弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2023年7月 1日
カワセミの暮らし
生物
(霧山昴)
著者 笠原 里恵 、 出版 緑書房
わが家から歩いて5分ほどの小川にカワセミを見かけたときには、感激しました。この小川の上流は「ホタルの星」になっていて、6月前後にたくさんのホタルがフワフワと飛びかい、童心に帰らせてくれます。
カワセミは、その青色の美しさが人の目を強く惹きつけます。
カワセミの羽毛の内部には網目状の泡のような部分がある。これは「スポンジ層」と呼ばれる構造体。ランダムな網目状の構造。これが周期的なパターン構造。
カワセミの形をしているのは、新幹線の500系新幹線。
カワセミの巣は、川の水辺近くの露出した土の崖に奥行のある横穴を掘って巣をつくる。カワセミの巣は崖の途中にあいた穴から、地上に向かって上向きに傾斜している。
巣を堀りすすめるのは、オスの役割。産卵は1日1個ずつで、1回に6~7個の卵を産む。夜間の抱卵は、メスが担当する。アオダイショウなどのヘビが天敵。アオサギも、幼いカワセミを準っている。
巣の中のヒナたちは、食物を親から受けとると、うしろ(奥)にひっこみ、ほかのヒナが受けとれるように交代する。
日本にはカワセミの仲間は8種。スズメよりひとまわりほど大きい。
宝石のように輝くカワセミの暮らしの一端をのぞいてみました。
(2023年4月刊。2200円)
2023年7月 2日
エキセントリック・ジャーニー
社会
(霧山昴)
著者 やく みつる 、 出版 帝国書院
週末の博多駅の混雑ぶりはコロナ禍前と同じか、それ以上です。
外国人旅行客も増えましたが、ともかく多いのは、日本人旅行客です。新聞広告も旅行会社による旅行プランが国内国外、すごいものです。
私もコロナ禍で自粛していましたので、全国へ旅したいと思いますが、なかなかチャンスがありません。残念です。
マンガも文章も書ける著者は海外にも旺盛に出かけています。100ヶ国も行ったとのこと。それも辺境旅行を企画する旅行会社のプランに乗っているようです。さすがに石橋を叩いて渡る私には出来ない旅行です。なので、こんな他人の旅行体験記を読むのが大好きなのです。これだったら、読み手の私はチョー安全で、退屈してしまったら寝てしまえばよいからです。
著者は、旅行した先々でちょっとした物を買い集めているとのことです。私も似たところがあります。大きなものではなく、ほんのちょっとした小物です。これだと、かさばる荷物にならないし、隅にいくらも押し込んで日本のわが家で心ゆくまで眺めることができます。
著者が海外旅行に初めて出かけたのは30歳のとき。私も同じころだったでしょう。一度行ったら病みつきになり、年に1度は海外旅行しようと決意しました。フランス語の勉強を真剣に始めたのも、その動機からです。おかげで、フランスだけは、今や列車もレストランも、電話での予約も心配無用です。
アフリカも南アメリカも、よくこんなところへ行ったもんだと思うところにまで著者は足を運んでいて、驚嘆するばかりです。そして、小物を買い写真をとり、またマンガの描ける著者は風景をスケッチしています。たいしたものです。私は国内それも北海道や信州に行きたいです。
(2023年4月刊。1980円)
2023年7月 3日
つげ義春、流れ雲旅
社会
(霧山昴)
著者 つげ義春 ・ 大崎紀夫 ・ 北井一夫 、 出版 朝日新聞出版
つげ義春といったら、大学生のころ寮で誰かが買った月刊マンガ雑誌『ガロ』で読んでいました。「ねじ式」など、独特の画風ですが、とても味わい深い雰囲気があり、魅きつけるマンガでした。
団塊の世代の私よりひとまわり上の世代ですが、昨年、漫画家では初めて日本芸術院の会員になったことでも注目されました。日本のマンガを高く評価している私はいいことだと考えています。たかがマンガというべきではありません。もちろん、マンガがすべてだとも思いませんが、マンガもひとつの芸術分野だし、ときには入門の手がかりになると思うのです。たとえば、先日、小学4年生の孫の誕生日記念に「日本の歴史」のマンガ版をプレゼントしましたが、これなんか私だって読みたいものなんです。
そして旅です。コロナ禍の3年間で、旅行が制限されましたが、今やその反動のように旅行が大人気です。でも、あのゴートゥー・トラベルそして今の「全国旅行支援」はまったく税金の使い方の間違いです。なんと3兆円もの税金を使った(っている)のでしょう。教育や福祉分野にこそ3兆円はまわすべきです。
それはともかくとして、著者たち3人組は東北、四国そして大分・国東(くにさき)半島を旅してまわります。写真を見ながら、いやあ、今どきこんな状況はないはずだけど、いったいいつの旅なのか不思議だと思っていました。最後の頁で疑問が氷解しました。なんと1970年前後の旅なのです。今からもう50年も前の日本各地を旅したときのものなんです。でも、この本が発行されたのは今年(2023年)1月なんです。1967年に上京して大学生になりましたから、1970年というと、まだ私は大学生です。アルバイトと大学紛争に明け暮れていました。司法試験の論文式試験を終えて、息抜きに出かけた東北の一人旅では、田沢湖のほうから後生掛(ごしょがけ)温泉、そして蒸(ふけ)の湯にも泊まりました。
東北の温泉場には、農閑期に農家の人たちが自炊しながら長期滞在する習慣があることもそのときに知りました。
さすがに、いかにもつげ義春らしいタッチのカットと当時の写真に心がなごみます。ところが、巻末の座談会を読むと、衝撃的な事実が判明します。
なんと、つげ義春は、旅行のマンガを描いていても、ほとんど自分の部屋で寝っころがって、考え出して作るもの。実在の地名を使うから、いかにも旅行しているように見えるけれど、実際は頭の中で作っているだけ。旅をしながら、考えても逆に物語にならないとまで言い切っています。作品を描きたくて、わざわざ地方を訪ねて、生活を観察したいという気持ちには全然ならないとのこと。
松本清張は、詳細な地図をじっと眺めて町並みを想像して、行ったこともない土地の雰囲気を文字で再現するのが常だったという話を読んだことがあります。同じことなのでしょうか...。古い時代の旅行見聞記として、なつかしく面白く読みました。
(2023年4月刊。2600円+税)
2023年7月 4日
統一教会
社会
(霧山昴)
著者 桜井 義秀 、 出版 中公新書
統一協会(本書では教団の自称であり、世界や学術書で定着した名称として「統一教会」としていますが、「統一神霊協会」の名称で宗教法人として認証されているのですから、私はあくまで統一協会と表記します)の組織の実体にも踏み込んでいる新書です。
統一協会において、日本は単なる「資本提供者」であり、組織の指導部に日本人はほとんどいない。
「統一教」(韓国での呼称。韓国では、一般に財閥のような事業体と目されている。韓国人から大金を巻き上げるようなことはしていない)を多額の資金で支えてきた日本の統一協会組織は、文鮮明ファミリーや韓国の幹部たちから完全に蚊帳(カヤ)の外に置かれ、資金提供者としてのみ、有効に活用されている。
日本の統一協会は、2016年までは16ブロック制であり、ブロック長16人のうち、韓国人は6人。2017年に11ブロックに減らされ、そのうち韓国人は6人のまま。2018年には5ブロックとなったが韓国人が3人で、韓国人の比重は高まっている。そして、日本総会長は、韓国人。
韓国本部の最高委員会13人のうち、日本人は1人だけ。このような推移は日本の統一協会の資金収集能力の減衰と韓国人支配の持続・強化を示している。
文鮮明と韓鶴子とのあいだに子どもが14人いて、長男は薬物中毒・心臓発作で45歳のとき死亡、次男は自動車事故死(17歳)、六男は飛び降り自殺(21歳)。長女と四女は統一協会と距離を置いている。表に出てくるのは、三男・文顕進、四男・文國進、七男・文亨進だけ。
文鮮明が2012年9月3日に92歳で死亡したときの葬儀は七男が主宰し、三男は出席を拒まれた。三男のグループは文鮮明の存命中から両親とは距離を置いていて、統一協会の海外企業をおさえている。
統一協会の教義の根本に、「血分け」がある。文鮮明が女性の信徒と性交し、その女性信徒が男性の信徒と性交することによって教義を広めていくもの。
日本の統一協会の幹部たちは認めないが、韓国では広く知られていることに「六人のマリア」がある。要するに文鮮明と性交した女性信者たちです。血分け(性交)によって女性は神性を得る、そして文鮮明が「再臨のメシア」だと確信するというもの。彼女たちは、資産と自身の半生を文鮮明と教団に捧げた。もちろん、「六マリア」は、6人の婦人信者にとどまらない。
文鮮明が17歳の看護学生の韓鶴子と結婚したとき、120人以上の女性たちが韓鶴子に嫉妬し、毒でも盛りかねない状況になったので、韓鶴子は別宅に住まわされた。いやはや、とんだ「宗教」であり、「教祖」です。
文鮮明がメシアであることの証(あか)しは何より血分け(性交)という実践そのものにあった。だから、集団結婚式のあとの初夜では性交の体位まで統一協会は介入し、指定するというこだわりをみせるのです。
統一協会の伝道方法は非常にシステム化されているため、各協会員が自分で伝道した人を最後まで育成することはない。
街頭での物売り、戸別訪問の別売りといういかにも非効率的な勧誘は、いわばショック療法だ。これによって、それまでのプライドや人間関係を切り捨てさせ、ルビコン河を渡ってしまったと覚悟させる。また、苦難を共有することで、協会員を文鮮明に結びつける。そして、この苦難に耐えられないような「お荷物」は早々に切り捨てる。統一協会は、生活保護家庭や100万円未満の預金しかもたない「貧しい」人は相手にしないのです。
国際合同結婚によって韓国に渡った日本人女性信者は7000人。結婚相手となった韓国人男性は必ずしも統一協会の信者ではない。結婚難の農村男性が多い。日本人女性にとっては下降婚。ひどい仕打ちを受け、奴隷のような待遇。まるで人身売買同然。でも彼女らは、親も何もかも捨てて韓国までやってきたのだから我慢するしかない。
日本人は韓国人に仕えるのが努め...。過去の日本が植民地支配したことの恩讐に報いるため、日本人女性の心も体も韓国人男性に捧げるという論理が堂々と展開されている。
いやはや、なんということでしょう。これこそまさしく典型的な「反日」の論理です。その「反日」が日本の自民党の中枢とがっちり根深くまじわっているという世の中の皮肉さに、呆れるというより、心の底から怒りを覚えます。
日本の統一協会の専従職員が数千人もいることの異常さが指摘されています。800万人の信者を擁する創価学会の職員が4千人ほどなのに対して、数万人規模の統一協会の職員は異常に多いということです。
また、統一協会の宗教法人としての認証が解消されても、統一協会はすぐには消滅しないだろうと著者は予測しています。たしかに、オウム真理教も、依然として全国30ヶ所以上の施設を有し、1650人の信者がいるという信じられない状況を踏まえると、そうなんだろうと思います。
そして、二世信者の問題もあります。統一協会問題について、改めて、その根の深さを思い知らされる本でした。
(2023年3月刊。960円+税)
2023年7月 5日
沈黙の勇者たち
ヨーロッパ
(霧山昴)
著者 岡 典子 、 出版 新潮選書
ヒトラー・ナチス支配下のドイツで1万2千人ほどのユダヤ人が地下に潜伏し、その半数近い5千人が生きて終戦を迎えた。これは驚異的な生存率ですよね。
ユダヤ人の潜伏に手を貸したドイツ市民は少なくとも2万人をこえると推測されている。彼らは、隠れ場所を提供し、食べ物や衣服を与え、身分証明書を偽造し、あらゆる非合法手段によって、ユダヤ人を匿(かくま)った。
それはどんな人々だったかというと、その多くがごく平凡な「普通の人々」だった。職業もさまざま、年齢は老人も子どももいた。強固な思想の持主ばかりではなかった。圧倒的多数のドイツ国民がユダヤ人迫害に加担し、あるいは「見て見ぬふり」に終始するなかで、彼らは自分や家族を危険にさらしてまでユダヤ人に手を差し伸べた。
1933年の時点で、ドイツ国内にいたユダヤ人はわずか52万5千人。ところが、ユダヤ人は、政財界、学問、文化、芸術などの分野で中心的な役割を担っていた。医師にも弁護士にもユダヤ人は多かった。これは現代アメリカでも言えることのようです。ユダヤ人は子弟の教育にことのほか熱心な民族だと言われています。潜伏期間においても、ユダヤ人は子どもたちには学問の機会を保障しようとしたようです。
ゲシュタポ(ナチスの秘密警察)がユダヤ人狩りに出動するときの80%は一般市民からの密告だった。また、ナチスは、いち度つかまえたユダヤ人を転向させナチスの協力者(「捕まえ屋」)に仕立てあげた。
「地下に潜る」とは、ユダヤ人であることを隠し、別人になりすまして生きること。本当の名前を捨て、ユダヤ人の身分証明書を捨て、家を捨て、監視の目をかいくぐり、偽名を使って仕事を見つけ、闇で食料を手に入れ、家族と離れ離れになってでも生き抜く覚悟が必要だった。
身分証明書を手に入れるのは、救援者から譲り受ける(譲った人は紛失として届け出て、再発行してもらう)、闇で入手する、あるいは盗む。この三つしかない。
ある親衛隊高官は、自分の娘が潜伏ユダヤ人と恋仲になったことから、そのユダヤ人青年を自宅に匿い、親衛隊員の身分証明書を偽造し、制服まで支給してやった。いやあ、そんなことがあったのですか...。
ユダヤ人弁護士カウフマンのユダヤ人救援者ネットワークは総勢400人というもので、最大規模でした。このカウフマンはユダヤ人として生まれながら、親の方針でキリスト教徒として育てられ、プロテスタント教会で洗礼も受けていた。カウフマンが何より強制収容所に入れられなかったのは、貴族階級出身のドイツ人女性と結婚したから。
カウフマンのネットワークは身分証明書を大量に偽造していた。身分証明書の偽造に関わったのは22人、食料配給券の調達者は34人もいた。
1943年8月19日、カウフマンは逮捕された。ゲシュタポへの密告によるものだった。そして、翌1944年2月17日、ザクセンハウゼン強制収容所で射殺された(58歳)。
潜伏ユダヤ人を助けた人々の善行は長いあいだ埋もれていました。これは、ドイツ国民の多くがホロコースト(ナチスによるユダヤ人の大量虐殺)を知らなかったとされてきたが、実は多くのドイツ国民はユダヤ人大量虐殺を知り、それに加担し、利益を得てきたことがあきらかになってきたことに関わるものなので、いわばタブーだったことによる。ひるがえって、日本でも今でも「南京大虐殺」なんてなかったという嘘が堂々とまかり通っていますので、共通するところがあります。
本書は「沈黙の勇者」について統合的な形で日本人に示してくれるものとなっています。ご一読をおすすめします。
(2023年5月刊。1750円+税)
2023年7月 6日
あなた、それでも裁判官?
