弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年1月 9日

抑留記

日本史(戦後)

(霧山昴)
著者 竹原 潔 、 出版 すいれん舎

 著者は1906年生まれなので、日本敗戦(1945年)時は39歳。陸軍士官学校を卒業した職業軍人で、陸軍中佐。情報関係の将校として、アガバ機関という特務機関長も務めている。日本に帰国したのは1956年12月なので、11年もシベリアに抑留されていた。山崎豊子の『不毛地帯』のモデルの一人とのこと。
 シベリアのラーゲリ(収容所)でも日本軍の中佐としての誇りを捨てず、ロシア人を「ロスケ」(露助。ロシア人に対する蔑称。日本人に対するジャップのようなもの)と呼んで恥じるところがない。
 著者はなぜ日本が侵略戦争をしたのか、満州を支配した日本軍が何をしたのか、驚くほどまったく反省していません。日本軍は強かったと「ロスケ」に言われて、得意然としています。そんな致命的弱点がある体験記なのですが、人間としての誇りは失わないという点は、最近の映画「ラーゲリより愛を込めて」の主人公・山本幡男に共通するところがあり、共感できるところも少なくないのです。つまり、戦争というものの非人間性をこの本も明らかにしています。
 日本の敗戦直後、師団参謀として金策するのにアヘンを確保し、それを蒙古人に売っています。そこでもアヘンの害悪という点は、まったく念頭にありません。日本人将兵1万人を救うのが先決だという発想であり、論理なのです。
 著者のアガバ機関というのは、蒙古系のブリカート人を保護・育成して、ソ連軍に対抗する勢力として利用しようという仕事をしたようです(もちろん失敗しています)。
 ノモンハン事件でソ連軍の捕虜となり、日本軍に戻れず、やむなくブリカート人になってしまった日本人も登場します。これも、日本軍の限界というか、弱点なのですが、著者は、何ら問題としていません。
 シベリア抑留では、たくさんの日本人がソ連側のスパイになるよう勧誘されたようです。著者は情報将校として、スパイの接し方、利用したり裏切らせたりしています。さすが・・・です。
 著者は50歳のとき帰国し、1982年に76歳で亡くなっています。
ソ連のラーゲリで12年も生き抜いた囚人が生き抜く心得を三つあげた。その一つは、できるだけ働かないこと。殺人的なノルマをこなそうとしたら、その代償は死。その二は、犬(スパイ)に気をつけること。犬はどこでもいる。地位の維持、保身のため、つくり話を当局にたれこむ。その三は、人とはケンカをしないこと。人を殺すのなんか、なんとも思わない囚人が少なくない。
 ラーゲリの食事は、1日300グラムの黒パンと、わずかばかりの豌豆(えんどう)スープだけ。ソ連は、日本軍元兵士だけでなく、満州国の官吏、満鉄の職員、そしてフツーの市民までスパイ容疑でシベリアへ連行し、強制労働に従事させた。
 シベリアのラーゲリに収容されると、虚脱状態になって、元兵士たちを指導するなんて、とてもできない師団長や参謀たちがいた。それに対して、著者は敗戦の虚脱状態から抜け出させて、軍記厳正、志気旺盛の兵隊に戻そうとしたのです。
なかなか迫力満点の体験記でした。ご一読ください。
(2022年8月刊。税込4400円)

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