弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2023年1月 1日

大奥御用商人とその一族

日本史(江戸時代)

(霧山昴)
著者 畑 尚子 、 出版 岩波書店

 江戸時代、11代将軍家斉(いえなり)の時代に、江戸城大奥や大名家に出入りしていた道具商・山田屋の6代目当主、黒田庄左衛門徳雅(のりまさ。1773年生1855年亡)が書き残した記録を読み解いた本です。黒田徳雅は狂歌師・山田早苗でもありました。
 この「家伝」には、ときに事件に巻き込まれて家業の存続が危うくなったり、火事に見舞われたり、泥棒にはいられたりという状況が書きつづられている。
 江戸時代には、日記を書くという習慣が広く庶民にまで浸透した。
 将軍家族ら御殿の用向きは、一般に御上(おかみ)御用と呼び、長局(ながつぼね)に住まう奥女中たちの用向きを御次(おつぎ)御用といった。広敷(ひろしき)御用は両者を含む。
 大奥の権力者への多くは公家出身者。
 奥女中の出世コースは二つあった。一つは老女となって大奥を牛耳ること。もう一つは、側室となり子どもを産み、やがて将軍生母となる。
 親の身分にかかわらず、奥女中になることはできたが、農民や商人の娘は下位の職制か、大奥女中が自分の部屋で使役する部屋方女中にしかなれなかった。
 奥女中がもっとも多かったのは、11代家斉の時代。家斉には、50人以上の子女がいた。成長して婚礼をあげた娘は12人いて、1人につき50人ほどの女中が大奥より姫君につけられ、輿(こし)入れのとき、一緒に大名家に移った。雇い主は、あくまでも幕府。
 家斉の子沢山は幕府の財政を圧迫したが、同時に御用商人を潤し、その経営を安定させた。それは、ひいては江戸の経済を好景気に導いた。
 商人が幕府や諸大名の新規御用を得たり、獲得した御用を継続して御用商人としての立場を維持していくためには、親類の女性に奥奉公をさせることや、奥奉公をした女性を妻とすることが欠かせない。
 山田屋の当主となった徳雅は、親族が奥女中となって、大奥との取引に深く食い込んだ。力のある女中に気に入られることが大奥との取引では肝要だった。
 文化11(1814)年5月25日未明、山田屋に盗賊が忍び込み、小判やカンザシ10数本とビロードの紙入れなどが盗まれた。
 文化13(1816)年4月15日、江戸城内で上演された能の見物に徳雅は招かれた。
 百姓・町人の娘であっても、奥女中としての奉公を経験すると武士と結婚することが可能となり、実例がある。これを見上(みあが)りという。
 狂歌師・山田早苗は何度も旅に出かけ、いくつもの旅行記を残した。
 江戸時代の上流商人の生きざまを紹介した貴重な本だと思いました。
(2022年10月刊。税込2420円)

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