弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年4月20日

日の丸は紅い泪に

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 越 定男 、 出版 教育資料出版会

 戦前の満州(中国の東北部)にあった七三一部隊で技術員(石井部隊長の専属運転手など)として働いていた人の体験・告白記です。本当におぞましい内容です。
著者の話を聞いた女子高校生が言い放ちました。
 「あなた方は、そんなひどいことをして...。中国へ行って謝ってください」
 いやあ、ズバリ正論ですね。女子高校生の言うとおりです。でも、何回謝っても、すむものではないことも真実です。ところが、いまや、七三一部隊の蛮行が日本社会で忘れられつつあるというのが、悲しい現実です。
 七三一部隊で犠牲になった人は3千人と言われています。どこの誰が犠牲になったのか、すべて資料が焼却されていてもはや判明しません。「マルタ」と呼ばれ、番号で管理され、医学文献上は「猿」と表現されました。
 施設に入ると、足錠をつけられ、リベット(ピン)の頭が丸くつぶされ、絶対に外されないようにされました。施設からの逃亡は絶対に不可能でしたが、野外の実験場から集団で逃走しようとした事件は起きたようです。そのときは自動車で全員(40人)がひき殺されました。
 細菌を扱うので、七三一部隊の隊員が感染して死ぬこともあったようです。著者は年に20人ほど隊員が死んだといいます。著者の子ども(幼児)も感染死しました。隊員は死んだら解剖されます。入所時に一札書かされているのです。
 七三一部隊には皇族が何人も視察に来ていますし、関東軍の要職にあった東條英機も何回か訪問したようです。また、ハルビンの日本領事館の地下に「マルタ」を収容する施設もありました。
つまり、七三一部隊は関東軍の暴走によるものではなく、日本の政府、軍の直轄事業だったのです。
 ところが、日本攻戦後、石井部隊長たちはアメリカと取引し、実験材料を高く買い上げてもらったうえ、身分保障され、戦犯となることもなく、戦後日本の医学界・医療業界で重きをなし、君臨していたのです。ひどい、ひどすぎます。
 1983年に出版された本をネットで購入しました。
(1983年9月刊。1200円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー