弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2023年11月 1日
日本維新の会の「政治とカネ」
社会
(霧山昴)
著者 上脇 博之 、 出版 日本機関紙出版センター
これまで日本にもたくさんの政党が生まれては消えていきましたが、維新の会ほど厚顔無恥というコトバがぴったりくる政党は珍しいと私は思います。大阪万博とカジノ(IR)誘致です。夢洲(ゆめしま)で来年盛大に開催されるはずの万博は工事が遅れに遅れ、パビリオン建設が具体化している国はいくつもない有り様です。維新の会は税金を全然使わないと公言していたのに、工事費は当初の1.9倍にふくれあがり莫大な税金が投入されつつあります。今からでも中止したほうが、よほど安上がりになるというのが衆目の一致するところです。
カジノ(IR)のほうもデタラメです。誰がいったいカジノをするのか、それでもうかるのは誰なのか...。カジノなんて有害あって一利なしです。
この本は「身を切る改革」と言っている維新の会が、実は、自分の身は切らないどころか、税金をうまく私物化していることを鋭く暴いています。読みすすめるほどに、維新の会のえげつなさに呆(あき)れかえってしまいます。
維新の会は政党助成金を平気で受けとっています。それも27億円近い税金(2015年)を受けとっているのです。しかも、政党助成金を受けとって「使い果たす」ためなら、トンネル・ペーパー団体まででっち上げてしまいます。
政党助成金が維新の会の財政(収入)に占めるのは80%をこえています。
政党交付金は、年度末に残金があれば、国庫に返還することになっています。ところが、年度末に残金が出そうだというとき、維新の会は「基金」をつくって貯めこみ、国庫に返還していません。「身を切る改革」は、自分自身については実行しないのです。
国会議員に交付される「文書返信交通費滞在費」についても、維新は残ったお金を身内に寄付して国庫へ返還していません。
維新の会も自民党と同じく、政治資金パーティーを開催します。維新の会は総額1億円ほどの収入を計上しています。1口2万円のパーティー券(会費)を企業が何十口も購入するのです。パーティーに参加しなくてもよいのです。つまりは隠れた企業献金です。維新の会は、これの改革は言いません。自分を告発してしまうからです。
なんとひどい、えげつない政党でしょうか...。腹の立つ本です。でも、目をそらしてはいけません。
(2023年7月刊。1300円+税)
2023年11月 2日
忘れられたBC級戦犯
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 玉居子 精宏 、 出版 中央公論新社
1945年3月、ベトナム北部の町ランソンで日本軍は300人以上の捕虜を殺害した。当時、ベトナムはフランス植民地政府の支配下にあり、頑強に抵抗するフランス植民地軍(仏印軍)に日本軍は手こずり、多くの死傷者を出した。そこで、戦闘終了後、日本軍は捕虜とした人々を集めて銃殺した。(ランソン事件)。
このランソン事件は、日本敗戦後、フランスが事件の真相を追求し、26人(50人以上という資料もある)を容疑者とし、最終的には3人の大尉と1人の大佐、計4人が死刑(銃殺刑)となった。しかし、軍の上層部の責任は問われなかった。
A級戦犯として東京裁判にかけられたのは100人以上いたが、死刑(絞首刑)は7人、終身禁固16人、禁固20年1人、禁固7年1人だった。これに対して、BC級戦犯のほうは1万人以上が逮捕され、4200人が死刑(絞首刑か銃殺刑)になった。
これって、明らかに不公平ですよね。下は上の指示に従った「だけ」なのですから、上の責任はもっと重いはずです。
捕虜殺害を実行した大尉たちは自らの意思でしたのではない。「捕虜は1人残らず処刑せよ」と上から厳命されたのを実行しただけ。
戦犯裁判では、上官と部下がお互いの責任を指弾しあうのは珍しくなかった。将校は兵隊に命令なんかした覚えはないと言い、兵隊は将校の命令に従っただけと言った。これでは、共倒れになってしまう。
戦犯法廷において、日本政府は冷酷さを示すだけだった。戦場に将兵を送りながら、敗戦後は、将兵の弁護人を派遣しようともしなかった。法廷で弁護人となった日本人弁護士は、いわばボランティアだった。ある日本人弁護士は、基本給1万1000円で、外地手当7150円、家族手当2000円を加えて、月2万150円だった。このような弁護士の待遇は決して良くはなかった。
ランソン事件では、実際に殺害した末端の兵士は処罰されず、また、師団長・司令官・参謀などのトップも罪を問われず、連隊長と中隊長の計4人が死刑となり、銃殺された。
この4人は、いったん日本に帰国していたのを逮捕され、ベトナムに戦犯容疑者として送還された。死刑執行は、判決から6ヶ月を置くのが慣例で、執行の直前まで本人に予告されない。そして、早朝に執行された。サイゴンでは軍人にふさわしいとされる銃殺刑のみで、絞首刑はなかった。
ランソン事件なるものの存在を初めて知りました。人命軽視の日本軍の非道さに恐れおののいてしまいます。
(2023年6月刊。2200円)
2023年11月 3日
森と魚と激戦地
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 清水 靖子 、 出版 三省堂書店
太平洋の島々で、日本軍がとても非道な残虐行為を繰り返していたことを知り、身震いする思いでした。
1943年10月28日、ブーゲンビル島ブインの第8艦隊司令部は436人もの捕虜を銃殺してしまった。これを目撃した日本人兵士(福山孝之氏)が、戦後、戦火のなかでつけていた日記をもとに『ソロモン戦記』を出版して明らかにしている。
同じ1943年10月には、ウェーク島でも日本軍はアメリカ軍の来襲を受けたとき、民間人捕虜98人を銃殺した。
1945年8月15日の日本敗戦のあと、8月17日、日本軍はオーシャン(バナバ)島でバナバ人160人を全員殺害した。
1943年3月、トラック諸島のデュフロン島で、アメリカ軍の潜水艦の乗組員たち50人ほどを捕虜とし、生体実験の対象とした。第4海軍病院で、病院長の岩波浩軍医大佐の主導する生体実験だった。銃剣で突き刺し、最後に日本刀で斬首させた。この事件では、グアム戦犯裁判で岩波病院長には死刑が宣告され、1949年1月に絞首刑が執行された。
1943年3月、ニューアイルランド島ケビアン沖の駆逐艦「秋風」船上でドイツ人宣教師など62人を日本軍は集団処刑した(秋風事件)。この事件は、戦後、横浜での軍事法廷にかけられたが、「秋風」が南東方面艦隊の指揮下にあったことが明らかとなって、「無罪」とされた。極東軍事法廷も十分な審理を尽くせなかったようですが、その有力な要因は、日本の復員局が裁判対策を尽くしていたからとのこと。
1944年7月14日、ニューギニア本島のティンブンケ村で男性99人、女性1人の村民が集団虐殺された。
日本軍はラバウルを10万人もの兵(海軍3万、陸軍7万)で占領していた。このとき、日本軍は各地に「慰安所」を設立した。陸軍省はコンドームを1941年だけで第17軍に334万個、南海支隊に4万個を配布した。修道院も慰安所として使った。朝鮮人女性が200人から300人もすし詰めに入れられていた。日本人女性も1棟に20人ほどで8棟あった。
軍医が検査すると、90%の女性が性病をもっていた。女性は1人あたり1日平均で40人の兵士の相手をさせられた。1日で80人から90人という女性までいた。兵士たちは、上官から「死ぬ前に慰安所に行っとけ」と命令されていた。
この本には、戦後の日本が日商岩井などの総合商社によってパプアニューギニアの豊かな森を大々的な伐採によって荒廃させていった事実も告発しています。
気の滅入る話が綿々と続くので、読み終えたとき、たまらない疲労感がありました。
(2023年6月刊。2970円)
2023年11月 4日
芝居の面白さ、教えます
人間
(霧山昴)
著者 井上 ひさし 、 出版 作品社
この本には『螢雪時代』という大学受験生の読むべき雑誌が登場します。私も読んでいました。『中学1年コース』から始まり、通信添削で、成績優秀者はシャープペンシルがもらえるのです。私も熱心な投稿者で、賞品のシャープペンシルを何本ももらって喜んでいました。『螢雪時代』の英語のテストで、全国3位にノーベル文学賞で有名な大江健三郎がいつもランクインしていたとのこと。「四国の少年」として目立っていたそうです。大江健三郎は四国の松山東高校にいたのでした。
イラストレーターの和田誠は『少年朝日』に小学6年生なのに、漫画が毎回のっていたそうです。井上ひさしって、本当に物知りなんですね...。
学校が、みんな一様に勉強をよく出来るようにするところだというのは大間違い。それでは子どもが可哀相。子どもにはいろいろな可能性があって、集団で暮らすルールを教えること以外は学校の仕事ではない。
井上ひさしは仙台一高のとき、担任の教師から「1学期だけ、すべての教科を必死でやりなさい」と言われて、そのとおり実行した。次の2学期のとき、「この学期は悪い点をとった科目だけを必死にやりなさい」と言われて、やってみた。でも、数学と地学は必死にやったけど、点数は上がらない。すると教師は「分かったかな、きみの未来は、この分野にはないことが...。きみが勉強したら点が上がり、勉強するのが楽しいというほうに、きみの未来はあるんだよ」と言った。すごい教師ですね、偉いです。そして、井上ひさしは、この教師にこう言った。
「将来、映画監督になりたいので、たくさん映画をみたい。授業をさぼって映画をみてもいいですか」
教師は「いいよ」と答えたそうです。信じられませんよね。そして、本当に井上ひさしは朝から映画館に行った。補導員に見つかっても、教師は、「その子は映画をみるのが授業です」と答えたとのこと。いやはや、なんということでしょう。いくら早熟の天才とはいえ、担任の教師が高校生にここまでの自由を認めるとは、まったくもって信じられない快挙です。今は、こんなことは許されないでしょうね、きっと。残念ですが...。
芝居のせりふの難しさは、次のせりふが最初のせりふから引き出されてこないとダメなこと。ひとつの芝居に千2百ほどのせりふがある。この千2百のせりふが、お互いに相手を引っぱり出されたりしながら、最初のせりふと最後のせりふが必然的につながっていないといけない。そうでないと、いい芝居にならない。うむむ、そ、そうなんですか...。奥が深いですね。
宮澤賢治の家は、花巻では財閥だった。そして賢治は、財閥は悪者だという感覚をもっていた。花巻銀行の専務取締役の宮沢善治は、賢治の母の祖父で、岩手軽便鉄道の大株主でもあり、花巻温泉を開発して経営していた。また花巻電鉄の社長でもあった。その長男・政治郎が賢治の父親。花巻銀行の専務取締役の長女イチが賢治の母親。いやはや、たしかに賢治は財閥の一員なんですね。
宮澤家の家業は古着商・質屋で凶作になればなるほど儲かる。凶作のたびに、抵当にとった田や畑でどんどん財産か増えていく。
太宰治の家も、同じようにして、ついに青森県で四番目の大地主になった。
宮澤賢治のやってることは、傍目(はため)には、金持ちのお坊ちゃんの道楽にしか見えない。変人・奇人と見られていた。でも、変人・奇人が一番大事。いま、その変人・奇人のおかげで花巻は食っているわけですから...。
私も弁護士としては常識人と思って仕事をしていますが、社会生活では奇人・変人の類なんだろうと自覚しています。テレビはみませんから、芸能界も歌謡曲も知りませんし、スポーツも一切関心ありません。囲碁・将棋も藤井さんの活躍ぶりくらいは知っていますが、マージャンやパチンコを含めてギャンブルと勝負事は一切しません。ひたすら本を読み、モノカキにいそしんでいます。庭仕事をして土いじりを好み、花と野菜は育てています。週1回の水泳と、たまの山登り(ハイキング程度です)をします。でも、毎日、用事があって(「きょうよう」がある)、行くところがある(「きょういく」がある)のです。行くところは、もう日本国内に限定しようかなと思っていますし、仕事のうえでは、警察署も行くところに含めています。
井上ひさしは、戦争で儲かる人々がいることを鋭く告発しています。戦争は身近な人が死んで悲しむというだけではないのです。それでガッポガッポ儲かる連中がいるのです。
天下の「日立」には、年俸1億円以上の取締役が20人もいるそうです。こんな連中こそ、戦争で儲かる、儲けようと思うのです。原発(原子力発電所)事故のあとの未「処理水」(本当は放射能汚染水)について、トリチウムだけの問題かのように本質をすりかえて、中国(政府)は間違っていると大声で叫び立てている人が多いのには、悲しくなります。
作品は、書いて終わりではない。読者が読みとってくれて初めて作品は完成する。それほど読者は大事。読者・観客のことを全然考えていない小説家、戯曲家はダメ。読者がいてこその作品、読者がいらなければ、日記でも書いていたらいい。
