弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2022年8月 1日
薬草ハンター、世界をゆく
人間・生物
(霧山昴)
著者 カサンドラ・リア・クウィヴ 、 出版 原書房
義足の女性民族植物学者、新たな薬を求めて、というのがサブタイトルです。
父親はベトナム戦争に従軍し、そのとき浴びた薬剤の影響で、右脚を切断しなくてはならなくなった少女が医学を志し、アマゾンで薬草に魅せられ、世界各地に薬草を求めて歩く半生が語られています。
学者として一人前になるまでの苦労がすさまじいのですが、若くして学者になったあとも、陰険教授とか威張りちらす教授、セクハラ教授などとも戦わねばならなかったという女性学者としての苦闘も明らかにされています。
アマゾンで子どもたちがおやつとして食べるアリ。大きくふくれたアリを指でぎゅっとしぼると、とろりとした半固形状の液を吸う。著者も真似して食べてみた。すると、しばらくして嘔吐に苦しむ破目になった。それはそうでしょうね...。
アマゾンの生物多様性の根源である森の破壊がどんどん進んでいる。そして、それは、現地の人々から、長年にわたって蓄積されてきた植物に関する知識の喪失も意味している。いやあ、本当に残念です。目先の利益だけで多くの人々が動いているのです。
野生植物は、飢饉や戦争を生きのびるための日常的な食材であると同時に、その植物が健康に良いという信念と結びついていた。おもに女性が、栽培種や野生の植物を用いての日々の健康に対処する知恵をもっている。
著者は、伝統両方に深い敬意と関心を寄せている。それが、西洋医学の欠点や短所の批判に終わっていないのは、著者自身がなんども感染症の治療を受けた経験があるから。抗生物質耐性菌に効く新薬を植物から発見することが著者のライフワーク。そして、MRSAとあわせてコロナ・ウィルスへも対処しようとしているのです。
この本を読むと、アマゾンの乱開発は人類の未来を狭め、危くしていることを改めて考えさせられます。目先の牛肉、そしてゴールド(金)のために、人類の先の長い未来を放棄するのは許されない選択だと思います。
それは、電気不足になりそうだから原発(原子力発電)を最大(再)稼働させようというのと同じ、短絡的な、間違った考えです。一刻も早く、一人でも多くの人が、このことに気がつき、声をあげることを願っています。大自然は奥深いものがあると実感させられる本でもありました。
(2022年3月刊。税込2530円)
2022年8月 2日
自衛隊海外派遣、隠された「戦地」の現実
社会
(霧山昴)
著者 布施 祐仁 、 出版 集英社新書
自衛隊を国連の平和維持活動(PKO)のために派遣する法律(PKO法)が制定されたのは1992年6月のこと。それから30年たった。これまで、海外15のミッションに自衛隊は派遣され、参加した自衛隊員は1万ン2500人(のべ人員)。今や、その一人は自民党の国会議員になっている。世論は、すっかり受け入れ、定着しているかのように見える。しかし、果たして、その実態を十分に知ったうえで、日本国民は受けいれているのだろうか...。
実際のところ、日本政府は日本国民から批判されるのを恐れ、PKO法にもとづく自衛隊員派遣の現場で起きたことをずっと隠してきた。
政府文書は黒塗りされたものしか公表されてこなかった。
南スーダンに派遣された自衛隊員が書いていた日報は「既に廃棄した」とあからさまな嘘を言っていたが、実は存在していて、あまりにも生々しい現実があったことが国民の目から隠されていたことが発覚した。
イラクのサマーワに自衛隊が派遣されたとき、実はひそかに10個の棺も基地内に運び込んでいた。自衛隊員の戦死者が10人近く出ることを当局は覚悟していたのだ。
自衛隊がサマーワにいた2年半のあいだに、周辺地域には、総額2億ドル超が投下された。要するに、日本政府は安全をお金で買っていたのです。
