弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年5月16日

ずっと、ずっと帰りを待っていました

日本史(戦後)


(霧山昴)
著者 浜田 哲二・律子 、 出版 新潮社

 1945年4月から5月にかけて、沖縄で日本軍はアメリカ軍の大軍と文字どおりの死闘を展開しました。それは、東京の大本営からアメリカ軍の本土上陸を少しでも遅らせよという命令にもとづくもの。つまり、沖縄の日本軍は全滅してよいから、アメリカ軍と必死に戦い、その前進を少しでも遅らせろというものです。そこでは日本軍が勝利することなんて、ハナから期待されていませんでした。
 アメリカ側で戦史を研究している学者のなかにも、日本軍の頑強な抵抗を乗りこえ、それを踏みつぶすような苛烈な戦いをする意味はなかったとして、アメリカ軍の強引な戦法を厳しく批判している人がいます。沖縄なんかとり残して日本本土の上陸作戦を敢行したほうがアメリカ軍将兵の犠牲はよほど少なかったはずだというのです。それほど、沖縄におけるアメリカ軍の将兵の犠牲は大きかったのです。寸土を争う激闘にどれだけの意味があったのか、アメリカ側からも批判があるわけです。
 そのことは本書を読むと、よく分かります。日本軍の戦い方は、まったく特攻精神そのもの、生還を期さない戦法です。なので、この本の一方の主人公、伊東孝一という、当時24歳の若さで第一大隊長(大尉)として1000人もの部下を率いて戦い、アメリカ軍から陣地(高地)を奪還し、それでも生き残ったというのは奇跡としか言いようがありません。部下の9割は死亡したけれど、大隊長は生き残ったのでした。そして、この生き残った大隊長は、戦後、死んだ部下の遺族600人に手紙を送ったというのです。
 そして、手紙を受け取った遺族から返信がありました。その返信356通を著者夫婦は伊東孝一元大隊長(当時95歳)から預かったのです。著者夫婦は、この356通の返信を発信した遺族(さらに、その遺族)に面談して手渡すのを始めたのでした。
この返信された手紙の8割は北海道在住。というのも、部隊の将兵の所属が北海道だったから。
 1946(昭和21)年ころに発信された遺族を探し出すのは困難をきわめます。当然です。70年以上たっているのですから...。それでもなんとか探し出していきました。
 「どうして、あんなに早く、(アメリカ軍の)上陸直後にやられたとは思いませんでした。少しでも、奮戦した後だったらと、それのみ残念でなりません。過去のことは考えても何にもならず、将来の生活に身を固めて、父の顔も知らない一子、隆を一人前に育てあげ、故人の意思を生かせるべく、決心いたしました」
 その隆さんは、「驚いたなあ、お袋が親父をこんなにも思っとったとは...」と語りました。
 「承(うけたまわ)れば、主人の最期は壮烈なるものにして、その功績、その殊勲は至高なり、ということですが、それは空(むな)しき生命だったとあきらめる道しかありません」
 その子たちは、「私ら兄弟は、青森名物のねぶた祭が大嫌いでした。同級生たちが両親と楽しそうにしているのを見たくなかったのです。運動会の弁当は、近くの畑に落ちている未成熟のリンゴ、校庭から抜け出し...捨てられている実をかじって昼ご飯にしていました」と語ったのです。これを読んで、私はついつい涙があふれ出してしまいました。戦争のむごさは子どもに及ぶのですよね。
 「礎(いしずえ)とは肩書きだけ、犬猫よりおとる有り様ではありませんか。村長も二言目には犬死にだとしか申されません」
大切な息子が戦死したというのに、その代償となる遺族年金は雀の涙だった。これが庶民にとっての戦争の現実です。
「死に水くらいは飲めましたか。遺品など何もありませんでしたか。追撃砲の集中砲火を浴びたとか。肉一切れも残さずで飛び散ってしまったのですか」
アメリカ軍の土砂降りのような猛攻撃の下で、まさしく肉一片も残さず、将兵の肉体は跡形もなく飛び散って死んでいったのでした。本当にむごい戦争の現実がありました。その状況をなんとか遺族に伝えようとした伊東元大隊長の心境を推測するしかありません。
「今は淋しく一人残され、自親もなく子どももなければ、お金もなく、暗黒な遭遇、並みの社会生活から一人淋しく投げ出されたように、国を通じての敗国の惨めさ、路途に迷い、気力を一時は失わんばかりでした」
「赤裸々に申し上げますならば、本当は後を追いたい心で一杯なのでございます。すべてを死とともに葬り去ったなら、どんなに幸福かしれません。されど、残されし、三人のいとし子を思うとき、それは許されないことです。かつては歓呼の嵐に送った人々の心も今は荒(すさ)みにすさんで、敗戦国の哀れさ、ひとしお深うございます。でも、私は強く生き抜いて参ります。すべてを子らに捧げて、それがせめてもの、散りにし人への妻の誠ですもの」
伊東元大隊長は、2020年2月、99歳で死亡。
その生前、戦争は二度と起こしてはならないと語っていたとのこと。
著者夫妻は、356通の手帳の4分の1を遺族へ返還したそうです。大切なことを、よくぞ成し遂げられました。そして、その過程をふくめて本書にまとめ上げられたことに心より敬意を表します。
(2024年2月刊。1600円+税)

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