井上ひさしは、個人的な体験は一切書いていない。全部、頭の中でつくり出したもの。いやあ、これは偉いです。すごいですね。想像力がケタはずれだということです。
三島由紀夫の自決について、井上ひさしは、「あの人は書くことがなくなった人だ」と思ったとのこと。そうすると、書くことに命を注いできた人は死ぬしかないというのです。
井上ひさしの偉大さを改めてかみしめました。
(2023年7月刊。2700円+税)
2023年11月 5日
人生はチャンバラ劇
人間
(霧山昴)
著者 飯野 和好 、 出版 パイ・インターナショナル
私の知らない絵本の作家です。私と同じ団塊世代ですが、恥ずかしながら、『ねぎぼうずのあさたろう』も『ハのハの小天狗』も知りませんでした。この本のタイトルどおり、時代劇、つまり子ども向けのチャンバラ劇の絵本の著者なのです。
これは幼いころに著者がチャンバラごっこをして遊んだ体験が生きています。私も小学3年生のころ、隣の「失対小屋」に燃料として置いてあったハゼの木を剣にみたててチャンバラごっこをして、ひどいハゼ負けになり、顔中がはれあがり、1週間も休んだことを思い出しました。学校を休んで寝ていると、学校帰りのクラスメイトが給食のコッペパンを届けにきてくてました。コッペパンは大好きでしたし、脱脂粉乳のミルクも私は美味しいと思って飲んでいました。大人になって、あの脱脂粉乳のミルクは評判が悪く、鼻をつまみながら飲んだり、飲み干さずに捨てる人が少なくなかったことを知り、私には意外でした。
夜、お寺の境内(けいだい)で野外映画会が開かれ、『鞍馬天狗』や『笛吹童子』をみたとのこと。同世代ですから、もちろん私もみています。私のほうは歩いて10分ほどの映画館(「宇宙館」といいました)でした。
鞍馬天狗が「杉作(すぎさく)少年」を悪漢たちから救け出そうと黒馬を疾走させる場面になると、場内はまさしく総立ちで、こぞって声援を送り、興奮のるつぼと化しました。今でも、その騒然とした雰囲気を身体で覚えています。
著者は「中卒」です。勉強しなかったので高校に進めず、企業の養成高校には合格したものの、行かないまま高崎市内のデパートで働くようになりました。
この本の良いところは、著者の子どものころから折々の仕事ぶりまで、写真がよく残っていて、ずっとずっと紹介されていることです。写真があると、話に具体的なイメージがつかめます。
そして、上京。東京はお茶の水にある東京デザイナー学院に入ったようです。18歳のときです。イラストレーターとして活動しはじめたころに訪れたのは...。
「イイノさんの絵は不気味で、気持ちが悪いし、使いにくいんだよなあ」
1991年、絵本『ハのハの小天狗』を刊行した。好きなチャンバラ映画と、空想をゴチャまぜにしてつくった。好評だったので、ものすごく自信になった。
1999年に出版した『ねぎぼうずのあさたろう』は痛快時代劇絵本。これが、人形劇となり、テレビで早朝の連載アニメにもなった。
いやあ、元気、元気。「てくてく座」の座長として、山鹿市にある有名な芝居小屋「八千代座」で公演までしているのです。すごいパワーです。楽しい本でした。
喫茶店で、サンドイッチのランチを食べながら、読みふけってしまいました。
(2023年4月刊。1800円+税)
2023年11月 6日
歌うカタツムリ
生物
(霧山昴)
著者 千葉 聡 、 出版 岩波現代文庫
ええっ、カタツムリが歌うの...、それって本当なの...。
ハワイに古くから住む住民は森の中から聞こえてくる音をカタツムリたちのささやき声だと考えていた。そして、19世紀の宣教師もたしかにハワイマイマイのさざめき音を聞いたと証言した。でも、今、ハワイのカタツムリは姿を消してしまった。
ナメクジはカタツムリとともに陸貝のメンバー。殻のないカタツムリがナメクジの仲間だ。
先日、久しぶりに台所の床にナメクジが出てきました。いったいどこから這い出してくるのか不思議でなりません。その後、床どころか、朝、ミキサーを使おうとしたら、フチにナメクジがいました。危く、ナメクジ入りのジュースを飲むところでした。くわばら、くわばら...。
カタツムリは、海に棲んでいた祖先が得た性質に、ずっと生き方をしばられてきた。カタツムリの生き方は殻を背負うことに制約される。ところが、その制約のため、環境への適応や捕食者との戦いの中で、多彩な殻の使い方、形、そして生き方の戦略が生み出される。制約のためにトレードオフがあらわれ、それが偶然を介して創造と多様性を生む。
小笠原諸島で見つけたニュウドウカタマイマイは直径8センチをこえ、日本の在来のカタツムリのなかでは最大。この巨大種は2万5千年前に突然出現し、1万年前に忽然(こつぜん)と姿を消した。
現生のカタマイマイは、直径3センチほどで、その特徴は非常に殻が硬いこと。カタマイマイ属は飼育が難しい。そしてマイマイ属は、別の種に対して攻撃的に干渉する。
カタマイマイ属の由来は、日本本土にあった。日本南部だ。まず父島で4つの生態系に分かれ、そのうちの一つの系統が聟(むこ)島に渡って、そこで2つの生態系に分かれた。もう一つの系統が母島に渡って、そこで再び4つの生態系に分かれた。母島では47の生態系の分化が、少なくとも3回、違う系統で独立に起こった。
一つの系統が生活様式など、生態の異なる多くの種に分化することを適応放散という。カタマイマイ属の適応放散は、まったく同じ分化のパターンを何度も繰り返す点で、非常にユニーク。このような多様化を「反復適応放散」と呼ぶ。
カタツムリは適応放散するばかりではない。非適応放散もある。では、いったいどのような条件で、それらが起きるのか、それが現在も研究課題となっている。
琉球列島と小笠原諸島は、同じような気候条件にもかかわらず、生態系がまったく対照的な世界である。
ニッポンマイマイ属の左巻きと右巻きの集団の分布は、カタツムリを食べるイワサキセダカヘビに対する適応によって生じた。このヘビは右巻きの貝を食べることに特化して、頭部が非対称になっているため、左巻きの貝をうまく捕食することができない。そこで、このヘビの生息地では、左巻きのタイプは捕食されないので、有利になる。すると、左巻き個体が増え、集団が確立して交尾できない右巻きの集団との間に種分化が成立する。いやはや、こんなところまで学者は注目して、研究するのですね...。
カタツムリを食べるカタツムリがいる。ヤマトタチオビだ。これは農業害虫のアフリカマイマイを駆除するため、アメリカはフロリダ州から持ち込まれた。ところが、現実には、アメリカマイマイの減少より早く、固有のポリネシアマイマイ類が全滅してしまった。
著者も小笠原諸島で、カタツムリの歌を聞いたとのこと。足の踏み場もないほど地上にあふれ出した、おびただしいカタツムリたちの群れが、互いに貝殻をぶつけあい、求愛し、硬い葉をむさぼる音だった。つまり、よくよく耳を澄ますと、これこそカタツムリの歌だって聞こえてくるというのです。
生物学の奥底は闇に近いほど深く深いもののようです。秋の夜長に、いい本を読むことができました。
(2023年7月刊。1130円+税)
2023年11月 7日
僕の好きな先生
社会
(霧山昴)
著者 宮崎 亮 、 出版 朝日新聞出版
「維新」は大阪の教育をメチャクチャにしてしまいました。その結果、大阪の学校の教員を志望する人が激減し、途中退職者も続出しています。
維新は学校を「商品」製造工場のように錯覚し、成績主義・競争主義で教師と先生を追い立てています。学校を学力成績の点数で評価するなんて、根本的な間違いです。聞くだけで、「アホちゃうか」と関西弁でこきおろしたくなります。
松井一郎大阪市長(当時)が、コロナ禍がひどい状況で「小中学校は自宅オンライン学習を基本とする」と、突然に言い出して、大阪全市の学校が一大パニックに陥りました。
松井市長の思いつき、いつものパフォーマンスでした。学校を所管する教育委員会の意見も十分聞かないまま記者会見したのです。まったく無責任きわまりありません。
これに対して、現職の小学校校長であった久保敬(たかし)氏が大阪市の教育行政を批判する文書を松井市長に送ったのです。現職の校長が市長を批判する文書を送付した。これは大きなニュースになりました。その結果、自宅オンライン学習は撤回されたのです。ところが、久保さんに対しては「文書訓告」処分が下されました。ひどい話です。
久保校長の教え子にお笑いコンビ「かまいたち」の濱家隆一がいました。久保校長の退職お祝い会に濱家は5分間のメッセージ動画を送ったそうです。そこでは、30年も前の小学校の担任との出来事を昨日のことのように濱家は紹介しました。そして、濱家は小学生のときにもらっていた「学級便り」も全部保管していたのです。それほど記憶に残る担任(教師)でした。
濱家は、「学級便り」のなかで、将来の夢は「マンガ家、まんざい師」と書いていました。これは実現したのですね。すばらしいことです。
「細かいことをバーッて思い出せるのは、本当に楽しかった人やと思いますね。久保先生からは、まわりの友だちを思いやることを教わりました。みんなで目標に向かって一致団結することとか、まわりの人と調和するとかっていうのは、ほんまに久保先生から学んだことです」
先日、大阪で久保先生の話をじかに聞くことができました。腹話術も少しする久保先生は、なるほど教師人生に全力で打ち込んだというオーラを感じました。こんな教師にめぐりあえた子どもたちは本当に幸せです。
子どもを大切にする教師をもっともっと大切にしなければいけないと、つくづく思いました。維新や自民党のような、表面的な成績だけしか目を向けない教育なんて最悪です。
久保先生の話を聞いて、すぐに会場で売られていたこの本を買い求め、帰りの新幹線の中で完読しました。
(2023年9月刊。1760円)
2023年11月 8日
少女ダダの日記
ヨーロッパ
(霧山昴)
著者 ヴァンダ・プシヴィルスカ 、 出版 角川新書
1944年9月、ポーランドで起きたワルシャワ蜂起のなかでナチス・ドイツ軍の砲弾に傷つき死亡した14歳の少女の日記です。ユダヤ人ではありませんが、同時代のオランダで隠れ住んでいたアンネ・フランクの日記を思い出せるものがありました。
ダダが日記を書くのは、ものを書くのが好きだから。
姉は、夢なんかみないほうがいい、よけいな幻滅をあじわうばかりだからだという。しかし、ダダは違った。夢はみなければいけない。「なにか」が思いどおりにならないとしたら、夢のうち、夢のうちだけなりと、せめて、その望みがかなうといいから...。そうなんですよね。苦しい現実の中にあっても、夢をみて、希望を失わないことって、本当に大切なことだと思います。私も、毎晩のように夢をみています。なかには心がじわっと温まる夢もあるのです。
夢みることのできる者は、さいわいだ。幸福は誰にとっても同じものなどではない。お金があれば幸福だという者もあるだろうし、自分が美しいというので幸福に感じている者もあるだろう。しかし、ダダはこんなものはすべて幸福なんかではないと考える。幸福とは何か、もっと別のもの。もっと大きなもの、美しいもの、もっとありがたいものなのだ。
ユダヤ人が目の前で殺されている。なんのため、なんのために、ユダヤ人はこんな目にあわなければならないのだろうか。ユダヤ人であって、ほかの民族ではないという、そのためなのだ。ただそれだけ。それだけのために、こんなにも苦しめられていいものだろうか。こんな野蛮なことがあってもいいものだろうか...。涙は乾いて消えて...、それっきり、もう二度と戻ってはこない。
人間が同じ人間の首を吊るというようなことが、こうしてまるで日常茶飯事のように、平気でおこなわれている。むごい、ひどい、恐ろしいこと。こんな地獄に終わりが来るなどとは、とても信じられない気がする。早く終わってくれればいいと私だって思っている。それなのに、ときには、戦争が終わるなんて決してないという気がしてしまう...。
わたしたち若者、若者こそ祖国ポーランドを盛り立てる礎(いしずえ)なのだ。だからこそ、私たち若者は理想を持たなければいけない。けれど、実際には...。
戦争は世界を破滅させる。人間を滅ぼし、殺してしまう。恐怖をいっぱいにまき散らし、生活という生活、喜びという喜びの息の根を止めてしまう。
ドイツ人ほど恐ろしい国民はいない。でも、この恐ろしい凌辱に対して、私たちは報復しなければならないのだろうか。復讐はぜひとも必要なのだろうか...。
たとえ悲しみのどん底にいても、喜びと笑いは決して失ってはならない。人は生きるために、最後のさいごまで、不幸や災厄とたたかうように出来ている。
ダダは、ナチス・ドイツ軍の砲弾の破片にあたって重傷を負ったとき、出血多量で亡くなる前、父親にこう言った。
「おとうさん、もう逃げなくたっていいじゃない」
泣けてきましたね。これって、まだ14歳の少女の言葉なんですよ。
ワルシャワ蜂起で立ち上がったのはポーランド軍。イギリスは上空から飛行機で支援物質を投下しましたが、まったく足りません。すぐ近くまで来ていたソ連軍は補給待ちと称して市内でのナチス・ドイツ軍との戦闘には参入せず、ポーランド軍を見殺しにしてしまいました。どうやらスターリンが指示したようです。
