弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2024年4月26日
南京大虐殺から雲南戦へ
中国
(霧山昴)
著者 青木 茂 、 出版 花伝社
中国は1944年5月から日本軍に対して反撃を開始した。垃孟(らもう)などの日本軍守備隊を全滅させるなどの勝利を重ね、1945年1月までに日本軍を雲南から追い払った。中国が「日本に唯一、完全勝利した」雲南西部を舞台とする戦役、つまり雲南戦を中国は滇西(てんせい)抗戦と呼んでいる。
ところが、このときの中国軍が蔣介石の国民政府軍であったことから、1980年代まで中国政府はずっと黙殺してきた。ところが、1990年代の江沢民政権になってから、中国政府は「歴史の空白」を埋め始めている。そして、2014年2月、中国の全人代常務委員会は9月3日を中国人民抗日戦争勝利記念日とした。
9月3日とは、1945年9月2日に日本政府が降伏文書に調印した日の翌日のこと。
滇西(てんせい)抗戦とは、前述したとおり、雲南省西部におけるビルマ援蒋ルートをめぐる日本軍と中国軍との戦い(雲南戦)のこと。雲南戦戦において、中国と日本の双方は、軍備を互いに増強しながら怒江(どこう)を隔てて2年以上も対峙した。
日本軍は、1942年に垃孟(松山)を占領し、第56師団113連隊3000人を駐屯させた。1944年8月、中国軍は全面攻撃を開始し、9月7日、日本軍から垃孟を奪還した。日本軍の守備隊1200人は全滅。中国軍も7600人もの犠牲者を出した。
日本軍があまりにも残虐な行為をしたことから、日本兵の死体は膝を折り頭を下げる姿勢(土下座埋葬)で埋め直され、倭塚がつくられている。日本兵に謝罪させるための土下座埋葬だ。日本軍に対する雲南地方の住民の怒りは今も鎮まっていない。日本兵の遺骨の収集や慰霊祭の実施は今も許されていない。それほど、現地住民の日本軍への反感は強い。
裁判所での調停の待ち時間のなかで読了しました。
日本軍って、本当にひどいことを中国でしたんですね、同じ日本人として、許せません。加害者は忘れても被害者のほうは忘れないことだということがよく分かりました。
(2024年2月刊。1700円+税)