弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2024年2月19日
恋愛の日本史
日本史(平安)
(霧山昴)
著者 本郷 和人 、 出版 宝島社新書
万葉集にある歌は、自分は人妻と交わり、自分の妻を他人に差し出す。これは山の神が昔から禁じていないことを示している。古代日本の歌垣では、このような奔放な性の営みが行われていた。
古代日本には女性の天皇が少なくない。女性天皇は8人いるが、そのうちの6人が古代に集中している。中国では女性の皇帝は則天武后がいるだけで、基本的には存在していない。
女性の地位が高いほど、男女は対等なかたちで恋愛が展開していくことになる。
女性の「本当の名前」は明らかにされていないし、明らかにされるべきものではなかった。
紫式部の本名は今なお不明。北条政子にしても、本当の名前ではない。そうなんですか、いや知りませんでした。
著者は、女性天皇の存在について、「あくまでも中継ぎ」だと強調しています。いやいや、決して「中継ぎ」ではないという学説も読んだことがあります。どちらが正しいのでしょうか。学界の通説(多数説)は、どちらなのでしょうか...。
著者の考えは、天皇家が母系ではなく、あくまでも父系の系統で継承されていくものだったからという考えにもとづきます。
『源氏物語』によると、日本社会が恋愛や性愛に関して実に大らかだったことがよく分かる。
藤原道長は晩年は糖尿病のため、目がほとんど見えていないほどだったとされています。
有名な、「この世をば我が世とぞ思う、望月の欠けたることもなしと思へば」というのも、糖尿病のため視力が低下して、月が欠けているかどうかも見えない状況も反映させているという説があるそうです。知りませんでした。
紫式部との「恋愛」とか、和歌のやりとりにしても、「ある種の礼儀」と考えるべきではないかとも解説されています。そうなんでしょうか...。
平安時代の美女は、「お多福」や「おかめさん」のような「切れ長の細い目で、ふっくらした頬」だった。
男性(貴族)のほうも、「でっぷりとたっている」こと、そちらが好ましい、美しいスタイルだった。太っているのは、富の象徴となっていた。
日本に梅毒が入ってきたのは戦国時代、南蛮貿易を通じてのもの。したがって、中世の日本では梅毒の心配はなかった。性愛を謳歌しても、病気の心配はしなくてよかった。
日本は世界的にみても、男性同士の関係、男色に対して非常に寛容な社会だった。
知らない話がいくつもありました。
(2023年7月刊。990円)
家に帰るとハガキが届いていました。大判の封筒ではありません。「ありゃあ、やっぱりダメだったのか...」と、沈んだ気分でハガキを開きました。1月に受験したフランス語検定試験(準1級)の口述試験の結果は「不合格」でした。合格基準点が22点のところ、私の得点は21点、わずか1点の不足でした。本当に残念です。受験室を退出するときニッコリ笑顔で、「よろしくお願いします」とブロックサインを送ったつもりでしたが、試験官はごまかされず、冷静に採点したのです。まあ、これが私の実力なのですから、仕方ありません。やはり加齢とともに語学力が低下しているようです。筆記試験も成績が下がっています。
それでも毎朝の聴き取り、書き取りはこれからも欠かしません。
夜、悔し涙のせいで眠れませんでした。というのは嘘なんですが、実はショックから花粉症が発症してしまい、鼻づまりで苦しい夜になってしまったのです。
世の中、明けない夜はない。それを信じて生きていきます。