弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年5月 1日

八路軍(パーロ)とともに

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 永尾 広久 、 出版 花伝社

 ようやく改訂、増刷できました。
 モノカキとして書くのは楽しみですし、一冊の本にまとめるのは喜びです。でも、出来あがった本を売るのは大変です。書いているときは一人の作業ですが、本にまとめ、売るとなると、大勢の人の手を借り、たすけてもらわないといけません。もちろん、それが嫌やだというのではありません。本にするのは形として見えますが、売るとなると、まったく見えてこない作業になります。ベストセラーになれば、形が見えてくるのかもしれませんが、そんな状況は期待できませんので、ひたすら各方面に送りつけ、人の噂を高めてもらおうとするしかありません。
 その意味で、本書がなんとかかんとか増刷にこぎつけることが出来たのは、思いがけない人の助けがいくつもあったからです。ありがとうございます。
 なんとかして増刷したかったのは、いくつかの誤記はともかくとして、付加・訂正したいところがあちこちあったからです。その一つが、帝銀事件と七三一部隊の関わりです。
 青酸カリ化合物を扱う手慣れた様子から「犯人」とされた平沢貞通氏のような画家がやれるはずはないと思うのですが、GHQの圧力で、七三一部隊員の方面の捜査は中止させられました。平沢氏は長く獄中について、ついに無念の死を迎えてしまいました。
 この本の主人公の久は関東軍の一兵士として敗戦時、鉄嶺にいましたが、のちに柳川市長をつとめた古賀杉夫氏も満州国の高級官僚として鉄嶺にいたことを本人の著書で知りましたので、そのことを付加しました。
 八路軍から逮捕命令が出たのを知って、満鉄の掃除夫になりすまし、機関車のうしろの石炭車の上に腹ばいになって逃げたというのです。逃げ遅れた日本人の高級官僚13人は河原で銃殺され、その遺体は無惨にも野犬に食い荒されたとのこと。
 古賀杉夫元市長の息子は古賀一成元代議士であり、大学の同級生でもあります。
主人公の久たちは八路軍とともに満州各地を転戦しますが、そのとき、「西の蒙古方面行きのワンヤメヨウ線」に乗ったとしました。「ワンヤメヨウ」とは何か分からなかったのです。満州に詳しい人に照会して、「王爺廟」と漢字で書くことが分かり、白温線という路線だということも判明しました。何事にも先達がいるものです。
 八路軍の百団大戦によって日本軍の拠点が次々に撃破され、両親を亡くした4歳の女の子が八路軍に救出され、日本軍に送り届けたというエピソードを紹介しています。その女の子(栫美穂子)が郷里の宮崎で無事に成人していたのが探し出され、救出した八路軍司令の聶(じょう)栄瑧(えいしん)将軍(80歳になっていました)と北京の人民大会堂で再会したという話です。この女の子の父親がつとめていたのは、井陘(せいけい)炭鉱駅でした。
 満州(中国東北部)をめぐる国共内戦の最終段階にあった錦州改防戦のとき、圧倒的不利を悟った国民党軍の司令官が八路軍に投降してきたとき、八路軍はどうしたか...。八路軍は捕虜に温かく接し、場合によっては旅費まで与えて釈放していたのですが、この司令官と家族を大八車で荷物とともに護衛つきで北京まで送り届けたというのです。このことが広く知れ渡ると、北京・天津にいた国民党軍は戦意喪失・投降する将兵が続出し、双方の死傷者が少なくして決着ついたというのです。
歴史の真偽を知るのはなかなか容易なことではありませんが、こんなエピソードをまじえて生きた歴史をもっともっと学び、生かしていきたいものです。
 ぜひ、この改訂・増刷分を購入してお読みください。ご協力をお願いします。
(2024年4月刊。1650円)

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