弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2022年10月 6日

日本人が夢見た満洲という幻影

中国


(霧山昴)
著者 船尾 修 、 出版 新日本出版社

 私は幸いにして大連に行ったことがあります。1回目は旅順には立入れませんでした。2回目で日露戦争で有名な203高地にものぼりました。「のぼった」といっても、歩いてではなく、観光バスです。頂上には「爾霊山(にれいざん。二〇三)」と揮毫(きごう)された実弾型の記念碑が今もそびえ立っています。この頂上から日本軍は当時もっていた陸軍最大の二八センチ砲で、旅順港内に停泊していたロシア艦船を砲撃したのでした。
 私は訪れていませんが、旅順刑務所が建物としてそっくり残っていて一般公開の博物館になっているそうです。ここは、ハルビン駅で枢密院議長だった伊藤博文を暗殺した安重根が収容され、刑死したところでもあります。安重根は今では朝鮮の英雄です。中国でも、「抗日烈士」とされています。
 なぜ伊藤博文が満州のハルビン駅まで行ったのか...。ロシアの外務大臣と満州分割を協議するためでした。二つの帝国が自分勝手に中国を分割して統治しようとしたのです。そんなことは許さないとした安重根の暗殺行為が称えられるのには理由があります。
 奉天も長春(新京)も行ったことはありませんが、日本は満州国統治の過程でどでかい道路と広場をつくり、高層建築物を次々につくっていったようです。しかも、驚くべきことに、中国は、そのまま、多くの日本式建物を残して、今も使っているのです。
 満州国というのは、たかだか13年半ほど存在した「国」にすぎない。
 かつての官公庁の建物は巨大で威圧感がある。ただ、デザインが独特で、美しい。これほどたくさん残っているとは思いもよらなかった。いやあ、著者の撮った豊富なカラー写真が、それを実感させます。
 関東軍の「関東」とは「関」の東側。「関」とは、万里の長城の東端である山海関の東側に位置するということ。
 遼東半島は関東州と名づけられたが、ここは満州国の一部ではない。日本の租借(そしゃく)地という名の領土であった。
 満州(マンジュ)は、文殊(モンジュ)に由来する。文殊菩薩(ぼさつ)は、チベット仏教を信仰する女真族がなかでも崇敬していた。
 清朝の太祖はヌルハチといい、女真族と名乗っていた。その息子ホンタイジが民族名を満州族と改めた。その民族発祥の地を盛京と呼び、その後、奉天、現在の瀋陽となった。
 日本軍に爆殺された張作霖の息子の張学良は満鉄に平行(併行)した鉄道を敷設した結果、満鉄の経営は悪化した。ええっ、満鉄と併行した線路に列車が走っていたというのは初耳でした。満鉄に走っていた特急のアジア号はいかにも格好よいですよね...。
 満州国が日本のカイライ政権であることは明々白々でした。それでも、20ヶ国と国交を結んでいたというのにも驚かされます。南京国民政府も国交を樹立したというのですから、開いた口がふさがりません。そのうえ、国交がなくても、アメリカもイギリスもソ連も満州国に領事館を置いていた。いやあ、そうだったんですか...。
 ちなみに、現在の北朝鮮と国家を樹立している国は164ヶ国もあるとのこと。これまた驚きです。
 私は大連には行ったことがあります。人口600万人という巨大な大都市です。
 戦前は数万人ほどの小都市でした。大連の人口は終戦時に60万人、そのうち20万人を日本人が占めた。そして、満鉄がありました。満鉄の社員は総数40万人。現在のトヨタ自動車の社員が36万人なので、それより多かった。これまた、意外や意外の大きさです。
 この本で、満州国には国籍法がなかったことを知りました。つくれなかったのです。「五族協和」として、満州人、漢人、蒙古人、朝鮮人、そして日本人です。でも、白系ロシア人も大勢いました。日本は二重国籍を認めていない。だから満州国籍を選ぶと、日本国籍を失ってしまう。でも、日本人は、そんなことはしたくない...。なので、国籍法は制定しなかった、というのです。
 満鉄社員は、月給が高いだけでなく、遠隔地手当が充実していて、住宅も提供され、日本企業として破格の待遇だった。
  幻の満州国を今も残る豪壮な建物の写真とともにかえりみる貴重な本でした。
(2022年7月刊。税込3080円)

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