サマーワでは幸いにして、一人の戦死者も出しませんでした。ところが、なんと、日本に帰国してから、陸上自衛隊で22人、航空自衛隊で8人が自殺しているのです。それほどサマーワでの体験は過酷でした。このように、戦地に出かけて滞在するというのは強烈なストレスをもたらすものなんです。それを知らずして、戦争映画のDVDを自宅のテレビで見ているような感覚でとらえて議論してはいけないと思います。広く読まれるべき、貴重な新書です。
(2022年4月刊。税込1034円)
2022年8月 3日
ある愚直な人道主義者の生涯
司法
(霧山昴)
著者 森 正 、 出版 旬報社
戦前そして戦後まで活躍した民衆の弁護士、布施辰治の一生を紹介した本です。
「生きべくんば民衆とともに、死すべくんば民衆のために」
この言葉を同じ石巻の出身である庄司捷彦弁護士(26期)より教えてもらいました。
布施辰治は、戦前の法律家のなかでは、京都帝大の滝川幸辰教授(滝川事件の当事者です)と並んで、代表的なトルストイアンであった。トルストイは、人生の意義を根本的に問いかけるという意味で、19世紀末から日本の知識人層の精神に鋭くかつ深く切り込んでいった思想家である。
1911(明治44)年1月18日、大審院は大逆事件の判決で、幸徳秋水や大石誠之助ら24人に死刑判決を宣告した(翌日、半分の12人については無期懲役に減刑)。そして、幸徳ら12人に対しては死刑が執行された。これは典型的な冤罪(えんざい)事件でした。
布施辰治は、大逆事件の弁護人ではなかったが、弁護士専用席で特別傍聴を認められ、判決の日も傍聴している。
布施辰治は、被告人について、もともと市井のフツーの人間だと捉え、その尊厳性を重視した。
布施は、被疑者・被告人に対する精神的拷問を詳細に暴露し、鋭く分析した。長時間の取り調べ、うつつ責め、煙管打ち、鉛筆はさみ、手錠状態での首絞めなど...。このほか、漫然と不法拘留して、前途に疑心暗鬼を生んで煩悶を利用する。さらには容疑者の疑心暗鬼を慰めつつ、巧みにスパイを使うといったもの...。
布施は被疑者・被告人に対してこう告げた。
「きみが真の犯人であるか否かにかかわらず、私はきみの友である。力である」と。その精神の奥底にまで語りかけ、厳しくも熱い寄り添いを率直に示した。こんな弁護士は少なかった。今でも少ないでしょう...。
布施は、同情する程度では第三者で、人道主義は、真にその人になりきることであり、そうしてこそ真の弁護ができると考えていた。
いやあ、これは、なかなかできるものではありませんよね...。
布施辰治は、トルストイに「神頼み」した。それは、すべて「人道の戦士」たらん、すなわち「人道の弁護士」であろうとするためだった。
布施は関東大震災が起きた日(1923年9月1日)、事務所兼自宅を避難所とし、ピーク時には100人あまりが避難してきていた。
そして、布施は白い帽子をかぶり、サイドカーで警察署に乗りつけ、「死体を見せろ」と要求した。いやはや、これはとても並みの弁護士が出来るものではありませんね...。
金子文子が刑務所で自死したときには、仮埋葬された文子の遺体を掘り起こし、火葬して、遺骨を夫の朴烈の朝鮮の実家へ送った。
ここまでするとは、もはや何とも言いようがなく、ただただ頭が下がります。
布施辰治が懲戒裁判にかかったときには、200人の弁護士が弁護人届出を出し、第1回公判には65人の弁護士が出廷した。そして、大審院での裁判のときにも、90人の弁護士が弁護人として届出し、26人が法廷に出廷した。いやあ、これって、すごいことですよね...。
布施辰治は、1940年7月に出獄し、1945年8月15日まで、思想犯保護観察下におかれた。それでも、布施を有罪とした大審院判決のなかに、布施について「なが年、人道的戦士として弱者のために奮闘することを貫き、情熱を有する」という文章を書き込ませた。これは、まさしく画期的なことだと思います。
あくなき法廷闘争は、担当裁判官の良心を信じ、その良心に訴えかける闘いでもあった。しかし、それは、ほとんどの場合に裏切られ、自らが裁かれた裁判においても裏切られたのだが、それでも、大審院の裁判官の心のなかに少しばかりの良心を確認できた。いやあ、まったくそのとおりです。思わず襟を正しながら読みすすめました。
