弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2023年10月18日
読み書きの日本史
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 八鍬 友広 、 出版 岩波新書
よくリテラシーというコトバが登場します。もとは、読み書き能力(識字能力)のことでしたが、近年、大幅に意味内容を拡張していて、情報の内容を批判的に取捨選択する能力にまで高められている感がある。私はなかなかなじめなくて、使いこなせないコトバです。
話しコトバを獲得するには、学校に通ったり、特別な訓練を必要としない。しかし、文字の読み書きは、生得的な能力ではなく、長年にわたる習練の結果によって初めて獲得されるもの。
そうなんです。私が毎日毎朝、フランス語を聴いて書き取りをしているのは、フランスで生活したいというよりも、フランスの文化に直に接したいという願望からなのです。
かつての日本に角筆(かくひつ)というものがあることを初めて知りました。墨などをつけるのではなく、紙の表面に先の尖った棒状のものを押しつけて、へこみをつけるもの。
一文不通は「いちもんふつう」と読む。読み書きの能力が一定の水準に達していないことを指して使われたコトバ。
「往来物(おうらいもの)」とは、手紙文例集のこと。私は江戸時代の産物とばかり思っていましたが、実は、平安時代に始まるとのこと。平安期に続々と刊行され、鎌倉・室町に続いていったのです。かの敦煌(とんこう)石窟から発見された敦煌資料のなかにも手紙文の形式・文言を記載したものが大量に発見されているというのですから、驚きます。
日本の往来物は、学校で教科書が登場して、とって代わるまで、800年以上も継続した、世界でも特異なもの。「往来」は、一種の模範文例として、手紙を書くためのテキストブック。これに対して「消息」は、実際の手紙を指す。江戸時代の「商売往来」は、最大のヒット作だった。
近世から明治初期にかけてが、往来物の最盛期だった。現在、残っているものだけで7千種類ある。しかし、実のところ、1万をこえるのだろう。
『道中往来』は、仙台の書肆(しょし。本屋)が刊行し、きわめてよく普及した旅行記という往来物だった。
百姓一揆のときの百姓側の要望書が「目安」と呼ばれ、これらが往来物の一つになった。江戸時代、寺子屋が流行した。地方では「村堂(むらどう)」としていた。
寺子屋の師匠が亡くなったとき、千葉県内に建立された「筆子碑」は3000基もあった。寺子屋のなかには「門人張(もんじんちょう)」をつくっているところもあった。
近江国神崎郡北庄村(滋賀県東近江市)にあった時習斎寺子屋には4276人もの寺子が入門したという記録が残っている。ここで、女子の入門者は2割ほどでしかなかった。
江戸時代にやってきた、ロシアのゴローヴニン(軍人)やアメリカ人のマクドナルドやイギリスの初代終日公使オールコックは、いずれも日本人の識字能力の高さに驚いている。
村の男子の1割ほどが文通できたら、村請(むらうけ)制が実施可能だった。
昔は本を読むのは音読(おんどく)、つまり声を出して読みあげるのが一般的だと思っていました。しかし、この本では黙読もフツーにおこなわれていたというのです。そうなんですか...。
世の中、知らないことは、ホント多いのですよね。
(2023年6月刊。1060円+税)