弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2023年10月17日
室町幕府論
日本史(室町)
(霧山昴)
著者 早島 大祐 、 出版 講談社学術文庫
室町時代の足利義満が天皇より上皇より権力を握っていたというのは私も知っていました。でも、この義満が高さ110メートルもある七重の塔を建立していたというのは知りませんでした。この塔は「七重七塔」とか単に「大塔」と呼ばれていました。落雷による火災にあい再建されても3度、焼失してしまったそうです。この「大塔」こそ、義満が権力を握っていたことの象徴でした。
最初の大塔が建ったのは応永6(1399)年のこと。
初期の室町幕府は軍事政権的な状況が濃厚だった。
足利義満と後円融天皇とは同じ年に生まれ、当初はとても仲が良かった。ところが、義満が実権を握っていくにつれ、後円融はむくれて、仲が悪くなり、ついには修復不可能になってしまった。
義満は遅刻が大嫌いだった。遅参した公家たちに同席(参加)を許さなかった。なぜか...。義満は禅に傾倒していたから。禅の教典(「日用軌範」)は、時間厳守を教えていた。義満はそれに感化された。それまでの「国風文化」は遅刻・欠席だった。ところが、中国伝来の禅による「外来文化」は時間厳守だった。それが今では日本の「伝統」かのように確立している。
後円融天皇は36歳の若さで亡くなり、長老たちも次々に亡くなって、義満は誰に遠慮することなく、自分の思うとおりに行動できた。
義満が自分が天皇になろうとしていたという刺激的な説は、今では完全に否定されている。そして、義満は明に対しては「日本国王」と称したが、対国内では「日本国王」と自称することはなかった。
義満は中国の明との交易についてはすこぶる積極的だった。というのも、それは巨利をもたらしたから。
義満がつくった「金閣」は、上層が禅宗様で、下層は寝殿造(朝廷文化)だった。そして、建物を「金」でコーティングした。義満が居を移した北山第(ほくざんてい)は、政務をとる場であり、巨大な宗教空間でもあった。
義満の人柄は、大胆さと繊細さを兼ね備えていた。
室町時代の貨幣は重たかった。1貫文は銅銭で4キログラムにもなる。これで10万円ほど。こんな重たいものを旅行するとき持ち運ぶのは、いかにも不便。そこで登場したのが割符(さいふ)。これは為替や替銭(かえぜに)とも呼ばれた。年貢の輸送は割符とともに進んだ。
この本を読んで初めて知ったのが「応永(おうえい)の外寇(がいこう)」(1419年6月)です。倭寇(わこう)が朝鮮半島に上陸し、あちこちで襲撃を繰り返したのに対して、朝鮮王朝が反撃したのです。1万7千人もの兵士が対馬に上陸したというのでした。韓国では「己亥(きがい)東征」と呼ばれているとのこと。まったく知りませんでした。
室町時代というのが面白い、変革の時代だというのが、よくよく分かる本です。
(2023年5月刊。1210円+税)