弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年3月22日

女子鉄道院と日本近代

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 若林 宣 、 出版 青弓社

 いま、昭和はじめの東京の状況を調べていますので、この本を読んでみました。
 東京市電(東京都ではなく、東京市でした)の女性車掌は、1925年に始まりましたが、1927年には廃止されました。ところが、1934年3月に復活しています。いったん廃止されたのは終車まで勤務させられないのと、更衣室が必要だからというのです。復活した理由は「経費の圧縮」。つまり、女性のほうが安上がりだという理由です。どれくらい安いかというと、男性なら日給1円7銭のところ、女性は90銭でした。
 そして、男性は運賃の着服横領が多いけれど、女性はそんなことしないだろうという事情もありました。このころは、車掌が車内で運賃を乗客から徴収していたのです。すると、乗客が満杯のときなど、料金の過不足が出てくるのは避けられません。それが全部、車掌の責任にさせられていました。そして、当局は、ときに密偵を車内に送り込んで車掌を監視していました。弁償させられていたのです。
 乗客のなかには今でいう「カスハラ」をするのもいて、女性だとなおさら泣かされたようです。そして、女性が働くと、女性をつけ上がらせるという世間の冷たい眼にもさらされました。
 1933(昭和8)年2月2日、武蔵野鉄道(現・西武池袋線)の労働者は始発からストに突入した。解雇撤回、手当を減額するな、そして、女性を採用するな、でした。低賃金の女性が採用されると、男性の職場が荒されるというのです。
 鉄道が走り出したころ、踏切番の仕事は女性が担っていた。鉄道に雇われている夫の妻として踏切番の仕事をした。ところが、この仕事は危険だった。というのは、まだ鉄道の怖さを知らないので、子どもたちまで平気で線路内に立ち入る。それで子どもを助けようとして、踏切番が犠牲になることも少なくなかった。
 踏切番として働く女性の賃金は4円。これは男性が9円81銭もらっているので、その半額以下。
 国鉄に女性の車掌が登場したのは1944(昭和19)年のこと。戦時下にあったからとされている。男性が兵役にとられて、いなかったのです。
 かつてバスには女性の車掌がいて、バスの車内で切符を売ったり、パンチを入れたりしていました。戦後まもなく生まれた私の記憶でもあります。それが、いつのまにか車掌はなくなり、ワンマンバスになってしまいました。
 鉄道とバスをめぐる、昔のことがよく分かりました。
(2023年12月刊。2400円+税)

 庭のチューリップが一気に咲きはじめました。今年はなぜか紅いチューリップが多いようです。もちろん、黄色も白もありますが...。白いスノードロップもあちこち咲いてくれています。
 雨戸を開けると、チューリップの群舞に出会えます。春を実感させる一瞬です。
 2月に植えたジャガイモが少し芽を出してくれました。こちらも楽しみです。
 春は心が浮き浮きしてきます。何かいいことがあったらいいですね。殺伐としたニュースばかりでは心が休まりません。春はやっぱりチューリップです。

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