布施辰治弁護士を人道主義弁護士として評価すべきことがよく分かる本でした。
(2022年5月刊。税込1980円)
2022年8月 4日
社交する人間
人間
(霧山昴)
著者 山崎 正和 、 出版 中公文庫
社交とは、単なる暇つぶしや贅沢ではなく、人間が人間らしくあるために不可欠の営みである。
これって、なんとなく分かりますよね。なので、「山中にポツンと一軒家」みたいな、人里はなれて孤絶した生活は、とても人間らしいものとは私には思えません。そんな仙人生活で、いったい何が楽しみなのか、私の想像は及ばないということです。そんな生き方を選択した人に、ケチをつけるつもりはありません。
ただし、私は、自宅に他人を招いて、飲食をともにしようとしたことは絶えて久しくありませんし、これからもないでしょう。実は、幼い子どもたちが一緒に生活していたことは、そんなことは何でもなく、フツーにやっていました。というのも、子どもたちは、そんなに夜遅くまで起きていませんので、早々にみんな帰っていくからです。大人を招いたら、とてもそんなわけにはいきません。私は、さっさと切り上げて、好きな本でも一人静かに読んでいたいのです。
この本を、このコーナーでぜひ紹介したいと思ったのは、ポトラッチの本質なるものが解説されているからです。久しぶりにポトラッチというコトバにめぐりあいました。
ポトラッチとは、アメリカやカナダ、そしてメラネシアにある贈り物の文化のことです。
ポトラッチは、きわめて緊張に満ちた儀礼であって、その基盤は、対抗と競争である。富の戦い、贈答の競争、すなわち贈り物とそれに対するお返しの応酬。客に対して贈り物を惜しむ主人は侮りを受けるし、それに対抗して充分なお返しをしない客も名誉を失う。 誇り高い主人は、御返しを期待していないとの態度を示し、贈答の応酬に最終的な決着をつけようとして、一方的に自分の財産を捨ててみせてしまう。ええっ、信じられませんよね、これって...。
17世紀フランスのサロンは身分的に平等であった。それは、サロンの女主人と並んで、高級娼婦出身であることを隠さなかった女性がいたことでも明らかである。ええっ、本当なんでしょうか...。この本によると、そのサロンにはスウェーデンの女王までもが参加していたといいます。信じられません。
人間の感情は、理性に比べて疲れやすい能力であって、おりおりに新しい刺激によって賦活しなければ、麻痺してしまう性質を持っている。
人間が社交を求めるのは、単に楽しみのためではなく、ましてや孤独を恐れるからでもない。それは、社交が人間の意識を生み、自律的な個人を育てるのと同じ原理によって、個人化とまさに同じ過程のなかから発生していくからだ。
人間が文化的に生きるということは、一人の個人として生きるということ。
共感の能力によって、人は怒りや憎しみや、嫉妬や復讐の念などあらゆる悪しき感情をやわらげることができる。
人間(ひと)と社会の関係をじっくり考察した本でした。私には難しすぎるところが多々ありましたので、そこは読みとばしてしまいました。
(2021年11月刊。税込1100円)
2022年8月 5日
新中国に貢献した日本人たち
中国
(霧山昴)
著者 中国中日関係史学会 、 出版 日本僑報社
ただいま、叔父(父の弟)が応召して満州に渡り、戦後も8年のあいだ八路軍(パーロ。
中国共産党の軍隊)の要請にこたえて紡績工場の技術者として働いていたという手記の 裏付けをとろうとしています。その関係で大阪の石川元也弁護士の推薦で読み始めた本です。
中国の周恩来首相は1954年に「多くの日本軍人が、日本終戦後武器を捨てたのち日本へ帰国することなく、中国人民解放軍に参加した。病院の医師と看護婦、工場の技師、学校の教官。・・・立派に働いて我々を助けてくれた。我々は深く感謝している。これが友情であり、これこそが真の友情である」との感謝の意を表明した。
