテルイは地の利を生かして789(延暦8)年に始まった一回目の戦いでは大勝したが、794年に始まった二回戦では、ついに大敗し(801年)、アテルイとモレは投降した。坂上田村麻呂は二人を京都に連れて行き、助命を嘆願したが、アテルイたちの力を恐れる朝廷は、斬首を命じた。大阪の枚方市にある牧野公園にはアテルイとモレの首場が今も残っている。
 アテルイたちのあとに朝廷に立ち向かったのが人首丸。
 しかし、人首丸も806(大同元)年に朝廷軍によって打ち取られた。年齢は15歳か16歳。はるか遠くに北上川が流れる北上盆地が見渡せる山中に人首丸の墓石がある。
 私がアテルイなる人物を初めて知ったのは、高橋克彦の「火怨(かえん)」(上下。講談社)でした。アテルイの「遊撃戦」が生き生きと描かれていて驚きました。その後も、熊谷達也の「まほろばの疾風」(集英社)、樋口知志の「阿弖流為(あてるい)」(ミネルヴァ書房)、久慈力の「蝦夷・アテルイの戦い」(批評社)と続けて読みました。いずれも蝦夷を未開の野蛮人とはみていません。すごい人たちがいたものだと驚嘆しました。
長崎県の上五島の中通島には潜伏キリシタンが建てた教会がある。もちろん、江戸時代に建てられたのではなく、明治になって禁教が解かれてからのこと。
 上五島は、私が弁護士になった年(1974年)4月、日教組への刑事弾圧が全国的にあり、まだバッジも届いていなかったので、先輩からバッジを借りて出かけたという、思い出深いところです。
 著者は、日本史に登場してくるけれど、忘れ去られたような場所を訪ねて歩いたのでした。
(2024年6月刊。1760円)

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