司法
(霧山昴)
著者 中村 久瑠美 、 出版 論創社
このタイトルから、敗訴判決をもらった弁護士が、判決を書いた裁判官が初歩的な事実認定ないし法律判断を誤ったことへの批判だと想像しました。50年近い弁護士生活のなかで、何度も何度も、裁判官の間違った判決に泣かされてきました。もちろん、法律構成や判断については私のほうが裁判官に教えられることは多々ありました。そのときは、ありがたく感謝しました。そうではなくて、事実判断のレベルで、基本的な常識に欠けるレベルでの誤りをしているとしか思えない判決に何度も何度も接しました。そして、高裁で、その点を指摘しても、ほとんどの高裁の裁判官はことなかれ主義で、仲間としての裁判官をかばい、書きやすい判決に流れていく気がしてなりませんでした。あと、行政に弱いのは、ほとんどの裁判官に言えることです。まさしく、三権分立を担っているという裁判官の気概を感じたことは残念ながら皆無と言って言い過ぎではありません。
私が裁判官評価アンケートに長く積極的に関わっているのは、この状況を少しでも改善したい、そのためには出来るだけ状況認識を多くの弁護士の共通のものにしたいという思いからです。
前置きが長くなりましたが、この本のタイトルは、そんなものとは無縁です。つまりは、DV夫が裁判官だったということです。東大卒の自称エリート裁判官が、自宅では新婚の妻に文字どおり身体的暴力を働き、また精神的なDVを繰り返していたというのです。
知的で議論好き、博学でちょっとニトルなところのある男。しかし、その夫は妻に対して平気で暴力を振るう男でもあった。新婚旅行から帰ったその晩から、妻は夫の激しい殴打にあった。殴打ばかりではない。突き飛ばされ、足蹴にもされた。
妻はいつからかサングラスが手放せなくなった。夫は、かんしゃくを起こすと、決まって妻の顔を殴った。目のまわりや頬はアザとハレが絶えなかった。それを隠すため、いつもサングラスをかけていた。ところが、夫は、他人の前ではやたらと社交的に愛想をふりまき、気をつかい、まさに「気配りの人」のように見せる。ところが、自宅では、絶望的な不機嫌さ、身も凍りつきそうな冷酷な態度だった。
人前と妻の前でのご機嫌が天と地ほども変わった。妻は常に夫の機嫌を損ねないように気をつかい、かゆいところはここかあそこかと手をさしのべ、一から十まで世話を焼き、「殿よ、殿よ」とあがめていないと夫の暴力を防ぐことはできなかった。
なぜ、そんな夫と妻が我慢していたのか...。暴力がおさまったあと、夫はまるで手のひらを返したように優しくなって、妻にベタベタしてしまうから。これで妻は、機嫌を直して、自分が悪かった、もっと夫に気に入られるようにしようと反省するのだった。これは「虐待のサイクル」といって、多くのDV加害者に通じるパターン(サイクル)だ。
「オレほどの頭があり、仕事ができる男は日本中にいない。おまえはオレが仕事しやすいような最高の環境をつくらなきゃいかんのよ。ご主人が判決書きに忙しいときは、書き終えるまで何時間でも官舎のまわりを赤ん坊を背負って、ぐるぐる回り続けるのが普通なんだぜ...」
いやあ、信じられませんね、こんなセリフを吐くだなんて...。
「あなた、それでも裁判官?」
「ああ、オレは裁判官さ。書記官たちに聞いてみろ。オレくらい被告人の人権を考えている裁判官はいないって、誰もが言うぞ...」
1年半もの交渉のあげく、慰謝料200万円、子の養育費は月2万円で協議離婚が成立した。その裁判官の月給は10万円の時代だった。まあ、それでも離婚して(できて)よかったですね。
そして、著者が司法試験に合格して30期の司法修習生になったとき、司法研修所の教官たちは、女性修習生にこう言い放った。
「男が生命をかけている司法界に、女の進出を許してなるものか」
「娘さんが司法試験に合格して親は嘆いたでしょう」
「女なんかに、裁判は分かりませんよ」
信じられない暴言です。でも、これらは当時の裁判官たちのホンネだったことは間違いありません。さてさて、今はどうなんでしょうか...。
初版は2009年で、10年以上たっての再版の本を読みました。いやはや驚くべき内容でした。
(2020年7月刊。2200円)
2023年7月 7日
江戸の借金
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 荒木 仁朗 、 出版 八木書店
江戸時代、人々は借金するとき証文を書いていた(書かされていた)。もちろん口頭の貸借もあったが、返済が滞ると、文書にしていた。識字率の高い日本では江戸時代の農村でも借用証は普通に書かれていた。
江戸時代における農村の借金の大半は、もともと年貢を納められないことによって始まった。年貢未納が増えると口約束をして借金となり、それでも借金が増えると一筆を願って借用証を書く。この借用証が、さまざまな貸借条件を付けられ借金返済を促された。それでも返済できないときは、高額借金返済のために永代売渡証文を作成する。ただし、永代売渡証文を作成して土地所有権を手放したときでも、その土地は、土地売買金額さえ払えば取り戻すことが可能だった。
永代売買は村落共同体の合意がないと成立しなかった。永代売買の実施は、村落共同体に管理されていた。
現代日本人の感覚では、土地を売り渡してしまったら、その土地が売主のところに戻ってくるなど考えられもしません。ところが、土地は開発した地主と一体の関係にあるので、いずれ売主のところに戻ってきても不思議ではなかった。それは明治、大正そして戦後まで慣行として続いていた。売買も貸借も一時的なものだという思想が広範に受け入れられ、社会に根づいていた。
この本によると、出挙(すいこ)は、とても合理的な金銭貸借だった。というのも、稲作の生産力は驚くほど高く、千倍もの富を生み出したから。また、古代の金銭貸借では、利息にも限度が定められていた。たとえば、最長1年につき、元本の半倍まで。(挙銭-あげせん-半倍法)。こうやって債務者の権利を保護していた。
中世の人々はおおらかで、借金できるのも一つのステータスだと考えていた。中世の貸付金利は月4~6%と高かった。
徳政令は借金を帳消しにするものではあったが、その後の借金が出来なくなれば困るので、必ずしも好評ではなかった。人々は借金帳消しではなく、債務額の10分の1とか11分の1、あるいは3分の1を支払って、貸主との関係を維持しておこうとした。
「返り手形」というのは、永代売渡証文と別に永代買主が売主に対して売買対象地を受け戻すための証文だった。ただ、この返り手形には、その有効性を担保するため、名主など村の有力者が証人であることが必要だった。
江戸時代の金銭貸借の実情そして、証文の文言の詳細を知ることのできる本です。
(2023年5月刊。8800円)
2023年7月 8日
マナティとぼく
生物
(霧山昴)
著者 馬場 裕 、 出版 青菁社
ちょっとトボけていて、可愛らしい顔のマナティって、どこに棲んでいるのかと思うと、アメリカのフロリダ州でした。クリスタルリバーという海岸です。ここは、川があり、一年中、温かい。外海で暮らすマナティたちは冬になると、温かいところで過ごそうとやって来る。
マナティは好奇心が強くて、遊ぶのが大好き。ふだんは集団で暮らしていないのだけど、冬のクリスタルリバーでは仲間がたくさんいて、みんなでふざけあう。まるで人間の子どもみたいです。
ボートの下の水中にロープがあると、マナティたちが寄ってきて、食べ物でないのが分かっているのに、ふざけてカミカミする。
マナティにとって、人間は対等な存在。人間にこびることなく、なつくわけでもない。遊びたいときに遊び、いやになったら、どこかへ行ってしまう。
マナティは人間と同じく肺で呼吸している。くしゃみをするし、いびきもかく。
いやあ、マナティのいびきって、どんな音がするんでしょうか...。水中で寝ているときのいびきなんて想像できません。
マナティは草食動物なので、水草(マナティグラス)が好物。マナティはよくオナラをする。でも臭くはない。
マナティは水中で眠るときは目をつむる。最長25分ほど息つぎなしで眠っている。
マナティは2年に1度、1頭だけ子を産む。子どもは2年間、母親と一緒に過ごす。
マナティは寒さに弱く、17~19度で活動できなくなり、15度以下だと死んでしまう。
マナティの寿命は60年以上だけど、死因の1割はボートによる事故死。アメリカ・フロリダ州にマナティは5730頭いた(2019年)。
実は、残念なことに著者は若くして亡くなっています。奥様による写真集のようです。
ほのぼのとした写真集なので、眺めているだけで、心が癒されます。
(2023年5月刊。2400円+税)
2023年7月 9日
ハシビロコウのふたば
生物
(霧山昴)
著者 南幅 俊輔 、 出版 辰巳出版
静岡県掛川市にある掛川花鳥園にハシビロコウがいます。人気者で、「ふたば」という名前がついています。生まれたのはアフリカのタンザニア。推定で7歳をこえるメスです。身長1.2メートル、体重は5キログラムもあります。
ハシビロコウは、成長すると、瞳はオレンジ色から黄色に、クチバシは黒い斑点が薄くなってくる。
こんな大きな体をしていて本当に空を飛べるの...、と疑ってしまいますが、どうやら飛べるようです。
ハシビロコウの顔がユニークなのは、その大きなクチバシです。
しかも派手な色こそついていませんが、じっとにらまれたら、すぐにも負けてしまいます。負けるといっても、ニラメッコの類です。ついつい笑ってしまうのです。
ハシビロコウのふたばは、魚を食べたあとは、必ず水でクチバシをゆすいでいる。いやあ、鳥がこんなにキレイ好きだったとは信じられません。
ハシビロコウは、長くコウノトリの仲間とされてきた。でも、今やペリカンの仲間とされている。こんなデカ鼻のような鳥からきっとにらみつけられたら、みんな、さっと身をかわし、逃げ出してしまうでしょう。
(2021年4月刊。1540円)
2023年7月10日
土の塔に木が生えて
生物
(霧山昴)
著者 山科 千里 、 出版 京都大学学術出版会
アフリカ南部のナミビア共和国、首都から1000キロも離れた小さな村に何ヶ月も一人住みこんで、毎日、シロアリ塚を探し求めて、1日に何十キロも歩き回る...。いやはや、そのたくましさにはほとほと頭が下がります。
若い大学院生の日本人女性が一人で、言葉が通じない、ケータイも通じないなかで、電気も水道もない小さな村で、6ヶ月間、シロアリ塚の調査をする...。いやはや、とても考えられませんよね。
シロアリ塚は木の下にできる土の塔。でも、この「土の塔」から森ができるという不思議さもあるのです。いったい、どうなってんの...。
著者がナミビアでシロアリ塚の調査を始めたのは2006年のこと。ナミビアは日本の2.2倍の広さがある。
ヒンバは、世界一美しい民族と言われる。頭のてっぺんから足の先まで真っ赤な女性たちが目を惹く。オークルと呼ばれる赤土に牛の乳から作ったバターと香料を混ぜたクリームを全身に塗っている。上半身は裸で、頭・首・足首には革や金属の装飾品、腰にはぺらりと布を下げている。
「チサトの小屋」に著者が一人で寝るかと思うと、大間違い。平日は、就学前の子どもたちが3~4人、週末には遠くの寄宿舎生活から村に戻ってきた子どもたちを含めて、にぎやかに寝るのです。電気・ガス・水道はなく、マッチすら使わない。生活に必要なものの多くは自然から得て、その多くは自然に返っていく。
トイレもないので、近くにある茂み(ブッシュ)に潜り込む。
食事は、毎日、同じものを、みんなと一緒に食べる。1人ふえたからといって1人分多くつくるという具合ではない。この村の食事はワンパターンで、野菜とタンパク質不足が体にこたえる。
女性は、上半身が裸なのはあたり前のことだけど、膝から上を出すのは恥ずかしく、ふしだらなこと。
シロアリは真社会性昆虫で、分業する。
日本で代表的なシロアリは下等シロアリで、体内に共生細菌をもっている。
キノコシロアリでは、コロニーの寿命は創設女王・王の最大寿命である20年ほどが上限。ただし、職アリや兵アリは数十日から数ヶ月で、どんどん入れ替わる。
キノコシロアリは、高さ1メートルもある「塚」を90日でつくりあげる。このシロアリ塚は、地上の厳しい環境を調整する役割をもつ。シロアリ塚の巣内には、数百万匹にも達するシロアリの大集団と、シロアリが栽培するキノコが暮らしている。これは日々、大量の二酸化炭素を生み出す。その放出する代謝熱と太陽の日射によって塚内部に温度差が生じ、塔内部に張りめぐらされた直径数センチの通気管を空気が循環することで、適当な二酸化炭素濃度、一定の気温、高い湿度が維持されている。つまり、シロアリ塚の塔部分は換気扇として、巣内の生活環境を整える役割を担っている。実際、巣内は、1年中30度、湿度100%、二酸化炭素の濃度は数%以下という快適な環境に保たれている。
シロアリ塚は、とんでもなく硬い。足でけっても、棒で叩いても、突き刺そうとしても、ビクともしない。鍬を借りてガツンとやって表面がポロっと欠けるくらい。
シロアリ塚が先にあり、そこに樹木が乗り、さらにこと次第に「シロアリ塚の森」へ変化していく。
日没前に水浴びをして、日が沈むのを眺める。夕日は世界一美しい。夜はとても冷えるため、長袖シャツにゴアテックスの分厚い合羽を着て火にあたり、夜ご飯を食べる。周囲は真っ暗闇、家族みんなが火のまわりに集まってご飯を食べ、おしゃべりする、そして誰ともなく歌いはじめ、たらいを裏返した即席太鼓が加わる。
夜空いっぱいに星が隙間なく瞬く。毎晩、空には天の川が大きな龍のように横たわり、いく筋もの流れ星が走る。月明りで本を読むことが本当にできる。
それに伴い新月の夜は、月の前に真っ黒な布を下げられたような暗さだ。
副食のミルクや肉をもたらす牛やカギは、地域の人々の財産。家畜のミルクは日常的に利用するが、肉を食べるのは特別な日か、家畜が病気などで死んだときだけ。
ヤギのミルクは非常時かつ子供用。大人はほとんど口にしない。著者が飲んだら、じんましんが出た。
ナミビアのなかの小さな村に、コトバもできず、ケータイは通じず、コンビニも店も一切ないなかで半年も暮らすなんて、そして、シロアリ塚を求めて一日中、歩きまわるだなんてよくぞよくぞやってくれましたね。しかも、マラリアに何回もかかって生き永らえているのです。この圧倒的なバイタリティーというか、生命力に、ほとほと圧倒されました。
トイレの話は分かりましたが、猛獣やらヘビやらの怖い目にはあわなかったのでしょうか。そして、もっとも怖い「人間」にぶつからなかったのでしょうか...。
あまりの体験談が淡々と語られているので、疑問どころも満載でした。そんな疑問にこたえる続編を期待します。毎日の生活に少し飽きてきた、そんなあなたに強く一読をおすすめします。強烈な刺激を受けること必至です。
(2023年4月刊。2200円+税)
2023年7月11日
くもをさがす
人間
(霧山昴)
著者 西 加奈子 、 出版 河出書房新社
カナダで乳ガンが判明し、手術を受けた著者の体験記です。
がんはゴジラと同じ。彼らの存在それ自体が、私たち人間と相容れないだけ。どちらかが生きようとするとき、どちらかが傷つくことになっている。
がんにかかった人は、原因を考えてしまう。暴飲暴食のせい、睡眠不足、仕事のストレス、いや水子の供養をしていなかたから、先祖の墓参りをしていなかったから...、いろいろとありうる。でも、がんは誰だってかかるもの。もし、がんになったら、それはそういうことだったのだ。誰にも起こることが、たまたま自分に起こったと考えるしかない。
がんは怖い。できることなら、がんにかかりたくなかった。でも、出来てしまったがんを恨むことは、最後までできなかった。自分の体の中で、自分がつくったがんだから。なので、闘病というコトバは使わない。あくまでも治療であって、闘いではない。
うむむ、なんだか分かるようで、まだピンとは来ません。でも、実感としては伝わってくるコトバです。
遺伝子検査の結果が出た。乳がんは右側にあるが、左の乳房へ転移する可能性は80%で、再発の可能性も高い。予防のため、両乳房の全摘が望ましく、卵巣も、いずれ取るほうがいいだろう...。いやあ、この確率というのは、どれほど正確なものなんでしょうか...。
カナダでは、日本と同じような感覚でいたらダメ。とにかく自分でどんどん訊いて、どんどん意見を言わないといけない。自分のがんのことは、自分で調べて、医師まかせにしないのが肝心。少しでも治療に疑問があったら、遠慮なんかせず、どんどん尋ねること。うむむ、日本では、これが案外、むずかしいのですよね...。自分の身は自分で守る。そう言われても...、ですよね。
カナダで、乳がんの切除手術を受けると、その日は泊まりではなく、日帰り。ドレーンケアも自分でやらないといけない。手術したら、当日から、とにかく動くこと。術後の回復には、それが一番。痛み止め薬を飲んでまで運動したほうがいいということ。うひゃあ、す、すごいことですよね...。
著者は両方の乳房を切除した。乳首もとった。
でもでも、平坦な胸をしていても、もちろん乳首がなくても、依然として女性であることには変わりない。坊主頭だけど、それでも女性なんだ...。自分がそう思うから、私は女性なのだ。私は私だ。私は女性で、そして最高だ。
「見え」は関係ない。自分が、自分自身がどう思うかが大切なのだ。
日本人には情があり、カナダ人には愛がある。この「情」と「愛」には、どれほどの違いがあるのでしょうか...。
発刊して2週間もたたずに8刷というのもすごいですが、それだけの読みごたえのある本です。カナダと日本の医療体制、そして社会の違いも論じつつ、がんにかかって乳房摘除の手術を受けて、人生、家族、友人との関わりなどを深く掘り下げて考察しているところに大いに共感することのできる本です。
(2023年5月刊。1540円)
2023年7月12日
扉をひらく
司法
(霧山昴)
著者 村山 晃 、 出版 かもがわ出版
京都の村山晃弁護士(以下、旧知の間柄なので「村山さん」と呼びます)が弁護士生活50年をふり返った貴重な記録集です。
村山さんは法廷で訴訟指揮をする弁護士だ。法廷で裁判官の仕切りが悪いと、あれこれ裁判官に注文をつけて進行を早めたり、相手方弁護士に「もっと早くできるでしょう」などと言ったりする。
村山さんは、証人尋問の異議の出し方も独特。処分取り消しを求める裁判で、本人への反対尋問で相手方弁護士が、「あなたは処分される理由はまったくないと考えているんですか?」と訊いたとき、村山さんは、「異議あり」とも言わずに大きな声でこう言った。
「私だって、あなただって、裁判官だって、みんな課題を抱えているんですよ。それが当たり前じゃないですか。そんな質問がありますか」と、相手の弁護士をたしなめ、本人のピンチを救った。いやあ、これはすごいです。私は、とても真似できません。
弁護士は、その言葉どおり、弁論で人々の権利を護(まも)るのを職責とする。だから、誰にでも理解できるコトバ、できるだけ短いコトバ、核心をついたコトバで、裁判官や相手方、当事者やサポーターに語りかけて理解させる必要がある。なので、できるかぎり原稿を読まず、話す相手の顔を見て、その反応を確かめながら、自分のコトバで語りかけるように努めている。語りかけは、相手の心に届かなければ意味はない。
過労死事件は、高裁で逆転勝訴するという法則がある。こんなフレーズがあるそうです。実際、一審で労働者側が敗訴した事件を関西では高裁で何件も逆転勝訴したようです。もちろん、こんな「法則」があるからといって、村山さんたちが手を抜いたのではありません。一身とは別の攻め口を考え、実行し、詰めていった成果です。
この本を読んでいて、もっとも驚かされたのは、民事の一審判決の言い渡しのとき、裁判官が主文を後回しにして、理由を述べはじめた事件があったというくだりです。刑事の死刑判決では、死刑にするという主文を読み上げたら、理由は被告人は卒倒するだろうし、マスコミも傍聴人も判決理由なんてまともに聞かないだろうから、判決理由を述べたあと、死刑宣告の主文を読みあげるという確立した慣行があります。ところが、行政処分取消を求める民事裁判で同じことがなされたというのです。そんなこと聞いたこともありませんでした。判決を書いた裁判官からすると、それだけ、みんなに理由こそ聞いてほしかったのでしょう。それほど心血そそいだ苦心の判決だったわけです。やはり裁判官の感性を揺さぶることが、いかに大切かを物語ってあまりあります。
関西電力を被告とする人権侵害事件は、1971年に裁判が始まり、1995年に最高裁で労働者側の勝訴が確定するという、24年間もの長期裁判でした。ところが、この本で元原告団長は、「無我夢中で取り組み、あっという間の24年でした」と語っています。どんなに大変で苦労した事件であっても、終わってしまえば、振り返ったら、「あっという間」の出来事になってしまうものなんですよね...。
この裁判では会社(関西重力)が共産党員だとみなした社員を徹底して監視し、差別していたのですが、あるとき、その詳細を記述した「マル秘」の労務管理資料が差別されている側に渡ったのでした。それでも会社側は、ノラリクラリと差別の合理性を立証しようとしたため、こんな長期間の裁判になってしまったのです。
同じような思想差別撤回を求める裁判では、原告団は、ジュネーブの国連人権委員会にまで出かけています。その結果、国連は、日本の外務省を通じて、大企業に対して差別の改善を求める指導をしたとのこと。こんな国際的な取り組みも必要なのですね...。
そして、支援活動のため、東京から新幹線で車両1両を貸し切って駆けつけてくれる仲間たちがいたといいます。すばらしいことですよね、お互い元気が出ますよね。
関電本社を包囲する抗議集会は、1996年5月に始まったときは1000人ほどだった。それが9月には5000人にまで増え、その後、1997年も1998年も5000人は下まわらなかった。そして、ついに1999年9月には6000人もの大集会になったのでした。要請署名も実に25万筆が集まりました。
そんな大々的な取り組みが効を奏して、関電に差別を是正させ、12億円もの和解金を支払わせることができました。みんなみんな、本当によくがんばったのですね。村山さんは、その勢いをつくる中心的な役割を担ったのです。すごいことです。
喜寿(77歳)を迎えた村山さんは、今も現役の弁護士として元気一杯。子ども3人の子育ては配偶者のがんばりのようですが、孫が7人というのですから、幸せなものです。
