弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年3月19日

戦前の日本

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 武田 知弘 、 出版 彩図社

 私の父は17歳のときに大川市から単身上京し、24歳まで7年のあいだ東京にいました。1927(昭和2)年4月から1934年8月までのことです。
 このころの日本そして東京はまさしく激動の時代でした。大正デモクラシーという自由な雰囲気が少しは残っていましたが、次第に軍人がのさばり始め、五・一五事件が起きて犬養首相が首相官邸で「問答無用」と青年将校から射殺され、ついに政党政治が強制終了させられ、軍部独裁の政治が実現しました。
 そんな時代の様子を今いろいろ調べています。この文庫本を読み返したのも、その一環です(初版は平成28年)。
 戦前の日本は貿易大国だった。紡績業がその中心にあった。そして、なんと、自転車も重要な輸出品目でした。自転車の生産台数は大正12年に7万台、昭和3年に12万台、昭和8年に66万台、昭和11年に100万台を突破し、それ以降も同水準だった。
 次に玩具(オモチャ)。セルロイドや金属を使ったり...。昭和8年には輸出額は2000万円にのぼった。
そして、日本は中国や朝鮮半島から留学生を大量に受け入れていた。中国人留学生は5000人以上、そして朝鮮半島からは3万人ほどもいた。
 つい最近、日本政府は外国人が大学に行くときには、その授業料を日本人より高値に設定するというのです。まさか、と我が眼を疑いました。この反対に外国人学生の学費はタダにして、大いに諸外国から来てもらうようにすべきです。トマホークやオスプレイのようなものを買うお金はあっても「人材育成」のために使うお金なんてないというのです。まるでアベコベ政治です。
 昭和3(1928)年10月の人口調査によると、大阪市が233万人で、東京市は、それを下回る221万人でした。信じられません。それほど大阪市は活気に満ちていたのです。
 戦前の日本は、日本映画の黄金時代。上映される映画の8割近くは邦画だった。ドイツでは6割、英仏でも7割がアメリカ映画だったのに対比させると、いかに邦画が繁栄していたかです。おかげで有名な監督が輩出しました。
 サラリーマンは、平均月収が100円。ところが大企業では課長クラスで年収1万円(今の年収5000万円)。今は、もっと格差が大きくなっていると思います。
 寿司屋では、にぎりずしが25銭、ちらし寿司が30銭。大衆食堂では、朝食10銭、ライスカレー20銭でした。ところが、高級料理店では2円だった。コーヒーは10銭で飲めた。マイホームは4000円前後で建てることができた。
 知らなかったことが、たくさん出てきました。
(2016年9月刊。648円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー