弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年3月31日

ジェンダーレスの日本史

日本史(古代)


(霧山昴)
著者  大塚 ひかり 、 出版  中公新書ラクレ

 トロイア遺跡の発掘で有名なシュリーマンは明治の初めころに日本に来て、公衆浴場の前を通ると、30人から40人の全裸の男女が出てきて、驚きました。そうなんです。このころの風呂は男女混浴があたり前でした。
 それを見たシュリーマンは、「名前に男性形、女性形、中性形の区別をもたない日本語があたかも日常生活において実践されているかのようだ」と話したのでした。
 そのとおり、日本語には性がありません。私は長くフランス語を勉強していますが、この名刺は女性形なのか男性形なのか、今でも迷うことがしばしばです。これは直観に頼って覚えておくしかありません。
 日本の『古事記』や『日本書紀』という正史には、神々のセックスで国や国土が生まれたと堂々と書かれている。性は良いもの、大事なものという前提がある。子作り以外のセックスを罪悪視するキリスト教とは根本的に違っている。なーるほど、そうですよね。
 平安時代の美形は男女ともに、「きよら」とか「にほふ」というコトバで形容されている。
古墳時代前期における女性首長の割合は全国で5割以下、畿内では3割以下で、つまり3割から5割ほどの女性首長が古墳時代前期に存在した。
 いやあ、これってすごいことですよね。日本古来の現実は、女性が活躍する時代だったのです。そう言えば、天皇の先祖はアマテラスという女神でしたよね。そして、神功(じんぐう)皇后はもとより、推古から称徳まで、6人8代の女帝が立て続けに出ていました。なので、現代日本で女帝は認められない、それは日本古来の伝統なのだから・・・というのは、真っ赤な大嘘なのです。自民党の議員さんたちは少しは古代日本の歴史も勉強して下さい。
 平安時代になって、最高権力者の任命でもめたとき、決定権があるのは国母だった。国母、つまり天皇の母に決定権があったのです。国のトップは関白頼道(よりみち)でも天皇でもなく、80歳の彰子でした。
 鎌倉時代になっても、東は北条政子と義時の姉弟、西は後鳥羽院の乳母(めのと)の郷二位が牛耳っている。このように僧慈円は『愚管抄』に書いている。
 日本は明治後半まで、ずっと夫婦別姓だった。平安時代、藤原道長の妻は源倫子と源明子。鎌倉時代、源頼朝の妻は北条政子。室町時代、足利義政の妻は日野富子。
 夫婦同姓になったのは明治31(1898)年に明治民法が施行されてからのこと。わずか100年あまりのことにすぎないのです。
 古代社会、そして平安時代まで、新婚家庭の経済は妻方が負担し、家・土地は娘が受け継ぐことも多かったことから、子の父が誰かは大した問題ではなかった。
 いやあ、これは現代日本とはかなり異なる観念ですよね・・・。
お歯黒をつけるというのは江戸時代の女性とばかり思っていると、この本では、将軍も武士も上流階級の男はお歯黒していたというのです。そして、それが明治期まで続いていたというのには驚きました。
 知らないこと、思い込んでいることがいかに多いかと改めて思い知らされる本です。
 「日本古来の・・・」と自民党が言うのも、大半は「明治の人達は・・・」ということだということもよく分かる新書です。すらすらと読めますから、ご一読ください。

(2022年11月刊。990円)

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