弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2024年2月 1日
ラパスの青い空
アメリカ
(霧山昴)
著者 下村 泰子 、 出版 福音館日曜日文庫
1995年11月発行の古い本です。このころ30歳代の若い日本人女性がボリビアに1年間滞在したときの生活と苦労話が紹介されています。ずっと前から我が家の本棚にあったのですが、読んでいないので、思い切って読んでみました。とても面白い本でした。
著者は京都YWCAに勤めて不登校の若い人たちと交わるなかで、このままなんとなく流れに乗ってやっていては、いつか足元にぽっかり穴があいてしまう。ここはいっぺん、まるごと自分をリフレッシュせなあかんと思い立ったのでした。そこで、まずは仕事を辞めたのです。なんのあてもないまま...。そして、募集記事を見てボリビアに行くことを決めました。先住民の人口比が多い国だというのもボリビアを選んだ理由の一つでした。
ボリビアの首都ラパスは標高4千メートル超ですので、たちまち高山病にかかりました。どこかふわふわと漂っている感じがして、足どりも頼りない。そして、飛行機に乗る前に預けた荷物は出てきませんでした。やむことなくガンガン襲ってくる激しい痛みのため、時差ボケもあって、眠れません。辛いですよね、これって...。
明るすぎる日差しには、現地の女性がかぶっているフェルトの山高帽は、この日差しをさえぎるのにぴったりということが分かりました。
腹痛と吐き気がひどいとき、甘くておいしい葛湯(くずゆ)のようなものと、砂糖のたっぷり入ったコカ茶を飲むと、少しずつ楽になっていったのでした。
最初に生活した家は裕福な家庭で、お手伝いの女性がいます。たとえば朝食は家族みな別々で、お手伝いのイルダが、それぞれの部屋に運びます。
ボリビアでは、昼12時から午後3時まではレストランを除いてほとんどの会社、商店などが休み。みな自宅に戻って昼食をとる。ボリビアでは1日の食事のうち昼食が質・量ともにメイン。
日本人の著者は「チノ」と呼ばれます。「チノ」は本来は中国人を指しますが、東アジアの人を広くさすコトバとしても使われているのです。
お手伝いのイルダは家族と一緒に食事することは全然ない。家族のように仲良くしようという発想がない。はっきり違った二つの階層が、ひとつ屋根の下に存在して生活している。
ボリビアでは、お客のもてなしは、ます一杯のコーラから始まる。
女性たちは、コカの葉を口に入れてもぐもぐさせている。コカの葉は女性たちの大好物。コカには寒さや空腹感、疲労感をマヒさせる作用がある。
公立学校の教師の給料はひどく安く、ほとんどの人が副業をもっている。たとえばヤミ両替商をしている。
ボリビアは1年中、祭りの絶えない国。そのなかで、一番盛り上がるのはカルナバル(カーニバル)。
著者はボリビアに1年間いるあいだに体重が5キロも増えたとのこと。慣れない土地で健康に過ごすには、のんきさも大切だと著者は強調しています。まったく異論ありませんが、私にはとても出来そうもありません。
著者はボリビアでいろんな人と知りあい、一緒に生活し行動するなかで、まさに「そのとき」を生きている実感があったとのこと。そのことがよくよく伝わってくる文章であり、何枚かの写真でした。
5年後にボリビアを再防したときのことも少し紹介されています。今を大切にして生きることの意義を感じさせてくれる本でもありました。著者は現在65歳のはずです。どこで何をしておられるのでしょうか...。
(1995年11月刊。1400円)
2024年2月 2日
移民の子どもの隣に座る
社会
(霧山昴)
著者 玉置 太郎 、 出版 朝日新聞出版
大阪市のど真ん中に位置する「島之内」は住民6千人の3割以上が外国籍、日本でも指折りの移民集住地域。住民の大半はミナミの飲食店街で働いている。とくにフィリピンと中国出身者が多い。そこに「minamiこども教室」がある。火曜日の夜の午後6時から8時まで、小学生から高校生まで30~40人が集まってくる。フィリピン、中国、韓国、ブラジル、ペルー、ルーマニア、ネパール...と続く。
教室では、ボランティアが一対一で子どもの隣に座る。
ほとんどの子どもは島之内の中層マンションに住んでいる。島之内には暴力団の事務所もある。こども教室がオープンしたのは2013年9月のこと。なので、もう10年以上になる。
著者は朝日新聞の記者として取材を兼ねて、教室でボランティアを始めた。
大学生のころはバックパッカーとして、海外への一人旅に出た。
子供たちにとって、この教室は「居場所、心の居場所」だと言う。
ボランティアには元教員もいる。その長年の教員経験から子どもの内面が姿勢に表れるという。それまで解けなかった問題が解ける喜びを知ると、もっと集中しようという気持ちが姿勢に出てくる。
日本に住むフィリピン国籍の人は2010年代は20万人台で増え続け、2022年末には30万人になった。中国、ベトナム、韓国に次いで4番目。フィリピン国籍の人は男性10万人に対して女性が20万人。これは興行ビザでフィリピン人女性が来日してきたことによる。
フィリピン人女性と日本人男性とのあいだの子は、「ジャパニーズ、フィリピノ、チルドレン」(JFC)と呼ばれている。法改正があり、日本国籍をとるJFCが急増した。7年間で4千人をこえる。実子が日本国籍をもっていたら、外国籍の母親も「子どもの養育」を理由に「定住者」在留資格を得られる。
ブラジル国籍をもつ人は5番目に多いが、その大半は北関東や東海地方で、自動車関連の工場で働いている。
日本に住むブラジル人は1989年に1万5千人だったのが急増し、ピークの2007年には30万人をこえていた。今や20万人前後。
自己紹介が嫌いだ。日本人っぽくない名前を言うのが恥ずかしいし、怖かった。いじめの原因になるんじゃないかって、いつも不安だった。
著者って、すごいなと感心したのは、34歳のとき、朝日新聞を2年間休職して、ロンドンの大学院に留学し、移民について学んだことです。しかも、このときもロンドンで移民の子どもたちのなかでボランティア活動をしたのです。すごいです。うらやましいです。
子どもたちのなかに入ってボランティアしているときは、子どもたちの名前をしっかり覚えられるように、小さな紙片にカタカナで名前を書いてポケットに入れていたそうです。名前を間違えると、子どもはとても寂しい顔をするから...。
ロンドンの、ここ(ソールズベリーワールド)は、いろんな背景をもった人の入りまじった場所なので、自分も、その一部だという感覚になれる。そうやっていろんな背景や文化をもった大人たちが、子どもと身近に接するからこそ、子どもたちは「違い」に対する寛容さを身につけることができる。
なるほど、なるほどこんなこども教室が日本全国、あちこちに出来たら、本当にいい社会に日本も変わると思いました。
(2023年10月刊。1870円)
2024年2月 3日
雇足軽八州御用
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 辻堂 魁 、 出版 祥伝社
これはまた、なかなかに読ませる時代小説でした。
表紙の絵も気品があり、読む意欲をそそりましたので、正月の休みに大きな期待をもって読みはじめたのですが、期待を裏切られることはなく、ずんずんと関八州取締の舞台の奥深まで心地よく深入りさせられました。
奥付をみると、全然知らなかった著者は私と同じ団塊世代で、「風の市兵衛」シリーズが評判を呼び、連続テレビドラマにまでなっているとのことで、驚き入りました。
ストーリー展開も情景描写も素晴らしいのですが、細部までよく調べてあるのに驚嘆します。神々は細部に宿るという格言のとおりです。
時代小説というと、やはり漢字、それも難しい漢字が多用されますが、心配ご無用。ルビがちゃんと振られていて、読めないということはまったくありません。
江戸時代にも就職を幹旋するところがありました。請人宿(うけにんやど)です。訴訟の世話をするのは公事宿(くじやど)と言います。江戸には馬喰町(ばくろうちょう)などにたくさんの公事宿があり、その主人(公事師)は地方から裁判を起こそうと思って、また訴えられてやってくる人々の宿泊場所であり、裁判の書類づくりや進行上の相談相手になっていました。
雇足軽(やといあしがる)というのは、関東八州取締出役の下で1年という年期で雇われる存在。手当は1日に銀1匁(もんめ)、つまり80文。ただし、旅費などの費用は勘定所持ち。関東八州取締総出役とは、関東一円の農村を隈なく巡廻し、厳格な取り締まりをする役目の人物。その主要な役目の一つに無宿人対策があった。これは関東農村の復興策の一つ。
無宿人を取り押さえ、罪を犯した者は江戸の公事方勘定所へ送り、罪がない者は素性の確かな取引人に引き取らせた。
出役の調べは、無宿の改め、諸情や事件などの報告、風俗取り締まり、河川普譜の検分、鉄砲改め、酒造制限、倹約の奨励が守られているか、農民の農間渡世の実情調査など、村民の暮らしぶりを寄場役人から聞き取りし、惣代と寄場役人に対応を指示する。
関東取締役出役は、一村一村を見廻るのではなく、寄村の寄村から寄場へと巡廻していく。村では素人博奕(ばくち)があっていた。それを取締るのも関八州取締出役の仕事である。
これに対して玄人の諸場は代官所の陣屋の役人たちが担う。基礎知識はこれくらいにして、あとはストーリー展開ですが、こちらは読んでのお楽しみとします。
いろいろな話が次第に煮詰まっていく様子は、うむむ、この書き手には余裕があるなと感じさせます。それがまた読書の快感にもなっていくのです。いやあ、休日に読んで大いにトクした気分になりました。ご一読をおすすめします。
(2023年9月刊。1750円+税)
2024年2月 4日
赤ひげ珍療譚
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 山本 周五郎 、 出版 本の泉社
久しぶりに山本周五郎の時代小説を読みました。劇にもテレビにもなっていますが、その原作です。50年ぶりに読んだのではないかと思います。
読みはじめたら、心がじわっと温まっていきます。それで、これは布団に入って寝る前に読み進めたらいいと思いつき、正月明けのまだ忙しさが本格化する前に、夜に少しずつ読んでいきました。
さすがは周五郎です。よく出来たストーリーです。泣かせます。本のオビにセリフがあります。
「おまえはばかなやつだ」
「先生のおかげです」
