弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2023年11月30日
平安貴族の仕事と昇進
日本史(平安)
(霧山昴)
著者 井上 幸治 、 出版 吉川弘文館
平安時代の貴族って、仕事もせずに遊び暮らすという優雅な生活を送っているというのが一般的なイメージです。でも、実は、そんなことはなく、それなりに忙しかったようです。
平安時代の京都(平安京)の人口は、12~13万人が暮らしていた(1000年ころ)。これを同じ区域、つまり、現在の上京・中京・下京の3区に住む人口27万6千人と比べ、平安京はこの3区の半分の広さなので、昔も今も変わらない(?)。
貴族のうち公卿は三位以上の人。諸大夫(しょだいゆう。しょだいぶ)は四位と五位の人。六位以下は「侍」で、その下の「無位」(むい)は庶民のこと。「侍」は武士だけを指してはいない。
公卿や諸大夫は、現実には、遊び暮らすようなイメージとはほど遠い生活を毎日送っていた。彼らは定められた年中行事を滞りなく、実施していく必要があり、それが政治そのもので、重要だと考えていた。
従三位(じゅさんみ)以上の位階(いかい)を授けられた人を公卿というが、いきなり従三位に叙(じょ)されることはなく、四位・五位・六位からスタートするのが普通。初めから高い位階を授けられる制度を「蔭位(おんい)」という。
叙爵されて五位になったものの、官途に就けない人(無官)を「散位(さんに)」と呼ぶ。
「侍」身分は正六位以下の位階を有する人々のこと。史生(ししょう)、官掌(かじょう)が代表的。無官から登用され、その後もほぼ昇進しない。身分をこえた抜擢(ばってき)は、ほぼない。
公卿の生活は、一年中、ひたすら勉強(予習)漬け、とても大変だった。経験者である父兄の存在はとても大切で、父兄を早くに失ってしまえば、公事(くじ)の習得や理解を遅らせてしまうことになる。
公卿の生活は、先人の記録をひたすら読むことにある。平安貴族たちにとって、先人貴族の書いた日記や部類記、編さん物は、貴重な財産だった。
平安朝で、人事異動を行う儀式を「除目(じもく)」と言う。この除目では「申文(もうしぶみ)」という書類が重要。申文を整理していたのが「蔵人(くろうど)」。
除目は、清少納言の『枕草子』では、女官たちにとって笑いぐさでしかなかったが、男性官人にとっては、正月の除目は非常に重要なものだった。
「源氏物語」に平安時代の政務の様子が描かれていないのは、女性は政治に関与できなかったから...。
貴族たちは、まず第一に先例を学ばなければならなかった。貴族社会では、現実に起きている事実と、記録された公式見解としての事実との間に、さまざまな「差」が存在していた。平安貴族たちは、こうした「差」を巧妙に使いこなし、自らに都合の良いストーリーをつくり出していた。
公卿・諸大夫・侍といった身分の壁は、とても厚くて頑丈であり、その差はいろいろなところであらわれる。つまり、平安時代には公卿・諸大夫・侍という身分の壁はとても厚くて頑丈であった。
平安貴族たちは、政務や年中行事の遂行を重要な仕事としていた。決してヒマではなかったのです。この本を読むと、貴族についてのイメージが変わりますよ...。
(2023年9月刊。1700円+税)