弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年11月 2日

忘れられたBC級戦犯

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 玉居子 精宏 、 出版 中央公論新社

 1945年3月、ベトナム北部の町ランソンで日本軍は300人以上の捕虜を殺害した。当時、ベトナムはフランス植民地政府の支配下にあり、頑強に抵抗するフランス植民地軍(仏印軍)に日本軍は手こずり、多くの死傷者を出した。そこで、戦闘終了後、日本軍は捕虜とした人々を集めて銃殺した。(ランソン事件)。
 このランソン事件は、日本敗戦後、フランスが事件の真相を追求し、26人(50人以上という資料もある)を容疑者とし、最終的には3人の大尉と1人の大佐、計4人が死刑(銃殺刑)となった。しかし、軍の上層部の責任は問われなかった。
 A級戦犯として東京裁判にかけられたのは100人以上いたが、死刑(絞首刑)は7人、終身禁固16人、禁固20年1人、禁固7年1人だった。これに対して、BC級戦犯のほうは1万人以上が逮捕され、4200人が死刑(絞首刑か銃殺刑)になった。
これって、明らかに不公平ですよね。下は上の指示に従った「だけ」なのですから、上の責任はもっと重いはずです。
捕虜殺害を実行した大尉たちは自らの意思でしたのではない。「捕虜は1人残らず処刑せよ」と上から厳命されたのを実行しただけ。
 戦犯裁判では、上官と部下がお互いの責任を指弾しあうのは珍しくなかった。将校は兵隊に命令なんかした覚えはないと言い、兵隊は将校の命令に従っただけと言った。これでは、共倒れになってしまう。
 戦犯法廷において、日本政府は冷酷さを示すだけだった。戦場に将兵を送りながら、敗戦後は、将兵の弁護人を派遣しようともしなかった。法廷で弁護人となった日本人弁護士は、いわばボランティアだった。ある日本人弁護士は、基本給1万1000円で、外地手当7150円、家族手当2000円を加えて、月2万150円だった。このような弁護士の待遇は決して良くはなかった。
 ランソン事件では、実際に殺害した末端の兵士は処罰されず、また、師団長・司令官・参謀などのトップも罪を問われず、連隊長と中隊長の計4人が死刑となり、銃殺された。
 この4人は、いったん日本に帰国していたのを逮捕され、ベトナムに戦犯容疑者として送還された。死刑執行は、判決から6ヶ月を置くのが慣例で、執行の直前まで本人に予告されない。そして、早朝に執行された。サイゴンでは軍人にふさわしいとされる銃殺刑のみで、絞首刑はなかった。
 ランソン事件なるものの存在を初めて知りました。人命軽視の日本軍の非道さに恐れおののいてしまいます。
(2023年6月刊。2200円)

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