弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年3月12日

溺れるものと救われるもの

ドイツ


(霧山昴)
著者 プリーモ・レーヴィ 、 出版 朝日文庫

 アウシュヴィッツ絶滅収容所に入れられながら奇跡的に生きのびたイタリア人の作家による深い洞察文です。思わず姿勢を正しました。知らなかったことがたくさん書かれていました。
 ユダヤ人は強制収容所でやすやすと殺されるばかりではなかった。反乱が起きていたこと。それは、トレブリンカ、ソビボール、ビルケナウで起きている。そして、驚くべきことに成功したのもある。トレブリンカでは、ほんのわずかだけど、生きのびた人がいる。
 いずれにせよ、反乱は起きた。それは決意を固めた、肉体的にはまだ無傷の少数者が、知力をふりしぼり、信じられないほどの勇気をふるい起こして準備したものだった。そして、その代償は恐ろしいほど高いものになった。
 それでも、それは、ナチの収容所の「囚人」たちが反乱を試みなかったという主張が誤りであることを示すのに今も役立っている。
ユダヤ人たちがシャワー室だと騙されて入ったガス室に、特別部隊(ゾンダーコマンド)が立ち入ったとき、全員死んでいるはずなのに、16歳の娘が生きているのを発見した。娘の周囲に、たまたま呼吸できる空気が閉じ込められていたのだろう。ゾンダーコマンドは、彼女を隠し、体を温め、肉のスープを運び、問いかけた。しかし、彼女は瞬間・空間の感覚を失っていた。いま自分がどこにいるかも分からなかった。さあ、どうするか...。しかし、彼女は虐殺現場の目撃者。生かしておくわけにはいかない。
 医師が呼ばれ、医師は娘を注射で蘇生させた。そこにSSの兵士がやってきて、状況を知った。このSS兵士は自分では殺さず、部下に娘を射殺させた。そして、このSS兵士は戦後、裁判にかけられ死刑となり絞首刑が執行された。
 ドイツに住んでいたユダヤ人がなぜ殺される前にドイツを脱出しなかったのか...。彼らはほとんどが中産階級で、おまけにドイツ人だった。秩序と法を愛していた。体質的に国家によるテロリズムを理解できなかったのだ。
 最悪のもの、エゴイスト、乱暴者、厚顔無恥なもの、スパイが生きのびたというのが現実。
ユダヤ人である著者は前から宗教(ユダヤ教)を信じていなかったが、アウシュヴィッツを体験したあとは、さらに信じなくなっていた。
 収容所で死んだ人の多くは、その優秀さのために死んだ。
収容所でドイツ語を知らなかった「囚人」の大部分は入所して1日から15日のうちに死んでいった。情報不足のためだ。ドイツ語を知っていることは生命線だった。
ナチのSS部隊のメンバーとゾンダーコマンドのメンバーはサッカー試合を楽しむことがあった。両者は、対等か、ほとんど対等のような関係でサッカーを戦うことができた。
 「おまえたちは我々と同じだ。誇り高きおまえたちよ。我々と同じように、おまえたち自身の血で汚れている。おまえたちもまた、我々と同じように、兄弟を殺した。さあ、一緒に試合をしよう」
 人間とは、混乱した生き物である。人間は極限状態に置かれれば置かれるほど、より混乱した生き物になる。
SSにとって、「囚人」は人間ではなかった。牛やラバと同じ存在でしかなかった。とは言っても、すべてのSSが疑問なく任務を遂行していたわけでもないようです。
人間性について、人間とはいかなる存在なのかを深く考えさせられる本でした。
(2023年11月刊。840円+税)

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