弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年3月13日

樋口一葉赤貧日記

明治・人間


(霧山昴)
著者 伊藤 氏貴 、 出版 中央公論新社

 24歳という若さで亡くなった樋口一葉の一生が詳しく再現されています。なにしろ本人の日記がネタ元になっているのですから、まさしく迫真的です。
 一葉は、ずっと貧しい生を送ったのかと思っていましたが、それはまったくの誤解でした。幼いころから貧しかったら、文学的教養を身につけることができるはずもありません。むしろ、幼い頃は、中の上か上の下くらいの家庭で、一葉はなに不自由なく育ったのです。
 この本を読んで驚いたことがいくつもあります。その一が、一葉は、手紙の書き方の本を書いていることです。その『通俗書簡文』は、10年間に版を重ねて、5万部以上も売れた。いやあ、これは、すごいです。
 一葉は筆まめというだけでなく、手紙の達人だった。遊女の手紙まで代筆していた。この本は、女性を対象読者とした、女性の文体での手紙の書き方。
 「試験に落第せし人のもとに」送る手紙、「書物の借用たのみ文」など...。ところが、「借金を頼む手紙」とか、「借用金の返済猶予を願う文」というのは一切ない。これらは一葉にとって、とても身近だったテーマだったのに、ない。なぜか...。一葉が生前に出した唯一の本がこれで、借金から逃れるために書いて本にしたものだった。
 そして、二番目に驚いたのは、一葉が死んだあと2ヶ月したばかりで「一葉全集」が出版社の博文館から発刊されたこと。いやあ、これはすごいことですよね。わずか2ヶ月で、「全集」が出るなんて、誰にも想像できないことではないでしょうか。売れると見込んでいたのですね。
 その三は、もし一葉が若くして病死しなかったとしたら、売れた本の印税収入を元手として社会運動に身を投じていたかもしれないと著者は想像していることです。なるほど、そうかもしれないなと、私は思いました。
 一葉の作品が優れていたからこそ、女性として初めての日本銀行券の顔になった。そして、作品をそれほど優れたもの、他の追随を許さない、唯一無二のものにしたのは、なにより貧乏の体験だった。本当にそうだと私も思います。
 一葉の父の名前は、大吉、八代吉、甚蔵、八十吉、八十之進、為之助と何度も改名していて、最後に「則義」となった。
 一葉の家は、本郷にある東大赤門のちょうど道路をはさんだ真向かいにあった。
 一葉の父は、山梨で代々農民だった。そして、武士の地位はお金で買った。徳川幕府の直参の御家人になった。そして、その父(一葉の祖父)は、百姓惣代として水争いの調停のために江戸へ出て、老中阿部正弘に駕籠訴(かごそ)をして、投獄された。本人は死を覚悟していたが、結局、30日の伝馬町の牢内手鎮の刑ですんだ。一葉は、その生まれ変わりのように扱われた。
 一葉の父親は、苦労に苦労を重ねて、金を貯め、ここまで成り上がった。それに対して一葉は、生まれたときから裕福でお金の苦労というものを一切知らない。
 一葉は、12歳で小学校を中途退学した。母親の意見によるものだった。それで、一葉をかわいそうに思った父親が、一葉にどんどん本を買ってやり、そして一葉は和歌を独習した。『南総里見八犬伝』を3日で一葉は読了した。ホントでしょうか...。
 父親が58歳で病死すると、一葉は父親の指示どおりに戸主になった。そして、一葉の兄は23歳のとき、肺結核によって亡くなっている。
 漱石は一葉の5歳年上で、この二人は結婚の可能性があった。戸主になると、他家に嫁に行けなくなり、基本的に、長男とは結婚できなくなってしまう。
 一葉は19歳のとき、誰にも頼らず、自分の力だけで生きていこうと腹をくくった。
 一葉は、生きるために書くことを捨てた。そうではなく、書くために生きるのだ。
 私は書くために弁護士稼業をずっとずっと続けたいと考えています。
 一葉にとって「奇跡の14ヶ月」というのがあるのを初めて知りました。最後まで貧しさの底で生きることで、一葉の文学は、大きな実りを結んだ。貧困なくして、一葉の文学の輝きは生まれなかった。「大つごもり」、「にごりえ」、「十三夜」、「わかれ道」、「たけくらべ」の五作は、この14ヶ月に生まれている。
 私は、この五作を全部読んではいないと思いますので、ぜひ挑戦してみたいと思いました。
 いい本でした。面白かったです。
(2022年11月刊。税込2420円)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー