弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2022年8月23日

ジャカルタ・メソッド

アメリカ


(霧山昴)
著者 ヴィンセント・ベヴィンス 、 出版 河出書房新社

 国際勝共連合・統一協会は日本の支配層にがっちり喰い込み、日本の政治を自分たちの思う方向に動かそうとしてきました。ただ、非武装の団体ですから、不幸中の幸いにも大量虐殺とは無縁(少なくともこれまでは)です。しかし、本家本元のアメリカ(CIA)は、それこそ世界中、いたるところで共産主義者の大量虐殺を敢行してきました。
 この本は、1965年にインドネシアで起きた大量虐殺がアメリカ(CIA)の差し金によるものであること、その方法(方式)はじゃカルト公式(メソッド)として、世界各地であてはめ、実行がなされ、今なお「ジャカルタ」と言えば共産主義者を有無を言わさず大量虐殺し、その国の民主主義を圧殺するものとして「活用」されているという恐るべき事実を実証しています。
 著者はまだ若い(38歳)アメリカのジャーナリスト。ロサンゼルス・タイムズの特派員やワシントン・ポストの記者として活躍中です。
 1965年10月、インドネシア在のアメリカ大使館は、CIA分析官と協力して、数千人の共産主義者および共産主義者と疑われる人物の名前を記載したリストをインドネシア軍に手渡した。それは、リストにある人物を殺したら印をつけられるようになっていた。このリストにもとづき軍と反共団体が大量虐殺を実行していった。
 バリ島では、住民の5%にあたる8万人が殺害された。人々が虐殺された現場の浜辺には、今、高級ホテルが建っていて、痕跡も見あたらない。
 虐殺されたインドネシア国民は100万人。それ以外に100万人が強制収容所に入れられた。虐殺の間接的犠牲者は数百万人にのぼる。なぜ、こんなに多数を占めるのか。それは、当時、インドネシア国民の約4分の1がインドネシア共産党(PKI)と関わっていたから。連行された囚人の15%は女性だった。
 PKIは、インドネシアで、もっとも有能かつ本格的な政党だった。PKIは、清廉(せいれん)潔白だと評判だった。農村部で農民のニーズにこたえる活動をしていた。PKIは武装闘争を否定していた。PKIは、しばしばモスクワの指示を無視し、スカルノ大統領に接近していた。
 PKIは国内の資本家階級と手を結び、反封建的な「民族統一戦線」を目ざした。
 スカルノ大統領は「ナサコム」と命名し、PKIも包含する政治をとろうとした。スカルノ、軍部そしてPKIという三つの政治勢力のバランスをうまくとっていた。
 PKIは300万人の党員をかかえ、系列組織として、労働者機構、農民戦線、人民青年団のほか、婦人団体のゲルワニを擁していた。ゲルワニには、2000万人もの会員がいた。
 PKIはあくまで平和的に活動していた。毛沢東は中国を訪問したPKIのアイディット議長に対して警告した。アイディットは、武装闘争を否定した。
 インドネシア軍による民衆の大量虐殺の主導権を握っていたのはアメリカ政府だった。途方もない圧力をかけ、作戦を進行させ、規模を拡大させた。アメリカ大使館は一貫して軍を焚きつけ、より強硬な態度をとり、政権を乗っとるように仕向けた。
 インドネシア軍の将校たちは、人を殺せば殺すほど、左翼は弱体化し、アメリカ政府は喜ぶと知っていた。
 このとき、ソ連はスカルノの失脚とPKIの滅亡をほぼ黙認した。すでに中ソは対立状態にあり、ソ連政府は、歯に衣着せぬ中国の盟友(PKI)の成功を望んでいなかった。
 アメリカ政府関係者は、ほぼ一様にインドネシアでの大量虐殺を称賛した。そして、アメリカの財界エリートは、インドネシアがアメリカの企業に門戸を開いたことを大歓迎し、さっそくインドネシアを次々と訪問した。
 インドネシアとブラジルでは反対勢力の存在は許されなかった。買収と暴力が日常茶飯事で、国民は恐怖に口をつぐみ、汚職は劇的に増加した。
 1960年代、インドネシアには、ソ連の最悪の時代に匹敵する規模の強制収容所が存在した。そして、アメリカが、そのシステムを支援していた。
 チリのアジェンデは、社会主義者でありながら、洗練されたサンティアゴのエリートだった。
 ニクソン大統領はCIA長官を呼び出し、アジェンデの大統領就任を阻止せよと命じた。
 ブラジルで「ジャカルタ作戦」が始動した。それは、インドネシアと同じく、大量殺人だった。
 1973年にチリのクーデターは成功し、アジェンデは失脚し、死んだ。ピノチェトとその部下は、独裁政権を誕生させて数日間のうちに3000人もの市民を殺害した。
 アメリカは世界各地で、インドネシアを重要なモデルケースとして、暴力すなわち「絶滅」プログラムを実行していった。一般市民に対する残忍きわまりない暴力を頂点とするアメリカ政府の反共十字軍の「成功」が現代国際社会を形成している。
 このアメリカ化の構築に役立ったのが、インドネシアで敢行された大量殺人プログラム(ジャカルタ・メソッド)だった。
 お手本であるアメリカの現状はどうか。アメリカは総体としてみると、並はずれて豊かで強力な国だ。しかし、その内実は、社会の最上層に他国から入って来る富がますます蓄積される一方で、底辺にいる多くのアメリカ市民は、旧第三世界の人々と変わらない貧しい暮らしをしている。
 1965年で起きたインドネシア国民100万人もの大量虐殺事件が日本で話題となることはほとんどありません。でも、これを主導としたアメリカ政府(CIA)の冷酷そのものの政策(「ジャカルタ・メソッド」)は、決して日本人の私たちに無縁ではないことをしっかり認識しておく必要があると、つくづく思いました。お盆休みに、喫茶店をハシゴして360頁もの大著を、重い気分に浸りながらなんとか読み通しました。あなたも、ぜひ手にとってご一読ください。
 なお、『インドネシア大虐殺』(中公新書、倉沢愛子)を前に、このコーナーで紹介しています。あわせてお読みください。
(2022年4月刊。税込4180円)

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