弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年4月26日

日本の古代国家

日本史(古代)


(霧山昴)
著者 石母田 正 、 出版 岩波文庫

 古代国家についての古典的文献を久しぶりに読み返してみました。
  なにしろ、今から50年以上も前の1971年に発表された本なのです。東京までの飛行機の中でじっくり読んでみようと思ったのでした。国家は単に「強力」(かつては暴力と記されていたコトバです)によって支配するのではない。裸の「強力装置」(暴力装置。たとえば軍隊)は、事制国家の場合には、10年と存続しえないであろう、それが肉体労働と知的労働との社会的分業の体制を基礎とし、後者が支配階級によって独占されている事情によって、律令制国家は数世紀にわたって日本人民を支配しえた。
隋、唐時代を通じて、倭国あるいは日本は一貫して中国王朝に対する朝貢国であった。
 中国の正史において、倭国からの使節は、「来貢」または「朝貢」と記されるのが普通。朝貢関係は冊封関係よりは、より緩和された形態ではあるが、それが王権間の一つの支配、服従の関係であることには変わりはない。
 日本と中国の関係は対等ではない。唐の都、長安における新羅使との席次争いも、日本が唐に朝貢する諸蕃の一つであったことを示している。唐の皇帝は、日本に対して出兵を指示・命令する権利があると考えていた。その根拠は日本が朝貢国であるということだった。
5世紀の倭王が「大王」の号を称していたのは、高句麗の国王が「太王」と称していたことの対抗だった。
 隋の皇帝が「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という文章を読んで怒ったのは、倭王が勝手に「天子」の称号を用いたから。「日出ずる...日没する」に怒ったのではない。
 それまでの「大王」号は、倭国内部の称号だった。これに対して、「天皇」は、「大国」または朝貢国の王としての地位を示す称号として成立した。群卿・大夫層の合議の主催者であり首席である大臣(おおおみ)蘇我馬子は決定を破って新羅への出兵を命じた張本人。大臣の権威と指導力は、いわれるほど強力ではなかった。
 大化改新は、単なるクーデターでも、政変でもない。改新のプランとプログラムは政変以前に、周到に準備されていた。
 隋の煬帝の度重なる征服戦争は民衆の叛乱をあおり立てた。
 日本は、百済救援のため、相当数の軍隊を朝鮮半島に輸送できた。このころ、新羅も日本も、奈良時代には一艘(そう)百人以上の収容力ある船の造船技術を持っていた。
 初位以上の全有位者の武装の強代、兵器とくに馬の装備、歩卒と騎兵の分化、戦闘の訓練と技術の習得など、質的に高い武装力を持って幾内を固めた。難波は、外交上の要所であるだけでなく、軍事基地であり、「軍港」であった。
 天武・持統制における軍政上の最大の改革は、「軍団」の創設。これは公権力がはじめて独立の常備軍を持ったことを意味している。
大宝令は、日本における国家の最終的な完成を示す法律書。
歴史の必然性は、偶然を通してしか実現しない。さすがは古典的名著です。文庫本で554頁もありますが、ともかく読み進めて、新しい知識を得ることができました。
(2017年1月刊。1380円+税)

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