弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年5月21日

FDRの将軍たち(下)

アメリカ


(霧山昴)
著者 ジョナサン・W・ジョーダン 、 出版 国書刊行会

 第二次大戦における連合軍側の合意形成過程にとりわけ興味をもちました。決して一枚岩ではなく、アメリカとイギリスの思惑の対立、アメリカ軍内部のさまざまな利害・思惑の対立がずっとずっとあったのでした。
 そして、ソ連(スターリン)をどうやって連合軍の陣営にひっぱり込むかでも、米英それぞれが大変苦労していたようです。たとえば、カチンの森虐殺事件では、大量のポーランド軍将校を虐殺したのはソ連(スターリン)だと分かっていながら、ソ連の参戦を優先させ、米英首脳部(FDRとチャーチル)は沈然したのでした。
 また、アウシュヴィッツ絶滅収容所でユダヤ人の大量虐殺が進行中であることを知りながら、収容所爆撃は後まわしにされました。戦争の早期終結のためには重化学コンビナート爆撃を優先させるべきだという「政策」的判断によります。
 指導者の人間性についてのコメントも面白いものがありました。中国の蔣介石について、チャーチルは中国国内を統一するだけの能力はなく、日本軍を倒すことより、内戦に備えての再軍備そして私腹を肥やすことにしか関心がないとして、とても低い評価しかしなかった。
 戦後日本で神様のようにあがめられたマッカーサーについては、アメリカの大統領を目ざす野心が強烈で、マーシャル将軍のような公平無私の姿勢がないとしています。
 FDR(ルーズヴェルト)は、戦後の中国を西側陣営にしっかり組み込むことを望み、そのため蔣介石たちをカイロ(エジプト)に招待もしていた。
 イギリスは蔣介石は、いざというときには頼りがいのない男だとみていた。
 ナチス・ドイツに攻め込まれていたソ連は、一刻も早くヨーロッパで第2戦線が開設されることを強く望んだ。そして第二戦線がヨーロッパに開かれたら、ソ連(スターリン)もドイツ降伏の日からまもなく(3ヶ月内に)対日戦に参加することを表明した。
 欧米では高い社会的地位につく者が、入隊した自分の息子を危険な戦場から遠ざけることはできない。これが暗黙の了解だった。立派ですね。なので、万一、自衛隊幹部の子弟が戦場で毎週のように死亡するという事態が現実化したら、日本社会はどのように反応するのでしょうか...。日本では、そんな事態になるよりも、裏に手をまわして危険な前線に送られないように、きっとなることでしょう...。
FDR(ルーズヴェルト)が死亡したとき、後継者となったハリー・トルーマンは、前の大統領(FDR)とは異なるタイプの人物だった。トルーマンは、短く、早口で、ざっくばらんな話し方を好み、世間話はせず、返答を避けることもしなかった。
 FDRはトルーマンに対して、スターリンやチャーチルとの秘密のやりとりを一つも明らかにしなかった。トルーマンは連合国の戦略も原爆の製造・販売について何もFDRから知らされていなかった。
 アメリカの原爆投下候補の町として京都が上げられていた。このとき司令官のスティムソンは京都をリストから外すよう命じた。しかし、部下のグーヴズは京都も対象にすべきだとして、直接に大統領に働きかけた。しかし、それは却下され、無事に京都は残りました。
6月6日のDデイ(「史上最大の作戦」の開始日)において、誰が最高司令官になるのかについても、アメリカとイギリスは激しく対立した。結局、アイゼンハウアーが最高司令官に就いた。
 とても興味深く、連休中に、喫茶店から動かず、必死で読みふけりました。
(2022年11月刊。3800円+税)

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