前者は、赤ひげとも呼ばれる新出(にいで)去定(きょじょう)という小石川養成所の所長をつとめる医師が、新米の医師の保本(やすもと)登に言ったセリフです。そして、それに対する返答は保本登による所長へのお礼の言葉です。「ばか」と言われて怒るどころか、本心から感謝の念を伝えようとしています。この本の最後にあるやりとりです。
医が仁術だなどというのは、金もうけ目当てのヤブ医者、門戸を飾って薬礼稼ぎを専門にする、エセ医者どものたわ言(ごと)だ。彼らが不当にもうけることを隠蔽するために使うたわ言だ。
仁術どころか、医学は、まだ風邪ひとつ満足に治せはしない。病因の正しい判断もつかず、ただ患者の生命力に頼って、もそもそ手さぐりをしているだけのことだ。しかも手さぐりをするだけの努力さえ、しようとしないエセ医者が大部分なんだ。
どうでしょう、これって、現代にも通じるコトバではありませんか...。いえ、決して医師全体をバカにするつもりではありません。そんな医師も少なくないし、医学だって人間の本来もっている生命力・免疫力に頼っているところが大いにあるということを申し上げたいわけです。
次のセリフは、子どもを食いものにする両親の下で馬鹿なふりをして生きのびてきた娘が言ったものです。
「世間を見ても、貧乏世帯は似たりよったり。子どもを愛している親たちでさえ、貧乏暮らしではどうしようもない。多かれ少なかれ子どもに苦労させる。ことに男がいけない。男は30ちょっと過ぎるとぐれだしてしまう。酒か女か博奕(ばくち)、決まったように道楽を始めて、女房・子どもをかえりみなくなる。男なんてものは、いつか毀(こわ)れてちまう車のようなもの。だから、自分は亭主は持たない」
いやはや、こうまでキッパリ断言されると、同じ男として立つ瀬がありません。
去定は政治のあり方に強く憤慨して、こう言います。
「こんなふうに人間を愚弄(ぐろう)するやり方に眼をつむってはいけない。人間を愚弄し軽侮(けいぶ)するような政治に、黙って頭を下げるほど老いぼれでも、お人好しでもないんだ」
「無力な人間に絶望や苦痛を押しつける奴には、絶望や苦痛がどんなものか味あわせてやらなければならない」
「彼らの罪は、真の能力がないのに権威の座についたこと、知らなければならないことを知らないところにある。彼らは、もっとも貧困であり、もっとも愚かな者より愚かで無知なのだ。彼らこそ憐(あわ)れむべき人間どもなのだ」
どうですか...。私は、このくだりを読んで、今度、5億円以上という裏金づくりに狂奔していながら「不起訴」になった萩生田議員ほかの安倍派幹部連中を、つい連想してしまいました。しかし、愚かだけど、憐れむべき存在だとは考えません。この連中こそ刑事訴追して、国会から追放すべきだと確信しています。そのためには、私たちはもっと怒りの声を上げる必要があると考えているのです。心にうるおいの必要な人に一読を強くおすすめします。
(2023年11月刊。1600円)
2024年2月 5日
カブトムシの謎をとく
生物
(霧山昴)
著者 小島 渉 、 出版 ちくまプリマー新書
カブトムシは、私たち日本人には、とても身近な存在です。街の中の公園にフツーに生息していますが、これは世界的には珍しいことだそうです。
カブトムシはペットだが、害虫でも益虫でもない。カブトムシを研究した学術論文は多くない。
カブトムシは、コガネムシ科。カブトムシ亜科は世界に1500種類。似ているクワガタムシはコガネムシ科ではない。カブトムシのオスの武器である角(つの)は頭部(および胸部)の表皮が変形したもので、クワガタムシのオスの武器は大顎(あご)が発達したもの。
カブトムシは青森県を北限とし、南は沖縄県まで分布している。国外では、台湾、韓国、中国など東アジアに広く分布している。
メスは生涯に100~200個の卵を産む。1年で、ちょうど1世代が回る。成虫は短命で、1~2週間ほどで死ぬ。カブトムシはオスのほうがメスよりも大きな体をもつが、これは昆虫界では例外的。メスは、生涯に1度しか交尾しない。ただし、これは日本のカブトムシだけの例外的なもの。これって、珍しいことですよね、きっと。
カブトムシの天敵はハシブトガラスとタヌキ。それからノネコとハクビシン。
カブトムシは体重の2~4割を脂肪が占めている。そして、動きが鈍いため、捕まえるのに苦労しない。
カブトムシがクヌギの樹皮の樹液をなめているところへオオスズメバチがやって来ると、カブトムシを力ずくで追い出してしまう。著者は、その理由について、クヌギの樹皮を削って樹液を出させているのは、実はオオスズメバチで、せっかく苦労してつくりあげたエサ場(樹液場)をカブトムシが占領しているのを見つけたとき、怒りに燃えて排除しているのではないか、そう考えています。なーるほど、です。
どこでも同じように見えるカブトムシが、実は、それぞれの他の歴史を背負った固有の存在だということを著者は一つ一つ実証していきました。
それにしても、小学生(柴田亮さん)が、自宅の庭のシマトネリコの木にやって来るカブトムシをじっくり観察して、夜間に行動するはずのカブトムシが昼間もそのまま残っていることを実証したというのです。ものすごく根気のいる作業だったと思います。
その観察をもとに著者は、樹液が少ないからではないかと考えました。このように、推測かもしれないのを科学的に実証していくというのは大変な作業だったと思います。
カブトムシの知らなかった一生を学ぶことが出来る面白い新書です。
(2023年8月刊。880円+税)
2024年2月 6日
平和に生きる権利は国境を超える
中近東
(霧山昴)
著者 猫塚 義夫 ・ 清本 愛砂 、 出版 あけび書房
まずもって、ハマス(この本では「ハマース」)によるイスラエルの人々に対する急襲行為が許されないものであることは言うまでもありません。しかし、現在、私たちの目の前で進行しているのは、それに対するイスラエルの「反撃・報復」というにはあまりに大規模な軍事作戦です。それはまさしくジェノサイドレベルのもので、絶対に容認できません。直ちに停戦し、和平交渉に入るべきです。もちろんハマスの人質返還は当然です。
イスラエルはガザ地区に対して事前警告なしに空爆していて、病院や国連の施設までも爆撃しています。ひどいです。ひどすぎます。
これまでガザ地区へは中大規模の軍事攻撃が4回あり、今回が5回目。16歳以下の子どもたちは、生まれたときから戦争しか知らない。
失業率は50%。15~28歳の若者については、失業率は60~70%もの高率。
イスラエル軍はハマスの攻撃に加担した者の家族の家まで破壊している。連座制の適用。ハマスとイスラエルの軍事力の違いは、中学生の野球部とメジャーリーガーが試合をしているようなもの。格段すぎる格差が明らか。
イスラエルのガザ地区への空爆で投下された爆弾は、8日間で6000トン。これは戦前の東京大空襲のときに投下爆弾が2200トンだったので、その3倍に近い。しかも、ガザ地区は東京23区の3分の1でしかない。
ガザの人口の40%以上が18歳未満。ガザ地区は、縦50キロ、横5~8キロ、面積360キロ。ここに220万人が暮らしてきた。うち7割以上が難民。
ガザには小規模の大学が5校。医学部のある大規模の大学が2校ある。すでに死者2万5千人、1日に200人以上が死亡しているという悲惨な現実に、私の心は恐れ、おののいてしまいます。
日本政府は憲法9条を有する国として、平和善隣外交を強力に展開すべきです。
やってるポーズだけの岸田首相ですが、ともかく性根を入れてホンモノの平和外交をすすめてほしいものです。万一、それが出来ないというのなら、首相をやめてもらうしかありません。
(2023年11月刊。1760円)
2024年2月 7日
プーチン(下)
ロシア
(霧山昴)
著者 フィリップ・ショート 、 出版 白水社
ロシア経済は原油価格の上昇とルーブル切り下げ(1998年)のおかげで改善した。ルーブル切り下げで、ロシアの製造業者の競争率が上がった。
プーチンは、赤ん坊のとき、母親が共産党員の父親には内緒で洗礼を受けさせた。これはスターリン政権下ではよくあることだった。ソ連は公式には無神論だったが、母親は、しばしば赤ん坊をこっそりロシア神父のもとに連れて行った。
プーチンによれば、ソ連の誤りは、アフガニスタンに親ソ政権をつくりあげたこと。アフガニスタンはできるような国ではない。アメリカは同じ間違いを繰り返してはいけない。親米政権をつくっても、平和はもたらせない。
たしかに、アフガニスタンは今やタリバン政権なんですよね...。アメリカがつぎ込んだ莫大なお金はいったいどこに消えてしまったのでしょうか。アメリカだけでなく、日本も相当の税金をつぎ込みました...。今は亡き中村哲医師のような人道支援こそ、日本のやるべきことだと私は確信しています。
モスクワは、イラクのフセイン政権について、CIAよりはるかに優れた諜報を得ていた。フセイン政権は核兵器など持っていない。それを入手するつてもないのをプーチンは知っていた。また、イラクがアルカイダと何のつながりもないことも知っていた。
プーチンは、自分の過ちを、そう簡単に水に流せる人物ではない。これって、かのスターリンにそっくりですよね。スターリンは、自分を批判した人間がいたら、いつか必ずうらみを晴らそうと、しつこく覚えていたのでした。
プーチンとブッシュ大統領は、本当にウマがあったようだ。「とても信頼できるパートナーで、まともな人間」と評した。オバマもメルケルも、プーチンは嫌っていたそうです。
プーチンはイデオロギーが嫌いだ。プーチンは実務家なのだ。プーチンにとって、スターリンの専制主義は、ロシアの経済近代化に必要な条件をつくり出したものとされた。
スターリンは、確かに圧制者で、多くの人は犯罪者とも呼ぶが、ナチではなかった。プーチンは、こう言ってスターリンを擁護する。似たところがあるということなんでしょうね。
ロシアは、いまだに超官僚化された経済をもち、役人たちがすべてを決める権利を私物化する、超官僚化された国家をもっている。公共部門の雇用は減るどころか、300万人も増え、労働力の4割を占めるようになった。官僚制と汚職との有害な組み合わせは、ロシア経済が潜在力を完全に発揮できない大きな理由。
プーチンは、朝9時にクレムリンに出勤。会議は午前10時に始まる。テレビのニュース報道はなるべく見る。出退勤の車の中で、ビデオ録画でみる。
仕事の日は、夜10時か11時に終わるが、ときに午前1時まで続く。
プーチンは反発する人間を歓迎する。独自の意見を提供できない人間にはすぐ興味を失う。
プーチンは型にはまらない思考のできる人間だ。
プーチンは、概要資料を完璧に頭に入れられる。プーチンの記憶力は非凡だ。
当局は、プーチンの内輪メンバーの運営する企業にもうかる契約を支えて、彼らが国家を犠牲にして不当な利益を得られるようにした。