叔父は紡績工場の技師として、新工場の立ち上げに関わり、その運営が軌道に乗るように8年ものあいだ頑張ったわけです。そのころ叔父が日本の実家に送った手紙が残っていますが、千人の工場に日本人は叔父ただ一人だったそうです。いやぁ、よくぞがんばりました。 それでも、悪いことばかりではありません。同じように静岡から満州に夢をもってやってきた若き日本人女性と知り合い、結婚することになりました。同じ紡績工場で働いていたのです。
この本を読むと、そんな日本人の青年男女が大変多かったことを知ることができます。
私がもっとも驚いたのは、日本軍航空部隊の隊長だった人が中国空軍のパイロット養成の重責を担い、見事やり遂げていたという事実です。なにしろ、まともに飛べる飛行機もないなかで、残っていた部品を寄せ集めて、なんとか飛べる飛行機にして、それでパイロットを実地養成していたというのです。飛行中に故障が起きても脱出する落下傘もないのに空を飛んでいたというのですから、その勇気には呆れ、かつ圧倒されます。なんと、空では無事故だったというから、信じられません。
医療分野でも、日本人は医師として、看護師として、大いに貢献したようです。負傷した中国人患者のためには、同じ血液型だと分かれば、すすんで献血もしていたというのです。本当に頭が下がります。
北部の炭鉱でも大勢の日本人が労働者として働き、石炭増産の先頭に立っていたといいます。いやぁ、すごいですよね・・・。
このような新生中国の誕生を助けた日本人の歩みはもっともっと広く今の私たちも知っていていいことだと思いました。三光作戦とか、帝国主義日本は中国大陸でさんざん悪業の限りをつくしたわけですが、もう一方では、こんなに良いことをした日本人もいたことを、両方とも、しっかり認識しておきたいものです。
(2006年10月刊。税込3080円)
2022年8月 6日
特捜部Q
デンマーク警察
(霧山昴)
著者 ユッシ・エーズラ・オールスン 、 出版 早川書房
デンマークの警察小説。過去の未解決の事件を扱うという警察小説は、前にも読んだことがあります。迷宮入りしていた事件を、刑事部の「お荷物刑事」が助手の力を借りながら、少しずつ謎を解き明かして、ようやく犯人にたどり着くというストーリーです。
ネタバレはしたくありませんが、ストーリー展開は復讐小説という体裁をとっています。
どこの国の警察にも「ハグレ刑事」のような一匹狼的な刑事がいて、上司はもてあましたあげく、「一人部署」を創設までして、そこに閉じ込めようとしたのでした。
ところが敵もさるもの、ひっかくものということで、デンマーク語もろくに話せないような、シリア系の変人が、謎解きで、奇抜なアイデアの持ち主だったという突拍子もないアイデアが生き生きと語られます。それで、また話がふくらみ、次回作品への期待が高らむのでした。
警察小説は、あくまで殺人事件が重要なファクターであり、その登場人物の性格や部署の設置、脇役(人種的)配置、事件捜査、物語の構成、脇筋のからませ方などについて、細かい配慮を工夫、創造に解説者(池上冬樹)は感心していますが、まったく同感です。
570頁もの文庫本の警察小説なので、いったい次はどういう展開になるのか、目が離せない思いで一気に読みすすめました。この「特捜部Q」は少なくとも5冊シリーズになっています。その想像力と描写力に驚嘆してしまいます。
(2018年9月刊。税込1210円)
2022年8月 7日
江戸藩邸へようこそ
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 久住 祐一郎 、 出版 インターナショナル新書
江戸の市街地の7割は武家地が占め、残る3割を町人地と寺社地が半分ずつ分けあっていた。武家地の55%は大名屋敷。江戸の市街地全体の4割弱を大名屋敷が占めていた。
屋敷は大名家に与えられるもので、領地に付随するものではない。江戸藩邸の持ち主が変わることは頻繁だったが、それは国替えとは無関係。