そして、47都道府県で行っていないエリアは存在しません(これは私も同じです)。しかも、海外旅行で行った先はなんと41ヶ国にのぼるとのこと。これはうらやましい限りです。私は14ヶ国かな。私は少しだけフランス語ができますから、フランスには何回も行きましたが...。うらやましい限りです。
村山さんの50年間の弁護士生活で、こんなすごいことをやってきたんだと改めて襟を正して村山さんを見直した次第です。
著者から贈呈していただきました。ありがとうございます。
(2023年6月刊。1650円)
先日受験したフランス語検定試験(1級)の結果が分かりました。150点満点のところ、56点です。もちろん不合格。4割に届きませんでした。恥ずかしながら、実は自己採点では71点だったのです。今回は少し良かったと慢心していたのですが...。こんなに差が出たのは、仏作文と書き取りの自己評価が大甘すぎたということです。反省するしかありません。トホホ...。それでも、毎朝、NHKフランス語の聞き取り、書き取りは続けています。
2023年7月13日
ある紅衛兵の告白(上)
中国
(霧山昴)
著者 梁 暁声 、 出版 情報センター出版局
中国に、かつて文化大革命なる大騒動があっていたというのは、今や昔の話となりました。
著者は1949年にハルビンで生まれていますから、1948年生まれの私と同じ世代で、まさしく紅衛兵世代なのです。著者は中学生のときに、晴れて紅衛兵になれました。
この文化大革命のとき、中国は生まれた家族関係によって、大変な差別がありました。貧農出身なら紅五類として紅衛兵になれる。しかし、父や祖父が商売していたなら、「小(プチ)ブル」として、資本家階級に落とし込められ、「黒五類」に入れられる危険がある。
ともかく、当時の中国では毛沢東の権威は絶対・至高そのもの。誤った政策をとって権威が失墜していた毛沢東は、虚勢のような「権威」だけを頼りにして、「文化大革命」と称する「乾坤一擲」(けんこんいってき)の大博打(バクチ)に打って出たのです。当然のことながら、中国の社会は大混乱をきたします。
でも、その混乱を喜んだのが子どもたちでした。「紅衛兵」という腕章を巻いて、毛沢東に会いに北京まで無賃乗車の旅ができたのです。今では信じられませんよね...。
中国の人々は、中国共産党中央と毛沢東主席は、善人を冤罪にすることは絶対にないし、また悪人を見逃しすることもないと固く信じていた。それこそ、根拠もなく、信じ込んでいたのです。
当時の中国には、革命に熱狂する群衆があまりにもたくさんいた。それが文化大革命が終息するまで丸まる10年もかかってしまった原因となっている。
劉少奇国家主席は、毛沢東から激しく攻撃されたが、なぜ自分が攻撃されたのか、理解できなかった。
子どもたちは真新しい玩具(オモチャ)を手に入れると、例外なく、面白さのあまり際限なく遊ぶ。
子どもを主体とする紅衛兵のやんちゃぶりは、毛沢東もあとでブレーキをかけなければいけないほど、でした。
著者の親友は、紅衛兵になりたくて、自分の父親が国民党軍に一時、籍を置いていたことを広く公表し、父親を面罵し、足蹴りまでしたのでした。そのおかげで、紅衛兵にはなれました。でも、まもなく、父親は自殺してしまいました。
実際に、こういうことは、よく起きていたようです。国民党軍にいた兵士が共産党軍に入るというのは、中国革命を成功に導いた大きな要因なわけですが、文化大革命のときは、それはあたかも逃れられない大罪のように扱われてしまったのでした。
文化大革命という異常な時代をひしひしと実感させる体験記です。
(1991年1月刊。1500円)
2023年7月14日
カメラを止めて書きます
朝鮮・韓国
(霧山昴)
著者 ヤン ヨンヒ 、 出版 クオン
いささか胸の痛みを感じながら読みすすめていきました。
私が弁護士になった40年以上も前は、朝鮮総連の活動家のみなさんは本当に元気でした。民団の人との接点はあまりありませんでしたが、ともかく総連の人たちは声がでかくて、押しが強いのです。
この本では、朝鮮総連の幹部だった父親が3人の息子を北朝鮮に「帰国」させたあとの行動が紹介されています。
「帰国事業」は、1959年12月から朝鮮総連(そして、日朝の赤十字社と日朝両国政府)が総力をあげて推進したもの。9万3千人ほどの在日コリアンが「北朝鮮は差別のない地上の楽園」だと思って移住していった。著者の父親は、この「帰国事業」の旗振り役だった。
病気で倒れる前、著者はビデオカメラをまわしながら父親に質問した。すると、予期しない答えが返ってきた。
「その時は、在日朝鮮人運動がとても盛り上がっていたときだから、すべてがうまくいくという方向で問題を見たんだから、甘かったんや...。行かさなかったら、もっと良かったかなというようにも考えてるさ」
著者の3人の兄は、1970年代初め、長男18歳(朝鮮大学校)、二男16歳(高校生)、三男14歳(中学生)のとき、北朝鮮に渡っていった。やがて北朝鮮では大量の餓死者が出る大変な状況に陥った。送られてきた兄たちの写真はガリガリにやせ細った少年の姿だった。そこで、著者の母親は、北朝鮮に住む息子たちへの仕送りを45年間、続けた。仕送りの段ボール箱には、たくさんの食料品、そして衣類を詰め込んで送り続けた。
孫たちが生まれたら、その学校生活に必要なものをすべて送った。私も、この年齢(とし)になると、母親の執念にみちた仕送りの意味がよくよく分かる気がします。「帰国事業」に賛成し送り出したことをいくら悔やんでも取り返しつかないのです。それだったら、せめて生きている息子たちを助けたい。そんな思いだったのではないでしょうか。
三男の兄が三度目の結婚をするときの話が胸を打ちます。
「あの家は少額でも日本からコンスタントに生活費と愛情あふれるダンボール箱が届く」という噂が広まっていて、3人の子どもをかかえている兄に嫁ぎたいという女性たちが列を成した。
著者の両親は済州島出身。夫(父親)が死んだあと、母親は済州四・三事件を目撃した当事者として娘に語りはじめたのです。私もこの「四・三事件」については金石範の『火山島』などを読んでいましたので、母親がその当事者の一人だったということには驚きました。
著者の3本の映画『ディア・ピョンヤン』(2005年)、『愛しきソナ』(2009年)、『スープとイデオロギー』(2021年)をどれもみていないのが本当に残念です。映画館でみるタイミングがありませんでした。DVDでみてみたいものです。あまり高価だと手が出せませんが...。
(2023年4月刊。2200円)
2023年7月15日
ドーキンスが語る飛翔全史
生物
(霧山昴)
著者 リチャード・ドーキンス 、 出版 早川書房
日帰り宇宙旅行なるものが現実となりました。6月29日、アメリカの会社が商業宇宙旅行として、イタリア人の3人の客、自社のインストラクターの4人、そしてパイロットが2人。高度100キロメートルの宇宙空間に突入し、4分間の無重力を体験した。乗客の事前訓練は3日間だけ。「月曜のランチから客に来てもらったら、木曜には宇宙に行ける」という呼び込みだ。 これから月1回のペースで運搬するという。料金は1人6500万円。10年後には、数百万円に値下がりするだろうという。
うひゃあ、そ、そんな世の中になったのですね...。ウクライナへ進攻したロシア軍の戦争がおさまる気配もないのに、宇宙旅行が商業化するなんて、信じられません。
コウモリと翼竜そして鳥を比較しています。
コウモリは指をすべて長くして広げた。翼竜は指を1本だけ、ものすごく長くした。
鳥は前脚の骨は短くて、羽にはそれ自体に堅さがある。鳥の羽は爬虫類のうろこが改造されたもの。羽は飛ぶためのものというより、断熱のために進化したと考えられる。
すべての哺乳類は、子宮内にいるときは指に水かきがある。しかし、水かきは、アポトーシス(プログラムされた細胞死)によって、いずれなくなっていく。ところが、たまに水かきが完全に消えないまま生まれる人がいる。
宇宙飛行士と体重計、宇宙ステーションとその内部のものすべては、自由落下しているから浮遊する。すべてがひっきりなしに落ちている。地球の周囲を落ちている。相変わらず引力は働いているので、地球の中心へと引っ張られている。しかし同時に、猛スピードで地球の周囲を飛んでいる。飛ぶのが速すぎて、落下するあいだも、地球にあたらない。それが軌道上にあるということ。うむむ、なんだか分かったような...。
生物が空を飛ぶということをあらゆる角度から考証している本です。すごく視野の広がる本でした。
(2023年1月刊。4800円+税)
2023年7月16日
カラスは飼えるか
生物
(霧山昴)
著者 松原 始 、 出版 新潮文庫
この問いかけに対する答えは、基本的に「ノン」です。
カラスを捕獲して飼育することは、できなくはない。そして、実際に、野生だったカラスを飼っている人がときにいる。
しかし、カラスを飼ったら、とんでもないことになる。サイズというと、小型犬か猫くらい。体重800グラムになる鳥なので、羽ばたきは強烈。好き勝手なところに飛び乗ってくるし、目の前をバタバタ飛んだかと思うと、突然バサバサと飛び降りてくる。
そしてカラスは、いたずら好き、気になるものはつついて、つついてぶっ壊す。もって行って隠す。カラスは絶望的なまでにしつこい。
カラスは死ぬほどヘタレで、知らない人間には、ひどく人見知りする。
うっかりカラスを飼ってはいけない。カラスを追い払うのに、CDやらカラスの模型やらをぶら下げても、あまり役に立たない。一番効果的なのは、その場に人間がいて、カラスに目を向けていること。カラスは自分を見ているもの、自分の動きに反応するものに敏感だ。
世界中にカラスがいると思っていましたら、南アメリカにはカラスもニワトリもいないとのこと。ええっ、「トリの唐揚げ」は南米では食べられないのでしょうか...。
カラスの肉は高タンパク質で低カロリー、そしてタウリンや鉄分を大量に含む。でも、決して美味しくはない。ただし、食べられないというわけではもない。
カラスは子どもを守るためのときだけ、人間に立ち向かう。でも真正面から攻撃する度胸はない。必ずうしろから飛来するし、せいぜいうしろから人間の頭をけ飛ばすくらいのこと...。
カラスは鏡を見たら、怒ってくちばしで鏡を叩いて、ケンカを売って攻撃する。カラスは、羽毛にたっぷりメラニンを持っているので、真っ黒(ないし褐色)に見える。
実践的にカラスを知る面白い文庫本です。
(2023年4月刊。590円+税)
2023年7月17日
羽毛恐竜完全ガイド
恐竜
(霧山昴)
著者 BIRDER編集部 、 出版 文一総合出版
鳥は恐竜である。
今や、定説になっています。でも、地上を駆ける恐竜と空を飛ぶ鳥と、どこに共通点があるのか、一見しただけでは分かりません。
鳥と恐竜は、どちらも直立二足歩行で、趾行(しこう)性。直立二足歩行するのは、鳥と恐竜以外には、ヒトとカンガルーくらい。
趾行性というのは、かかとを地面から上げ、つま先立ちで歩くこと。鳥のあしに膝のように見えるのは、実はかかと。
鳥の羽は、うろこが変形したもの。なので、全身がうろこで覆われている恐竜と、羽をまとっている鳥とは共通している。羽毛の起源はウロコが変化したもの。羽毛には断熱材の役割があった。恐竜は内温性だった。