プーチン個人は蓄財の必要はない。プーチンの未来を保証するのは、お金ではなく、プーチンの後任による保護だ。
大統領に就任してからプーチンの暗殺計画は5つあった。
ロシアの若者の死亡率は高い。アルコール依存、ドラッグ濫用、事故とひどい保険制度のためだ。
プーチンの政府は、ウクライナに侵攻すると、はじめの10日以内にキーウが陥落し、ゼレンスキー政府が逃亡すると予想していた。そして、親ロシア高官のネットワークによってウクライナに新政権ができるはずだった。ただし、この点はロシアと同じくアメリカも同じことを予想していた。ウクライナの汚職は今もひどいようですが、ロシアへの反攻を支える軍の志気は予想以上に高いということなんでしょう。
プーチンの計画の大穴は、ロシア軍のプーチンの設定した任務を達成できないこと。アフガニスタンに侵攻したときと同様に、ロシアは目標達成には不十分な規模の軍隊しか集めることができなかった。
プーチンとロシアの現状を深く知ることのできる本です。
(2023年6月刊。4500円+税)
2024年2月 8日
国債ビジネスと債務大国日本の危機
経済
(霧山昴)
著者 山田 博文 、 出版 新日本出版社
現在、国債などの政府債務残高は1441兆円(2023年度末)で、GDPの2.6倍。これは主要国で最悪の水準。政府債務が対GDP比で2倍をこえる水準というのは、第二次世界大戦の敗戦時と同じ水準。
戦後の日本では軍事国債の増発はなかったのに、今や戦後70数年間に累積した国債などの政府債務残高は、第二次世界大戦に日本が参戦したときと同じ水準に達している。
国債発行によって実現したのが大型公共事業であり、これによって巨大企業は蓄財できた。そして、国債ビジネスで蓄財した民間金融機関は莫大な利益をあげている。国債は、潤沢な資金を運用し、利益を追求する大資本にとって、安心して投資できる第1級の金融商品である。
たとえば、みずほ銀行は、4451億円の業務純益を計上したとき、その内訳として際立つのは、5倍にもなった500億円という国債売却・償還益。
大手銀行は、中小企業に対する貸出を激減させる一方で、マナーゲームを展開して投機的な経営に精を出している。
国債を売ってひともうけするという「国債バブル」が生まれた。
大口取引に適合する国債市場は、株式市場の売買高を1桁ほど上回る1京円(1兆円ではありません)という巨大市場となっている。
国債は、政府が利子の支払いと元本の償還を保証しているので、投資家にとっては、株式などよりも安心して投資できる、信用力の高い投資物件だ。
3メガバンク(三菱・三井・みずほ)にとって、国債売買差益は数千億円にもなる。株高の恩恵を最大限に享受したのは海外の投資家と大企業。
その一方で、貯蓄ゼロ世帯の割合は3割を超えている。
日銀(日本銀行)の国債保有高は580兆円、日銀券発高121兆円の4.7倍になっている。日銀の総資産は733兆円にまでふくれあがった。
大手金融機関20社は、日銀を相手にした国債取引によって、今日までに10兆円前後に達する隠れた補助金を日銀から受け取っている。
日本には貯蓄ゼロ世帯が3割もいる一方で、5億円以上の純金資産をもつ超富裕層が9万世帯、1億円以上だと140万世帯もいる。タワーマンションが続々建って、すぐ売れるわけなんですよね...。
そして、大企業の内部留保は511兆円。投資家は、国内の株式配当金で毎年30兆円、海外投資から20兆円もの利子・配当金を受けとっている。
今や、日本の最大の貿易相手国はアメリカ(14%)ではなく中国(25%)である。
日本の国債ビジネスの実態と問題点などを分かりやすく解説している本です。一読して経済的認識を深めることができました。ご一読を強くおすすめします。
(2023年11月刊。2100円+税)
2024年2月 9日
だれも私たちに「失格の烙印」を押すことはできない
韓国
(霧山昴)
著者 キム・ウォニョン 、 出版 小学館
著者はソウル大学出身の障がいを持つ弁護士。骨形成不全症のため、1級身体障害者として車イス生活を送っている。小学校は入学を拒否され、中等部では特別支援学校に入り、一般高校からソウル大学に入学。ロースクールを卒業して司法試験に合格した。ソウルで、作家、パフォーマー、弁護士として活動している。
この本は、2018年に発刊され、韓国ではベストセラーになった。
著者は15歳のころから今まで、砂の城だった。軽く触れるだけでさらさらと崩れてしまう。品格には最高と最低があるが、尊厳にはそれはない。
すべての人類のすべての国民が同等の水準で有するのが尊厳だ。「最高の尊厳」という言葉はおかしい。
著者は長らく基礎生活受給権者(日本の生活保護受給者)として生きてきた。
障害を受け入れることは、障害を何か価値のある産物だと信じることとは異なる。
自分の人生の著者という概念は、人々がみな固有の物語と観点をもつ存在であり、自分の物語を主体的に紡ぐ存在であることを強調する。
どんなにポジティブで強い精神を有する人であっても、横断歩道を渡れず、トイレにも行けないとしたら、人生のモチベーションを上げることなど、不可能だ。
一日中、排尿を我慢しながら希望をもつことはできない。ある人は、あらゆる権利のなかで、「排尿権」こそ人間にとってもっとも重要な権利だと強調している。
排尿検と同じく「移動権」は、法曹界はもちろん、一般の人々でも使われていなかった言葉だ。なーるほど、言われてみるまで考えたこともありませんでした。
2005年1月、交通弱者の移動便宜増進法が制定された。障害者運動は社会権と自由権という伝統的な二分法に亀裂を起こさせながら「移動権」を明らかな法的概念として成立させた。
障害者に便宜を提供する義務をもつということは、障害者に配慮しなければならないという言葉ではない。身体的または精神的な特性を抱え、長い間、自分なりのやり方で生きてきた人生の物語を尊重してほしいという、こうした障害者の要求に向き合うものである。
人はみな、お互いの人生が尊重に値し、美しいものであることを証明するために努力しなければならない。しかし、努力するうちに、強靭な闘士の姿でなければ、自分ですら自分を愛することができない孤独な姿を発見するかもしれない。それでもかまわない。
私たちは尊厳があり、美しく、愛し愛される価値がある存在なのである。だれも、私たちに失格の烙印を押すことはできない。
身体障害者として育ち生きてきた著者ならではの深い洞察にみちみちた本です。それでも、こんな内容の本が韓国でベストセラーになるとは不思議な気がしました。日本では、残念なことに、こんな真面目に考える本が大いに売れるなんて考えられないように思います。いかがでしょうか...。いろいろ深く考えさせられました。
(2022年12月刊。1800円+税)
2024年2月10日
二尊院の二十五菩薩來迎図
日本史(室町)
(霧山昴)
著者 小倉山二尊院 、 出版 図書刊行会
京都の山城嵯峨、小倉山の麓にある二尊院の「二十五菩薩來迎図」は、室町時代(15世紀の前半から中頃)に描かれたもので、長らく京都国立博物館で保管されてきた。このたび修理が終了して、二尊院本堂の内陣に久しぶりに掛けられることになった。
いやあ、実に素晴らしい仏様たちです。仏教心の乏しい私にも、これらの17点(17幅)の「来迎図(らいごうず)」には言葉が出ません。
「来迎図」を黙って拝んでいるだけでは心もとないので、解説文を紹介しながら味わうことにします。
往生するとき、つまり自分が死に臨んだとき、阿弥陀如来や菩薩の姿を頭に焼き付けて、いざ臨終のとき、来迎聖衆が見えて、幸せな気持ちで往生できるようにイメージトレーニングする、そのための来迎図なのだ。
聖衆が乗っている雲にはスピード感がある。たしかに、現代のマンガと同じように、雲は糸を引いています。往生を願う人にとって、すぐさま迎えに現れるというのは、とてもありがたいことだったことでしょう。
二尊院の「来迎図」を描いたのは、土佐行広という画家。やまと絵の画派である土佐派の実質な祖。
修理には3年間をかけ、古くからの積み重ねのある伝統的な手法によって、修理前の古びた趣を保ちつつ、仏画として再び本堂内陣にかけらえることを目ざした。
この「来迎図」は、京都、嵯峨の地の「酒屋」などの裕福な人達の寄進によって作成された。当時の「酒屋」は、土倉(どそう)という金融業者を兼ねる裕福層だった。
二尊院の菩薩は、細かいところにこだわりすぎない大らかさや、見る人の気持ちをゆったりさせてくれるような柔らかさを漂わせている。
この世から死者を送り出す「発遣(はっけん)」の釈迦如来と、極楽浄土から迎えに現れる「来迎」の「阿弥陀如来」を並びたてて描いているところに最大の特徴がある。
太陽と月は、現世の風景。なぜなら、極楽浄土は仏の光明で満たされているから、太陽や月や灯火は不要。阿鼻地獄の炎の世界では、太陽も月も星も見えない。
修理についても紹介されています。古糊(のり)を使ったというのですが、これは小麦デンプン粉を5年から10年も冷暗所で発酵させたものというのです。息の長い仕事です。そして、接着力が強くなるのかと思うと、まったく逆。きわめて弱いそうです。本紙への影響を小さくするための工夫の一つというのです。
修理作業が写真とともに詳しく紹介されています。気の遠くなるような手作業がえんえんと続くのです。それにしても、今では「非破壊検査」で、いろんなことが対象物をこわすことなく、かなり知ることができます。そこは現代文明の到達点ですね...。
たまには仏画を鑑賞して、目と心を洗うのもいいことだと、しみじみ思いました。
(2023年8月刊。税込4180円)
2024年2月11日
クマに遭ったらどうするか
生物
(霧山昴)
著者 姉崎 等 、 出版 筑摩書房
このところクマに襲われる人のニュースがひんぱんに聞かれます。いったい、山中でクマにばったり会ってしまったら、どうしたらよいのでしょうか...。
九州に住む私は、山道を一人歩いても、イノシシ母ちゃんに出会わない限り安全だと思って安心して歩いていますが、本州だと山口を含めてクマに遭遇してしまう危険がありますよね。まず、結論から...。
背中を見せて走って逃げたらいけない。クマとにらめっこしって、根比べする。じっと立っているだけでもよい。動かないこと。クマと対峙したら、クマの「ワウ、ワウ、ワーッ」という、うなり声に負けないだけの声を出す。そして、低い姿勢を構える。
子連れグマに出会ったら、子グマを見ないで、親グマだけを見ながら、静かに後ずさりする。クマは最初から人を襲う動物ではない。