江戸藩邸に暮らしていたのは、大名とその家族だけではない。一つの大名家につき、数百から数千人の家臣が働いていた。
江戸で勤務する家臣には2種類あって、国元から単身赴任でやってくる勤番と、家族とともに常時江戸で暮らす定府(じょうふ)があった。
江戸の武家人口は60万人と推定されている。各藩の財政支出のうち6割以上が江戸で費やされていた。大名は複数の江戸藩邸をもっていた。上屋敷(居屋敷)は江戸城に近く、江戸滞在中の大名が住む、大名の正室(妻)もここで暮らし、藩の行政機構もここに置かれた。中屋敷は上屋敷のスペアで、隠居した大名や大名の世継ぎが暮らした。下屋敷は、江戸城から離れたところにあり、上屋敷が火事にあったときの避難場所となった。
幕府からの拝領屋敷であるが、実態は貸与であって、幕府から屋敷替えを命じられたら、明け渡さなければならなかった。屋敷の持ち主同士での交換もあり、相対替(あいたいが)えといった。これは事実上の売買だった。
松平伊豆守家のように、幕府の要識についた譜代大名は頻繁に屋敷替えをしていた。
松平伊豆守の谷中下屋敷のうちには、長屋が24棟も立ち並んでいた。そして、191年間に42回も火事にあっている。4年半に1度という頻度だ。
藩主の起床時間は通常なら午前7時半ころ。しかし、予定があるときには、午前4時半ころや午前5時半ころには起床した。ええっ、これって早すぎますよね...。藩主の起床時間は、家臣たちの仕事もあるので、好き勝手に早起きして、動きまわることはできなかった。
食事は、1日3食。午前9時半ころ、着替える。それも、近習たちにしてもらう。
江戸城への登場行列で混雑が予想されるときには、いつもより早く屋敷を出る。老中は、午前10時に登城して、午後2時には退出した。藩主の就寝中は、当番の近習が不寝番をつとめた。
江戸藩邸には、武士だけでなく町人(商人)や百姓も出入りした。吉田藩の江戸藩邸に出入りする御用達商人のなかで特別扱いされたものを「御三階下町人」と呼ぶ。そのメンバーは12人前後で推移した。その多くは、藩財政の不足を補うために才覚金(御用金)を負担していた。別に、江戸を代表する米問屋の兵庫屋弥兵衛も特別扱いを受けていた。このほか、多くの町人が出入りしていて、「惣出入町人」と呼んでいた。
江戸藩邸の吉田藩士の半分は定府藩士だった。藩邸内の居住者は1000人を優に超えていた。吉田藩には家老が常時4人か5人いて、そのうちの2人が江戸家老をつとめた。
江戸における藩の役職のなかで、特に重要なポストが「留守居(るすい)」だ。留守居は江戸城に登城して幕府との折衝、上書の提出を担当し、他藩の留守居と交流して情報交換した。外交官の役割を果たした。
江戸時代も後期の吉田藩の江戸藩邸には250人前後の武家奉公人が働いていて、まとめて「中間(ちゅうげん)」と呼んでいた。給料は1年で4両ほど。家臣の武士が藩を抜け出して浪人になることを脱藩といったが、実は脱藩者は多かった。60年のあいだに184件の脱藩者が出たと記録されている。
江戸藩邸で働く奥女中は、20人から30人ほどいたようだ。奥女中は、一代限りか年季奉公だった。奥女中の給金は、最高の老女が150万円、最低が15万円。10代半ばで採用され、10年間の年季を終えて20代の半ばで夜下がりした。
江戸藩邸の実際がよく調べてあって、イメージをつかむことができました。
(2022年6月刊。税込880円)
2022年8月 8日
土を育てる
アメリカ
(霧山昴)
著者 ゲイブ・ブラウン 、 出版 NHK出版
日本にも『自然農法,わら一本の革命』(福岡正信、春秋社)がすでに実践されていますが、この本によるとアメリカでは不耕起農法は今やメジャーな手法として定着しているそうです。小麦・大豆の40%以上、トウモロコシの30%近くが不耕起で栽培されている。
著者はアメリカのノースダコタ州で広大な農場を営んでいる専業農家。リジェネラティブ 農業(環境再生型農業)を実践し、そのパイオニアとして世界に知られています。
