弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年6月21日

「悪の凡庸さ」を問い直す

ドイツ


(霧山昴)
著者 田野大輔・小野寺拓也 、 出版 大月書店

 ナチスによるユダヤ人大虐殺の仕掛け人の一人、アイヒマンについて、アンナ・ハーレントは裁判を傍聴して「凡庸な役人」に過ぎなかったとしました。本書は、果たしてそうなのか、議論しています。興味深い対話が続きます。
 アイヒマンは、無名どころか、アイヒマンの名は1930年代後半から、しばしば新聞などで言及されていて、ユダヤ人問題に関する権力者として広く知れ渡っていた。アイヒマンは、「ユダヤ人の皇帝」と呼ばれて恐れられていた。
 アイヒマンは、アルゼンチンで敗残者として生きていたのではない。西ドイツの平均賃金を上回る給与を得て、家族とともに高級保養地でバカンスを楽しむゆとりをもっていた。1952年にオーストラリアから妻と3人の息子を呼び寄せ、1955年には四男ももうけている。
アイヒマンは本名のままで世界観に関する論議をし、ナチスの第三帝国時代の内輪話をして、社交の中心にいた。
 アイヒマンは録音されたインタビューのなかでユダヤ人の大量虐殺があったことをはばかることなく認め、それについて何の後悔もしていないと言い放った。
アルゼンチンで、逃亡中の身でありながらアイヒマンが長広舌をふるったのは、重要人物としてスポットライトを浴びる快感にあらがうことができなかったから。
 アイヒマンにはユダヤ人の遠縁も何人かいて、就職に際して便宜を図ってもらったこともある。
ナチス機構のなかで大学出でもないアイヒマンが出世するには、ユダヤ人政策において業績をあげるしかなかった。アイヒマンは、自分はユダヤについての知識を豊富にもっていると周囲に信じさせるだけの演技力を身につけていた。
 アイヒマンは無能ではなかった。アイヒマンの知性は、ナチスのような不法国家においてのみ評価される類のもの。アイヒマンは単純な命令受領者ではなかった。
 アイヒマンは、法規や命令を遵守(じゅんしゅ)するだけの杓子(しゃくし)定規(じょうぎ)な官僚ではなかった。むしろ、前例を打破して、目ざましい成果を上げるクリエイティブな組織者として名を馳(は)せていた。
 アイヒマンのユダヤ人に対する個人的な憎悪は希薄だった。仕事で実績を上げて名声をえたいという出世欲や功名心がアイヒマンを突き動かした。
 アイヒマンは中央官庁にいて、事務仕事をしているだけではなかった。東欧各地の現場で、ユダヤ人銃殺に直接従事していたし、頻繁にユダヤ人殺戮現場を視察して指示を出していた。
 アイヒマンという人間の本質特質に触れた思いのする本でした。フツーの人が、自分の欲望を満足させるため、信じられないほどの極悪・非道なことができるし、するものだということが、改めてよく分かりました。
(2024年1月刊。2400円+税)

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