ベルトをヘビのように揺らしたり(クマはヘビを怖がる)、釣り竿をヒューヒュー音を立てたり(クマは奇妙な音を嫌う)、柴を振りまわす。予防のためには、空のペットボトルを歩きながら押してペコペコ鳴らす(奇妙な音をクマは嫌う)。
クマは動くものには、どうしてもかかるという習性がある。クマは平坦なところでは時速60キロくらいのスピードで走る。人間が木に登っても、クマも木登りはうまいので、すぐに引きずりおろされる。
クマは人間のほうが強いと思っている。クマは人間は苦手。
クマは臆病だけど、人が好きで、人間の里の近くで暮らす。
人間を殺して食った経験のあるクマに会ったときは、あきらめるしかない。人間を餌としか見ていないので、手の打ちようがない。いやあ、これって怖いですね。
クマは雑食性。どちらかと言うと肉食ではなく、草食のことが多い。
著者は、単独でクマ40頭、集団で獲ったのをあわせると60頭のクマを仕留めたという、まさにクマ猟のプロ。母親はアイヌ民族で、アイヌ民族最後の狩人でした。
12歳から77歳まで、65年間、北海道で狩人として生きてきた、著者からの貴重な聞き書きの本です。一読をおすすめします。
(2023年7月刊。840円+税)
2024年2月12日
世界中で言葉のかけらを
人間
(霧山昴)
著者 山本 冴里 、 出版 筑摩書房
なんといっても、この本を読んで一番驚いた話は、著者が高校生のとき、芥川龍之介の「羅生門」の初めの1行を、1ヶ月かけて意味を読み解くという授業を受けたというものです。
「ある日の暮れ方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた」
ただ、これだけの1行に毎週ある国語の授業で1ヶ月かけ、5月半ばにようやく次の2行目に入ったというのです。しかも、高校生だった著者も、何日たってもこの一行を考え続けるのが当たり前という感覚に変わったというのですから、信じられません。
肉眼から虫眼鏡、電子顕微鏡まで使い分けながら文章を観察していくような授業だったと評しています。このたとえは、とてもしっくり来ます。感じ入った著者は、国語の教員免許をとったのでした。いやはや、ものすごい熱烈教師がいるものです。
フランス語が出来なかった著者は、カミユの『異邦人』の1章をまるごと暗記したとのこと。語学のできる人がやる手法ですよね。もっとも、著者はフランス文の前に日本語で読んでいるから、意味のほうは分かっていることが前提だったとしています。
自分が何を言っているのか、意味の分からないままに口に出すのは虚(むな)しい。
1章の文章は20頁ほど。これだけあれば、ほとんどの基本的な構文は出尽くす。丸暗記している構文の単語を入れ換えて応答するようになって、フランス語は急速に理解でき、やがて自由に話せるようにもなったとのことです。なるほど、なるほど、です。
トンパ文字は、書く色によって意味が変わる。言語学習は何に突き動かされているのか...。それは欲望だ。
慣れない言語の学習とは、他者の言葉を自分の舌に乗せ、指を使ってえがき、自らを示し、他者を理解しようとすること。それは本質的に他者を求める行為だ。
世界各地で日本語学校の教員として働いたことのある著者は、10年かけて、この本を書いたとのこと。これまた、すごいことです。そして、今は山口大学の准教授です。
言語学だなんて、すっごく難しそうですが、面白いことに出会いもするのですね...。
(2023年10月刊。1870円)
2024年2月13日
プラネタリウムの疑問50
宇宙
(霧山昴)
著者 五藤光学研究所 、 出版 成山堂書店
私はプラネタリウムが大好きです。遠い遠い宇宙空間に飛び出すことはできませんが、星空を眺めているのは気持ちいいものです。そして、途中でふと眠り込んでしまっていたりします。この本は眠ってもいいけれど、イビキをかいたり寝言(ねごと)を言わないようにだけは気をつけてくださいとしています。納得です。
いま日本には全国47都道府県すべてにプラネタリウムがあり、日本全国で年間800万人から900万人が観覧しているそうです。これって、いいことですよね...。
プラネタリウムの始まりは1925年5月のドイツでした。このときの機械は4500個の星が投映されました。日本では1937年に大阪、翌38年に東京・有楽町に設置されました。私も最近、少し前に有楽町のプラネタリウムを鑑賞しましたが、実に洗練されたストーリーと音楽で、楽しく過ごせました。周囲はアベックばかりでしたから、少しばかりの孤独感も味わいつつ...。
その後、プラネタリウムで投影する星の数は1億4000万個になり、ついには7億個の恒星を投映できるプラネタリウムまであります。それは天の河も、くっきり見えるそうです。ただし、数が多いと「夜空」が明るくなりすぎるようで、肉眼で見える星の数9500個にしぼっているプラネタリウムもあるとのこと。
星が無数にあるとしたら、夜空には暗いところなんてないことになるのでは...、という昔から有名なオルバースのパラドックスというものがあります。夜空が暗いのは宇宙は膨張しているし、あまりに遠い星の光は地球の私たちのところにまでは届かないということのようです。
東京・渋谷の東急文化会館にもプラネタリウムがありました。映画館の入っているビルです。私も大学生のころに入ったことがあります。
世界にデジタル式プラネタリウムを製作する会社は10社、光学式だと5社あります。主要なメーカーは、日本とアメリカに各4社、このほかドイツ、フランス、中国に各1社あります。
世界で最多はアメリカで1400館ありますが、これは学校に小さいものが設置されているということのようです。2番目に多いのは日本で400館、次いで中国の350館です。
日本には世界の大きさベスト10のうち9館があります。日本には大きなドーム形のプラネタリウムがたくさんあるのです。これは自慢していいことですよね。
ちなみに、佐賀県と高知県には1、2館しかないのに、埼玉県には24館あるそうです。どうして埼玉県にはこんなに多いのでしょうか...。
宇宙そして星の話は、大好きです。日頃のあくせくした営み、日常茶飯事のわずらわしさを忘れさせてくれるからです。
さあ、あなたも宇宙の謎ときを目ざして、そして安眠を求めて、いざプラネタリウムへ...。
(2023年7月刊。1800円+税)
庭に孫たちと一緒にジャガイモを植えつけました。メイクイン、ダンシャク、キタアカリそしてアンデスの乙女です。
ホームセンターで千円分を量り売りで買って、4畝に植えつけました。6月に収穫できると思います。フカフカの黒い土になっていますので、きっとうまくいくと思います。
チューリップの芽がかなり出てきています。雑草に埋もれて可哀想なところは雑草をとってやるのですが、ついでにチューリップまで抜いてしまいそうになります。
ロウバイがほとんど終わり、白と黄色の水仙が庭のあちこちに咲いています。春はもうすぐです。今のところ花粉症にはまだ悩まされていません。
2024年2月14日
三淵嘉子と家庭裁判所
司法
(霧山昴)
著者 清永 聡 、 出版 日本評論社
この春にスタートする朝ドラの主人公は、なんと女性裁判官だそうです。
日本に初めて女性弁護士が登場することになったのは1938(昭和13)年のこと。3人の女性が司法試験(高等文官司法科試験)に合格したのです。もちろんビッグニュースになりました。
司法科試験に女性も受験できるようになったのは1936(昭和11)年のことで、19人が受験したものの合格者はなく、翌1937年には女性1人が筆記試験に合格したけれど口述試験で不合格になりました。
1938年に合格した女性3人は、武藤(のちの三渕)嘉子、中田正子そして久米愛。
そもそも、女性には戦前、参政権が認められていませんでした。そして、大学にも女性は入れず、東京では明治大学だけが1929(昭和4)年に女性の入学を認めた。ただし、定員300人のところ、実際には50人しか入学者がいなくて、それも卒業時には20人ほどに減っていた。それだけ厳しかったのでしょうね。
嘉子は修習を終えて第二東京弁護士会に登録して弁護士生活を始めた。そして結婚し、長男を出産。ところが、夫は兵隊にとられ、中国に出征していたところ病気にかかって、日本に帰国したものの、長崎の病院で死亡してしまった。
戦後、嘉子は裁判官になることを考え、司法省へ出向いて「裁判官採用願」を提出した。しかし、裁判官ではなく、司法省嘱託として採用され、民事局さらに家庭局で働いた。
あるとき、最高裁長官を囲む座談会が開かれ、ときの田中耕太郎長官が次のように発言した。
「女性の裁判官は、女性本来の特性から見て家庭裁判所裁判官がふさわしい」
嘉子は、直ちに反論した。
「家裁の裁判官の適性があるかどうかは個人の特性によるもので、男女の別で決められるものではない」
まさにそのとおりです。この田中耕太郎という男は軽蔑するしかない奴ですから、私は絶対に呼び捨てします。なにしろ実質的な訴訟当事者であるアメリカの大使に最高裁での評議の秘密を漏らし、その指示を受けて動いていたのですから、最悪・最低の人間です。ところが、先日、東京地裁の裁判官が、それをたいした悪いことではないと免罪する判決を書きました。あまりに情なく、涙が出ます(これは砂川事件の最高裁判決の裏話です)。
そして、嘉子は後輩の女性裁判官の悪しき先例にならないよう、あえて家裁ではなく、地裁の裁判官になりました。すごいことです。
嘉子は、原爆裁判に関わりました。その判決文には、「原子爆弾による爆撃は無防守都市に対する無差別爆撃として、当時の国際法からみて、違法な戦闘行為であると解するのが相当」とあります。原爆投下は国際法に反する違法なものと裁判所が明快に断罪したのです。1963(昭和38)年12月7日の判決です。
嘉子は1972(昭和47)年6月、新潟家庭裁判所の所長に就任。日本で初の女性裁判所長。1979(昭和54)年11月に定年退官したときは横浜家庭裁判所の所長だった。
嘉子が「女性初」という肩書をつけながらも、重責に負けることなく立派にその使命をまっとうしたことがよく分かりました。
今では、日本の司法界における女性の比率はかなり向上しています。日弁連も、この4月には初めての女性会長が実現することになりそうです。最近では、JAL(日本航空)の社長、そして日本共産党の委員長も女性です。首相も早く女性首相になればいいと考えていますが...。
(2023年12月刊。1200円+税)
2024年2月15日
在日韓国人になる
社会
(霧山昴)
著者 林 晟一 、 出版 CCCメディアハウス
民族マイノリティ(少数派)として生きるのも、楽ではない。