恐竜はカラフルと一般に考えられているが、鳥も身近な鳥ほど派手ではなく、恐竜も鳥と同じでは...。
現在、恐竜の定義は、「トリケラトプスとスズメのもっとも新しい共通祖先とその子孫すべて」。
恐竜は2億3千万年前から6600万年前まで、長期にわたって繁栄した。このうち鳥類に進化したのは獣脚類。
羽毛が確認された恐竜のなかで最大種なのが、マラティラヌスで、中国で発見された。体長9メートル。羽毛はディスプレイ用の飾りだったと考えられている。
カラフルな羽毛恐竜が紹介されている楽しい図鑑のような本です。わが家の庭にいつもやってくるヒヨドリやカササギ、そしてスズメが恐竜の仲間だなんて、ちょっと信じられませんが...。
(2023年3月刊。2750円)
2023年7月18日
忍者学大全
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 山田 雄司 、 出版 東京大学出版会
御庭番は、江戸幕府の正規の職名。紀州藩主徳川吉宗が八代将軍職を継いだとき、将軍独自の情報収集機関として設置された。御庭番が将軍以外の老中や目付などの密命も受けたという説は誤り、また、伊賀者・甲賀者などの忍者と混同されるが、それも間違い。
手足となる側近や社会の動きを独自に入手できる手段がなければ、将軍は行政機構を掌握している老中の意のままになるしかなく、将軍が幕政の主導権を握るのは難しい。
そこで、吉宗は、将軍を継ぐにあたって、190人ほどの紀州藩士を幕臣に編入し、側近役の大半は旧紀州藩士で固めた。また、紀州藩において隠密御用をつとめていた薬込役18人と馬口之者1人の計17人も同時に幕臣に取り立て、「御庭番家筋」として、将軍直属の隠密御用に従事させた。これがお庭番の起源。17家で発足して、4家が除かれたが、残る13家のなかから別家が9家でてきて、合計22家となり、幕末まで存続した。そのほとんどが御目見(おめみえ)以上の身分となり、なかには勘定奉行にまで累進する者も出た。家禄も500~1200万まで加増された。
御庭番は、表向きは江戸城本丸御殿大奥所属の広敷役人。実際には、「奥」の役人である小納戸(こなんど)頭取、奥之番の指令を受けていた。御庭番は、将軍自身や小納戸頭取、奥之番の上司で、「奥」の長官でもある御側(おそば)御用取次の直接の指令を受けた。そして、諸藩や遠国奉行所、代官所などの実情調査、また老中をはじめ諸役人の行状、世間の風聞などの情報を収集し、調査結果を「風聞書」にまとめて上申した。隠密御用には、江戸向き地廻り御用と遠国御用の二つがあった。遠国御用は2人1組または3人1組で行う。調査日数が50日かかるときは、2人に対して50両が将軍の御手許(おてもと)金のなかから支給され、残金は江戸に帰ったときに返却することになっている。
史料で判明した限り、11代将軍家斎から14代将軍家藩までの80年間に遠国御用が46回も行われている。天保12(1841)年の遠国御用は、有名な「三方領知替」のときの調査だった。当時の老中水野忠邦によって発令された「三方領知替」は、庄内領民の反対闘争をきっかけとして、12代将軍家慶によっていったん「中止」と決定されたが、老中水野の建白書によって中止の決定が延期された。そこで、将軍家慶は御庭番を派遣し、その報告を受けて、改めて中止を命じた。この庄内一揆の見事さは藤沢周平の『義民が駆ける』(中公文庫)で生き生きと紹介されていますので、ぜひお読みください。
近江国膳所(ぜぜ)藩の風聞書も紹介されています。それによると、膳所藩の財政は悪化していて、領民が重税に苦しんでいる、バクチの取り締まりもうまくいっていない、この財政悪化の原因は藩家老たちのぜいたくによるとされている。
寛政8(1796)年12月に起きた津藩の百姓一揆(全藩一揆)について伊賀者の書いた克明な記録が残っている。それによると、一揆の原因をつくった藩政改革の推進派の奉行や城代家老などが厳しい処分を受けているので、百姓一揆側も厳正にしないと津藩の権威が保てないということで、伊賀者が一揆頭取を捜索したという記録になっている。
島原・天草一揆にも甲賀衆が活躍している。ただし、近江国甲賀からやってきた忍びは、夜中に原城のなかに入ったものの、九州方言が理解できず、またキリシタン宗門の言葉もあって、情報を収集することはできなかったとのこと、なーるほど、ですね...。
忍者マンガは、今もネットの世界で大流行しているようですね。忍者マンガが初めて登場したのは大正9(1920)年のこと。今から100年も前というから、驚きます。私は、小学生のころは猿飛佐助、そして大学生のときは白土(しらと)三平の『忍者武芸帳』です。これによって、江戸時代の百姓一揆に開眼(かいげん)しました。(ただし、その後、百姓一揆についての認識は少し修正することになりました)。
横山光輝の『伊賀の影丸』も読みましたが、藤子不二雄の『忍者ハットリくん』はマンガを基本的に卒業したあとのことになります。『ナルト』となると、まったく縁がありません。
江戸時代の有名な芭蕉も忍者だったのではないかと前から話題になっていますが、この本でも、たしかに怪しいというのが紹介されています。
それにしても「大全」とあるとおり、堂々500頁、しかも本文2段組の大著、さらには出版元が東大出版会という異例ずくめの本です。3ヶ月で既に3刷というものすごいです。値段の割には、すごい売れ行きです。
(2023年5月刊。7500円+税)
2023年7月19日
3.11大津波の対策を邪魔した男たち
社会
(霧山昴)
著者 島崎 邦彦 、 出版 青志社
著者は東大名誉教授で日本地震学会の元会長です。3.11の前に、大津波への対策をとる必要があると提言したのに、上から圧力がかかってもみ消されてしまったことを明らかにして、その圧力をかけた人たちを糾弾しています。
2002年夏、専門家たちは大津波がありうると警告した。この警告にしたがって対策をとっていたら、3.11の大災害は防げたはずだ。著者はこのように強調しています。私は、このくだりを読んで怒りに震えました。
この提言(警告)について、当時の防災大臣が発表するのに反対し、内閣府の防災担当が発表を止めようと圧力をかけた。結局、発表されることにはなったが、その文章には「津波対策はとらなくてもよい」と読めるくだりが入れられた。
東京電力は大津波なんか起こらないと役所をだまし、津波の計算をしなかった。東京電力は福島原発が大津波に弱いことを知っていた。しかし、対策はしなかった。対策をとる代わりに、対策の延期を専門家に根回しし、役所に延期を認めさせた。そのうえ、これまで大津波に襲われたことはないと言いはじめ、だから大津波は来ないから対策しなくてもよいと役所に認めさせた。
著者は、地震学の専門家として(権威ですよね)、3.11大津波は人災だったと断言しています。東京電力も社内では子会社に計算させていて、予想される大津波の高さは15.7メートルというのが分かっていた。実際の3.11大津波は高さ15.2メートルだったから、ほぼ予測どおり。なので、この予測にもとづいてしっかり対策をとっておけば3.11原発大事故は起きなかった。
いやはや、東電の無責任さは犯罪的としか言いようがありませんよね。でも、東電の歴代社長たちは刑事責任を問われることなく、今ものうのうと暮らしています。許せません。
著者は原子力ムラなるものは確実に存在すると断言しています。そして、厄介なのは、村の住人が入れ替わること。そこで、誰かが主(ぬし)となって一人で仕切っているのではない。ただ、住人は入れ替わっても、ムラの根底に存在するものは変化しない。それは、原発を推進しなくてはいけない、という空気。組織としての惰性(だせい)。「今だけ、カネだけ、自分の会社だけ(良ければいい)」という意識が貫いている。
3.11のあと、著者は日本記者クラブでこのことを明らかにした。しかし、メディアはまったく無視した。そうなんです。原子力ムラにはマスコミも同じ穴のムジナなのです。
地震が起こると原発は危険だと思われると、電力会社は裁判で不利になる。原発の建物や運転にストップがかかる心配がある。こんな電力会社の主張が国を動かしている。いやはや、国民の生命や健康なんか、二の次。まっ先に優先されるのは東電や九電のような電力会社の利益なのです。
東電は高さ15.7メートルの大津波に備える防潮堤をつくるのには4年の歳月と数百億円が必要になるので、武藤副本部長を先頭としてそんな対策は必要ないことにした。
著者は政府の関わる各種会議のメンバーになっていますが、実は大事なことは政府事務局の主導する秘密会議で決まっているという実態も暴露しています。要するに、学者は表向きのお飾りの役目を果たすだけということです。これまた怖い現実です。
政府も東電も、3.11福島原発事故の責任をとらないまま、自民・公明の岸田政権はまたぞろ原発の新増設に動き出しています。歴史の教訓に学ばず、それどころか逆行しています。選挙での投票率の低さがそれを支えています。
日本人は一刻も早く目を覚まさないと、本当に明日が危ういと本気で私は心配しています。
(2023年6月刊。1540円)
2023年7月20日
獣医師、アフリカの水をのむ
アフリカ
(霧山昴)
著者 竹田津 実 、 出版 集英社文庫
大分県に生まれ、北海道で獣医師として活動してきた著者がアフリカに出かけて出会った動物たちの話を生き生きと語っています。
サファリとは、「旅」を意味するスワヒリ語だそうです。
小倉寛太郎(ひろたろう)ともアフリカで出会っています。かの『沈まぬ太陽』(山崎豊子)の主人公のモデルです。
マサイ族の男性を写真に撮ってはいけないと禁じられたのに、こっそり撮った旅人がいた。それを60キロ先からやってきて「自分を返せ」と叫んだ。マサイの人の視力は、なんと6.0。いやはや...。
福岡の女性がマサイ族の男性と結婚して、ガイドしていましたよね。今も元気にガイドしておられるのでしょうか...。きっと、コロナ禍で大変だったことでしょうね。
フラミンゴは、赤くないともてないとのこと。つまり、たっぷり食物を食べた健康体であることが必要十分条件。羽毛の赤は、藻類の中に含まれるカロチノイド系色素によるもの。ミリオン(百万)単位の群れのなかで、集団お見合いの儀式が終日、少し儀式を変えて、パレードよろしく演じられる。
アフリカには、ツェツェバエがいるところがある。ところが、乳牛が放牧されているところは、ツェツェバエのいないところなので、安心できる。
シロアリが雨季が始まると、アリ塚から飛び立っていく。そのハネアリは捕まえて食用としてマーケットで売られている。酒のつまみに最高。
サバンナ・モンキーが木にのぼって両手を広げて飛んでいるハネアリをはたき落とし、口の中へ入れてモグモグ、クチャクチャと食べる。シロアリの脂肪は牛肉の2倍、タンパク質は同じくらい。「肉よりうまい」とのこと。本当でしょうか...。
人間の乗れるゾウはアジアゾウで、アフリカゾウには乗れない。これまた、本当でしょうか...。そんなに気性が荒いのですか、人間は飼い慣らせないのですか。
アフリカにもバナナはあるが、バナナの原産地は東南アジアで、アフリカには2千年前に導入された。
アフリカに50年前はライオンが45万頭いたのが、今では3万頭にまで激減した。今はどうなっているんでしょうか...。ライオンとか虎って、見るからに怖いですよね。でも、ゾウもカバも本当はライオンより怖いんだそうですね...。
アフリカに行く勇気も元気もありませんので、「アフリカの水をのむ」人の話を読むだけにしておきます。といっても、近所の知人の娘さん一家は今もナイロビ在住なんです。案外、アフリカも身近な存在でもあるのが世の中ですよね。
(2022年12月刊。840円+税)
2023年7月21日
八路軍(パーロ)とともに
日本史(戦前・戦中)
(霧山昴)
著者 永尾 広久 、 出版 花伝社
叔父の久は大川市(当時は三又村)で百姓をしていたが、1944年8月、25歳のとき召集された。丙種合格だったので安心していたのに、日本軍の敗色が濃くなるなかで丙種まで徴兵された。出征兵士だからといって、旗を立てて万歳三唱で送り出す状況ではなかった。結婚が決まっていた女性と慌てて結婚式をあげ、翌朝には出征した。
船で釜山に渡るときも夜中に恐る恐るだった。アメリカの潜水艦に狙われたら魚雷一発で、あの世行き。久は、関東軍の一員となり、満州で工兵として山中の地下陣地構築にあたらされた。だから戦闘行為はしていない。
1945年8月9日、ソ連軍が満州に突如として大挙して進攻してきた。満州中央部にいた久たちの部隊は戦わずしてソ連軍から武装解除され、兵舎にとどめ置かれ、ソ連軍が満州内にある工場の機械や設備などを一切合財、ソ連へ運び出す作業に使われた。幸い、久はシベリア送りにはならなかった。
久のいた満州中央部には満州各地の開拓団にいた日本人婦女子が命からがら逃げて集まってきた。次々に弱者は死んでいった。そのなかで多くの残留孤児が生まれた。
モグラ兵舎に閉じ込められ、明日の希望のない生活を強いられていた久たちの前に中国共産党の軍隊である八路軍(パーロと呼ばれ、恐れられていた)があらわれ、6人の工兵の出頭を求めた。久はそれに応じた。
それから、久たちは八路軍とともに満州各地を転々流浪することになった。というのも、八路軍と蔣介石の国民党軍との戦争(国共内戦)が激しくなったからだ。貧弱な武器しか持たない八路軍に対して、アメリカ仕込みの近代的装備をもつ国民党軍は一見すると優勢だった。しかし、八路軍は、土地改革をし、「三大規律、八項注意」を厳守する規律正しい人民の軍隊なので、民衆から圧倒的に支持され、腐敗・墜落した国民党軍は次第に敗色濃くなっていった。
ようやく国共内戦が決着すると、久は紡績工場で技師として働くようになった。そのなかで、同僚となった日本人女性と交際をはじめて、結婚し、日本敗戦後の1953年6月、ついに日本に帰国することができた。日本に戻った久は百姓を再開し、大川でイチゴ栽培の先駆者となって大川市誌にも紹介されている。そして、2016年12月、98歳で亡くなった。
気がついたことを3つだけ紹介したい。
その一は、シベリアに57万人もの元日本兵が送られて強制労働させられたのは、北海道の半分を占領することをスターリンが求めたのをトルーマンが拒否したから急に決まったことという説がある。しかし、ソ連はその前に元ドイツ兵300万人を強制労働させているので、スターリンが急に思いついたこととは考えられないということ。
その二は、毛沢東は実は日本軍と手を組んでいて、日本軍は蒋介石の軍隊を攻撃させていたという説をもっともらしく言いたてる本がある。これは蒋介石がデマ宣伝したのを、現代日本の陰謀論者がデマを拡散しているだけのこと。
その三は、日本敗戦後、アメリカは婦女子より元日本兵を優先して日本へ帰国させた。元日本兵が中国に大量に居すわって、中国軍と手を組むのを恐れたということ。日本人婦女子の送還はアメリカにとって優先課題ではなかった。
久が80歳になってから書き始めた手記をもとにして、当時の満州で日本軍が何をしていたのか、その悪業の数々も明らかにし、国共内戦のなかの八路軍(パーロ)の様子なども紹介している。
再び戦争前夜とまで言われるようになった現代日本において、「国策」に黙って乗せられたらどんな目に国民はあうのか、まざまざと再現している貴重な記録となっている。ぜひ、多くの若い人に読んでほしい。
(2023年7月刊。1650円)
2023年7月22日
夜空の星はなぜ見える
宇宙
(霧山昴)
著者 田中 一 、 出版 北海道大学図書刊行会
夜空は暗い。満月の夜が明るいといっても本を読むのは辛いし、星だって見える。
でも、よーく考え直してみたら、夜の空が暗いって、実はあたり前なんかじゃない。だって、星って、無数にあるはず。だったら、満天は無数の星で埋め尽くされて、暗いはずがない。
でも、反対に、星って地球からは遠い遠いところにあるものそうすると、そんな遠いところの星が発した光が地球まで届くのに何万年もかかったとき、その光が人間の目に一点の光として感じるって、そんなことが本当にできるの...。
というわけで、夜空の星を私たちが見ることのできるのは、実は奇跡的な出来事のはず。でも、夜になると、星はフツーに空にあって、またたいて見える。いったい、どういうことなの...。
この本を初めて私が読んだのは、今からなんと49年も前の4月のこと。つまり私が弁護士としてスタートを切った4月、まだ弁護士バッジも受けとっていないときのことでした。
この本から受けた衝撃は大きく、そのため本棚の片隅に置かれながらも、決して捨てることはありませんでした。いま「終活」と称して、本棚の整理をすすめているのですが、手に取ったとき、もう一度よく読んでみようと思って、人間ドッグの泊まりで読む本の一冊として選んだのです(いつも一泊ドッグで6冊よみます)。
太陽からの光は、大気で反射し、また大気に吸収されて、地上に達するのは、その半分、つまり1平方センチメートルあたり1分間に1カロリー。太陽から放射された光は、500秒で地球に到着する。
網膜上に集められた光は、網膜を構成する細胞によって吸収される。夜空の星のなかで一番明るく輝いているのは、真冬の南天にある大犬座のシリウス。このシリウスが見えるためには、「理論」上、0.96光年以内に存在しなければならない。しかし、シリウスは実は8.64光年の距離にある。この最も明るいシリウスを見ることができないのだから、夜空のすべての恒星を人類が眼で見ることはできない。
こんな「理論」的結論は、もちろん明らかに間違っている。そりゃあ、そうですよね。星は夜空でバッチリ輝いていますからね。
星野村にある天文台の大型の天体望遠鏡をのぞくと、昼でも星が見えます。これには驚きました。最近久しく行っていませんが、ホテルが併設されていますので、泊まりがけで行って、夜空をのぞいてみたいです。
人間の網膜は、「理論」よりはるかに遠い光の到着を敏感に感じている。1千光年先の星を人間は見ることができる。なぜか...。
著者は、そこで、次に光とは何かに挑みます。ここになると、かなり難しくなってきます。要するに、光とは粒子であって波でもあるということ。両立しそうにないのに、両立しているという量子力学の世界です。
網膜に届く光量子が5個から8個になると、光の到着を網膜は感じる。光の粒子性を仮定すると、夜空に輝く星は、千光年に及ぶ遠方のものまでこの眼でたしかに見ることができる。
そして、光という単一の物質が、波動であって、かつ粒子だというのはとうてい受け入れがたいところだが、光が粒子性と波動性を同時にもちうるなら、夜空の星を人間の眼が感得できることになる。
光量子数が多いときには、きわめて良い精度で、全エネルギーが定まっていながら、それと同じように、光の位相がほぼ一定の値をとることが許される。通常の光が波動性を顕著に示すゆえんである。
ここはちょっと理解が難しいですね...。それはともかく、次は、なぜ夜の空は全天満天の星で覆われていないのか、なぜ暗いのか...、です。
結局、これは宇宙が膨張しているからだと私は思います。すべてが光速で膨張していったとしたら、満天が星で覆い尽くされるはずがありません。
というわけで、私の宇宙に関する謎は深まるばかりなのでした。いかがでしたか...。
(1973年9月刊。840円)
2023年7月23日
ニホンザルの生態
生物
(霧山昴)
著者 河合 雅雄 、 出版 講談社学術文庫
1964年に刊行された本ですから、まさしく古典的名著です。
ニホンザルの観察記録なので、60年たったからといって内容が陣腐化して役に立たないなんていうことはまったくありません。ニホンザルの社会が縦横無尽に語られていて、飽きるところがありません。
ニホンザルには本当の意味の家族はない。オスとメスとは性関係はもつが、オスは子の育児には関係しない。母と子のまとまりはあり、母系集団はできる。しかし、母系家族と呼ぶことはできない。
サルのオトナは決して遊ばない。遊ぶのはコドモやチュウドモ期までで、彼らの社会関係を保つうえに重要な役割を果たしている。動物の中でオトナが遊ぶのは人間だけ。ええっ、でもカラスは大人になっても遊んでいますよね...。
ニホンザルのメスを観察していると、騒がしさと大げささを感じる。とくに採食中は誰かが必ずいさかいを起こしている。メスは常にごまかそうとしている。順位のルールがしっかりしていないから、ちょっとしたことがすぐトラブルの原因となり、しかもそれが誇張され拡大される。
ただし、メスはしょっちゅういさかいを起こしているけれど、それは互いを傷つけたり拮抗しあうという性質のものではなく、それによってかえって感情的結合を強める要素もある。メスの中に群れ落ちしてヒトリザルになるようなサルはいない。メスは依存ないし共存なしに存在することはない。抜きさしならない集合性こそ、群れを成立させる母体である。メスを特徴づけるのは依存性、保守性、連帯性、親和性。
メスはアカンボを産むと、母親どうしが寄り集まる。このときには、中心メス、ナミメスの区別や、それまで仲が悪かった仲間という関係は消失する。
一般にオスは5歳半になると、母親より順位が高くなる。母親より優位に立つことによって、ワカモノは初めて一人前のオスとして独立したことになる。ヒトリザルになるのはそのあとのこと。
リーダーがメスを支配し統率しているように見えていても、メスはひそかに周辺へ飛び出し、ヒトリザルとこっそり欲求を満たしてきて、やがて知らん顔をして群れに戻ってくる。
ニホンザルのリーダーになるのにはメスの承諾が必要。それがなければ決してリーダーにはなれない。メスに信望があることが絶対に必要。力ずくだけではリーダーにはなれない。
リーダーの安定した地位を築くには、最低で3年、十分には5年間の在任キャリアを要する。群れが危機にあるときには、メスでも立派にリーダーの役割を果たすことができる。
ニホンザルを個体識別して、1頭1頭に名前をつけて長期間じっくり観察した結果ですので、面白いことこのうえありません。今では、そのうえにDNA分析などもやっているのでしょうね。
ニホンザル観察記として抜群の面白さを堪能しました。
(2022年1月刊。1410円+税)
2023年7月24日
昆虫学者、奇跡の図鑑を作る
生物
(霧山昴)
著者 丸山 宗利 、 出版 幻冬舎新書
図鑑の何が好きかと問われたら、まだ見ぬ世界そのものがあること。
図鑑で憧れた昆虫を追い求め、世界中を旅行している著者たちが、あらゆる憧れの生き物を見るには、人生は短すぎる。