ワルシャワ蜂起の悲劇的な結末は知っていましたが、こんな少女の日記があったことを初めて知りました。
(2023年4月刊。960円+税)
2023年11月 9日
有明海のウナギは語る
生物
(霧山昴)
著者 中尾 勘悟 ・ 久保 正敏 、 出版 河出書房新社
私は小学生のころ、毎年のように夏休みになると大川市の叔父さん宅に行って1週間ほども過ごしていました。大川市にはたくさんのクリークがありますが、そこで掘干しと言って、クリークをせき止めて底にたまったヘドロを両岸に田んぼに上げて「溝さらえ」をするのです。そのとき、たくさんの魚がとれました。そのなかにウナギも入っていて、叔父さんが台所でウナギを包丁で上手にさばくのを身近に見ていました。柳川のウナギのせいろ蒸しはとても美味しくて評判ですが、子どものときは食べたことがありません。
この本によると、二ホンウナギが絶滅に向かっているというのです。心配になります...。この本は、有明海とウナギについて、さまざまな角度から捉えていて、いわばウナギに関する百科全書です。
日本産のほとんどは河口部で採ったシラスウナギを養殖池に入れて大きくした養殖ウナギ。九州では鹿児島が産地として有名です。
日本で出回るウナギの3分の2は輸入したウナギで4万2千超トン。ヨーロッパウナギの生産量も減っている。
日本のウナギ消費動向が世界のウナギ種の資源量を左右している。
シラスウナギはもともと自然界でとれるものなので、人間は養殖ウナギの生産量を自由に制御することはできない。
二ホンウナギの生態や生活史は、いまも謎だらけだ。西マリアナ海嶺近くでウナギが産卵していることが2005年に判明したくらいだ。
ウナギの祖先は、白亜紀、つまり1億年前ころに現在のインドネシア・ボルネオ島付近に出現した海水魚。ウナギは2回、変態する。ウナギの北限は青森県。
私はウナギ釣りをしたことはありません。フナ釣りをしていてナマズを釣り上げたことは何度もありますが、ナマズは食べることもなく、すぐにリリースしていました。
ウナギはミミズでも釣れるようですね。そして夜釣りもするようです。
この本で驚いたのは、ウナギの生態を研究するため、ウナギの体内に金属製ワイヤータグを埋め込むというのです。また、麻酔をかけ、極小の発信機をウナギの体内に埋め込んで縫合するのです。すごい技術があるのですね...。
ヨーロッパウナギを絶滅寸前に追いやったのは、資源量を考慮しない、日本国内の旺盛なウナギ食需要だ。これは消費者だけでなく、生産業、流通業など、関係者全員のあくなき欲望がつくり出した結果だ。いやはや、罪つくりなことです。でも、でも...。ウナギの蒲焼きとか「せいろ蒸し」なんて、本当に美味しいですよね。
(2023年3月刊。2970円)
2023年11月10日
アントンが飛ばした鳩
ヨーロッパ
(霧山昴)
著者 バーナード・ゴットフリード 、 出版 白水社
ポーランドに住むユダヤ人が、ゲットーに入れられ、強制収容所に入れられながらも生きのびることが出来ました。それは幸運だったことによりますが、写真技術を身につけていた点も有利に働きました。
この本がとても読みやすいのは、30扁のショートストーリーから成りたっているということです。そして、一つ一つの物語が関連して大きな流れとなっていくのですが、全体としては、7歳のユダヤ人の子どもが世の中の大きな流れのなかで、ひとつひとつにぶつかって考えていく様子がとても素直に描かれていて、感情移入が容易なのです。
子どもだって、状況によっては嘘をつくしかない場合もある。要求の多い、不公平な大人の世界とうまくやっていかなければならないのだから。子どもだって自分で自分を守るため、その場しのぎをしなくてはいけないんだ...。
7歳のとき親がバイオリンを習わせようと決めた。7歳では、本人に選ぶ権利なんかあるはずもない。嫌で嫌で仕方なかったバイオリンの練習も、やっているうちに上達し、いろんな音楽を弾けるようになり、ちょっとした集まりで披露させられるようになった。
強制収容所に入れられるときには、もちろんバイオリンは持ち込めなかった。でも、ひそかにバイオリンを隠してくれていた人がいて、戦後、そのバイオリンに再会することができた。
子ども時代に起きたことを人がすべてを覚えているわけではない。でも、いつまでたっても忘れられない出来事もある。
廃館になった映画館でコンサートが開かれ、バイオリンを演奏することになった。寒い寒い日で、著者は失敗を重ね、不出来そのものだった。でも聴衆からは大きな拍手が鳴りやまなかった。なぜか...。それは、ひどく寒かったから、手を叩けば、ちょっとは温まるから。なので、演奏に向けられた拍手ではない。むしろ、その逆。でも。手を叩いていたら、違ってきた...。これは、戦後、生きのびた人がコンサートのことを語ってくれたときのコトバだ。
ゲットーで、人々は至るところで死んでいった。ナチスの兵士に射殺され、また餓死していった。
「おお神よ、あなたはどこにおられるのですか?あなたの子どもに何が起きているのか見てください」
神は眠っているか、休暇をとって、どこかへ行って留守だった...。
著者がゲットーをひそかに脱出して、生きた鶏を手に入れて自宅に戻っていく途中、鶏が騒ぎ立てるので、ついに殺してしまった。
母親は、ユダヤ教の定めによらず死んだ鶏を食べようとはしなかった。
「戦争中でも平時でも、私たちユダヤ人は律法を守る民なの。でなければ、ユダヤ人として生きていくのをやめるってことなの...」
いやはや、なんとかたくななことでしょう。
著者は写真館で助手として働くようになった。そのうち、ポーランド地下組織の求めに応じてひそかに写真の複製をつくるようになった。証明写真だったり、ドイツ軍関係者の顔写真だったりした。
写真館にはナチス親衛隊の制服を着た若者が来て、ユダヤ人だと知りながら、食料を渡してくれたり、いろいろ便宜をはかってくれるようになった。著者たちは「ユダヤ人SS」と呼んで受け入れた。
強制収容所に入れられて以来、鏡で自分の顔を見たことがなかった。鏡にうつっているのはやつれた灰色の顔、どこからどう見ても他の顔だった。
戦後、親になったドイツ人の若い女性にユダヤ人虐殺の話をすると、
「あなたの話が本当に起きたことだとは知っているわ。でも、私には、なぜ人がそんなに非人間的になれるのか、理解できないのよ」
と返ってきた。
同じユダヤ人の子ども同士だったのに話をそらした人は、著者に対してこう言った。
「覚えていたくなかった。みじめな少年時代だったから。いつだって腹を空かしていた。昼食時間には、きみのような金持ちの子が分厚いサンドイッチやおいしそうなロールパンにかぶりつくのを眺めていた。眺めているのは辛かったんだ。本当に忘れたかったし、忘れたつもりでいたいんだ」
そうなんですね、ユダヤ人の家庭にもやはり貧富の差はあり、朝食も昼食もとれない子どももいたというわけなんです。
ユダヤ人の大量殺害、絶滅収容所とガス室の噂が広まりだしたころ、ユダヤ人の父親は、それを信じようとはしなかった。そういうことを言う連中は、不吉なことを言いふらしてパニックを広め、ユダヤという哀れな民族の士気をくじこうとしているんだと非難した。そして父はこう言った。
「ナチスどころか、チンギスハーンだって、そんなことをしないんだろうよ。20世紀なんだぞ、文明社会が許すわけがない」
そうなんですよね。文明社会が許すはずがないことを、ヒトラー・ナチスはあえて宣言し、「善良な」ドイツ人がそれを実行していったのでした。
いま原発(原子力発電所)が3.11大爆発を起こしたことを忘れて、いかにも「処理」して安全になったかのような自民・公明政権の言うのを盲信する日本人のなんと多いことでしょうか。マスコミも同じ穴のムジナです。「風評被害」と言い、中国はけしからんと大合唱しています。でも、そのときデブリのことはまったく頭にありません。放射能の固まりを人間が扱えるはずはありません。そして、それをいったい日本のどこに置くというのですか...。
「アンダーコントロール」されているのは原発ではなく、日本人の頭ではありませんか。
読みやすいホロコーストの本です。著者は2016年、92歳でニューヨークで亡くなりました。
(2023年4月刊。3500円+税)
2023年11月11日
闇バイト
社会
(霧山昴)
著者 廣末 登 、 出版 祥伝社新書
「高額案件、即金、仕事」
「案件次第で日給3万円~50万円可能」
こんなネット上のコトバにつられて申し込んでしまう若者が後を絶ちません。申し込むと、免許証を写メして、メールで送らされる。個人情報が丸ごと先方に渡ってしまう。やめたいと言うと、「今さら何を言うのか。キミは立派な犯罪者だ。キミの個人情報は承知しているから、まずはネットにさらして、詐欺犯人と公表するかな。それとも警察に通報するかな」と脅される。
さらに、こんな甘言のささやきもある。
「持つ者から、持たない私たちが少しいただくだけですよ。あの人たちは数百万円のおカネを寄付しても、何も困りませんよ。これは資本の公平な分配だと思えばいいんです」
今、こうやってお金に困った若者が闇バイトの世界に足を踏み入れる。警察に検挙された少年の7割が「受け子」で、受け子の5人に1人は少年。
きのうまではフツーの青少年だったのに、自宅から一歩も出ないまま特殊詐欺グループの一員になってしまう可能性(危険性)がある。この契約の先に待っているのは、社会的破滅に続く、あと戻りできない一方通行の道だ。
闇バイトの人員を募るのはSNSが多い。特殊詐欺では、かけ子は20%、受け子は10%の報酬がもらえることになっているが、実際に手にできるという保障は何もない。
闇バイトの末端要因である受け子と出し子(UD)は消耗品。
電話をかける「かけ子」は言葉巧みな演技が求められるので、熟練工だ。電話をかけるのはマンションの一室(「ルーム」と呼ぶ)。ここはタコ部屋。「かけ子」は外出禁止、朝の8時から夕方5時まで、電話をかけまくるのが仕事。500万円を被害者から騙し取るのに成功すると、20%の100万円の報酬がもらえる。2~3ヶ月で、ルームは移動する。
闇名簿は高く売買されている。詳しい名簿は1件1万円することもある。使い古された名簿だと、1件300円とか500円とか、安い。金持ち、押し入ったらお金のありそうな人(家)の名簿がつくられ、売買されている。デイサービスや家政婦派遣の情報も売買されている。
自治体のもっている情報、たとえば税金をいくら納めているとか、そんな情報が売買されている。リフォーム申込者の名簿もよく使われる。
闇バイトは、一時のおカネを選ぶのか、一生の破滅を選ぶのか、という選択。闇バイトをやったら、破滅するのみ、必ず後悔する。
特殊詐欺で逮捕されて起訴されると、たいてい実刑となり、刑務所か少年院に入れられる。次に失うものがない「無敵の人」になってしまって、フツーの市民生活を送るのが、とても難しい状況に置かれる。ただ、処罰を厳しくすればよいという考え方は、あまりに安易で、ますます新たな被害者を増やすことになる可能性(危険性)がある。
闇バイトの危険性、そこに引きずり込もうとするテクニックを知ることができました。
(2023年8月刊。930円+税)
2023年11月12日
石製模造品による葬送と祭祀
日本史(古代史)
(霧山昴)
著者 佐久間 正明 、 出版 新泉社
福島県の郡山(こおりやま)盆地の南端、阿武隈(あぶくま)川東岸の丘陵にある正直古墳群には、滑石などのやわらかい石で、刀子(とうす)や鉄斧(てっぷ)剣、鏡などをかたどった石製模造品が祭祀遺物として副葬されていた。
いやあ驚きました。大量に発掘・発見されています。所在地は郡山市です。
この古墳群には50基以上の古墳があったようです。1970年12月にブルドーザーが掘削していると、凝灰岩(ぎょうかいがん)の石組が出てきた。内部が真っ赤に塗られた箱式石棺だった。
残念なことに石棺に人骨はなかった。酸性土壌のため、石棺内に流入した土砂に埋もれた人骨は残らなかった可能性が高い。
そして、緑色を帯びた石材が使われていて、基部には紐(ひも)を通すための貫通孔が認められた。赤色顔料は、蛍光X線分析によると、水銀朱であることが判明した。
そして、残っていた人骨から次のことが判明した。
男性で年齢は30歳前後。別のところからは、妊娠した徴候(痕跡)があることから、顔は平坦、身長は157センチの女性。
いやあ、すごいです。骨の断片から、年齢も身長も判明するのですね...。石製模造品は古いものほど写実的で、新しいものほど簡略化されたものばかり。ともかく、驚くほどよく出来た模造品です。圧倒されます。
発掘調査は、ひとつひとつはほとんど無意味な作業としか思えませんが、当たれば、それまでの苦労が十二分に報われる瞬間になります。これはもう、止められませんよね。
発掘調査の現況について、写真とともに知ることができました。発掘現場の方々は、お疲れさまです。
(2023年2月刊。1700円+税)
2023年11月13日
私の職場はサバンナです!