ゴキブリのたとえは、日本の排外主義者の専売特許ではない。戦いのさなか、相手を「非人間化」として動物とみなし、殺しやすくするのは常とう手段である。
ヒトラー・ナチスは、ユダヤ人について人間の顔をしているだけで、人間ではない、ゴキブリ同然と決めつけ、大量殺戮(さつりく)を続けていきました。殺人(大量か否かにかかわらず)には、それを「根拠」づけるもの(理屈)が必要なのです。
排外主義者の派手なパフォーマンスに惑わされ、過去の実績と未来を見さだめるセンスを曇らせてはまずい。戦後ずっと、生活保護を除く社会保障全般から在日韓国人は排除されてきた。
しかし、1970年代から社会の統合が進むなか、国民健康保険をふくむ社会保障の恩恵にあずかられるようになった。長い苦しい戦いのなかでの悲願達成だった。
1945年8月の日本敗戦時、日本には200万人以上の朝鮮人がいた。翌1946年3月までに130万人以上が朝鮮半島へ帰国した。その後、日本にいる在日朝鮮・韓国人は、おおむね50~60万人台で推移した。日本の全人口の1%に届くことはなかった。2021年には30万人となった。
1955年では朝鮮籍が43万人、韓国籍が14万人で、前者が在日の75%だった。1969年には韓国籍が31万人、朝鮮籍が30万人と、シェアが逆転した。
1959年から1984年にかけて、在日の人々が北朝鮮へ移住していった。累計で9万3千人。ピークは1960‐61年で、7万人以上の人が日本を離れた。
1970年ころ、神奈川県川崎市は市の人口の1%が在日の人々だった。
著者の名前は、金日成を合成したもの。
在日の人々は自営業の比率が高い。それは日本の企業への就職困難の反映でもあった。三大産業は、パチンコ店、焼肉屋そしてスクラップ回収業。いずれも私の依頼者(在日)の職業でもあります(ました)。他には、医師、金融業そして弁護士です。いずれも高い知的職業です。
力道山の本名は金信洛。日本国籍を取得していますが、百田(ももた)光浩として生きてきた。マスコミは、朝鮮半島出身であることを知りながら、あくまで「日本人の英雄」とみなした。これに対して、プロ野球選手の張本勲(張勲)は、韓国籍であることを隠さなかった。これは、きわめて珍しいことだった。
1955年時点で、在日と日本人との国際結婚は3割を占めていた。1970年代半ばまでに在日同士の結婚は過半数を割った。
松田優作は、在日韓国人1世の母と日本人保護司の父のあいだに1949年に下関で生まれた。
1980年代に在日韓国・朝鮮人をふくむ外国人にも国民年金や児童手当が適用された。
1986年には、国民健康保険が全面適用された。
川崎信用金庫が在日のローン拒絶について、ジャックスがクレジット利用拒絶について謝罪した。第一生命は在日の生命保険加入拒絶の改善を約束した。
1977年、金敬得が韓国籍のまま司法修習生となることが認められた。国公立大学の教授職も1982年より外国人に開かれた。外国人登録のとき、指紋採取制度も廃止された。
今日では、在日の9割が日本人と結婚し、その子どものほとんどは日本国籍を得ている。
海外渡航の自由の面で、今でも朝鮮籍と韓国籍には大きな差があるようです。
著者は東京都内の中高一貫校で歴史・国際政治学を教える教員(今、43歳)です。
とても面白く読み通しました。
(2022年12月刊。1700円+税)
2024年2月16日
安倍晋三VS日刊ゲンダイ
社会
(霧山昴)
著者 小塚 かおる 、 出版 朝日新書
国会答弁のなかで安倍晋三首相(当時)は次のように言った。
「きょう夕方、帰りに日刊ゲンダイでも読んでみてくださいよ。これ(言論機関)が委縮している姿ですか、委縮はしないんですよ」
安倍晋三がこうやって国会で持ち上げた「日刊ゲンダイ」は、たしかに鋭い安倍批判を展開していました。でも、記者会見のときには「日刊ゲンダイ」の記者はいくら手を挙げても指名されないので、質問ができなかった。
大手新聞は、ヨミウリ・サンケイだけでなく、NHKをふくめて明らかに「萎縮」しているのが現実です。
「新聞とテレビは制圧した。あとは『文春』のような週刊誌と日刊ゲンダイ」
これが自民筋の最奥部から洩れてくるホンネです。最近では、これに加えて「しんぶん赤旗」が入るのかもしれませんね(自民党の裏金スクープなど)。
自民党の国会議員の世襲比率は3~4割。そして、世襲候補の勝率は8割。圧倒的に高い。世襲候補の7割は自民党。
安倍首相は、大手メディア幹部と月2回、「夜の会食」に励んでいた。1人予算は1万円以上。その源資は月1億円が使い放題という例の内閣官房機密費でしょう。何しろ領収書不要の「ヤミのお金」ですから(もちろん、すべて私たちが税金として負担させられているものです)。
岸田首相は、「総理になったら一番やりたいこと」を問われて、「人事」と答えた。そして、子ども記者から「どうして総理になろうと思ったのか」と質問されたとき、「日本の社会の中で一番権限が大きい人だから...」と答えた。
いやはや、正直にホンネを吐露したのでしょうが、これって日本の首相が子ども記者に言うべきコトバでしょうか。こんな人をトップにいただいていて、まともな「道徳教育」が出来るとは、とても思えません。せめて、「弱者救済」とか「社会正義を実現したい」と、建て前を言ってほしかったです。すると、子ども記者は次の質問が繰り出せますよね。
「現実はそうなっていないようですが、それはなぜですか」と...。
安倍元首相はひどかったが、岸田首相はもっとひどい。まったくそのとおりです。支持率が2割台でしかないのも当然です。物価対策ダメ、能登震災対策ダメ、それなのにアメリカの言いなりに高価な武器の購入だけは爆進する。どうやっても評価できるところがありません。
アメリカの大統領が日本にやって来るとき、成田や羽田ではなく米軍横田基地に舞い降りる。ここは大統領に限らずアメリカ人は入関手続がいらない。まさに日本は独立国ではなく、アメリカの支配する国のままなのです。
「年寄りが長生きするから、若い人の負担が重くなる」
国民を年寄りと若者に分断し、世代間でケンカさせ、お互いにいがみあう状況をつくり出し、権力者は腕を組んで笑っている。これが、今の日本の姿です。
でも、年金は削られていますよ。介護保険料は値上がりしています。オスプレイとかトマホークを買うのを止めたらどうですか。アメリカからF35なんて超高値の戦闘機を買うのを止めたら、年寄りも若者もいがみあう必要なんかないのです。
いまの日本政治のおかしさを徹底的に追求している「日刊ゲンダイ」や「文春」、そして「しんぶん赤旗」にエールを送りたいです。
(2023年10月刊。890円+税)
2024年2月17日
道を歩けば神話
ベトナム
(霧山昴)
著者 樫永 真佐夫 、 出版 左右社
ベトナムとラオスの人々を紹介した本です。
ベトナムには1度だけ行きました。ハノイは漢字で「河内」と書くそうです。「ハノイ・ヒルトン」というのは、ベトナム戦争のとき、アメリカ軍飛行士がベトナム側の対空砲火によって撃ち落とされ、捕虜として収容されていたホアロー収容所のことです。
アメリカ軍は特殊部隊を投入(投下)して、捕虜を奪還しようと試みましたが、結局、成功することはありませんでした。戦後、収容所の一人は「英雄」として、アメリカの国会議員になっています。
ベトナムの人口の85%はキン族。少数民族は53もいるが、全部あわせても15%。といっても、ベトナムの人口は1億人なので、少数民族は1500万人いるわけだし、そのなかのタイ族は500万人近い。ちなみに、ラオスの人口は、730万人。
1億人のベトナム人の86%が「無宗教」と回答した。仏教徒がずっと首位だったのが、2位の460万人になった。1位はカトリックで586万人。
キン族は、老若男女を問わずおカネの話が大好き。お金がもうかり、楽な気持ちにさせてくれるのなら、神でも仏でもイワシの頭でもなんでも拝む。消費文化としてのクリスマスの需要にもためらいがない。
タイ国とラオスはタイ族がつくった国。そのほか、ミャンマーや中国南部にもいて、全部で1千万人ほどになる。なので、ベトナム当局としてはタイ族対策が民族対策の要(かなめ)だ。
山間部に住むタイ族に民族自治区を設置して懐柔し、次にキン族を大量に海岸部から山間部に送り込み、タイ族の人口を相対的に減らして弱体化させ、またタイ族を少しずつ同化することにした。
低地に住む人々は高床式の家に住む。山の屋根近くに村をつくるモンなどの高地民は、蚊がいないので、土間でいい。
モン族は紙をつくるが、それは祖先やカミを祀る場をしつらえて、依り代(しろ)をつくるためのもの。つくる紙は字を書くためのものではなく、ましてやお尻をふく紙でもない。
モンは、焼畑でトウモロコシをつくっている。モンは山中の交易者だ。
ラオスには行ったことがありません。この本は、山中に住むタイ族やモン族の生活を垣間見る思いをさせる旅行記にもなっています。
(2023年11月刊。2500円+税)
2024年2月18日
フロッグマン戦記
アメリカ
(霧山昴)
著者 アンドリュー・ダビンズ 、 出版 河出書房新社
第2次世界大戦での米軍水中破壊工作部隊の活躍を紹介した本です。
アメリカ海軍の特殊部隊として有名なネイビーシールズはベトナム戦争のときに発足した。その前身が、本書で紹介されている水中解体チーム(フロッグマン)。
第2次世界大戦中のアメリカでは、民家の窓に赤い縁取りの白い旗が取り付けられた。この旗の中央に星がついていて、青い星だと、家族が出征中という意味で、星が金色なら出征した家族が死亡したということ。戦争が2年目に入ると、次々に青から金色に変わっていった。
フランスに上陸するノルマンディー上陸作戦のときは、解体部隊は30分のうちに、潮が引いているうちに、ナチス・ドイツ軍が設置した海岸防御を突破し、障害物を除去しなければならなかった。オマハビーチに向かった解体部隊は、ナチス・ドイツ軍の障害物を全部で16ヶ所、撤去する任務を負った。重い鉄鋼、木、セメントの障害物のベルトに16列の突破口を開ける。イギリスの帆布職人が負った帆布パックを使って、それに20個の爆薬を詰めた。
オマハビーチの解体部隊は16列のうち13列の突破口を開けることができた。しかし、解体部隊員の31人が死亡し、60人が負傷した。死傷率は52%に及んだ。
日本軍を相手とするサイパン占領のときには、200人の水泳隊員の活躍で、1日に2万人の部隊が完璧に上陸できた。
水中では、隊員は横泳ぎと平泳ぎですすむ。脚と腕は決して水面より上に出してはいけない。多くの水しぶきをあげるクロール泳法は、緊急時のみ許される。特殊な背泳ぎも学んで実行する。
