弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2022年12月 2日

731免責の系譜

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 太田 昌克 、 出版 日本評論社

 満州で3000人もの人々を生体実験の材料とし、その全員を殺害してしまった日本陸軍の七三一部隊について、その関係者に取材した貴重な記録です。
 日本敗戦の直前、8月9日深夜からソ連軍が満州へ進攻を開始した。それを知った東京の大本営は現地に特使を派遣した。徹底した証拠隠滅を指示するため。
 「永久に、この地球上から一切の証拠物件を隠滅すること」
 それを聞いた石井四郎は命令どおりにすと答えながらも、こう言った。
 「いっさいがっさい証拠を消してしまえというが、世界に誇るべき貴重な学問上の資料を地球上から消すのはまったく惜しい」
 実際、石井四郎は人体(生体)実験で得られた医学データの大半を日本に堂々と持ち帰ったのです。そして、それをアメリカに差し出すことによって、自分たち七三一部隊関係者全員が戦犯として追及されるのを免れたのでした。
 このときの大本営特使をつとめた朝枝繁春中佐(1912年生まれ)は、関東軍の参謀だったころに七三一部隊を担当していたので、マルタと称する人々を使った人体実験を承知していた。朝枝は戦後の手記に次のように書いた。
 「七三一部隊がソ連の手中に陥れば、その実態が世界に暴露されて、やがては『天皇戦犯』の大問題がおこり、皇室の根底にもかかわりかねないと判断した」
 七三一部隊は8月9日から破壊・焼却が始まり、8月12日の正午に終わった。
 石井四郎は奉天へ出張中だったので、総指揮をとったのは総務部長兼第四部長の太田澄軍医大佐。
 「マルタ404本の焼却処置が終了しました」
 溝渕俊美伍長(1922年生まれ)の同僚の伍長が業務報告した。報告を受けた太田大佐は、焼却・破壊作業の労をねぎらい、次のように言った。
 「ほぼ処理の目的が達成された。これで天皇は縛り首にならずにすむ。ありがとう」
 七三一部隊のやったことは、まさしく残虐そのものの戦争犯罪として、最高責任者である天皇は死刑にされて当然という認識が七三一部隊の幹部には共有されていたわけです。
 七三一部隊の存在、そしてその実態は何人もの皇族が現地も視察していたことから、天皇も知り得た、知っていたと思います。
 ところで、マルタ(簡単に「丸太」と決めつけられていますが、もちろん人間です)を実験材料にした七三一部隊は表だって多額の予算を組めなかったとのこと。あまりにも額が大きすぎるから、大蔵省のチェックは入らざるをえない。そこで、七三一部隊の予算は、陸軍省軍務局軍事課の予算に付け替えていた。こんなごまかし、インチキまでして国民の目を欺こうとしたのです。
 世の中、ホント、知らないことだらけ、ですね。歴史の真実から目をそらしてはいけないと思います。私たちはこんな加害者たちの子孫であることを自覚する必要もあるのだと、つくづく思います。これは自虐史観では決してありません。
(1999年7月刊。税込1980円)

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