弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年5月26日

「チャップリンが日本を走った」

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 千葉 伸夫 、 出版 青蛙房

 チャップリンは1932年5月に日本にやってきました。
5.15事件で首相官邸を襲撃し、犬養毅首相を殺害した青年将校たちは、首相官邸でのチャップリン歓迎会を襲撃する計画だったのですが、予定が変更となり、チャップリンは無事だったのです。本書も踏まえて少し詳しく紹介します。
 5月14日 アメリカから有名な俳優チャップリンが来日した。
 チャップリンの秘書は高野虎市(チャップリンからは「コーノ」と呼ばれていた)という日本人で、チャップリンはとても気に入っていて、チャップリンの邸宅の世話も日本人チームにまかせるほどだった。チャップリンは神戸から東京に向かった。昼12時25分に神戸発の特急列車「燕」に乗って東京入りする。夜9時20分に東京駅に着いたとき、チャップリンを一目でも見ようと4万人もの大群衆が東京駅の内外を取り囲んだ。入場券だけでも8000枚が発行されていて、警官300人が警備にあたった。
 これほどのチャップリンの大歓迎については、「暗い世相を吹き飛ばしたくて鬱屈(うっくつ)した民衆が起こした大嵐」だと評されている。
 このチャップリンを暗殺しようと考えた集団がいた。五・一五事件を起こした青年将校たちだ。日曜日(15日)夕方から首相官邸でチャップリン歓迎会が開催されると新聞で報じられた。そこを襲撃しようというのだ。その狙いは、第一に日本の支配階級が多数集まるだろうから、攻撃対象として最適だということ、第二にアメリカの有名俳優を攻撃することによって日米関係を困難なものにして人心の動揺を起こし、それによって革命の進展を促進することができる。青年将校たちは、そう考えた。ところが、来日する直前の報道でチャップリンは熱病にかかって入院し、来日が遅れるという。首相官邸を襲うのは警備の手薄な日曜日でなければいけない。それで、チャップリン歓迎会が15日に開かれないのなら、それはあきらめ、ともかく15日に首相官邸を襲撃することは変えないこととした。
チャップリンの予定はさらに変更になり、当初の予定どおり15日夕方から歓迎会を首相官邸で開くことになった。ところが、チャップリンの気が変わり、歓迎会は17日に先のばしにして、15日は国技館へ大相撲を見物に行くことになった。
 チャップリンは15日の午後から国技館へ大相撲を見に行った。そして、夜は銀座のカフェ-「サロン春」に行って楽しんだ。
 夕方5時半すぎ、首相官邸に青年将校たちが強引に押し入った。海軍の青年将校と陸軍士官学校の生徒から成る一団だ。陸軍の青年将校たちは、意見の相違から加わっていない。
 首相官邸にいた犬養首相の家族は異変に気がつくと、直ちに避難するように勧めた。この時点では、その可能性はあった。しかし、犬養首相は、「私は逃げない。そいつたちに会おう。会って話せば分かる」と言って、12畳の客間に入り、椅子に腰かけて軍人たちを待った。
 そこへ将校たち9人が入ってきて犬養首相を取り囲んだ。犬養首相が何か話そうとすると、将校の1人が「問答無用、撃て!」と叫んだ。立って卓に両手をついている犬養首相に向かって拳銃が発射された。しかも9発も...。犬養首相(78歳)はその場で死亡した(五・一五事件)。このとき、青年将校たちは同時に警視庁と政友会本部にも乱入している。
「話せば分かる」と言って将校たちと対話しようとした丸腰の首相に対して、軍人たちが「問答無用」と叫んで拳銃を乱射して殺害するというのは、あまりにむごい話です。
それにしても、五・一五事件のとき、チャップリンが狙われていたとは驚きです。
(1992年11月刊。2300円)

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