弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年1月 6日

賃金の日本史

日本史(江戸)


(霧山昴)
著者 高島 正憲 、 出版 吉川弘文館

 かつては、近世の百姓は厳しい年貢の取立てや飢饉(ききん)にさいなまれ、貧困にあえぐばかりだったという貧農史観が支配的だった。私も、すっかり信じ込んでいました。ところが、この20年から30年のあいだに、そのイメージは大きく修正されている。百姓たちは旺盛な消費意欲をもって、主体的により良い生活を求めて行動していたのだ。
 百姓一揆もその典型です。たとえば理不尽な領地替えは許さないという考えから、大規模な一揆を発動しました。ぜひ藤沢周平の『義民が駆ける』(中公文庫)を読んでみてください。
 天保の改革で有名な老中水野忠邦(ただくに)による三方国替(くにが)えに対して、羽州荘内の領民は「百姓たりといえども二君に仕えず」という幟(のぼり)を掲げて大挙して江戸に上って幕閣に強訴を敢行しました。そして、ついに将軍裁可を覆し、国替えをやめさせて藩主を守り抜いたのです。しかも、目的達成した百姓たちの処罰では、打ち首とか処刑(死刑)はありませんでした。それほど百姓たちは藩当局を圧倒していたのです。
 正倉院文書には、写経生が写経所に提出した借金証文「月借(げっしゃく)銭解(せんげ)」が100通ほど残っているそうです。このころ、借金の利子は月13%でした。
都市の活性化は、さまざまな職業を生み出した。そのなかには、今となっては想像しにくい、珍しいものも多数あった。その一つが、猫の蚤(のみ)取り。文字どおり猫に寄生する蚤を取り除く仕事。その方法は、狼などの獣の皮を猫にかぶせ、そこに蚤を移らせ、振るって捨てるというもの。近世も後半になって見かけなくなったとのこと。いやはや、想像できませんよね。
 耳垢(みみあか)取りもあった。これは、今でも銀座に店を構えています。入ったことはありませんが、いったい、いくらするのでしょう・・・。江戸時代には、耳かきの種類によって上中下の区別があり、上は金の耳かき、中は象牙の耳かき、下は釘の頭だった。ただし、これは落語家の志ん朝の話の「枕」に出てくるもの。
 安政の大地震のあった安政2年(1855年)には、それまでの大工賃金が上手間料4匁が45匁と10倍にもはね上がった。
いろいろ勉強になることの多い本でした。
(2023年9月刊。2200円)

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