弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2023年9月 6日
ゾルゲ伝
ロシア
(霧山昴)
著者 オーウェン・マシューズ 、 出版 みすず書房
戦前の日本の政府中枢にがっちり食い込んでいたソ連赤軍スパイ組織のリーダー、リヒアルト・ゾルゲについての本格的な伝記です。本文だけで460頁もあります。お盆休みに朝から夕方まで、一心不乱に読みふけりました。後半はかなり飛ばし読みして、なんとか読了ということにしたのです。
この本の冒頭、グローザ(雷雨)作戦という、聞いたことのないコトバが登場します。1940年9月以降、スターリンはドイツ侵攻のための有事の計画を立てていたのだそうです。
そのころ、スターリンのソ連はヒトラーのドイツに対して、その戦争準備のための膨大なトウモロコシ、石油、鉄鋼を供給していたのですが、同時にドイツ侵攻も計画していたというのです。知りませんでした。
リヒアルト・ゾルゲが大変な苦労してソ連本国に情報を届けたのに、スターリンはこう言って、まったく耳を貸しませんでした。それはドイツがソ連に侵攻しようと準備をすすめているという重大な情報です。1941年5月20日のゾルゲの報告に対して...。
「小さな工場と売春宿で情報を仕入れるクソ」
自分だけが真実を知っていて、周りは自分を欺いていると信じ込んでいる指導者(スターリン)の非合理的でヒステリックな疑念からくるもの。そして、ソ連諜報機関の長(ゴリコフ)は、ソ連国境での軍備増強は、イギリスの欺情報だというスターリンの確信をさらに強めるばかりだったのです。ですから、ゾルゲの貴重な報告は無視されていました。要するに、スターリンはヒトラーから完全に騙されてしまったのです。
フィリップ・ゴリコフ将軍が赤軍情報本部長に就任したとき、前任者5人は全員が銃殺刑に処せられていた。NKVD組織(KGBの前身)は、情報部員200人以上を逮捕し、部長を含む全指導部を交代させた。 スターリンの大粛正は、党を崩壊させ、情報部第4部の組織のほとんどを壊滅させた。ソ連邦元帥5人のうち3人、赤軍の将軍の90%、大佐の80%、それ以下のランクの将校3万人が逮捕された。
ところが、バルバロッサ作戦が発動され、たちまちソ連領内にヒトラー・ナチス軍が侵入してきて、ソビエト軍の前線は戦わずして総退却していきました。スターリンの犯した重大な間違いによって、緒戦でソ連は大量の戦死傷者と捕虜を出してしまいました。スターリンは、これで自分の首も危ないと一時は思ったようですが、すぐに開き直りました。
そして、事態がさらに進行していくと、ゾルゲの報告はスターリンのソ連軍に重大な変化をもたらしたのです。
ソ連へのナチス・ドイツ軍の侵攻によって大変な痛手を受けたあと、ゾルゲの報告に信憑性ありとなり、日本が北進策を完全に中止したことが伝わると、ソ連赤軍は極東軍区から大量の部隊が西部戦線に移動して、ドイツ軍と戦うようになった。
スターリンはシベリアに置いていたソ連赤軍の半分以上をモスクワ防衛に振り向けた。つまり、ゾルゲの報告によって、極東にあったソ連赤軍をドイツ軍との戦いに投入することによってヒトラー・ナチス軍を敗退させることができたのです。
ゾルゲは共産党員でありながら、それを秘してナチ党への入党を申請して認められた。そして、在日ドイツ大使館において大使だったオットーとゾルゲは親密な関係を築きあげた。ゾルゲの報告はソ連だけでなくドイツにも送られていて、高く評価されていたようです。ドイツのリッペントロップ外務大臣のゾルゲあての感謝の手紙が残っているとのこと。驚きました。
オットー大使は、ゾルゲが逮捕されたあと面会に来たときもまだゾルゲをスパイだとは思っていなかった。
ゾルゲが逮捕されたのは1941年10月のこと。日本にゾルゲが上海からやってきたのは1933年9月なので、8年あまりもスパイ活動をしていたことになります。二・二六事件や西安事件など、激動の時代を過ごしていたわけです。そして、ゾルゲが処刑されたのは、1944年11月6日、ソ連の十月革命記念日だった。
ゾルゲは、日本がソ連に戦争を仕掛けるのかどうかトップレベルの情報を仕入れて、ソ連に報告していたのです。それは、日本は石油確保のためにも南方へ進出するしかないというものでした。そして、極東ソ連赤軍をナチス・ドイツとの西部戦線に移動させ、ヒトラー・ナチスを敗退させ、結局は戦争終結を早めることができたわけですので、ゾルゲも尾崎秀実も世界平和の実現に多大なる貢献をしたとみることができると私は思います。
それにしても、8年間ものスパイ生活を送っていたときの精神状態は大変なものがあったと考えられます。アルコールに溺れ、スピード狂で何度も大事故を起こし、また、たくさんの女性遍歴をしているなど、ゾルゲの人間性の描写にも興味深いものがあります。
(2023年5月刊。5700円+税)