弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年1月22日

豪商の金融史

日本史(江戸)


(霧山昴)
著者 高槻 泰郎 、 出版 慶応義塾大学出版会

 著者には失礼ながら、学者の金融に関する小難しい論文集だろうと、まったく期待もせずに読みはじめたのでした。ところが、予期に反して、意外や意外、とても面白くて、江戸時代の豪商の生きざまを知り、また、その息吹きを感じることができました。
 NHKの朝の連続テレビ小説「あさが来た」(2015年9月より全156回)の主人公である廣岡浅の関係する廣岡家の古文書が発掘され、それにもとづいているので、話がとても具体的で分かりやすいのです。
 旧家の大蔵に古文書が埋もれていたのです。それは2万点超もありました。
 大同生命の創業一族にあたる廣岡家は、江戸時代には、三井、住友、鴻池と肩を並べる豪商でした。姓は廣岡、屋号は加島(かじま)屋久右衛。東の大関が鴻池で、西の大関を加島屋久右衛門(加久。かきゅう)がつとめていたのでした。
 江戸の商人の多くは現金決済していたのに対して、大坂商人は手形決済を主としていた。大坂には「大坂法」と呼ばれる独特な法制度が敷かれていた。債権者を保護する傾向の強い法制度である。
 18世紀までは京都商人のほうが優位にあった。しかし、大名貸がうまくいかずに、京都商人は没落し、その代わりを大坂商人が担った。大坂は物流の拠点にある点に強みがあった。
 大坂の米市場では、米切手(米手形)が登場し、流通した。
 「加久」は、大名貸をするだけでなく、江戸幕府の経済政策のなかで知識の提供を求められた。資金と市場知識の両面で幕府の経済政策に豪商は組み込まれていた。
 大坂の堂島米市場で、帳合米(ちょうあいまい)商(あきな)いという画期的な取引方法が始まった。一種の先物取引である。しかし、今日の先物取引とは異なり、現物の受渡を予定しないものなので、今日の指数取引をみるべきもの。
 江戸幕府が堂島米市場のこの取引を公認したのは1730年8月のこと。米価が底値をつけたとき。
 「加久」は萩藩との関係では「館入(たちいり)」となった。蔵屋敷の出入りを許され、大名の資金繰りや資金調達の相談に応じたり、優先的に融資する関係にあった。
 大名は自らの詳細な財務情報を大名貸商人に開示し、そのことで安定的な融資を受ける。大名貸商人は、得られた財務情報にもとづいて大名の座性運営を監視し、規律を与えることで融資の安定性を担保する。このような長期間で密接な関係を相互に構築した。
 廣岡家(「加久」)は、全国120以上の諸家(将軍家、大名、旗本など)へ貸付していた。そして、維新政府にも協力的だった。要するに、大名貸は得られる利益が大きいかわりに、リスクも大きい。そこで、リスクを少なくする方法があれこれ考えられていたのです。さすが、江戸時代を生きのび、明治以降も苦難を乗りこえたわけです。
 2万点超の古文書を読み解いて、時系列に並べたり、項目ごとに比較したり、大変な作業だったと思います。心より敬意を表します。
(2022年10月刊。税込2970円)

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