水中で息を止めるコンテストがあった。意識を失わずに4分をこえた者はほとんどいない。あるスイマーは5分5秒を記録したが、2分45秒も息をとめられたら、すごいことだ。
たしかに、水中工作物の除去が必要なことはあったでしょうね。そしていささか特殊な訓練と技能が求められますよね。いろいろ教えられました。
(2023年7月刊。3960円)
2024年2月19日
恋愛の日本史
日本史(平安)
(霧山昴)
著者 本郷 和人 、 出版 宝島社新書
万葉集にある歌は、自分は人妻と交わり、自分の妻を他人に差し出す。これは山の神が昔から禁じていないことを示している。古代日本の歌垣では、このような奔放な性の営みが行われていた。
古代日本には女性の天皇が少なくない。女性天皇は8人いるが、そのうちの6人が古代に集中している。中国では女性の皇帝は則天武后がいるだけで、基本的には存在していない。
女性の地位が高いほど、男女は対等なかたちで恋愛が展開していくことになる。
女性の「本当の名前」は明らかにされていないし、明らかにされるべきものではなかった。
紫式部の本名は今なお不明。北条政子にしても、本当の名前ではない。そうなんですか、いや知りませんでした。
著者は、女性天皇の存在について、「あくまでも中継ぎ」だと強調しています。いやいや、決して「中継ぎ」ではないという学説も読んだことがあります。どちらが正しいのでしょうか。学界の通説(多数説)は、どちらなのでしょうか...。
著者の考えは、天皇家が母系ではなく、あくまでも父系の系統で継承されていくものだったからという考えにもとづきます。
『源氏物語』によると、日本社会が恋愛や性愛に関して実に大らかだったことがよく分かる。
藤原道長は晩年は糖尿病のため、目がほとんど見えていないほどだったとされています。
有名な、「この世をば我が世とぞ思う、望月の欠けたることもなしと思へば」というのも、糖尿病のため視力が低下して、月が欠けているかどうかも見えない状況も反映させているという説があるそうです。知りませんでした。
紫式部との「恋愛」とか、和歌のやりとりにしても、「ある種の礼儀」と考えるべきではないかとも解説されています。そうなんでしょうか...。
平安時代の美女は、「お多福」や「おかめさん」のような「切れ長の細い目で、ふっくらした頬」だった。
男性(貴族)のほうも、「でっぷりとたっている」こと、そちらが好ましい、美しいスタイルだった。太っているのは、富の象徴となっていた。
日本に梅毒が入ってきたのは戦国時代、南蛮貿易を通じてのもの。したがって、中世の日本では梅毒の心配はなかった。性愛を謳歌しても、病気の心配はしなくてよかった。
日本は世界的にみても、男性同士の関係、男色に対して非常に寛容な社会だった。
知らない話がいくつもありました。
(2023年7月刊。990円)
家に帰るとハガキが届いていました。大判の封筒ではありません。「ありゃあ、やっぱりダメだったのか...」と、沈んだ気分でハガキを開きました。1月に受験したフランス語検定試験(準1級)の口述試験の結果は「不合格」でした。合格基準点が22点のところ、私の得点は21点、わずか1点の不足でした。本当に残念です。受験室を退出するときニッコリ笑顔で、「よろしくお願いします」とブロックサインを送ったつもりでしたが、試験官はごまかされず、冷静に採点したのです。まあ、これが私の実力なのですから、仕方ありません。やはり加齢とともに語学力が低下しているようです。筆記試験も成績が下がっています。
それでも毎朝の聴き取り、書き取りはこれからも欠かしません。
夜、悔し涙のせいで眠れませんでした。というのは嘘なんですが、実はショックから花粉症が発症してしまい、鼻づまりで苦しい夜になってしまったのです。
世の中、明けない夜はない。それを信じて生きていきます。
2024年2月20日
昭和史からの警鐘
社会
(霧山昴)
著者 吉田 敏浩 、 出版 毎日新聞出版
昭和史の暗部をえぐり続けた松本清張。「昭和史発掘」は、読んでいて心底まで寒気がしてきました...。そして、戦争体験を教訓として語り続けた半藤一利。この2人は、かつて、作家と編集長として共闘し、軍事(軍部)の復活に警鐘を鳴らすコンビだった。
岸田首相は能登の大震災にはケチケチとお金を出し惜しみするくせに、アメリカの要求には、すぐにホイホイと応じています。信じられないほどの節度のなさです。
まずは「トマホーク」を400発もアメリカの言いなりに購入しました。先制攻撃ミサイルそのものです。そして、欠陥機であることが誰の目にも明らかなオスプレイを購入し、それを受け入れる基地を佐賀空港そばに突貫工事でつくっています。いやはや、なんという税金のムダづかいでしょう。
軍拡を進めて、最悪の場合には中国との戦争も覚悟しているというのなら、まずは原発(原子力発電所)を全廃すべき。原発をミサイルで破壊されたら、放射能汚染を喰い止める手段はなく、日本は壊滅してしまう。
原発が日本全国、しかも海に面して50基以上ある。こんな国を「武力で」守ることはできない。原発に1発でも攻撃されたら、日本はもうおしまい。武力による国防なんて、無理なことは明らか。
戦前の日本は、日銀引き受けの国債によって軍事費を増大させて軍拡し、戦争を遂行していった。臨時軍事費特別会計として、軍事予算を特別扱いした。今まさに、岸田政権は、同じことを5年間で43兆円という巨額の軍事予算を特別扱いして実行しようとしています。絶対に許せません。
軍隊は市民を守らない。これは歴史が証明していること。軍隊にとって、市民は邪魔者でしかない。「市民を守るため」というのは、単なる口実であって、いざとなれば、市民は安全地帯から追い出し、自分たちの楯として「活用」するだけの存在。それを証明したのが、戦前の沖縄戦の実際。
日本人の多くは、自衛隊とアメリカ軍が私たちの平和を守ってくれるという幻想に浸りきっています。願望にすがって生きているのです。しっかり目を覚ますべきだと私は思います。
「サンデー毎日」の連載記事が本にまとまっていますが、読ませます。そして、怒りがこみ上げてきました。
(2023年10月刊。2200円)
2024年2月21日
おろそかにされた死因究明
司法
(霧山昴)
著者 出河 雅彦 、 出版 同時代社
長野県にある特別養護老人ホーム「あずみの里」で起きた「業務上過失致死」事件については、詳細かつ充実した総括冊子が出来ており、既にこのコーナーで取り上げ紹介しました。要するに、老人ホームで入所者が楽しみにしている「おやつ」(ドーナツ)を与えたところ、「監視不十分のため窒息死させた」として介護職員(准看護師)が起訴されて刑事裁判になったものの、一審の有罪判決(罰金刑)が東京高裁で逆転して無罪となり、そのまま確定したという「事件」です。
この事件では、長野県警は入所者が死亡する前から捜査を始めていたにもかかわらず、遺体の解剖をしていません。信じられない「失態」です。
警察が遺体解剖に積極的でないのは、法医学の専門医不足に原因がある。
そして、検察側は、一審の審理過程で2回も起訴状の内容を変更(訴因変更)をしています。いやはや...。
問題の入所者は80代で、アルツハイマー型認知症」の患者でもあった。
窒息死なら通常、苦しがって声を出したり、もがいたりするけれど、本件では入所者は異変を知らせるサインを何ら発していない。これだけでも、「窒息死」ではないということになりそうです。
そして、ドーナツを食べながら牛乳を飲んだ人が果たしてノドに詰まらせて息が出来なくなるものなのか...。実験してみると、ドーナツはお餅(もち)と違ってすぐにボロボロになってしまうし、牛乳を一緒に飲んでいるのなら、ましてや窒息するような状況は考えられないとのことです。ドーナツは付着性、粘着性そして弾性が低いため、簡単に崩れてしまう。つまり、ノドをつまらせるものとは言えない。
被告側弁護団は、死因を脳梗塞が原因となって突然・何の前触れもなく心停止するということがあると主張しました。
脳の機能は血流が止まった瞬間に働かなくなる。そして、脳細胞が壊れるのには時間がかかる。
病院は傷病者の治療をする場であって、それに対して特養ホームは介護を専門的に提供する場という違いがある。なるほど、この違いは大切ですよね。
検察官は介護職員に対して罰金20万円を求刑。
ドーナツの凝集性は、嚥下困難者用食品許可基準を満たしている。ドーナツは、通常の食品であり、それによる窒息は考えられないので、簡単に「窒息」と診断できない。
弁護側は、専門医の指摘にもとづいて、心肺停止の原因は突然の脳梗塞だと主張した。
しかし、控訴審の裁判官は死因には関心を示さず、別のところで監視義務の怠慢はなかったと認定して無罪判決を書いたのでした。
たしかに一般論として死因が問題にならないという状況は想定しにくいですよね。
本件では、結果が良かった(無罪)わけですが、死因についても裁判所は判断できたように思われます。
(2023年11月刊。1800円+税)
2024年2月22日
南京事件と新聞報道
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 上丸 洋一 、 出版 朝日新聞出版
「東京にいると、いつの間にか、みんな聖戦という言葉の魔術にかかっていた。ところが、中国の現地に来てみると、戦場とは、殺人、強盗、強姦、放火...、あらゆる凶悪犯罪が集団的に行われている恐ろしいところだった」
これは、読売新聞上海支局の小俣行男記者が戦後(1967年)に出版した本で書いている文章です。
「いちど残虐な行為が始まると、自然に残虐なことに慣れ、また一種の嗜虐(しぎゃく)的心理になるらしい。荷物を市民に運ばせて、用がすむと、『ご苦労さん』という代わりに射ち殺してしまう。不感症になっていて、そんなことには驚かない有り様だった」
これは、南京の日本大使館参事官だった日高信六郎の1966年に刊行された本のなかの文章。
大阪毎日新聞の記者・五島広作は中国へ従軍記者として出発する前に師団の情報参謀から次のように申し渡された(1937年7月末)。
「軍に不利な情報は、原則として一切書いてはいかん。戦地では、許された以外のことを書いてはいかん。この命令に違反した奴は、即時、内地送還。記事は検閲が原則。軍機の秘密事項を書き送った奴は、戦時陸軍刑法で銃殺だ」
従軍記者の使命は何か...。架空の武勇伝を書くこと。つまり、神話づくりが従軍記者の任務だった。新聞記者は、事実をも真実をも伝えるものでなく、軍の発表にしたがって、国民を鼓舞する「ペンの兵士」であることが使命であった。