私にとっては、図鑑ではなく写真集です。世界中のさまざまな情景を切り取った写真集や動植物のいろんな生き様を鋭く暴いた写真集などです。私が実際に現地に行って見ることは、それこそ人生は短すぎるので、無理なのですが、写真集は古今東西、ありとあらゆるものを眼前に見せてくれます。
著者たちが挑戦したのは、すべての昆虫を生きた姿の写真で掲載すること。それは、昆虫の多様性と進化が分かるものでもある。そのためには、白い背景で昆虫を撮影する。目標を立てたら、それに必要な仲間を見つける必要がある。
さらなる難問は、撮影期間が1年しかないということ。うひゃあ、こ、これは大変ですよね...。たとえば、チョウの白バック写真は非常に難しい。というのは、チョウの多くは翅(はね)を閉じてとまるので、室内の白い背景で翅をうまく開いてくれる保証はない。
そして、撮影した人が図鑑の解説の執筆者を兼ねる。こんな人をまず10人確保した。でも、とても足りない。そこでSNSなどで求めた。結局、30人以上の人が加わってくれた。
白バックの背景で写真をとろうとしても、昆虫の多くはじっとしていたくない。また、立体感と存在感を出すため、適切な影をつけることも大事なこと。うひゃうひゃ、これはいかにも大変そう...。
白バック撮影で生き虫の動きを止めるため、二酸化炭素を容器に流し込んで動きを止める。そして、しばらくして昆虫が目を覚まして動き出した瞬間を撮影する。いやはや、口に言う以上の大変さがあるでしょうね...。
結局、7000種の昆虫の3万5000枚もの写真がとれた。そのうちの2800種を図鑑に掲載した。
ストロボを使って昆虫を撮影するとき、白いプラスチックの板や紙をはさむ。それによって光が拡散する。ところが、光が拡散しすぎると、光沢が消えてしまうので、その加減が難しい。
トンボは死ぬと身体の色が変わってしまう。トンボは、すぐに弱ってしまう。元気なトンボで困ったと思っていると、その直後に死んでしまう昆虫なのだ。
九州は関東ほど昆虫は多くない。しかも、明らかに昆虫が減少している。日本だけでなく、世界各地で昆虫の減少が報告されている。
たとえば、シジュウカラ(鳥)は、1羽あたり、1年に12万匹の昆虫を食べる。
昆虫図鑑づくりの大変さが、たくさんの写真とともに、よくよく実感できる本でした。
(2022年9月刊。1200円+税)
2023年7月25日
縄文人がなかなか稲作を始めない件
日本史(古代史)
(霧山昴)
著者 笛木 あみ 、 出版 かもがわ出版
縄文時代が始まったのは今から1万6500年から1万5000年前のこと。旧石器時代にはなかった「土器」の出現・普及による。そして、それから1万3000年ほど続いた。
縄文時代の人々は、猟師でいて、かつ漁師、植物採集しながら百姓そして職人だった。
縄文時代は温暖化によって、現在よりも暖かかったので、山にも海にも食糧が豊富にあった。平均寿命は30歳くらい。でも、60歳をこえた「老人」の人骨もかなり出土している。虫歯も多かった。土器によって煮炊きが可能になった。焼く、煮る、蒸す、干す、茹(ゆ)でる、燻製、漬物、パンにおかゆにクッキーにハンバーグと、なんでもありの食生活。主食は、クルミ、ドングリ、クリ、トチなどの堅果(けんか)類をアク抜きして食べていた。
日本全国に2700もの貝塚が発見されている。
アサやカラムシ、アカソなどの植物の繊維を編んでつくった布も出土している。シカの角や魚の骨で縫い針をつくっていた。土偶の髪型は奇抜なもの。特別のイベントのときの髪型。耳にはピアス、イヤリング。首にはネックレスやペンダント。腕にブレスレット。足にアンクレット。さまざまなアクセサリーを身につけていた。
新潟県産のヒスイ、長野県産の黒曜石が、全国各地の遺跡から出土している。
縄文習俗で痛そうなのは抜歯。他人(ひと)から見える位置にある、前歯や犬歯を抜いている。
「火焔型土器」は、まったく無駄な装飾としか言いようがない。ところで土偶は、そのほとんどが意図的に壊され、そして地中に埋められた。
縄文時代の女性の死因として、出産がとても多かった。出産経験者の85%が若くして亡くなった。
4300年前、日本列島の気温が下がり、列島の食生が変化した。渡来人が持ってきたイネを耕作するようになり、弥生時代が始まった。それでも、しばらくは西の弥生、東の縄文という構図が200年も続いた。中部・関東でイネの栽培が始まるのは、弥生時代中期のころ。九州にイネが伝わってから800年もたっている。
1万年以上も続いた縄文時代の具体的イメージがつかめる本です。
(2022年12月刊。1500円+税)
2023年7月26日
パロマ
社会
(霧山昴)
著者 園尾 隆司 、 出版 金融財政事情研究会
ガス瞬間湯沸器というと、その不良による一酸化炭素中毒事故によって、まだ30代の東京の弁護士一家全員が死亡したことを思い出しました。
1985(昭和60)年から2001(平成13)年までの17年間に、17件の事故があり、15人が死亡した。パロマの調査によると、事故の多くはガスの不完全燃焼を避けるための不完全燃焼防止装置を取りはずした結果に生じたもので、これは製品の設置、使用要領に反していた。それでは使用した消費者に問題があって、パロマには責任がないかというと...。
経産省は、消費者が容易に改造できないような構造にすべきで、違法改造したときの危険性を消費者に周知すべきだと指摘した。なーるほど、ですね。
いま、パロマ本社には社員研鑽(けんさん)用展示室があり、そこには「失敗からの学び」と大書されている。そして、事故のあった機器と同機種の瞬間湯沸器が展示されていて、何がどのように「改造」されたのか、その問題が容易に理解できるようになっているとのこと。
「人は誰もが失敗する。失敗から目を背けてはいけない。失敗の原因を正しく認識し、悔い改める人には必ず未来が開ける。私たちは多くの失敗をしてきた。それでも多くの人々に助けられ支えられてきた。過去の失敗を二度と繰り返すことなく、これからも新たな挑戦を続けていく私たちは、それでもまた失敗することもあるだろう。失敗からの学びこそが成功への架け橋なのだ」
偉いですね。過去の失敗を堂々と社内に展示し、それを繰り返さないことを社員に呼びかけているなんて、すばらしいことだと思います。
「ケガと弁当は自分もち」。労災事故が起きても、それは社員の不注意であって、会社には何の責任もないといって労災申請に協力せず、責任もとろうとしない事件をいま抱えています。社員も消費者も大切にする会社であってほしいとつくづく私は願います。
パロマは、全国8ヶ所に工場をもっていて、自社内で製品の製造を完結している。そして、一つの工場は300人ほどにとどめる。それは、社長(工場長)が自らの指揮で動かせる限度が300人ほどだという考えにもとづいている。これまた、なーるほど、そういう考えもあるのですね。
パロマ創業家の後継者育成のポリシーは、「教え込むのではなく、体得させること」。当代の社長は4年間、アメリカの子会社で仕事したが、次の社長予定者も同じくアメリカで修業したとのこと。自分で経験して、道を切り拓いていくことが大切だということです。
日本が敗戦した8.15のとき、軍需産業だったパロマ(当時の名称は小林製作所)の社長は、銀行からできる限りの預金を引き出して現金化するよう社員に指示し、敗戦の混乱の中、1000人もの従業員に相応の退職金を現金で支払って離職させ、残った150人ほどの社員で再出発とのこと。これはすごいことです。先見の明がありますよね。戦争が終わったら軍需産業でやっていけるはずはありませんからね...。
この本はパロマ創業家のルーツを乏しい資料をもとに丹念に迫って明らかにしています。パロマ創業家(現在の社長は小林弘明氏)は常松家を祖とする。この常松家は二階堂氏から分家して一家を立てた保土原家から、さらに分家して一家をなしたもの。二階堂家は源頼朝に仕える藤原南家を出身とする文官。いやはや、こうなると、平安・鎌倉の日本史の世界です。
著者は大学時代、私と同じようにセツルメント活動もしていたことがあり、ともに司法試験に合格したあと、私は一貫してマチ弁として弁護士をしていますが、著者のほうは定年まで裁判官をつとめ、今は東京で弁護士をしています。
ひょんなことからパロマの社長を知り、その危機克服の経営哲学に共鳴し、こんな立派な本(170頁もあるハードカバー)をつくり上げました。たいしたものです。いつも贈呈ありがとうございます。
(2023年5月刊。価格不詳)
2023年7月27日
転換期の長崎と寛政改革
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 鈴木 康子 、 出版 ミネルヴァ書房
17世紀半ばまで長崎は著しく低い評価にあったが、17世紀後半以降は、財政的・外交的な観点から幕閣によって非常に高く評価されるようになった。それにともない、長崎を評価している長崎奉行の評価も相対的に上昇した。
元禄12(1699)年に、長崎奉行は芙蓉の間の末席から七席上座となり、京都町奉行よりも上座となった。遠国奉行の中では首座となった。このように、元禄期に長崎奉行は、その地位を大幅に上昇させた。
18世紀には、幕府から長崎に貸与された資金の滞納額は21万両を上回った。それを1748年に長崎奉行を兼務した勘定奉行の松浦河内守は、年に1万5千両、14年賦での返済を命じた。そして、これは1763(宝暦13)年に完済された。そして、それ以降も、長崎奉行は毎年、同額を幕府に献上した。
「半減商売」は、これまでの銅の国内産出量の減少にともなう貿易額の縮小命令だった。
唐船は輸出品として、銅だけでなく、俵物でも決済できる。オランダ船は銅と樟脳のみ。
寛政改革では、「半減商売」が強調されていた。これに対して、唐船貿易(中国との輸出入)は減らなかった。幕府はオランダ船より、唐船を優遇する方針を明確に示した。
松平定信による「寛政の改革」の根幹をなすのは、オランダ船のできる限りの排除、もしくはオランダ貿易が断絶しても、長崎、そして長崎貿易が維持できる体制の構築だった。
定信による長崎貿易政策のもっとも重要な課題は、オランダ貿易を縮小、あるいは万一、断絶したときの対処策にあった。
寛政改革においては、江戸参府を5年に一度という大幅な参府回数の削減を命じた。唐人には認められていない江戸参府という一種の国内旅行を利用したオランダ人が、各滞在地における日本人との抜荷を警戒し、それを極力防ぐためだった。オランダ人が江戸参府途中の宿は、阿蘭陀(オランダ)宿としてよく知られていて、こうした宿が抜荷の温床になっていた。さらに、オランダ人による江戸での直訴を回避しようとした。また、オランダ人と各地の知識人との交流も警戒した。
定信は、オランダ人がもたらす西洋の知識・技術を評価しつつも、その反面、考えが奇抜な面があることを警戒した。そして、オランダ船による銅の輸出量は従来の100万斤から50万斤に縮減した。
唐船貿易に関しては「半減商売」という言葉は使われず、オランダ船ほど厳しい制限はされていない。それは、唐船は薬種などをもたらすからだと定信は説明した。
この本は、長崎における寛政の改革が、あらゆる分野に至るまで幅広くすすめられたことを実証しています。400頁もある本格的な学術書です。
(2023年3月刊。6500円+税)
2023年7月28日
私たちは黙らない!