アフリカ
(霧山昴)
著者 太田 ゆか 、 出版 河出書房新社
南アメリカ政府公認、そしてただ1人の日本人女性サファリガイドである著者がサファリを案内してくれる、読んで楽しく元気の出てくる本です。
サファリとは、ヒスワリ語で「旅」という意味。大自然の中で、野生動物を観察しに行くアクティビティのことです。
サファリガイドは午前3時45分に起床し、4時15分に出勤(といっても自宅兼職場)。サファリに出発するのは午前5時。3~4時間ほどのコースです。戻って午前9時に朝ごはんを食べて休憩し、午後4時ころから2回目のサファリに出発します。同じく3~4時間かけます。夜8時に仕事を終え、ときにはツアー参加者と一緒に食事。
自宅といっても、著者は同僚6人との共同生活(部屋は個室)なので、夕食は交代制でつくります。
著者は子どものころの夢は獣医になることでした。でも、理系科目が苦手だったのであきらめて、環境保護の分野へ転身。サファリガイドの訓練校があり、南アフリカ政府公認のガイド資格があることを知って、まだ英語に自信はなかったものの、大胆にも入学したのです。
この訓練校では、実地での教育・訓練と教材を使っての授業を受けます。英語の授業はついていけなかったので、スマホで録音して夜に自分のテントで聞き直します。
このとき、「生まれて初めて、勉強をするのが楽しいと心から思えた」とのことです。やはり、目的意識がはっきりしていたからでしょうね。
6ヶ月間の訓練のあと、サファリガイドになるための試験を受けました。200種類以上の鳥の鳴き声を覚え、鳴き声を聞いたら、すぐに鳥の名前を言わなくてはいけません。また、動物の足跡を見て、動物の種類、右足か左足か、前足か後ろ足か、どれくらいのスピードで歩いているかを答えます。
著者は、なんと、1回でパスしました。次は、6ヶ月間の実習。すぐに実際のツアーを案内させられました。これで無事に終了しても、次なる難関は、就職先が見つからないということでした。
外国人(日本人)であることは不利。道なき道をサファリカーで進むなんて女性に出来るはずがない、パンクしたタイヤの交換ができるのか...。そんな偏見にあい、困難にもめげずに探していたら、環境保護のボランティアを運営する団体にめぐりあえ、ついにサファリガイドとしてスタートできたのでした。日本の両親は猛反対でしたが、結局は、渋々、追認してもらったとのこと。すごいです。
私はNHKテレビ『ダーウィンが来た』を毎週欠かさず楽しみにしていますので、ライオンの生態も少しは知っているつもりでしたが、ライオンのオスは8頭のうち1頭しか無事に大人になることが出来ないというのには驚きました。
また、ライオンを狙った密猟も知りませんでした。ライオンの歯や爪を装飾品にする、骨はトラの骨の代替品として、伝統薬として高値で取引されているとのこと。ひどい話です。
過去を20年間で、ライオンは43%も減少したといいますので、半減したわけです。まったく人間は罪つくりの存在です。
密猟対策として、サイの角(つの)が狙われるので、あらかじめ切除してしまう作業がすすめられています。ところが、オスのサイは角で戦って、メスを得るわけですので、その武器を取り上げてしまったら、どうなるのかが心配されているとのことです。悩みは尽きませんね...。
「大好きな動物を守る」という幼いころからの夢を実現し、サファリガイドを始めて7年たった著者による若さと喜びにあふれたレポートです。ぜひ、サファリ・ツアーに行ってみたいと思いました。でも、朝5時出発して、3時間とは...。
(2023年5月刊。1562円)
2023年11月14日
台湾侵攻に巻き込まれる日本
社会
(霧山昴)
著者 半田 滋 、 出版 あけび書房
「北朝鮮や中国が攻めてきたら、どうする!」
この不安と焦燥に駆られた人々が5年間に43兆円もの超巨大軍事予算を精神的に支えています。これまで軍事費は年に5兆円を上回っただけでも大問題だったのに、今や年間7兆円を軽く上回る軍事予算です。
「北朝鮮がミサイルを発射した」と言ってJアラートを発令し、恐怖をあおり立てる政府広報。同じことを韓国がやっても、報道すらされません。北朝鮮のロケット(「ミサイル」の正体)は宇宙空間を飛んでいるのです。「日本の上空」ではありません。「ミサイル対策」と称して、学校や役所で机の下に潜り込む訓練をしていますが、戦前の防火(消火)バケツリレーと同じく、単なる気休めでしかありません。意味のないことはやめるべきです。政府は、それよりイスラエルに軍事行動の停止を求めるべきです。
自民・公明の岸田政権はアメリカの兵器を「爆買い」し続けています。トマホークなんてスピードが遅いので、もはやアメリカ軍は使っていないとのこと。そして、オスプレイは多くのアメリカ兵を殺してしまった「未亡人製造機」と言われるほどの欠陥機。それを今度は佐賀空港に配備するのです。本当に許せません。
「戦争が始まったら、シェルターに逃げて...」
地下のシェルターに逃げ込めて一時的に助かったとしても、地上に誰もいなかったら、どうやって生活していくというのですか...。食料がいつまでもあるはずはありませんよ。
宮古島に住む全住民を避難させるのに必要な飛行機は363機、船は109隻。そんな大量の飛行機と船が確保できるはずはありません。同じく、沖縄県民146万人を九州に避難させるとのこと。うまく運べたとしても(ありえませんが)、いったい九州のどこにこれだけの人を収容するというのでしょうか...。
日本政府は、公式見解では台湾を独立国としてみていません。なので、台湾は日本と「密接な関係にある他国」とは言えません。
アメリカは大量の半導体を必要としている。台湾のメーカー(TSMC)は、世界の半導体シェアの6割を占めている(高性能のものに限れば9割)。だから、台湾を確保しておかないと、アメリカという国自体が存続できない。
中国は既に空母を2隻保有し、戦闘機も2000機もっている。無人の岩があるだけの尖閣諸島をめぐって武力侵攻するのは、中国の国益に合わない。
アメリカとアメリカ軍を守るため、日本は集団的自衛権を行使する。つまり、日本を守るためではなく、外国(アメリカ)を守るため、日本人青年の血を流させようということ。
日本がアメリカから「爆買い」するトマホーク400発を保有したとしても、中国は巡航ミサイルをすでに2200発も保有している。こんな格差があるのだから、「抑止力」が働くはずもない。
アメリカからオスプレイ17機を購入する代金は3000億円。日本全体の司法予算はそれとほぼ同じの3300億円。しかも年々少しずつ減っている。裁判官の人数は増えていないどころか、減っている。思わず涙が出てしまいます。
大軍拡予算がすすめられるなかで日本の軍需産業(「死の商人」たち)は喜びに奮いたっている。三菱重工業は誘導弾の新規開発に奔走している。まさしく、金もうけのためなら、何事も身を惜しみませんという姿勢です。
自民党・公明党の脅しとウソに負けないようにしましょう。それにしても先日の参院選(補選)の投票率の低いこと...。6割以上の人が投票所に行っていません。これでは日本は救われません。
著者の本は、いつ読んでも具体的な状況が的確に紹介されていて、大変勉強になります。
一読を強くおすすめします。
(2023年10月刊。1980円)
2023年11月15日
ルポ・国際ロマンス詐欺
社会
(霧山昴)
著者 水谷 竹秀 、 出版 小学館新書
会ったこともないのに、メールの文章だけで結婚しようと思い、相手の言いなりになって、大金を次から次に送金していく人が後を絶ちません。会ったことがないといっても、ネット上で相手のハンサムな顔は見れますし、声も聞けるのです。といっても、「国際」というからには、日本語に変換したものです。ところが、それが、みーんなニセモノ。怖いですよね、ここまでネットで社会は「すすんで」いるのですね...。「顔」も「声」も変換できて、いかにも本物らしく対応するのです。
そして、信じ込むほうにも、いささか問題があります。ちょっと怪しいなと思いつつ、夢心地に浸っていたい気分から、その疑問を自ら打ち消してしまうのです。騙される人の特徴は、寂しさや失望感をかかえ、心に隙間のある人。
自分は不幸であるというイメージをもち、悲観的にとらえている人、ある程度教養があり、異文化に関心をもっている人。損を現実化させたくない心理が働く。
素直で、真面目な、いわゆる「いい人」が多い。自分が善意だから、相手も善意だと思い込んでしまう。
でも、結局のところ、騙される人が悪いのではない。騙す人間が悪い。これは私も弁護士としてまったく同感です。
この本では、騙す人間の正体を探るため、著者はアフリカのナイジェリアにまで行ってきました。そこで出会った騙す悪人の正体は...。
なんとなんと、ナイジェリアの大学生たちが、お金欲しさに「ロマンス詐欺」をやっているというのです。ナイジェリアの若者たちは、10人のうち8人までもがサイバー犯罪に関わっている。彼らは深刻な犯罪をしているとは考えていない。彼・彼女らを「ヤフーボーイ」とか「ヤフーガール」と呼ぶ。
貧困だけが理由ではないようですが、貧困が主要な要因であることは間違いありません。それにしても、「国際ロマンス詐欺」がアフリカの大学生のアルバイトの舞台になっているとは驚きました。世の中は狭いものです。なにはともあれ、ネットだけでのつながりというのは、映画をみているようなものなんです。目の前のスクリーン(大画面)に見とれているうちに、吉永小百合と結婚できるなんてことが絶対にありえないのを、いつのまにかありうると錯覚して大金を投げ捨ててしまうというものです。ちょっと例え話に品がありませんでしたね、失礼しました。
(2023年8月刊。1100円)
2023年11月16日
イラク水滸伝
イラク
(霧山昴)
著者 高野 秀行 、 出版 文芸春秋
驚くばかりの現地踏査ルポルタージュです。イラクに広大な湿地帯があり、そこはアウトローたちの逃げ場でもあるというのです。なんで中国の「水滸伝」がイラクに出てくるのかという謎が本文を読むと、見事に解明されます。
この巨大な湿地帯、アフワールに入った日本人は少なく、その実情を紹介した本もほとんどありません。そんなところに、冒険家の著者は山田隊長と2人して出かけたのです。
この湿地帯は、イラクのペルシア湾に面した地方にあります。ここは、ティグリス川とユーフラテス川が合流する地点です。ハウィザ湖とハンマール湖という大きな湖があります。そして、ここに生える葦(アシ)は、なんと高さ8メートルもありますので、この茂みの中に逃げ込んでしまえば簡単には見つかりません。葦でつくった浮島があり、そこに住居もあります。
この湿地帯はユネスコの世界遺産に登録されたばかり。
この湿地帯での郷土料理は「鯉(コイ)の円盤焼き」。イラクでは5千年前から鯉が食されている。イラクでは法律によってアルコールは一切禁止されている。しかし、多くの人が日常的に密造酒や密輸酒を飲んでいる。
イラクの「軽いご飯」は、50代の日本人にとっては十分にヘビー級。
イラクの独裁者のフセインは干拓しようとして水路をつくりましたが、結局のところ失敗しました。この湿地帯にひっそりと生活してきたのがマンダ教徒です。
