弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年1月25日

宮本常一の旅学、観文研の旅人たち

社会


(霧山昴)
著者 福田 晴子 、 出版 八坂書房

 大変面白く、こんな旅をしている(いた)人がいるんだなと、ワクワクしながら一気に読み終えてしまいました。そして、こんな旅行をした人って、勇気があるし、身体も頑丈な人たちなんだろうなと思い、ついついとてもうらやましくなりました。
 旅は貧乏旅行。ホテルでも民宿でもなく、どこかの民家に泊めてもらうのです。それは外国に行っても同じなのです。その土地の人々に受け入れてもらうのです。いやあ、たいしたものです。今は、内戦状態のところも多いし、物騒すぎて、とてもやれないように思えます。残念なことです。
 日本の若者が、世界中にバックパックひとつで旅に出かけていきましたね。今は、どうなのでしょうか...。アメリカに留学しようとする日本人学生も激減したと聞いていますので、バックパッカーも恐らく減ってしまっているのでしょうね、本当に残念です。
 この本の陰の主人公は宮本常一です。日本中の農山漁村を旅して歩いた、あまりに高名な民族学者です。民衆の生活の実際が文章化され、また、写真を撮って視覚化した偉大な学者です。この本の監修者である宮本千晴は、その子どもです。
 宮本常一の父は貴重な心得を息子に申し渡しました。そのいくつかを紹介します。
 時間にゆとりがあったら、できるだけ歩いてみること。お金をもうけるのはそんなに難しくはない。しかし、使うのが難しい。自分で良いと思ったらやってみよ。それで失敗したからといって親は責めはしない。人の見残したものを見るようにせよ。そのなかにいつも大事なものがある。あせることはない。自分の選んだ道をしっかり歩いていくことだ。
 なかなかいい忠告ですよね、これって...。
 宮本常一は、1000軒にのぼる民家にほぼ無料で泊めてもらった。いやあ、今でも、こんなことできるでしょうか...。ちょっと無理な気がします。
 今もある超大手の旅行会社である近畿日本ツーリストは1966(昭和41)年に宮本常一を所長とする日本観光文化研究所(観文研)を設立した。そして、その機関誌として「あるくみるきく」が発刊された。
 観文研は旅費と宿泊費を負担して、レポートを書かせて載せたのです。そのレポートは2度も3度も添削されました。
 また、探検学校も1971年から1976年まで、全10回開催されました。行先がすごいんです。ボルネオ、ネパール、インドネシアの小スワンダ列島、アフガニスタン、カメルーン、パプワニューギニア、ケニア、台湾、インドです。この参加者は6対4で女性のほうが多かったというのにも驚きます。
 福島県南会津にある「大内宿」は、江戸時代の宿場の姿が今に残るとして有名です。まだ私は行っていませんが、妻籠(つまご)と並んでぜひ行ってみたいところです。その保存に奔走した人(相澤韶男)の話も興味深いです。
 モルディブ島に住み込んだ人(岡村隆)は、仏教遺跡を発見しています。
 20代で405日間世界一周、456日間で六大陸周遊を成し遂げた人(賀曽根隆)がいます。南アフリカではアパルトヘイトに直面しました。
 山に熊を追うマタギの旅にどっぷり浸ったあと、38歳で明治大学の社会人入試を受け、ついに東大の大学院に入って、47歳で卒業して学者になった人(田口洋美)もいます。
 そして、中央アジアにアレキサンダー大王の末裔の人々が住むカラーシャの集落に入りこんだ人(丸山純)の話も衝撃的です。
 宮本常一は、1981(昭和56)年1月末に73歳で亡くなり、1989年に観文研は閉所した。
 1冊の本を読むこと、1人の人間に出会うこと、一度の旅をすること、これらは等しく、まだ知らない世界を見せてくれる。
 旅では、一寸先に何が待ち受けているか分からない。その未知を自分の足先で探りながら、一歩一歩、踏みしめて行く。旅学は、自分で考えて歩む力を育(はぐく)む方法だ。
 それは寄り道だらけかもしれないが、ムダに見える部分は、人間性回復の余地だ。なので、現代社会には旅が効く。
 ガーンと心を打たれた気のする本でした。
(2022年7月刊。税込2970円)

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