弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2024年1月 4日
硫黄島上陸
日本史(戦後)
(霧山昴)
著者 酒井 聡平 、 出版 講談社
クリント・イーストウッド監督の映画2部作でも描かれた日米最大の激戦地である硫黄島に遺族の一人であり、新聞記者でもある著者が3度も上陸した体験記を中心とする本です。
硫黄島(「じま」と読むと思っていると、この本では「とう」と呼んでいます)での日本軍の激闘は1945年2月19日に始まり、3月26日に終了した。その組織的戦闘は36日間で終わったが、なお残存兵は散発的にアメリカ軍と戦った。結局、守備隊2万3000人のうち、戦死者は2万2000人。致死率95%。生存者は1000人しかいない。そして、戦没者2万2000人のうち、今なお1万人の遺骨は見つかっていない。
日本政府が遺骨収集にまったく取り組まない時期が長く続いたうえ、今も細々としか遺骨収集作業は進められていない。
この本を読んで、日本政府が熱心に取り組まなかった大きな理由の一つが分かりました。それは硫黄島が戦後、アメリカ軍の核兵器貯蔵庫として利用されていたことです。そんな島にアメリカ遺骨収集団を上陸させようとするわけがありません。
そして、アメリカ軍の訓練基地として使われてきました。艦載機の離発着訓練(タッチ・アンド・ゴー)がなされたのです。厚木基地のような周辺に民家があるところと違って、ここは民間人がまったくいないので、誰からも文句は出ません。
まあ、それにしても、硫黄島に上陸するのが、こんなに大変なことだとは...、思わず溜め息が出ました。
いま、硫黄島は緑豊かなジャングルの島になっている。ただし、硫黄島は、当時も今も川がなく、雨も少ない、渇水の島。遺骨を探しに地下壕に入ると、内部はとんでもない熱さで、1回の作業は10分が限界。一酸化炭素の濃度も高いので、危険がある。そして、人間にかみつく、大きなムカデがいる。
硫黄島では自由な取材が原則として禁止。カメラの持ち込みも禁じられている(この本には許可を得て撮った写真はあります)。
人骨の年齢を推定する鑑定人がいる。たとえば、恥骨の結合部。若いころは波打っていて、そのうち加齢とともに平らになり、でこぼこ穴が空いてくる。また、頸椎のしわは、年齢とともに減っていくので、その減り具合から、年齢が推測できる。
硫黄島で日本軍守備隊は総延長18キロメートルの地下壕を駆使して持久戦を繰り広げた。地熱によって地下壕内部は70度にも達する。
アメリカ軍が占領したあと、硫黄島はB29の緊急着陸地となった。終戦までにのべ2000機に達し、硫黄島はB29の天国とまで言われた。
硫黄島の日本軍兵士たちは、いつか必ず連合軍が現れ、アメリカ軍を撃退し、自分たちを救出してくれると信じていたようです。でも、実際には、東京の大本営は早々に硫黄島を切って捨てていました。短期で陥落するのは必至とみていて、応援してもムダだと考えていたのです。
硫黄島には、朝鮮人軍属が1500人ほどいた。これも忘れてはいけない歴史的事実だ。
フィリピンで日本軍将兵は52万人が戦死した。そのうち37万人の遺骨が収集されていない。
靖国神社に参拝するより、海外に放置されている日本軍将兵の遺骨を発掘して日本に連れ帰ることのほうがよほど先決だと、この本を読みながら、つくづく思いました。
(2023年11月刊。1500円+税)