弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年5月18日

FDRの将軍たち(上)

アメリカ


(霧山昴)
著者 ジョナサン・W・ジョーダン 、 出版 国書刊行会

 第二次世界大戦のとき、アメリカは豊富な資源にモノを言わせてとてつもない物量大作戦でのぞんだことになっています。
 ところが、FDR(ルーズベルト大統領)は、年間5万機の軍用機を製造するように求めたとき、周囲は「見果てぬ夢」と受けとめたというのです。だって、このとき、通常の生産ではせいぜい2000機ほどでしかなかったのです。1年に1万機なんてムリでした。そして、5万人のパイロットはいないし、5万人ものパイロットを養成する訓練所もないし、5万機の軍用機を飛行可能な状態にしておく整備工場もありませんでした。
 なので、年に5万機の軍用機だなんて、あまりに「とっぴな」生産日授設定だと思われたのです。ところが、FDRは、アメリカ国民は、自分たちの行為の意味を理解すれば、求められることは何でもやりとげる能力があると固く信じていたというのです。すごいですね、偉いことです。
 民主党内のニューディール派とリベラルな不戦主義者たちは、イギリスに対する軍事援助に反対していた。なるほど、その論理は今の私にも理解はできます。でも、実際問題として、そのままアメリカが何もしなかったとしたら、世界はどうなっていたでしょうか...。考えるだけでも恐ろしい気がします。
 そして、アメリカの軍隊には異人差別が厳然としてありました。50万人のアメリカ軍に、黒人兵士は1%の5千人にもみたない。そして、黒人将校はわずか2人だけ。黒人は、「ボーイ」のような扱いを受けていた。当時の陸軍省は、一つの連隊の中で黒人と白人の下士官兵を混在させることはしない、という方針でした。
 アメリカの将軍は、日本よりドイツのほうが手ごわい敵だと考えた。ドイツの第三帝国は経済的に自立していたが、日本はそうではなかったから。日本が敗北してもドイツの運命にはほとんど影響がないが、ドイツの敗北は不可避的に日本の負けにつながると考えた。
 FDRは、ヨーロッパの戦争に直接関与しないという公約で大統領三選を果たしたばかりだった。武器貸与法を成立させ、イギリスへ物資援助することでアメリカを戦争から遠ざける最善の方法だと考えていた。このころ、アメリカ国民の半数は、ドイツのUボートを攻撃することに反対した。1941年5月、8割近いアメリカ国民が参戦に反対しつつ、52%がイギリスへ軍需物質の輸送に賛成した。
 対日政策に関して、FDR政権内は二つに割れた。石油の禁輸は戦争を誘発してしまうと考えるアメリカ国民が半分はいた。
アメリカ本土の日系人は収容所に強制的に収容された。しかし、ハワイ諸島にいた14万人の日系人は、すべてを強制退去するのは不可能だったので、収容所に入れられることなく、島内、それも軍事施設の近くに住み続けることができた。
 1940年12月7日、日本軍がハワイの真珠湾を専襲攻撃したのを知らされ、FDRから聞いたキプキンズは「何かの間違いに違いない」と答えた。そして、FDRは、「まったく予期していなかった」と言った。このとき、FDRの目は生気を失い、その日は冗談も出なかった。
 アメリカの大統領が日本軍の真珠湾攻撃を知っていながら、わざと知らないふりをしてやらせたという陰謀説は今も根強いものがありますが、FDRの周辺の様子はとてもそんな余裕は感じられなかったというものです。私も賛同します。陰謀説は無理がありすぎます。
(2022年11月刊。3800円+税)

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