湿地帯の人々に多いマンダ教は、とても風変わりで特殊な宗教。マンダ教徒は洗礼者ヨハネを信仰している。マンダ教徒は、イラクでは「サービア教徒」と呼ばれている。マンダ教徒は伝統的に「舟大工」を生業にしている。マンダ教徒は古星術の使い手として知られ、サダム・フセインも頼っていた。マンダ教徒は全世界で10万人未満、イラクには3万人以下しかいない。マンダ教徒は絶対平和主義。
マンダの人々は2つの名前をもっている。一つはフツーの名前で、もう一つは星に由来する名前。こちらは他人には絶対に教えてはいけない。
湿地帯では水牛が飼われている。ゲーマルは、水牛の乳製品である。
この湿地帯では燃料に困ることはない。葺の再生力はものすごい。ただし、葺(カサブ)が密生した中へ入り込むのは困難。
湿地帯が放っておかれてきた理由は簡単。ここには何の利権もない。この一点に尽きる。石油などの天然資源は、ここにはないのです。20世紀のイラク水滸伝の主人公は意外にもコミュニスト(イラク共産党)だった。
この湿地帯には私有地はない。人々が所有するのは水牛だけで、あとはみな公共のもの。湿地帯には道がなく、集落もない。家にトイレはなく、敷地の端ですませるだけ。
マンダ教徒は、同じ信者内でしか結婚しないので、他の民族の血は混じらない。その目はきょとんとしたように丸く、顔立ちにちょっと愛嬌がある。
マンダ教徒が結婚するときの婚資(結納金)は高い。水牛10頭分にも相当する。これを潜脱する方法として、同じ家同士で娘を交換したら、婚資がいらなくなる。
浮島では女性は姿を隠さない。隠す場所もない。
本文474頁もある大作ですが、旅行記をのぞく気分で軽々と読みすすめることができました。それにしても著者は勇気があります。また、山田隊長の存在も大きいと思いました。
イラクの知られざる湿地帯の実情を知ることができる本です。一読をおすすめします。
(2023年9月刊。2200円+税)
日曜日に庭の畑からサツマイモを掘り上げました。昨年と同じ場所に畝(うね)を4列つくっていました。うち1列は先に掘り上げているのですが、小ぶりのイモばかりでした。それで残る3列に期待をかけていたのです。ところが、前より少しだけ大きいものがありましたが、ほとんど小ぶりばかりでした。どうして、なんでしょうか。
同じ場所にジャガイモを植えて6月に収穫したのですが、ジャガイモは店頭の商品と遜色ありません。
サツマイモって、意外に難しいのです。来年は、苗と植える時期を変えてみようかなと考えています。
庭にチューリップの球根を全部で300個ほど、あちこちに植え込みました。春が楽しみです。
2023年11月17日
龍の子を生きて
日本史(戦後)
(霧山昴)
著者 二ッ森 範子 、 出版 こうち書房
八路軍従軍看護婦の手記というサブタイトルのついた本です。
八路軍というのは中国共産党の軍隊です。日本が中国に侵略戦争を仕掛けていたとき、頑強に戦いました。蒋介石の国民党軍と一緒に日本軍と戦っていた時期もあります。国共合作によって誕生した名前です。中国では「パーロ」とも呼ばれていました。
そんな八路軍に日本敗戦後に大勢の日本人が参加しました。日本軍がアメリカに無条件降伏したといっても、中国現地の八路軍は装備は貧弱で、人員も足りていませんでしたから、日本人に「助っ人」を頼んだのです。
私の叔父(父の弟)も応召して関東軍の兵士(工兵)として山中で地下陣地を構築していましたが、八路軍の求めに応じて、紡績工場の技術者として戦後8年間、働いていました(1953年6月、日本に帰国)。私は、叔父の手記を基として『八路軍(パーロ)とともに』という本(花伝社)をこの7月に刊行しました。まだ読んでいない人は、ぜひ買い求めてください。少し付加、訂正したいところがありますので、改訂版を出したいのですが、売れゆきがかんばしくありません。どうぞお助けください。
山形県の山村で生まれ育った著者は、16歳(数え)のとき、満州に渡って看護婦になりました。満州の中央にあるハルビンの義勇隊中央医院が職場です。もちろん、初めは看護婦になる勉強から始まります。
待遇は、日本(内地)に比べるともったいないほど良かった。祭日には、お菓子もお餅もあった。満州に渡ってきた義勇隊の少年たちが次々に病人として運び込まれてきました。栄養失調と結核が目立って多かった。厳しい苛酷すぎる自然環境でした。
日本軍の敗戦(8月15日)の前、8月9日深夜、ソ連軍が突如として満州に、侵攻してきた。頼りの関東軍は、その精鋭部隊は南方戦線に送り出されていて、員数あわせだけで成りたっている、見かけ倒しの軍隊にすぎなかった。
ソ連軍のあとは、国民党軍がやってきて、ついに八路軍も姿をあらわした。国民党軍は規律のなさから現地の人々から総スカンを喰った。
八路軍は、日本人の医師や看護婦に対して、あくまで紳士的に、礼儀正しく、協力を要請してきた。そして、著者はそれに応じることを決断した。やがて国共内戦が始まりました。
共産党軍(八路軍)は当初、アメリカ式の最新兵器を有する国民党軍に追われていましたので、著者も八路軍と一緒に広い満州をわたり歩いたのでした。
著者が初めて出会ったときの八路軍の兵隊は、ノミとシラミ、そして垢(あか)にもまみれて行軍していた。こんなみすぼらしい軍隊が、最後には勝つだなんて、とうてい信じられなかった。しかし、負けるという気もしなかった。
病院は忙しく、毎日、大変だったが、暗い雰囲気はまったくない。毎日、変化があり、刺激的で楽しく、満ち足りた日々だった。
1948年春になると、八路軍は勢いがあり、進撃に転じていた。このころ著者は19歳の看護師で、1日40キロを行軍した。
著者たちは「三大規律、八項注意」の歌をうたい、「一日に3つは良いことをしよう」と決めて実践していた。
1953年4月、25歳の著者は日本に帰国し、宮城県にある坂病院で看護婦として働きはじめた。中国での看護婦としての大変さがよく伝わってくる手記でした。岡山の山崎博幸弁護士(26期、同期です)に紹介され、インターネットで注文して読みました。
(1995年12月刊。1500円)
2023年11月18日
獲る、食べる、生きる
生物
(霧山昴)
著者 黒田 未来雄 、 出版 小学館
私の日曜日の夜の楽しみは、録画したNHK『ダーウィンが来た』をみることです。
日本と世界のさまざまな生き物の生態が詳しく紹介され、いつも驚嘆しています。自宅で映像をみるのは楽ちんそのものですが、映像を撮っているカメラマンとそれを支えているスタッフの苦労は想像を絶します。
この本の著者は、まさしくこの番組のディレクターをつとめていたそうです。
著者が大自然に触れる道を踏み込むようになったのは、星野道夫、有名な野生動物カメラマンです。この星野氏は、残念なことに、43歳のとき、カムチャッカでヒグマに襲われて亡くなってしまいました。
著者は26歳のとき、星野道夫も行ったアラスカの犬ぞりを体験しています。すごい行動力です。
犬ぞりを引く犬たちの健康管理で大切なことはエサよりも水。湿度が低いため犬は脱水症状になりやすい。犬の尿の色が濃くなっていないか、常に気を配っておく必要がある。
犬ぞりの犬が引くことのできる重量は自分の体重と同じ。だから、体重40キロの犬が4頭なら160キロ。犬たちは、走りながら排泄する。犬たち自身が走りたいと思わないと犬ぞりは動かない。そこで、性格の違う犬の一頭一頭に声をかけ、抱きかけ、抱きしめ、ほめてやり、チームとしての集中力を高め、走り出す。なかなか難しいんですね。
ヘラジカの鼻は珍味中の珍味。全体を覆う毛を焼いて落とし、ゆっくりと煮込む。黒く変色した皮をナイフで丁寧に取り除き、少し塩をつけて口に放り込む。濃厚な脂、コリコリとした軟骨、さらにとろけるように柔らかい肉。いろいろな味と食感が、絶妙なバランスで複雑に混ざりあう。いやあ、ホント、美味しそうですよね...。
野生動物を狙うハンターに求められる(問われる)のは、観察力と想像力、そして最後は気力。まさに人間力が根底から試される真剣勝負だ。
著者のハンターとしての先達(師匠のキース)は、狙った獲物に銃弾があたったと分かっても、「すぐには動くな」と著者をさとした。「彼は今、死を受け入れなくてはいけない。そのための時間を、彼に与えてあげなくては」と言う。
「獲物に最後の力が残されているとしたら、まだ近づいてはダメ。彼らが死を受け入れるためのひとときを決して穢(けが)してはならない。しっかりと待つんだ」
いやあ、これにはまいりました。さすがは先達です。こんな心構えで、獲物を狙うのですね。単なる楽しみとはまるで違います。
著者は北海道でヒグマを撃ちました。仔グマ2頭を連れた母ヒグマでした。そんなときは仔グマも生かさないのだそうです。「なんで僕が殺されなくてはいけないの...」と訴える仔グマの視線を感じたとのことです。いやあ、臆病な私にはとても出来ない状況です。
いま51歳の著者は東京外国語大学を卒業し、商社に入って、そのあとNHKに転職したとのこと。そしてNHKを辞め、最近では狩猟・採集生活を送っているそうです。とてもとても真似できない人生です。うらやましい限りですね。だって、人生は一度かぎりなんですから、...。やりたいことをやった者が勝ちですよね。
(2023年8月刊。1700円+税)
2023年11月19日
九州・琉球の戦国史
日本史(戦国)
(霧山昴)
著者 福島 金治 、 出版 ミネルヴァ書房
戦国時代、火薬の原料となる硫黄の産地は薩摩の硫黄島(アメリカ軍と対決した硫黄島ではない)、豊後(大分)の硫黄岳(伽藍(がらん))岳などであり、中国の明王朝などが日本の硫黄を欲した。
サツマイモとも呼ばれる唐芋が日本に定着したのは16世紀。わが家の庭にもサツマイモを植えていて、10月末に掘り上げるつもりです。
室町幕府の九州統治は、九州探題を通して守護を管轄するのが原則だった。
中世には、複数の主人をもつことが許されていた。しかし、主従関係は未来永劫(えいごう)と認識される時代に変わっていった。
天文7(1538)年に秋月で和議(合意)が成立し、大友氏は筑後・肥後、大内氏は筑前・豊前を支配することになった。
朝廷(京都)の公家にとって、九州の武士たちの交流は直接の収入源であった。そして、見返りに国人(武士)は権威やブランドを手に入れた。
大永3(1523)年に、中国の寧波(ニンポー)で、細川と大内という両氏が武力衝突したのを「寧波の乱」と呼ぶ。
イエズス会の宣教師ザビエルは、日本に来る前にアルヴァレスの報告を読んでいて、ザビエルは、日本人は識字率が高いから、教理の習得は可能と判断した。ただし、ザビエルは、2年あまり豊後に滞在したあと、インドに戻った。
島津氏は宣教師もキリスト教徒もうまく対応できなかった。
文禄・慶長の役において、日本軍が緒戦で勝利したのは、朝鮮官軍の逃亡、戦闘回避、民衆の官物略奪、日本軍の主要武器である鉄砲への不慣れがあった。
兵糧の需要増加によって、出撃基地である名護屋の米相場は京都方面より6割増しに高騰した。
朝鮮出兵のとき、日本人捕虜が数千人規模で「降倭」となり、日本軍と戦った。
戦後、日本から6000人あまりの人々が朝鮮半島へ帰還した。
