弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2023年11月 3日
森と魚と激戦地
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 清水 靖子 、 出版 三省堂書店
太平洋の島々で、日本軍がとても非道な残虐行為を繰り返していたことを知り、身震いする思いでした。
1943年10月28日、ブーゲンビル島ブインの第8艦隊司令部は436人もの捕虜を銃殺してしまった。これを目撃した日本人兵士(福山孝之氏)が、戦後、戦火のなかでつけていた日記をもとに『ソロモン戦記』を出版して明らかにしている。
同じ1943年10月には、ウェーク島でも日本軍はアメリカ軍の来襲を受けたとき、民間人捕虜98人を銃殺した。
1945年8月15日の日本敗戦のあと、8月17日、日本軍はオーシャン(バナバ)島でバナバ人160人を全員殺害した。
1943年3月、トラック諸島のデュフロン島で、アメリカ軍の潜水艦の乗組員たち50人ほどを捕虜とし、生体実験の対象とした。第4海軍病院で、病院長の岩波浩軍医大佐の主導する生体実験だった。銃剣で突き刺し、最後に日本刀で斬首させた。この事件では、グアム戦犯裁判で岩波病院長には死刑が宣告され、1949年1月に絞首刑が執行された。
1943年3月、ニューアイルランド島ケビアン沖の駆逐艦「秋風」船上でドイツ人宣教師など62人を日本軍は集団処刑した(秋風事件)。この事件は、戦後、横浜での軍事法廷にかけられたが、「秋風」が南東方面艦隊の指揮下にあったことが明らかとなって、「無罪」とされた。極東軍事法廷も十分な審理を尽くせなかったようですが、その有力な要因は、日本の復員局が裁判対策を尽くしていたからとのこと。
1944年7月14日、ニューギニア本島のティンブンケ村で男性99人、女性1人の村民が集団虐殺された。
日本軍はラバウルを10万人もの兵(海軍3万、陸軍7万)で占領していた。このとき、日本軍は各地に「慰安所」を設立した。陸軍省はコンドームを1941年だけで第17軍に334万個、南海支隊に4万個を配布した。修道院も慰安所として使った。朝鮮人女性が200人から300人もすし詰めに入れられていた。日本人女性も1棟に20人ほどで8棟あった。
軍医が検査すると、90%の女性が性病をもっていた。女性は1人あたり1日平均で40人の兵士の相手をさせられた。1日で80人から90人という女性までいた。兵士たちは、上官から「死ぬ前に慰安所に行っとけ」と命令されていた。
この本には、戦後の日本が日商岩井などの総合商社によってパプアニューギニアの豊かな森を大々的な伐採によって荒廃させていった事実も告発しています。
気の滅入る話が綿々と続くので、読み終えたとき、たまらない疲労感がありました。
(2023年6月刊。2970円)