日本軍は上海戦で大変な苦戦をした。中国兵が予想外に強かったのです。中国の16歳から20歳までの青少年兵は、徹底した排(抗)日教育の結果、学生が銃をもって参戦している。最後の一兵まで一歩も退かず、銃剣で突き刺しても平然たるものだった。
祖国に対する非常な愛国心から、抗日の精神が強く教育されているので士気は日本軍に比べてはるかに高い。「支那(中国)軍は予想以上に非常に強い」。これが日本軍の現地上層部の共通認識だった。
日本軍の幹部は、新聞を読みながら戦争していた。記者の使命は、郷土出身の兵士と銃後の双方を励まして、国家に貢献すること、国策である戦争の遂行に役立つことだった。記者は、「報道報国」と呼び、自らを「報道戦士」と呼んだ。
武器をもたない中国民衆にとって、日の丸を掲げることは日本軍に襲われないための窮余の一策だった。敵意のないことを示して、せめて命だけは助かりたい、ということ。それを日本の新聞は、日本軍に都合よく、中国民衆が日本軍を歓迎している光景と読みかえて報道した。
ところが、現実には、そのような日の丸を掲げた中国人青年を日本軍は次々に殺害していった。こんなことをする「皇軍」が中国を永く支配できるはずもありません。
日本軍は、右手で「東洋平和」の大義を掲げ、左手で中国の村々を放火して焼いた。
中国の農民と兵士は、外見からは見分けがつかない。なので、怪しいと見れば、十分に確かめることなく、すべて殺した。
南京への途上、「百人斬り競争」をしていた向井敏明と野田毅は、戦後、南京で開かれた軍事法廷で裁かれ、1948年1月、死刑に処せられた。この2人が、実際に最前線で突撃して白兵戦の中で斬ったのは、せいぜい4人から5人。あとは、捕虜を並ばせておいて斬ったのがほとんど。これは、まさしく戦時刑法でも捕虜虐待にあたるもの。
戦後、作家として高名な石川達三は、1935年に芥川賞を受賞したあと、南京へ行き、日本に帰ってから「生きている兵隊」を書いた。これは中央公論1938年3月号に載せられ、すぐに発禁となった。そして、1938年9月、有罪判決(禁錮4ヶ月、執行猶予3年)を受けた。この本は戦後(1945年12月)に発刊されると、初版5万部を2ヶ月で売りつくした、まさにベストセラーとなった。それほど戦争の真実を知りたい日本人もいたわけです。
戦場に出向いて、戦争の実際を見聞しながらも、戦後になってからも沈然し続けた記者がほとんど。なぜなのか...。
「戦場のむごたらしさは妻や子には話せない。聞いたらショックでメシが食えなくなる」
「語りたくない、忘れたい。どうせ理解してもらえないなら、いっそ何も見えなかったことにしたい。そこにいなかったことにしたい。何も起きなかったことにしたい」
そして、「戦前の多くの知識人は、日本型ファシズムの体制には批判的であったが、始めた戦争には勝たなければならない。したがって、戦争努力には協力しなければならない、そう考えた」。これは、評論家の加藤周一の指摘です。
真実から目をふさいでいいはずがありません。それを「自虐史観」だなんて決めつけるのは大きな間違いです。それにしても、南京事件という日本軍の大虐殺をまだ疑っている人がいるようなのが、本当に残念です。
(2023年10月刊。2600円+税)
2024年2月23日
永遠の都1(夏の海辺)
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 加賀 乙彦 、 出版 新潮文庫
1998(平成9)年5月に発刊された文庫です。この時代の雰囲気を知りたいと思って、ネットで注文しました。というのも、私の父は1927(昭和2)年4月、17歳のときに大川市から上京し、東京で苦学生を始めたのです。逓信省で働きながら法政大学の国語漢文科(夜間)に通いはじめました。そこを卒業し、法学部に移って、司法試験を受験しました(不合格)。合格したら何になるつもりだったのかと私が問うと、検察官がいいかなと思っていたとの答えが返ってきたので驚いてしまいました。なんで弁護士を目指さなかったのだろうと不思議に思ったのですが、その当時の社会状況を少し調べると、すぐに理由が分かりました。
弁護士が法廷で3.15や4.16で捕まった共産党員の弁護をすると、それ自体が治安維持法違反にひっかけられたのでした。布施辰治は東京弁護士会から除名されていますが、それは弁護士会による懲戒手続で決まったのではありません。裁判所に置かれた懲戒裁判所が除名相当と判断したのです。弁護士会は当時、裁判所検事局の監督下にあり、検事正が弁護士会の運営にまでいちいち口をはさんでいました。いやはや...、です。
この第1巻では陸軍省内での相沢中佐による永田鉄山少将の斬殺事件が話題になっています。それは陸軍対海軍の争いでもありました。主人公の父親の医師は、日本海海戦のとき従軍医師だったので、もちろん海軍派なのです。
この医師は、病院内で妾(めかけ)がいることを高言していました。妻は、そのことに大いに不満なのですが、離婚する気は夫婦ともありません。
上流階級で浮気・不倫があたり前に横行していた状況が、小説の大きな背景事情として語られています。
女は生活の保障のために結婚する。子どもを産み育てる単なる牝(めす)になる。すると、夫は女郎買いを始め、女は単なる牝に終わりたくないから恋人を探して不倫の関係を結ぶ。
こう断言したのは、帝大セツルメントで子ども会をしている夏江。すると、「何だか主義者みたい」と夏江は言われてしまうのでした。「主義者」とは、何らかの思想を持った人のことです。今なら高く評価されるはずのものが、危険思想の持ち主だと周囲からみられていたのでした。
著者は1929年生まれの精神科医師であり、作家です。戦前・戦後のセツルメント活動にも深く関わっていますので、同じくセツラーだった私にとっては大先輩にあたります。
(1998年5月刊。552円+税)
2024年2月24日
南北戦争を戦った日本人
アメリカ
(霧山昴)
著者 管 美弥・北村 新三 、 出版 筑摩書房
アメリカの南北戦争は1861年4月から1865年5月までの4年間、続きました。日本の明治維新は1868年ですから、その直前になります。そのため、官軍と幕府軍の戦闘のとき、南北戦争が終結して不要となった大量の武器がアメリカの武器商人によって日本に持ち込まれたのです。
アメリカの南北戦争では、両軍の動員総数は326万人、戦死者は62万人超です。その内訳は北軍が36万人、南軍が26万人弱となっています。
この南北戦争に2人の日本人が参加していたという記録があるというのです。著者は、幕末なのでアメリカへの渡航が禁止されていたはずなのに、なぜアメリカ軍の兵士として日本人が参加できたのか、その可能性を探ったのでした。
日本人2人の日本名は不明で、1人はサイモン・ダン(21歳)、もう1人はジョン・ウィリアムズ(22歳)。どちらも戦死せず、1865年に除隊しています。目の色も髪の毛も黒く、肌の色は浅黒いとありますから、日本人に間違いないようです。身長は152センチと155センチなので、こちらも当時の平均日本人の身長。
南北戦争のとき、兵士の人数を確保するため、移民も容易に兵士になれるようにし、帰化権を与えることにした。その結果、北軍兵士の4分の1から5分の1を移民が占めた。
海軍においては、黒人兵士は全体に占める割合は20%で、陸軍の比率より2倍も多かった。
著者は、この南北戦争に参加した2人の日本人は漂流者あるいは密航者だった可能性があるとしています。たしかに、日本の漁民が海の時化(しけ)にあって遭難し、はるばるアメリカにまで漂流していった人は何人もいます。音吉、ジョン・万次郎、ジョセブヒコが有名です。
次に、密航者です。吉田松陰も密航を企てた一人です。新島襄も1864年に箱館港から米船ベルリン号で出国し、中国・上海にしばらく滞在してボストンに着いています。
著者は、目的のある密航者よりも、漂流者のほうに南北戦争に従軍した可能性は高いとしています。なるほど、ですね。
江戸幕府は、その最終期に、6つの使節団をアメリカとヨーロッパに派遣した。いやあ、6つもの施設団を送っていたのですか...、知りませんでした。
また、幕末に海外に留学していたのは合計148人に達するそうです。これまた意外に多いですよね。しかも、幕府が留学生として派遣したのは「士分」(侍)の9人だけでなく、現場での技術・運用を担当する「職方」(6人)を含んでいた。「職方」とは何でしょうか...。町人と解してよいのでしょうか。
南北戦争に日本人兵士は従軍していただなんて、想像もしませんでした。
(2023年9月刊。1700円+税)
2024年2月25日
戦後の特高官僚
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 柳河瀬 精 、 出版 日本機関紙出版
戦前、特高警察が治安維持法なる悪法を武器として、心ある人々をさんざん拷問してきたことは広く知られています。しかし、彼らが戦後、実は罪に問われることがないどころか、立身出世を重ねていたことは、ほとんど知られていません。私も詳しいことは知りませんでした。
その典型は、作家の小林多喜二に対する拷問を直接手がけた中川成夫です。この中川成夫は、戦後、東映に入って取締役興行部長となり、「警視庁物語」シリーズに関わりました。そして、東京都北区で教育委員、ついには教育委員長に就任しています。信じられません。
特高警察官たちは国会議員になって国政を動かしました。増田甲子七、増原恵吉、ほかです。衆議院議員に29人、参議院議員に11人もいます。熊本県知事もつとめた寺本広作、東京知事選にも出た原文兵衛もそうです。
警察の中枢にも多くの特高官僚だった連中がのさばっています。そのなかには3人も警視総監になっています。
初代の警視庁特高部長であり、警視総監にもなった安倍源基は国家公安委員にもなっています。
共産党対策を専門とする公安調査庁にも、特高官僚たちが次々に採用されています。その数はあまりに多く、この本で6頁にわたって紹介されています。
防衛庁でもまた、その中枢に特高官僚たちが採用されました。悪法として有名な治安維持法によって投獄された犠牲者は十数万人にのぼり、警察の留置場で虐殺された人が80人、獄死した人は1617人。
いやあ、すごい本でした。丹念に地道に記録にあたって収集していてつくられた貴重な記録です。
読み終えたとき、その空恐ろしさに、思わず身がぶるっと震えてしまいました。どうぞご一読してみて下さい。
(2005年4月刊。1714円+税)
2024年2月26日
熊の肉には飴があう
生物
(霧山昴)
著者 小泉 武夫 、 出版 ちくま文庫