戦国時代の九州・沖縄の動きを通覧・通読することができました。ここでは、特に印象的なところを紹介しています。
(2023年7月刊。3800円+税)
2023年11月20日
植物に死はあるのか
生物
(霧山昴)
著者 稲垣 栄洋 、 出版 SB新書
植物の葉っぱが当たり前に行っている光合成の反応を完全に再現することは、現代の科学技術をもってしても、出来ない。これって意外ですよね。宇宙にロケットを飛ばして、はるか彼方から極小の粒々を地球にもって帰ることの出来る人間が、たかが植物の葉っぱにかなわないとは...。信じられません。
この光合成によって、酸素が廃棄物として植物から排出される。そして、酸素は生命を脅かす猛毒の存在なのだ。ええっ、そ、そうは言っても、疲れをとるため酸素マスクを口にあてかっているでしょ。あれは何なのでしょうか...。
酸素は生物にとって危険な物質ではあるが、爆発的なエネルギーを生み出す力がある。
ソクラテア・エクソリザという植物は、「歩く植物」とも言われ、光の当たる方に移動する能力があり、1年間で数十センチも移動する。
植物が巨木になれるのは、細胞壁のおかげ。
ウミウシの仲間は、細胞の中に葉緑体をもっていて、それが光合成をし、そこから養分を得ている。
光合成を行う小さな単細胞生物は、シアノバクテリアと呼ばれている。このシアノバクテリアを体内に取り込んだか、取り込まなかったか、それだけが植物と動物の違い。
木から草が進化した。草のほうが、木よりも進化した形である。
生きている木のほとんどは、死んだ細胞から出来ている。木の中心部分は、実は樹木として立っているときから死んでいる。木のうちの生きている細胞は木の外側のやわらかい細胞であり、この外側の部分だけが生きている。人間の場合には、死んだ細胞が生きた細胞を包んでいる。
植物には、脳がない。脳細胞は、1000億個あまりの細胞がある。
いま、身近な田で稲穂の刈り入れが始まっています。その田の畔に咲くヒガンバナは、縄文時代に日本に渡来した。ヒガンバナは三倍体なので、種子を作ることができない。
サツマイモは根っこが太っただけで、ジャガイモは茎が太ったもの。
生命の源は、星の死によって生み出されたもの。植物も星のかけらから出来ている。ええっ、空を飛んでいる「かけら」が地上の植物に一大変身するというのですね。本当ですか...。
1週間をたどるうちに、植物という存在の出現、そしてその意義と問題点を学生からの質問にこたえる形式で明らかにしている楽しい新書です。
(2023年8月刊。990円)
2023年11月21日
引き裂かれた海
社会
(霧山昴)
著者 吉崎 健 、 出版 論創社
福岡高裁が開門を命じ、その判決は確定したのに、国がその判決を無視して、結局、開門しなくてよいという判決を別にもらって、こちらも確定したという、日本の裁判史上、初めての奇想天外な出来事が起きました。
現在、諫早湾干拓は開門されないまま、深刻な漁業被害が今も続いています。そして、国は漁業被害と干拓事業との因果関係を肯定も否定もせず、ずっとずっと不明だとして、開門しないことを前提とする協議を求めているのです。
国って、冷たい権力そのものなんだと実感させられる話なんです。
諫早湾干拓は2008年3月に完成し、4月から営農が始まった。672ヘクタールの広大な干拓農地で、現在35経営体が営農している。当初41事業体でスタートして、13事業体が撤退した。
諫早湾を閉め切った「ギロチン」は、1997年4月なので、すでに26年たっている。
ギロチンのあと、有明海では赤潮が頻発し、タイラギ漁が不振となり、養殖アサリもたびたび死滅した。「ギロチン」のとき、漁業が続けられなくなる8漁協には202億の補僓金が、その外側の4漁協には41億円が支払われた。
干拓の目的は当初は稲作のための耕地づくりだった。でも、全国的に減反政策が進むなかで、ここだけ稲作のためというのはおかしい(ありえない)ので、途中から「畑作」に変わった。つまり、もともとが「食糧増産」という目的ではないのです。
ところが、ここに2530億円もの事業費(税金)が投下されました。ともかく、大型公共事業をしたかったというホンネを元長崎県知事(高田勇)が吐露しています。全国各地ですすめられている新幹線の延伸、リニア新幹線そして地方の飛行場の新増設と同じです。ゼネコンの仕事づくりなのです。「国民の利便」は、あとから取ってつけた口実でしかありません。
そして、農水官僚の「天下り」先の確保でもあり、大手の受注企業に次々に「天下り」していきました。ひどいものです。許せません。そのとき、事業は「官製談合」が常態化しました。
福岡高裁(岩本宰裁判長)は、「抜本的解決のために話し合い解決をするよう」文書で勧誘しました。ところが、国は問答無用として、話し合いのテーブルにつきませんでした。沖縄の辺野古基地建設をめぐる国の態度とまったく同じです。ひどいものです。ひどすぎます。
国はゼネコン優遇、自分たちの「天下り先」の確保しか念頭になく、有明海がどうなろうと知ったことではないという無責任な態度に終始しているのです。こんな国のあり方は是正されるべきです。司法がそれをしないとき、いったい国民はどうしたらよいのでしょうか...。
(2023年9月刊。1800円+税)
日曜日、朝から仏検(準1級)のペーパーテストを受けました。午後1時に終わったときは、へとへと、まさしく疲労困憊でした。この1ヶ月ほど、朝と晩、いつものNHKラジオとCDの勉強に加えて、過去に受験した問題冊子をひっぱり出して復習しました。この5年とか10年ではありません。もう30回近く受験しているので、2往復はできません。
頭をすっかりフランス語仕様に仕立てて臨んだつもりですが、いやはや難しいのです。つくづく自分は語学の才能がないと悲観してしまいました。単語は覚えられないし、仏作文もつまづきばかりです。自己採点したら71点でした。120点満点で6割が合格ラインですから、今年は危いです。さて、どうなりますか...。
帰宅して、庭いじりで気分転換を図りました。チューリップの球根を60個ほど植えつけたのです。
2023年11月22日
男たちの部屋
韓国
(霧山昴)
著者 ファン・ユナ 、 出版 平凡社
韓国の「遊興店」とホモソーシャルな欲望。こんなサブタイトルのついた本です。状況を告発し、鋭い問題提起がなされています。
韓国の男性たちは、カラオケ、団らん酒店、遊興酒店といった遊興店のどこへでも女性のキャストを呼び出すことができる。女性が男性を楽しませるべきという論理が、社会文化的に当然視されている。
女性をタダで入店できるという誘い文句で引き寄せ、ウェイターは女性がナイトクラブに入店するやカバンを奪い、女性客が帰りたくてもクラブから出られないようにする。タダ酒を飲めるという口実で、女性はウェイターの手に引かれ、そのウェイターが管理する男たちの部屋を転々としなくてはならない。
遊興酒店は、多くの女性従事者を抱え、女性を「チョイス」する権利を男性客に支える。女性従事者は男性客に「チョイス」されることで収入を得ることができるため、男たちの部屋で発生する暴力やセクハラやわいせつ行為に耐えることは、女性たちが収入を得る「機会」のための必須条件となる。
営業日の夜10時、「組版会議」が開かれる。どの客をどのテーブルに配置するが、MDたちが集まって議論する。大金(高額)を提示した客ほど良いポジションに座れる。テーブル競争に勝つため、客は数百万ウォン、数千万ウォンを超える酒を注文する。
何も知らない女の子が、江南のそんなクラブに入ったことで、人生を棒に振ってしまった子が少なくない。これは要注意ですよね。
MDは、自分が周旋したVIP席のテーブルチャージの10~20%を手数料として受けとる。そして、店の経営者とバックにいる投資者が罪に問われることはない。すべてはMDと客たちの責任になる。
男性の呼び出しに応じて女性が男性を接待する遊興店は全国に4万2千店以上あり、女性従事者は14万人ほどいる。
遊興店の「接待」は「一次」であり、「二次」つまり性売買につながっている。
日本では、一次と二次が必然という店は、少なくとも公然と存在することはあまりないように思うのですが...。
遊興店に来る男性客は、自身の力を誇示し、気分を良くする。
男たちは、女性が自分より惨(みじ)めな状況にあることを知って優越感を覚える。
男は、上下関係をはっきりさせたがる。
オレは金を稼いでいて、頭もいい。お前は顔は良くても家は買えないし、学歴もない、といった...。
女性たちは、実年齢にかかわらず店では常に「アガシ」と呼ばれる。アガシとは保護されるべき未熟な存在。
警察は遊興店の擁護者となっていて、両者は、まさしく癒着している。
男性は、職場で、上司のご機嫌とりに奔走し、疲弊し、たまったストレスを発散すべく女性(アガシ)のいる遊興店でつかの間の「目上になる」経験をし、こんな上下関係を相互に贈りあって、男性連帯を結ぶ。
これって、日本のサラリーマン社会と共通しているのでしょうか...。なんだか違う気がしていますが、よく分かりません。
日本の現況のレポートをよく読んだことがないので、対岸の話なのか、此岸でもあるのか、一部にとまどいを感じながら読みすすめました。ぜひ、日本のことも誰か教えてください。
(2023年6月刊。2600円+税)
2023年11月23日
ジュリーがいた。沢田研二、56年の光芒
人間
(霧山昴)
著者 島﨑 今日子 、 出版 文芸春秋
ジュリーと言えば、私と同世代、団塊世代のヒーローの一人です。
大学生のころ、ザ・タイガースは全盛期だったのでしょうか。家庭教師に出かける先の戸越銀座を歩いていると、どのテレビもグループサウンズを放映していました。まさしく熱狂的雰囲気でした。その中心にいた人間こそジュリーです。
何十というグループサウンズのソロ歌手の中で、沢田研二の魅力は群を抜いていた。華やかさだけでなく、艶(つや)やかさもあり、危険をはらんだ毒性もあった。少女たちは花を見、はるか年長のプロの男たちは、毒を感じて評価していた。
まさしく、そのとおり、ピックリ実感にあうコトバ(評言)です。
沢田研二は、京都の岡崎中学時代には野球部のキャプテンにしてファーストを守った。その夢は立教大学に進学してプロ野球の選手になることだった。
ジュリーって、歌がうまいだけでなく、スポーツ選手でもあったのですね。私なんか、そのどちらもなくて、艶やかさのない、しがない弁護士生活を陽の当たらない田舎で50年おくっています。
音痴の私は、歌がうまい人がうらやましくて仕方ありませんでした。耳の音感はないし、ノドの音域が極端に狭いことを自覚していました。なので、カラオケは私の天敵のようなものです。他人(とくに素人)のうまい歌を聞くと、それだけで頭が痛くなってしまいます。
タイガースが解散したのは1971(昭和46)年1月24日。このころ私は寮の一室にたて籠って司法試験に向かって猛勉強中でしたから、世の中の動きはまったく頭に入っていません。
沢田研二(ジュリー)がNHKの紅白歌合戦に初出場したのは1972(昭和47)年12月。あさま山荘事件が起きて連合赤軍の集団虐殺事件が発覚したあとのころです。
沢田研二(ジュリー)は完璧主義者で、コンサートひとつとっても、全身全霊でやっていた。地方でも、ステージがいつだって真剣勝負だった。
