弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年4月16日

セリエA発アウシュヴィッツ行き

イタリア


(霧山昴)
著者 マッテオ・アラーニ 、 出版 光文社

 セリエAで優勝するのをスクデットと言うようですが、この本の主人公アールパード・ヴァイスは、インテル時代に史上最年少でスクデットを獲得した監督。スクデットの獲得回数は計3回、インテル時代に1回、ボローニャ時代に2回。それにパリ万国博覧会カップのタイトルが加わる。
アールパードは、強い意志の力で、イタリアのサッカー界に多くの決定的な新しさをもたらした。練習方法、プロ意識、科学的データの導入など、あらゆる面において、確固たる地位を築いた。
アールパード・ヴァイスは、エレガントな服装、上品な物腰、何より読書が大好きで、サッカーの指導書も書いた。
イタリアのファシストの親玉だったムッソリーニは、当初(1932年)、ユダヤ人排斥はしないと高言していた。イタリアの人口4000万人のうち、ユダヤ人はわずか4万人ほど。ところが、1938年にはイタリアでもユダヤ人排斥が始まった。ユダヤ人は、医師・弁護士・大学教員など、社会的地位の高い職業において割合が高かった。反ユダヤ主義者の動機はいろいろで、日和見主義、個人的打算、野心、経済的関心。
ドイツでは一般市民がユダヤ人家族が追放されると、その家に堂々と入り込んで、ユダヤ人家族の所有物を我がものにしていった事実があります。この「利益」が反ユダヤ・キャンペーンを支えたのでした。イタリアでも同じようなことが起きたのでしょう。
ユダヤ人について、事実に反するグロテスクなイメージが流布され、広がりました。
「血走った目をしていて、やせている。肌の色は黄色ばんでいて、髪はボサボサ」
「カトリック文明はユダヤ人高利貸しに支配されている」
「ユダヤ人の金銭への愛着は尽きることがない」
アールパードはユダヤ人でありながら、子どもたちにはカトリック式の洗礼を授けさせた。恐怖の1938年、ユダヤ人は公職から追放されるだけでなく、大企業の重役、銀行員、そして消防隊員などから排除された。当時のボローニャでは人種差別はほとんどなかった。ところが、沈黙の壁が広がった。
1939年1月、アールパードはフランスに行った。そこで落ち着けず、次はオランダのドルトレヒトへ。
ユダヤ人をドイツでは「ユーデン」と呼び、イタリアでは「エブレイ」と呼んだ。
ユダヤ人には迫害に抵抗するだけの能力の高さがある。
ナチスドイツがオランダに攻め込んできたとき、わずか5日間でオランダはナチスドイツに降伏した。1938年8月、イタリアではユダヤ人の財産がすべて没収された。ユダヤ人の国外追放を利用して、その財産をかすめとった者も少なくなかった。1942年8月2日午前7時、オランダ警察ではなく、ドイツ警察がやってきてアールパードを連行していった。オランダから搬送されたユダヤ人は4万人。ところが、彼らは切符を買わされた。死にに行くのに、お金を払わされたのだ。
西欧諸国のなかで、最も多いホロコーストの被害者を記録したのがオランダだった。「アンネの日記」のアンネも、オランダに潜んでいたのでしたよね・・・。
ナチス親衛隊の目標は、ユダヤ人を証拠を残さず消すことだった。なので、逮捕・連行は一般市民がまだ寝ている早朝に行なわれた。アウシュヴィッツに向かったオランダのユダヤ人のうち生還できたのは1000人弱でしかない。ソビボル強制収容所に連行されたユダヤ人3万5000人のうち、生存者はわずか19人。
イタリアの栄光のサッカー監督がユダヤ人であるというだけで逮捕・連行され、一家もろとも殺害された事実を掘り起こした労作です。ファシズムのうねりは目のうちに積まなければ止めようがなく暴走してしまうこと、このことを日本人の私たちも「戦前」になろうとしている今、歴史の教訓として深く学ぶ必要があると改めて思ったことでした。
(2022年10月刊。1800円+税)

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