著者の料理本(エッセー)は私の大好物です。いかにもおいしそうで、コピリンココピリンコとアルコールをいただきながら、素材の美味しさをチュルチュルと味わうことができ、心の中までハフハフと熱くなります。
さて、この本は「ちくま文庫」のための書きおろし。「飛騨匠(ひだのたくみ)」の料理店が主人公となって、90皿もの料理が次から次に紹介され、目がまわりそうです。
食材自在の精神...自然界から調達してきた、さまざまな食材を巧みに利用する。
粗料細作...自然から調達してきた材料に時間と手間をかけて高級料理に仕立ててしまう。
就地取材...材料は、いつでもその土地で、自分たちの手で...。
用具過少...ほとんどの料理は台所にあるさまざまな道具や器具をあまり使わず、数本の包丁と俎板(まないた)、鍋といったものだけでこしらえてしまう。
この店で出す野菜はみな、自家製の完熟堆肥を使って野菜を育てている。その堆肥は、飼っている軍鶏(しゃも)や野飼いの地鶏の糞を集めて、それを厨房から出た食品廃棄物や落葉などと一緒に大きな木枠の中で2年も発酵と熟成を重ねた完熟堆肥、だから、野菜が力強く成長するためのミネラル類が豊富に含まれていて、肥沃な土となっている。それを畑にまいて施耕するのだから、野菜に甘みやうま味が乗るのも当然だ。
しかも、そのうえさらに秘密がある。冬に雪が積もると、雪洞をつくり、そのなかに野菜を入れて、外気から遮断する。つまり、雪下で野菜を休眠させることによって、野菜に含まれている糖化酵素が低温下で作用して糖をつくるので、甘くなるという仕掛け。そして、同時にうま味の成分のアミノ酸をつくる酵素も働くので、味もぐっと上る。
いやはや、料理というのは、このように手間とヒマをかけてじっくりつくり上げるものなんですね。
先日、庭の一隅の野菜畑にジャガイモを植えつけました。そこの土は長年にわたって生ゴミをすき込んできましたので、黒々、フカフカしています。それこそ完熟堆肥です。きっと、今年も美味しいジャガイモがたくさんとれることでしょう。今から楽しみにしています。
(2023年7月刊。880円)
2024年2月27日
岩田健治、若い魂
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 井出 節夫 、 出版 ウィンかもがわ
1933(昭和8)年2月に長野県で起きた「長野県教員赤化事件」の真相に迫った本です。「2.4事件」の報道が解禁されたのは9月15日。このころは事件が起きてもすぐに報道されることはなく、半年以上たってセンセーショナルに報道されるのが常でした。
この日、「信濃毎日新聞」は4頁の号外を発行しました。「戦慄(せんりつ)!教育赤化の全貌(ぜんぼう)」「教科書を巧みに逆用し教壇の神聖を汚辱す」などの見出しで世間に大きな衝撃を与えたのです。
「南信日日新聞」もひどいものです。「全信濃を挙げて赤化のルツボに踊る、教壇から童心に魔手を延す赤化教員の地下活動」と報道しました。いかにも恐ろしそうです。
長野県下の小学校教員が100人近く検挙され、顔写真つきで報道されました。そのなかに高瀬小学校の岩田健治校長(37歳)もふくまれていたのです。
岩田校長は2月21日に検挙され、6月6日に釈放されるまで3ヶ月以上も警察署の留置場に入れられました。その処遇のひどさが日記に書かれています。
「布団を入れた薄団のひどいことときたら全く話にならない。ボロボロに切れた綿がゴロゴロごてって居る真中に大穴がある。しかも悪臭、鼻をつく」
ただし、校長という立場にあったからか拷問は受けていなかったようです。
岩田校長は日誌に次のように書いています。
「いったい俺のしたことの何が悪いと言うんだ。まったく訳が分からない」
「革命、共産党、俺らは何らそんなことに関係はない。単なる文化運動が、どうして治安維持法に引っかかるのだ。秘密運動だという、その秘密とはいったい何だ。同志数人の会合、先輩宅に集まる数人の懇談会、それがどうして秘密運動か」
岩田校長は検挙されたというだけで7月に懲戒免職処分を受けました。ところが、実は、翌1934年3月に起訴猶予処分を受けているのです。
「信濃毎日新聞」の社説(評論)もまたひどいものです。
「叛逆の心理を(児童に)注ぎ込まんとする教育者は、厳罰に処するとともに、その一方を挙げて、これを教育界から除草すべきである」
「彼らは言うところの二重人格者である。変態心理学者である彼らは教壇に立ちつつ、ある間はジキール博士であるけれども、一度これを下れば獰猛(どうもう)なる悪漢ハイドになる」
これらの新聞は戦争遂行という国策遂行に積極的に加担していったのでした。そして、信濃教育会は共産主義の本拠であるかのように全国に報道されたことから、その「汚名」を挽回すべく、満蒙開拓青少年義勇軍の送り出しが全国第1位でした。子どもたち本位の教育を目ざし、進歩的伝統を誇っていた長野県教育界は、この「2.4事件」によって一転して戦争遂行にひたすら協力する反動的団体に変貌してしまったのです。
恐ろしいフレームアップ事件でした。ただ、この本を読んで救いを感じたのは、岩田校長が日本敗戦後、共産党に入り、ついには国政選挙の候補者として活躍するまでになった(当選はしていません)ことです。戦前の屈辱を戦後になって見事に晴らしたのでした。たいしたものです。
昨年(2023年)は「2.4事件」から90周年という節目の年でした。それを記念して刊行された本です。「教員赤化事件」という、おどろおどろしいレッテルを貼りつけられたものの、その内実はきわめて穏当な教育実践の交流であったことを明らかにした本でもあります。貴重な労作として、ご一読をおすすめします。
(2023年12月刊。1800円+税)
2024年2月28日
ヒトラーはなぜ戦争を始めることができたのか
ドイツ
(霧山昴)
著者 ベンジャミン・カーター・ヘット 、 出版 亜紀書房
ヒトラーがドイツ国防軍の高級将官と対立していたというのは前から知っていましたが、この本でその詳細を知ることができました。
ブロンベルクとフリッチュという2人の将軍をヒトラーが解任したのが決定的だったのです。ドイツ国防軍の最高司令官であり、陸軍元師であるブロンベルクはベルリン出身の「一般家庭の子女」と知りあい、結婚した。ところが、その女性は売春婦として登録し、客の持ち物を盗んで逮捕された経歴があることをゲーリングは知り、ヒトラーにそのことを報告した。
さらに、陸軍司令官のリッチュについては、似た名前の男性が同性愛者であることを利用して、同性愛者と決めつけ、ヒトラーは2人を解任した。このあと、ヒトラーは名目ではなく、ドイツ国防軍の実権を握る本物の最高司令官となった。やがて、国防軍の高官たちはフリッチュに対する告発が捏造(ねつぞう)だったことを知った。ブロンベルク=フリッチュ事件は、SSとゲシュタポが陸軍に対して起こした「冷たいクーデタ」だと見た。したがって、高官たちはこの2つを無力化させなければいけないと考えはじめた。
そのネットワークの要(かなめ)の1人がアプヴェーア(情報部)の部長であるカナリス提督だった。カナリスは「戦争の回避とヒトラー一味の粉砕」を真剣に模索しはじめた。
陸軍参謀総長となったハルダー将軍はヒトラーについて、「狂人、犯罪者」「たかり屋」「変態の病的な気質」によってドイツを戦争へ向かわせていると罵倒した。
国防軍内の抵抗派はヒトラー殺害も辞さない方向で検議をはじめた。ところが、イギリスのチェンバレンがヒトラーと会談し、また、国防軍首脳部の悲観主義の影響によって攻撃開始が遅れ、結果としてヒトラー主導の緒戦の勝利によって、抵抗派は腰だけとなってしまった。
ハルダーたちはヒトラーによる戦争には正当性がないうえに、大惨事となって終わりかねないと考えていた。また、ユダヤ人絶滅作戦のような犯罪行為には反対だった。
この本ではローズベルトとチャーチルについても注目すべき評価をしています。
ローズベルトについては、アメリカ国内の強固な中立主義にひっぱられていたこと、チャーチルについては、イギリス国王を擁護して評価を落としたものの戦争指導では卓越した能力を発揮したことが明らかにされています。
150頁近い本(480頁)ですが、タイトルに見合った大変興味深い内容ばかりでした。
(2023年9月刊。2800円+税)
2024年2月29日
私はさよならを言わなかった
フランス
(霧山昴)
著者 クロディーヌ・ヴェグ 、 出版 吉田書店
ホロコーストの中を生きのびた子どもたちが大人になって語った17の物語が集められています。いずれも深く心を打つ内容です。語り尽くせないものを感じさせられました。
心の奥底には今でも恐怖が残っている。ユダヤ人でいれば、とんでもない災厄を受けてしまう。
ユダヤ人でなかったなら、両親は強制収容所なんかに移送されなかっただろう。僕も他の子どもと同じように暮らしていたはず。ユダヤ人なんて、もうたくさん。
私は信仰を持っていないし、神を信じることができない。宗教に反発している。でも、私には、そんなことを考える資格すらない。だって、私は助かったし、強制収容所へ移送もされなかったから。
子どもたちは両親の死を悼(いた)めなくなるという運命を背負っている。だからこそ、子どもたちの古傷は、決して癒(い)えることがない。
強制収容所において被収容者たちの肉体と精神に加えられた拷問は、彼らを無気力な人間に変えてしまった。彼らは絶え間なく恥辱を被り、嘲弄(ちょうろう)と愚弄(ぐろう)とサディズムの的(まと)になり、まさに弄(もてあそ)ばれていた。
父は愚か者でなかったし、だまされやすい男でもなかった。でも、父は家族を守るために、警察署へ出かけていった。父が警察署に出頭しなければ、家族に制裁が下ることになっていたから。そして、父はそれきり戻ってこなかった。
孤児として残された者たちの大多数は、過去に決して近づかない。これはタブーだ。彼らは過去が語れない。過去を話さないということは、それを消し去ることではない。むしろ反対に、過去を共有できない秘密のように扱いながら、自己のもっとも深い場所で、それを守り続けていくことなんだ。
彼らは3歳から13歳だった。
ドイツでもナチスを賛美しようとする動きが起きたりしていますが、それを止めさせようとする大きな動きがうねりとなっています。ひるがえって日本では公然と差別的言辞を言いふらす自民党の国家議員が相変わらずのさばり、岸田首相は辞めさせようともしません。
ヘイト・スピーチの根を絶つ動きが大きなうねりになっているとは、日本はドイツと違って残念ながら言えません。でもでも、あきらめるわけにはいきません。
理不尽な差別はたとえ小さくても見逃さないこと、そのことを痛感させる本でもありました。
(2023年11月刊。2700円+税)