沢田研二の生活態度は、普通の人以上に普通というか、まじめそのものだった。
沢田研二は、自分の仕事を確実に成しとげるというプロ意識の持ち主で、本当に真面目で、謙虚な人間だ。いやはや、これこそベタほめの典型ですよね...。
沢田研二は、料理をつくり、子ぼんのうで子育てにも関わった。
沢田研二にとって、レコードが売れるということは、スターであるため、芸能界で生きていくための生命線だった。
18歳のときから日本一の人気者だった沢田研二は、大衆の喝采(かっさい)という頼りにならない不安定なブランコに乗ってしまった。沢田研二にとって、不安を解消する方法はたったひとつ。一生懸命に歌い、パフォーマンスし、どんな仕事も手を抜かず、走り続けること。
沢田研二は伊藤エミと離婚したとき、18億円相当の資産すべてを譲渡し、ゼロから再出発した。いやはや、すごいものですね、なんと財産分与金が18億円とは...。
マリリン・モンローは36歳、エルヴィス・プレスリーは42歳、マイケル・ジャクソンは50歳、石原裕次郎と美空ひばりは52歳で亡くなった。ところが、わが沢田研二は還暦(60歳)をすぎてなお、日本国憲法9条讃歌の「我が窮状」をバックに千人のコーラスを従えて歌っている。
いやあ、涙があふれ出てきます。わがジュリーは健在です。不屈です。さすが同時代のプリンスだけあります。
(2023年7月刊。1800円+税)
2023年11月24日
ある紅衛兵の告白(下)
中国
(霧山昴)
著者 梁 暁声 、 出版 情報センター出版局
私と同世代の中国人は、かの文化大革命の大嵐のなかで、もまれにもまれ、命を落とし、迫害のなかで発狂し、家族をバラバラにされてしまいました。
学校も工場も、まともに機能しなくなったため、学術・文化が停滞し、大量の文盲が生まれました。そして、工場だけでなく農業も生産活動がほとんどストップし、行政機能が崩壊したため、大量の餓死者を出してしまいました。
それでも、私と同世代の青少年は、はじめは気楽なものでした。学校の授業がなくなり、教師が打倒され、権威というものは毛沢東のほかには何もなく、無料で北京まで行って、憧れの毛沢東を一目見ることができたのです。
権威がなくなると、たちまち群雄割拠です。紅衛兵にも、いくつものグループが生まれ、「我こそは正統派、毛沢東公認だ」と、それぞれ主張して収拾がつきません。すると、いったい、人々はどんな生活を過ごすことになるのか...、実に惨たんたる有り様が、次から次に展開していきます。
親を反動派と告発する、ごく親しかったはずの近所の人を「黒五類」と関わりあいがあると密告する...。人間関係がギシギシして、ちょっとした言葉づかいの間違いが命とりになってしまうのです。
さらに、紅衛兵のグループ同士の抗争が始まります。すると、そこには、権威ある上部機関なるものが存在しないのですから、あとは物理的な力が決めることになります。
毛沢東は軍隊だけは文化大革命の外に置きたかったようです(軍隊は自分が動かすだけだと毛沢東は考えていたのです)。そうもいきません。軍隊を巻き込んだ紅衛兵の集団同士の衝突は武力抗争そのもの。戦車や装甲車が出動し、小銃だけでなく、機関銃も登場し、まさしく内戦状態に陥ってしまいます。
工場を、どちらの紅衛兵集団がとるのか、どちらが毛沢東に認めてもらえるのか...、緊迫した状況が続くなか、ついに毛沢東は一方を支持すると通知したのです。それに反した集団は当然ながら反革命集団として迫害されることになります。それも、言論だけではなく、銃撃戦があり、肉体的な抹殺をともなうのでした。
主人公の父は大騒動のなかで所在不明が続いています。主人公の若き男性(14歳から16歳)は、一方の紅衛兵集団に足を踏み入れ、危うく、銃撃戦のなかに巻き込まれ一命を落としてしまうところでした。なんとか助かったものの、母親は発狂したか、発狂寸前のありさま。
いやはや、中国の文化大革命のときの地方(ハルピン)における実情が手にとるように理解できました(と思いました)。
(1991年1月刊。1500円)
2023年11月25日
脳の中の過程
人間
(霧山昴)
著者 養老 孟司 、 出版 講談社学術文庫
高名な脳科学者のエッセイ集です。著者は、読むものがないと死にそうになると言います。私とまったく同じです。
本は年中、読む。乗る電車が1時間かかるとすれば、本がないと電車に乗れない。外の景色を見てもはじまらない。
私は1時間も電車に乗るときには往復で新書3冊を読みたいと思っています。もちろん、完遂できないことが多々あります。でも、本を途中で読み終わってしまい、次に読むべき本がないというのが耐えられないのです。なので、カバンにはいつも4冊入れて行動します。
著者は図書館が苦手で、他人から本を借りるのも好まないとしています。私も同じです。私の場合は、本を読んだら、これはと思うところには赤エンピツでアンダーライン(傍線)を引きます。そのため、ポケットに赤エンピツは欠かせません。借りた本だと、この赤いアンダーラインが引けないので困るのです。
進化は、子が親に似ないことから生じる。親と子とがいつもまったく同じなら、進化が起きるはずがない。進化は常に遺伝の例外。みんなと同じではなくて、ちょっと変わったもの、変わったことを言う奴、そんな人やモノがいるからこそ、世の中は進歩していくのですよね。うれしい指摘です。
ふつう、人は10歳になると神童になる。これって、もしかして将棋の藤井8段のことかしらん...。いえいえ、著者は10歳で変人になったとのことですから、全然、別の話でした。
著者は幼いころから虫好きで、そのころ甲虫を集めると決めたそうです。たくさんの虫採り機を持っている人のようです。
男は頭髪がなくなるが禿(は)げない。ここは、男女でも肉体的な違いがある。
タコには記憶がある。タコは思ったより利口な動物だ。
「神経」というコトバは江戸時代の末ころ、『解体新書』のなかで初めて使われたコトバ。「神気の経脈」に由来する。
ヒト(人間)は、年齢を重ね、大脳皮質が薄くなったらボケる。皮質の厚さと、ボケの間には、関連性がある。
さすがに脳科学者の話はいつ読んでも、何回読んでも、面白く、刺激的です。
(2023年8月刊。1100円+税)
2023年11月26日
未完の天才、南方熊楠
人間
(霧山昴)
著者 志村 真幸 、 出版 講談社現代新書
南方熊楠は、知る人ぞ知る、国際的にも有名な天才です。まず、この人の名前は何と読むのか、私はしばらく分かりませんでした。まさか、「なんぽう」ではないだろうから、「みなみかた」だと思っていました。本当は「みなかた」です。では、下の名前は何と読むのか...。正解は「くまぐす」です。
画期的な天才と言われる割にあまり知られていないのは、生前に3冊しか著書を刊行していないからです。といっても、南方について書かれた本はかなりあり、私もいくつかは読んでいます。熊楠は、一生を通して、一度も定職についていません。これまた驚くべきことです。東大帝大の教授にもなって然るべき画期的な業績をあげているにもかかわらず、です。
熊楠が有名(高名か...)になったのは、変形菌を扱っていた同好の士である昭和天皇に面前で生物学の講義をした(1929年6月1日)ことにある。
熊楠は外国語の天才とも言われていますが、著者は、いくつかに限定しています。まずは漢文です。でも、現代中国語は話せませんでした。
英語はもちろんペラペラです。中国の孫文とも英語で話しています。フランス語、ラテン語、イタリア語そしてドイツ語については、文献を書き写すなかで覚えていったとのこと。恐るべき才能です。そして会話は、その国の酒場に行って聞き耳を立てて身につけていったというのです。いやはや信じられません。ところが、ロシア語は挑戦したけれどマスターできませんでした。語学の天才である熊楠でも出来ないコトバがあったのです。
熊楠は書物至上主義。大英博物館で洋書を書写して勉強しました。
熊楠がもっとも長期間にわたって研究を続けたのは夢だった。
熊楠はインプットに重きをおき、なおかつコンプリートには関心を持たないタイプの学者だった。
熊楠は「書くこと」と記憶を軸とした巨大な情報データベースをつくりあげており、その構築にこそ人生をかけて取り組んでいた。熊楠が仕事を完成させなかったのは、怠慢や能力不足によるものではなく、むしろ熊楠にとって研究とは終わってしまってはいけないものだった。
熊楠の魅力は、未完なところにこそある。なーるほど、ですね。
熊楠が生まれたのは幕末の1867年であり、海外(アメリカやイギリス)から帰ってきてからは、ずっと和歌山に居住して研究に没頭していた。亡くなったのは第二次大戦中の1941年のこと(74歳)。
未完の天才である南方熊楠をよく知ることのできる新書でした。
(2023年6月刊。940円+税)
2023年11月27日
「利他」の生物学
生物
(霧山昴)
著者 鈴木 正彦 ・ 末光 隆志 、 出版 中公新書
人間にとって腸内細菌の多様性を保持したほうが病気になりにくい。そこで、腸内バランスの改善のため、健康な人の糞便を移植するという治療法が注目されているそうです。健康な人の糞便を溶かして大腸に直接挿入したり、カプセルに入れて口から摂取したりします。
腸内細菌とヒトの免疫系はお互いに協力しあって、外部からの菌の侵入を防いでいる。腸内細菌は、直接、病原菌を駆除することもしている。
腸内細菌は、脳と密接に関わっていて、感情面にも影響している。そもそも脳は腸の先端部分が進化した器官とも言われている。腸には、腸管を取り巻く腸管神経系があり、腸管神経系は5000万個の神経細胞から成り立っている。腸管神経系は迷走神経系と密接につながっていて、迷走神経系は脳にもつながっている。
精神を安定化するホルモンとして知られるセロトニンは腸管でつくられる。これには、腸内細菌のビフィズス菌が関わっている。ビフィズス菌はセロトニンを自らつくり出す。このセロトニンは、迷走神経の発達を促して、脳を育てている。
植物の9割は、何らかの菌根菌と共存している。どの菌根菌も、植物と共生しないと生きていけない絶対共生性の菌類。外生菌根菌としては、あの有名な松茸、フランス料理に使われるトリュフ、イタリア料理のボルチーニなどが有名。これらが高価なのは、生きた植物にしか共生できないというのが、大きな理由。
原始地球の環境は、高温かつ酸素が少なかった。今でも、この原始地球環境に似た場所がある。深海にある熱水噴出孔周辺。栄養分の乏しい熱水噴出孔周辺には、ジャンルの生物量に匹敵するほどのものがある。なぜか...。口も消化管も肛門も持たないチューブワームは、口がなくてもエラから硫化水素や酸素を吸収できる。
花と昆虫は、お互いに利他的で、仲が良さそう。でも、実は決して安穏な関係ではない。なぜなら、両者の目的が異なるから。花は甘い蜜や栄養豊富な花粉を用意して昆虫の訪花を待つ。その目的は、あくまで花粉を運んでもらうため。
昆虫にとっては、花粉の運搬なんて、どうでもよいこと。花の蜜や花粉さえもらえればよいことなのだ...。
花と昆虫、そして人間の身体までを広く統一してとらえることのできる本(新書)です。
