弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2022年11月25日

日本商人の源流、中世の商人たち

日本史(中世)


(霧山昴)
著者 佐々木 銀弥 、 出版 ちくま学芸文庫

 江戸時代の「士農工商」というコトバが職業の序列としてとらえられ、商売人は最下位に置かれていたというのは、今では間違いだとされています。といっても、そのことを私が知ったのは、それほど昔のことではありません。
 商売人がお金を扱うからといって、最下位の身分に置かれるなんて、考えられないことだと思います。「ヴェニスの商人」に登場するユダヤ人の商人がさげすみの」対象でしかなかったとは、私には信じられません。
 日本の中世商人は、著名な神社に所属し、奉仕するという神人身分であり、神威を背景とする特権をほしいままにしていた。
 これこそが中世当初の現実だったと私も思います。お金の力は今も昔も偉大なのです。
 高野聖(こうやひじり)とは、平安時代中期以降、厭世、隠遁(いんとん)の徒が高野山を修行の地とし、ここを根拠として全国を遊行・勧進して歩いた僧。中世後期からは、背に笈(きゅう)を負い、念仏を唱え、鉦鼓をたたいて布教して歩くかたわら、笈の中に呉服を詰め込んで、それを売り歩くようになった。この行商のため聖身分をふりかざし、声高に宿泊を強制するようになり、人々から「宿借聖」として忌み嫌われるようになった。そこで、高野聖は信仰面における人々の信頼を失い、統一権力者の信長や秀吉からは一種の無頼の徒とみなされた。
 12世紀前半に成立した『今昔(こんじゃく)物語集』には、伊勢に行商する京都の水銀商人たちの話がのっている。水銀は、化粧用白粉(おしろい)製造の原料だった。
 15世紀の商人は為替(かわせ)を振出していた。京都下りの商人は、京都との恒常的往来と取引によって形成された信用関係を背景にして、為替を振出すことによって現金を調達して、手広く仕入れることができた。
 全国各地の特産物を扱った行商は莫大な利潤をもたらした。その反面、常に命をかけた危険な旅でもあった。そのため、座と掟書が生まれた。
 旅の途中で出くわした山賊・海賊とは、話し合いで決着させた。
 鎌倉では、大町・小町・米町など都市化した地域に居住するものを町人といい、それ以外のものを商人と呼んで区別していた。
 室町時代から、店舗を示すコトバには「棚」から「店」に変わった。
 借金を帳消しとする徳政令について、商人の多くは債務破棄を申請しなかった。徳政令のあとの融資の可能性を保持するのを優先したことになる。
 京都では、土倉(どそう)と酒屋は一体とみなされていた。都市において土倉と酒屋は、もっとも富裕な、いわゆる有徳人層を形成していた。
 いつだって、したたかに生きてきた、日本の中世の商人の実像に迫った貴重な本だと思います。
(2022年6月刊。税込1210円)

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