弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年5月22日

阿弥衆

日本史(室町)


(霧山昴)
著者 桜井 哲夫 、 出版 平凡社

 阿弥(あみ)衆とは何者なのかを探った本です。
 黙阿弥(もくあみ)は、明治の初めころの歌舞伎の劇作者。本人は浄土真宗の徒でありながら、時宗(じしゅう)総本山の藤沢にある遊行寺(ゆぎょうじ)に出向いて、「黙阿弥」の号を受けた。
 阿弥(あみ)号は、時宗において許される法号。
 徳川家の先祖も、遊行上人に救われ、阿弥号をもらい、「徳阿弥」となのっている。
 能楽の観阿弥、世阿弥など、足利時代の芸能者もいる。足利将軍家が滅んだとき、芸能世界の「阿弥号」も消えた。
 著者は「室町時代」と呼ぶべきではなく、「足利時代」と呼ぶべきだと主張しています。鎌倉時代や安土・桃山時代そして江戸時代というのは幕府の所在地の地名。ところが室町は地名ではない。三代将軍の足利義満がつくった室町殿と呼ばれる邸宅の名前に由来する。しかし、義満以降の将軍がみな室町殿に住んでいたわけでもない。そして、明治、大正時代には、室町時代より足利時代というほうが多く使われていた。うひゃあ、そうなんですか...。
毛坊主(けぼうず)というコトバも初めて知りました。
 毛坊主とは、俗人ながら、村に死亡する者あれば、導師となって弔う存在。どこの村でも、きちんとした家系の、田畑をもち、学問もあり、経文を読んで筆算もできて品格のある存在。
 鐘打(かねうち)は、遊行上人の流れ。鉢叩(はちたたき)は、空也(くうや)上人の流れをくむ天台宗の一派。
客僚(きゃくりょう)は、合戦に負けたり、盗賊に追われたり、主君の命に背いたり、部族と対立して追われたり、当座の責任や被害から逃れるため遊行上人のもとにかくまわれて、にわかに出家した者のこと。
 こうした人たちをかくまう場所を「客寮」と呼んだ。客寮は日本版「アジール」。そして、これを廃上しようとしたのが豊臣平和令であり、刀狩令だったとしています。
 江戸時代、徳川家康に命じられた内田全阿弥に台まる「御同朋」という阿弥号を名乗る僧形の役職が存在した。ただし、時宗とのつながりはない。
 「世阿弥」はあまりにも有名ですが、実は、本人の存命中に使われたことはないとのこと。死後50年もたってから初めて文献に登場した。いやあ、これには驚きましたね...。では、本人は、どのように名乗っていたのか...。「世阿」「世阿弥陀仏」である。
 そして、世阿弥の生きていた時代には、まだ「同朋衆」という幕府の職制はできていなかった。
 足利期の時衆の同朋衆が美術品の鑑定・保管から売買・室内装飾、備品調達まで活発な経済活動に関わり、「倉」などの金融活動も営んでいた。ちょっとイメージが変わってきましたね...。
 同朋衆は、15世紀半ばころに職制として確立していた。かつての時宗(公方遁世者)と将軍とのつながりは、次第に薄れていた。西日本では、「鉢叩(はちたたき)」と呼ばれる念仏聖(俗聖)が活動していた。「鉢叩」は、中世に京都などで勧進芸をする念仏芸能者として始まっている。
 西日本では、東国よりも組織メンバーの自由度が高かった。
 明治の御一新のあと、「阿弥衆」は消えた。
天皇というコトバをあたりまえに使っていますが、日清・日露の宣戦布告文では「皇帝」だったとのこと。知りませんでした。祭祀のときも、「天皇」ではなく、「天子」と使いわけているとのこと。うひゃあ、そんなこともまったく知りませんでしたよ...。
 あれこれ、幅広く文献にもとづく主張が展開されていて、とても勉強になりました。
(2022年1月刊。3800円+税)

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