(2023年7月刊。880円+税)
2023年11月28日
関東大震災と民衆犯罪
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 佐藤 冬樹 、 出版 筑摩選書
関東大震災のあと、官製のデマ(内務省つまり国が意図的に嘘と分かってデマを大々的に流しました)に踊らされた日本人民衆が無差別に朝鮮人など(中国人もいて、日本人の社会主義者なども含まれます)を大虐殺していった大惨事の内情を明らかにした本です。
官製デマを発信した国の責任、そして、それを無批判に受け入れてタレ流したマスコミの責任を鋭く告発していますが、同時に、それに乗って狂気の無差別大量殺人を敢行した日本人民衆の責任も追及している本でもあります。
この大虐殺事件について、殺人罪などで640人の日本人が起訴され、ほとんどが有罪となった。その被害者は「400人」以上。しかし、司法当局は大量殺人事件なのに、その捜査に熱心ではなかったし、犯人全員を検挙したわけでもない。民衆を刺激したくなかったからだ。
数百いや数千人の日本人民衆が警察署に押しかけ(30件)、そのうち11件では警察署内に乱入してまで留置場内に保護されていた朝鮮人を虐殺(竹槍や日本刀でなぶり殺し)した。
朝鮮人虐殺を生み出したのは、警察だと名乗る自動車が「朝鮮人200名が押しかけてきて町を焼き払おうとしているから、それに備え、警戒しろ」と呼びかけたことにある。
警察(正力松太郎)は、そんな事実はないことを確かめたうえで、このデマを「あっちこっちで触れてくれ」と新聞記者に頼んでまわった。デマと虐殺の拡散において、警察と新聞各社は共犯関係にある。恐怖と不安に取りつかれた民衆は男も女も凶暴そのものと化した。
警察がデマを承知で広めたのは、このころ朝鮮独立運動が活発になって、日本が朝鮮を植民地としての支配を続けられるのか心配していたから。
朝鮮人虐殺を敢行した日本人民衆は、「善良な国民(日本人)」だった。その職業は多種多校であって、下層民衆ではなかった。中間層か、それ以上の階層の人々も少なくなかった。
民衆による朝鮮人大虐殺が進行するなか、9月6日、治安当局は、ようやく朝鮮人の殺害を犯罪だと明言した。
そして、あとでは、民衆による虐殺はあったし、それは逮捕・起訴して、刑事上の責任は裁判と対象となった(ほとんどが有罪となったものの、早々に刑務所から釈放された)。
関東周辺で結成された自警団は、3700団、平均人数65人だったので、少なくとも70万人の武装民兵が組織された。自警団の中核は消防団員だった。関東の自警団員の6割以上は、消防団員だった。自警団は、人事前でも経営面でも公営団体だ。
自警団による朝鮮人虐殺(犯罪)の4つの特徴...。
その1は、徹底した攻撃性。武器を何一つ持たず、無抵抗の人々を殺し続けた。
その2は、性別も年齢も問わず、朝鮮人すべてを襲撃した無差別性。乳幼児や妊娠中の女性さえ惨殺した。
その3は、警察への反発。警察署まで襲撃した。
その4は、群衆による犯罪。
自警団にとって、朝鮮人は、震火災にともなう、あらゆる災厄の源だった。
日本人が自警団によって殺害されたのは、無差別殺人にともなう、必然だった。
警察、そして国は、朝鮮人虐殺事件の責任一切を住民と自警団に押しつけた。マスコミも、それを受け入れて大々的に報道した。
日本人被害者の7割は、工場や会社、警察、軍隊に属する人々だった。農民や漁民はまったくいない。
善良な民衆が、ある日突然、凶暴な犯罪集団と化し、そのおかした犯罪について弁解し、合理化し、隠匿し、ひいてはそんなものはなかったとまで開き直ってしまったのです。デマって、本当に恐いですよね。
(2023年8月刊。1800円+税)
晩秋の候となり、紅葉が美しく見頃です。先日、上京したとき日比谷公園のイチョウが実に見事なので、つい見とれてしまいました。
庭にフジバカマを追加して植えました。アサギマダラが来てくれることをひたすら願っています。
庭で掘り上げたサツマイモを2週間たったので、オーブンで焼いて食べました。小ぶりなのですが、ほどよい甘さのものもあり、法律事務所に持参して、所員のみなさんに持って帰ってもらうことにしました。
報道によると熊本に新しく立地する台湾の半導体メーカーに国は1兆円も投下するそうです。でも、肝心な部品の生産は台湾でするので、日本へ技術移転することはないそうです。日本の司法予算は3222億円なのです。その3倍も民間企業にくれてやるとは...。地下水汚染も心配です。
2023年11月29日
太陽の子
アフリカ
(霧山昴)
著者 三浦 英之 、 出版 集英社
アフリカはコンゴの山奥に日本人の子どもが大勢いるという衝撃のルポです。
中国の残留孤児は『大地の子』でも有名になりましたし、フィリピンにもいると聞いていましたが、アフリカにまでいるとは...。
舞台はコンゴ民主国(旧ザイール)です。アフリカには、もう一つコンゴ共和国というのもあります。日本企業(日本鉱業)は1970年代にコンゴで鉱山開発をすすめていて、日本からも若い労働者を1000人ほども送り込んだのでした。
日本鉱業という会社は、日立鉱山を発祥の地としていて、JR日立駅前には資料館「日鉱記念館」がある。そこには、日本鉱業がコンゴでムソシ鉱山を開設していたときの資料も展示されている。このムソシ鉱山は1970年代に銅を採掘し、精鉱していた。
しかし、1971年の「ニクソン・ショック」によって、1ドル360円の固定相場が1ドル308円前後へと変動相場制になり、コンゴ経済も独裁者モブツ大統領による無謀な経済政策によってコンゴ経済が崩壊した。さらに、隣国アンゴラで内戦が始まり、輸送コストが高騰。
しかし、世界の合同価格が急速に下落していった。
結局、総額720億円もの巨大プロジェクトは、その投資額さえ、回収できないまま。
1983年に日本はコンゴから完全に撤退した。それまで、日本鉱業の社員など日本人が670人ほど現地に住みつき、コンゴ人など4000人ほどの従業員の住宅が整備され、人口1万人をこえるビッグタウンが突如として出現し、やがて、すべて消え去った。
この地に単身赴任で働きに来ていた日本人社員が現地で次々に結婚し、子どもが産まれたのです。
この本の真ん中に、父は日本人と主張する人たち(男も女も)の顔写真が紹介されています。ユキもケイコもユーコも、まごうことなく日本人の顔をしています。DNA鑑定なんかするまでもありません。男性のムルンダ、ケンチャン、ヒデミツも日本人の顔そのものです。
日本鉱業の幹部だった人たちは、著者の質問に対して全否定しましたが、これらの顔写真はまさしく動かぬ証拠です。
コンゴの日本大使館は、日本人残留児の父親探しには協力できないという態度でした。日本鉱業が全否定することが影響しているのでしょう。
笹川陽平(日本財団)は、日本食レストランを現地に開設するとき、その全資金を提供したとのこと。
日本人労働者たちは単身赴任でコンゴにやってきて、ここで家庭を築いたものの、泣く泣く日本に戻ってからは、アフリカ(コンゴ)とは例外なく完全に縁を切ったようです。
父系制の強いコンゴで、父親のいない家庭で育った子どもたちの苦労がしのばれます。
ところが、著者の取材に応じ、顔写真まで撮らせた男女は、いずれも、あらゆる困難にめげず、アフリカの地で、「日本的」勤勉さを発揮して、それなりの仕事と生活を切り拓いた人も少なくないというのです。顔だけでなく、性格までもが日本的だという記述を読むと、その大変な苦労を想像して思わず涙があふれ出ました。
日本に戻った人たち(父親)を探すのは止めたほうがいいと何人からも言われ、実際にも父親が死亡したりして、父親探しは難航しています。でも、アフリカにいて、日本人の名前と顔もして、心を持つ人たちが自分の父親を知りたい、会いたいというのも自然な人情です。はてさて、いったいどうしたらよいのか、分からなくなりました。
新潮ドキュメント賞、山本美香記念国際ジャーナリスト賞を受賞したのも当然と思える労作です。ご一読ください。
(2023年9月刊。2500円+税)
2023年11月30日
平安貴族の仕事と昇進
日本史(平安)
(霧山昴)
著者 井上 幸治 、 出版 吉川弘文館
平安時代の貴族って、仕事もせずに遊び暮らすという優雅な生活を送っているというのが一般的なイメージです。でも、実は、そんなことはなく、それなりに忙しかったようです。
平安時代の京都(平安京)の人口は、12~13万人が暮らしていた(1000年ころ)。これを同じ区域、つまり、現在の上京・中京・下京の3区に住む人口27万6千人と比べ、平安京はこの3区の半分の広さなので、昔も今も変わらない(?)。
貴族のうち公卿は三位以上の人。諸大夫(しょだいゆう。しょだいぶ)は四位と五位の人。六位以下は「侍」で、その下の「無位」(むい)は庶民のこと。「侍」は武士だけを指してはいない。
公卿や諸大夫は、現実には、遊び暮らすようなイメージとはほど遠い生活を毎日送っていた。彼らは定められた年中行事を滞りなく、実施していく必要があり、それが政治そのもので、重要だと考えていた。
従三位(じゅさんみ)以上の位階(いかい)を授けられた人を公卿というが、いきなり従三位に叙(じょ)されることはなく、四位・五位・六位からスタートするのが普通。初めから高い位階を授けられる制度を「蔭位(おんい)」という。
叙爵されて五位になったものの、官途に就けない人(無官)を「散位(さんに)」と呼ぶ。
「侍」身分は正六位以下の位階を有する人々のこと。史生(ししょう)、官掌(かじょう)が代表的。無官から登用され、その後もほぼ昇進しない。身分をこえた抜擢(ばってき)は、ほぼない。
公卿の生活は、一年中、ひたすら勉強(予習)漬け、とても大変だった。経験者である父兄の存在はとても大切で、父兄を早くに失ってしまえば、公事(くじ)の習得や理解を遅らせてしまうことになる。
公卿の生活は、先人の記録をひたすら読むことにある。平安貴族たちにとって、先人貴族の書いた日記や部類記、編さん物は、貴重な財産だった。
平安朝で、人事異動を行う儀式を「除目(じもく)」と言う。この除目では「申文(もうしぶみ)」という書類が重要。申文を整理していたのが「蔵人(くろうど)」。
除目は、清少納言の『枕草子』では、女官たちにとって笑いぐさでしかなかったが、男性官人にとっては、正月の除目は非常に重要なものだった。
「源氏物語」に平安時代の政務の様子が描かれていないのは、女性は政治に関与できなかったから...。
貴族たちは、まず第一に先例を学ばなければならなかった。貴族社会では、現実に起きている事実と、記録された公式見解としての事実との間に、さまざまな「差」が存在していた。平安貴族たちは、こうした「差」を巧妙に使いこなし、自らに都合の良いストーリーをつくり出していた。
公卿・諸大夫・侍といった身分の壁は、とても厚くて頑丈であり、その差はいろいろなところであらわれる。つまり、平安時代には公卿・諸大夫・侍という身分の壁はとても厚くて頑丈であった。
平安貴族たちは、政務や年中行事の遂行を重要な仕事としていた。決してヒマではなかったのです。この本を読むと、貴族についてのイメージが変わりますよ...。
(2023年9月刊。1700円+税)