社会
(霧山昴)
著者 平和を求め軍拡を許さない女たちの会 、 出版 日本機関紙出版センター
異様な雰囲気の日本です。諸物価が高騰し、電気代も値上げされてエアコンをつけずにガマンしていて室内にいるのに熱中症に倒れる高齢者が続出しています。若者は非正規労働のため低賃金だし、安定性にも欠けているため結婚できない。少子化になるのも当然の状況。ところが、福岡にはタワーマンションが次々に建っています。最低1億円、最高4億円なのに、完成前に完売...。いやはや、貧富の差がこんなにもあからさまに拡大しています。
ところが、日本人は若者もふくめて、あくまでもおとなしい。かのアメリカだってハリウッドで俳優組合がストライキに立ち上がっているのに...。フランスは街頭で暴動まで起きていますよね。日本では投票率は5割以下、若者に至ってはデモや暴動どころか、せいぜい3割しか投票所に足を運ばない。自民党の大物政治家は、昔から投票所に足を運ぶなんてムダなことはしなくていい、自分たちにまかせとけ...と高言していて、日本の若者たちは、まさにそれを真に受けている(としか思えない)。スーパーへ夕方になって出かけて半額割引になった総菜を買い込む。トイレは3回ごとにまとめて流す。お風呂も毎日は入らないで、なるべくシャワーですます。こんな日本は、もはや「豊かな国」ではない。
貧困にあえぐ国民がいるのに、不要不急かつ、本当に必要なの...と疑問に思えるトマホークを400発もアメリカから買い付けようとしているニッポン。在庫一掃セールとまで言われているアメリカからの武器の爆買いが、ますますひどくなっています。
「核には核で」という、マッチョな思想むき出しの日本。
隣国にケンカを売ってばかりいるニッポン。
この10年間、賃金が上がらず、むしろ停滞しているのは、先進諸国のなかで日本だけ。
ところが、取締役報酬として1億円以上もらっている人たちは、ぐんぐん増えている。これって、あまりに不公平ですよね。本当は、日本の未来は、「人材育成、教育投資」にしか道はない(もっとも、人間を人材とみるのはおかしいという根本的な疑問もありますが...)。
大学の学資を無料にし、学生食堂のランチ(定食)は学生だったら無料で食べられるようにしたら、どんなに学生たちは生き生きと学べるでしょうか...。学生アルバイトが外食産業を支えているなんて、間違ってます。
外国人の技能労働者の多くが日本人よりもはるかに劣悪な悪条件のもとで働かされている。ところが、彼ら彼女らを雇っている日本人が大いに搾取して肥え太っているかというと、必ずしもそうではないのです。となると、産業構造自体の抜本的な見直しも求められているということです。
自民党の「国防」族のいう「国防」のなかに「民」は入っておらず、「国」のみ。それは軍需産業の育成・補助のためなら惜し気もなく税金をつぎ込めということ。
日本の食糧輸入相手国の第2位は中国。日本にとって中国は輸入総額の4分の1を占める国。そんな中国と日本が戦争するなんて、少しでもまともな頭の持ち主なら、まったく考えられないこと。
日本を本当に活性化しようと思うのなら、「身を切る改革」なんてインチキに踊らされず、子どもたちが学校で自由に伸びのび学べるように、少人数学習を実現し、それを具体化するために教職員を大幅に増やすことです。いま、全国で小中学校の統廃合がすすんでいます。でも、学校運営の論理として、効率化というのはまったくふさわしいものではなく、かえって有害そのものなんです。 「戦争は教室から始まる」というコトバがあるそうです。初めて聞きましたが、さもありなん、と思います。だから、「固定教科書」にするための検定は止められないのですね。
175頁のブックレットですが、ずっしり重たい内容でした。
大阪の石田法子弁護士が最後に、「まだ、みんなでなら、戦争なんか追い出せます」と呼びかけています。そのとおりです。戦争したがっている連中は決して一枚岩ではありません。橋下や吉村のようにウソっぱちだし、強がりを言っているだけなのです。元気を出して、もうひとがんばりしましょう。
(2023年5月刊。1300円+税)
2023年7月29日
チョウの翅はなぜ美しいか
生物
(霧山昴)
著者 今福 道夫 、 出版 化学同人
チョウのはね(翅)は翅(し)と読みます。キラキラと輝いていますよね、美の極致です。
いま、我が家の庭の一隅にはフジバカマを植えています。日本列島を縦断するというアサギマダラを待ち構えるためです。昨年の秋は来てくれませんでしたから、フジバカマの種類も増やしました。今年は、ぜひ来てほしいです。
この本を読んで驚嘆するのは、チョウのオスがどんなメスを好むのか、逆もしかりで、メスの好むオスの色を探るため、たとえばチョウに糸を付けてオトリをつくるという実験をしていることです。それだけではなく、チョウがあちこちふらふらするように円盤をモーターで動かす工夫もしています。すごく細かい工夫です。
アサギマダラには、チョウの個体識別のために、チョウの体にカラーマーカーで文字を書き込むとのことです(それでもアサギマダラは十分な飛しょう能力を損ないません)。
緑の翅をもつ種の多くは紫外線も反射する。だから、人間には緑に見えても、チョウには違った色に見えているはず。
チョウの翅の色には2通りある。その一は色素により、その二は構造色。鱗粉の微細構造による。このときは、見る角度によって異なる色が見える。構造色では、外からの光を薄い膜や細かい溝のような構造で位相の異なる光に変え、それらが強めあったり、弱めあったりする干渉作用によって、特定の波長の光を作り出している。
ミツバチには色覚がある。というのも、実験すると96%のミツバチが黄色に集まったから。
昆虫には赤が見えない。赤と黒を同じものと見ている。
昆虫は紫外線にもっとも敏感。なので、「誘蛾灯」は紫外線を強く発散するように出来ている。
チョウにも色覚がある。チョウはオスだけでなく、メスも意外と積極的にオスにアタックする。メスは「誘い飛行」する。メスは、よく動くオスに強く惹かれる。
チョウを対象として、フィールドワークという野外実験するときの苦労が少しばかり伝わってきました。同じところに何時間もとどまってチョウを観察するという苦労も分かりました。学者って、本当に大変な仕事ですね。
(2023年3月刊。1870円)
2023年7月30日
尼寺のおてつだいさん
人間
(霧山昴)
著者 まっちゃん 、 出版 アルソス
私は美味しいものを食べるのが大好きです。でも、若いころと違って、肉料理もいいけれど、素材を大切にした料理にどんどん心が惹かれるようになりました。今では、毎日の料理は野菜中心で何の不満もないどころか、感謝感激です。
そんなわけですから、精進料理、それも、自然のままの素材を生かし、そのうえ人の手をたっぷりかけた精進料理となると、思わずごっくん、ツバを飲み込んでしまいます。
NHKの『やまと尼寺精進日記』は私の大好きな番組でした。日曜日の夜、録画しておいた(正しくは録画してもらっていた)番組を90分間だけ、寝る前にみるのです。その常連が『ダーウィンが来た』と、この『精進日記』でした。
この『精進日記』に、尼寺の「おてつだいさん」として登場してくる「まっちゃん」が絵を描けるというのは、番組のなかで時に紹介されていましたので知っていました。その「まっちゃん」が描いたマンガも載っている本だというので、早速、手にとって読んでみました。
おてつだいの「まっちゃん」はなんとなんと、バックパッカーとして世界40ヶ国を放浪していた行動派だったのです。これには驚きました。
高校では漫研、そしてデザイン専門学校にも通っています。なので、マンガを描くのは子どものころから大好き。よく分かります。ところが、そんな「まっちゃん」が人間関係に悩んでひきこもりだった時期があるとか、食いしん坊なのに料理は全然できなかったとか、意外づくしです。
「尼寺のお手伝いさん」として7年間暮らした様子が四コマ漫画と文章で雰囲気がよく伝わってきます。そして、犬のオサムや猫のトラたちまでが...。
住職の密榮さんは本当に料理が上手のようです。テレビで、その美味しさがひしひしと伝わってきました。1万円出しても決して惜しくないお膳を見て、私は何度もため息をつきました。超高級ホテルの4万円コースの料理(もちろん食べたことありません)に匹敵すると確信します。精進料理は、とても奥深い。野菜や豆腐などの限られた食材で、こんなにも美味しく、美しくなるなんて...。
まったく同感です。1回でいいから、味わってみたいものです。テレビ番組をみていた人には、おすすめの本です。でも、1年ちょっとで8刷ですから、やはり売れているのですね。これまた、うらやましいです。
(2022年11月刊。1980円)
2023年7月31日
まちがえる脳
人間
(霧山昴)
著者 櫻井 芳雄 、 出版 岩波新書
ヒトの脳には、1000億ものニューロンがあり、そのうち800億以上は小脳にある。脳の大部分を占めている大脳には100~200億のニューロンがあり、そのほとんどは大脳皮質に集まっている。大脳皮質のニューロンの特徴はシナプスの多さであり、一つのニューロンが数千以上のシナプスをもっている。そこでは、多数のニューロンが複雑につながることで、緻密な神経回路を形成している。大脳皮質の1ミリメートル四方には10万個以上のニューロンがあり、ニューロン同士をつないでいる樹状空起と軸索の長さの合計は10キロメートルにも及び、接続部位であるシナプスは10億ヶ所以上になる。
ニューロン間の信号伝達は30回に1回ほどしか成功しない。
脳の活動がまるでコンピュータの動作のように定常的で安定していると考えるのは誤解。同じ運動が常に同じニューロンの活動から生じるわけではない。同じニューロンが活動しても、常に同じ運動が生じるわけでもない。一つの運動には、毎回、少しずつ異なるニューロンの集団が関わっている。ニューロンの発火は不安定であり、ニューロン間の信号は確率的にしか伝わらない。ニューロンは刺激がないときでも発火を繰り返している。脳全体で、常に自発的でリズミカルな同期発火が生じている。
脳の信号伝達は確率的であり、しかも、その確率はニューロン集団の同期発火がゆらぐことで刻一刻と変動している。ときに信号の伝達がうまくいかず、まちがいが起きてしまうのは当然のこと。このまちがいの中から、斬新なアイデア、つまり創造が生まれる。
つまり、進化とは偶然の結果にすぎないが、その偶然が起こるためには、生存できず消えてしまう多くの突然変異が必要なのだ。
ヒトの脳は、単純な神経回路の単なる集合ではない。言語と左脳の関係も決して固定されておらず、絶対ではない。男女で差があるというより、個人差のほうが圧倒的に大きい。
脳は5%とか10%しか動いていないというのは根拠のない迷信であって、脳は常に全体が活動している。脳は寝ているときも、起きているときも、常に全体が休みなく活動している。
脳は、生きて働いている脳については、まだ十分に解明されてはいない。脳は依然として、手強く未知な研究対象である。
脳の解明は、心の解明でもある。脳はいいかげんな信号伝達をして間違えるからこそ柔軟であり、それが人の高次機能を実現し、一人ひとりの成長を生み、脳損傷からの回復を促し、個性をつくっている。
なーるほど、そうなのか...と、何度も思い至りました。心とは何か、人間とは何かを改めて考えさせてくれる、大変刺激にみちみちた新書です。ご一読をおすすめします。
(2023年4月刊。940円+税)