この農法は、土の再生がメイン・テーマで、植物や土壌微生物の力を生かし、土の生態系を回復させて、大気中の窒素や炭素を地中に取り込む。それによって作物の育ちは良くなり、同時に気候変動の抑止につながる。
土が再生すると、ミミズが地中にうじゃうじゃいるようになる。
私の庭は、私がせっせと耕し、枯草や生ゴミをすき込んでいますので、ミミズがそれなりに生息してはいます。でも、「うじゃうじゃ」まではいきません。
土の健康に欠かせない5つの原則。
その1,土をかき乱さない。
その2,土は常に覆う。
その3,植物と動物の多様性を確保する。
その4,土の中に「生きた根」を保つ。
その5,動物を組み込む。
著者は、農地を耕すな、と強調しています。耕すと、土壌生物のすみかである土の構造が壊れ、水分の浸透も減ってしまう。 不耕起栽培では、土壌の団粒化がすすみ、有機物の量も増え、地表の作物残渣が水分の蒸発もおさえてくれるので、雨の浸透度が増え、多くの水分が作物にゆきわたる。
微生物の活動が活発になり、養分の循環が増し、化学肥料の必要性が減っていく。労力も燃料もメンテナンスのコストも減る。
農地を肥沃にするには、カバークロップで覆うのが一番良い。
小さな変化を生み出したいなら、やり方を変えればいい。大きな変化を生み出したいなら、見方を考えなければいけない。 なるほど、そんな違いがあるのですね・・・。
地中の菌根菌を増やす。菌根菌は、植物の植と共生関係をつくる菌種で、土の健康は欠かせない。 グロマリンという糊(のり)のような物質を分泌し、それが土の粒子の結合を助け、団粒化が進むことで、土壌に「隙間」ができる。この隙間は水分浸透の要となり、また、地中の微生物のすみかとなる。
ジャガイモだって、耕さずに植えるというのには驚きました。種イモを地面に置いて、その上にアルファルファ草の干し草を薄くかぶせるだけなのです。そして、収穫時には、その枯れ草をめくったらジャガイモがごろごろ・・・。ええっ、本当ですか。なんということでしょうか。今度、やってみましょう。
牛も、豚も、羊も、そしてニワトリ、またミツバチまで農場で飼っています。無農薬、ストレスのない広々とした草原で放し飼いされた牛、そして卵、またハチミツ。地元の市民愛好家を確保して、農業収支を維持しているようです。とても勉強になりました。
(2022年7月刊。税込2420円)
2022年8月 9日
朝日新聞政治部
社会
(霧山昴)
著者 鮫島 浩 、 出版 講談社
朝日新聞の実権を握ってきたのは政治部だ。この本に、こう書かれています。なので、著者は39歳で政治部デスクになったときには「異例の抜擢(ばってき)」だと社内で受けとめられたとのこと。
私の東大駒場時代のクラスメイトの2人が朝日新聞に入りました。どちらも全共闘シンパでした(私は当時も、今も、暴力賛差の全共闘を支持しません)。そして、卒業して30年以上たって開催されたクラス同窓会に参加したら、その一人が朝日新聞の政治部長を務めていたというのを知って驚きました。この本を読むと、政治部長というポストは社長への最短距離にあるようですが、彼は社長にはなりませんでした。
著者は、3.11の福島第一原発の吉田昌郎調書をスクープ報道したときの責任者です。スクープ当初は称賛の声だったのが、その表現であげ足がとられ、ネットで叩かれ、ついには朝日新聞の社長が手の平を返して記事を取り消して謝罪表明した。
いま、冷静に考えても、東電の現場とトップの対応がすべて適切だったとはとても思えません。現に、つい先日の東京高裁はトップに13兆円の賠償に命じたことが何よりの証明です。そして、吉田所長以下、現場の東電社員が決死の覚悟で対処していた事実はあるとしても、東電の社員がトップから末端に至るまで何らの非がなかったとは、とても言えないことは明らかなのではないでしょうか・・・。
それにもかかわらず、朝日新聞のトップはネット右翼に支えられた政府の攻撃に早々に白旗を掲げてしまったのです。これは、やはりひどい、ひどすぎると思います。
この本には、政治家・古賀誠への手厳しいコメントが載っています。古賀誠ほど、権力闘争に執着し、人間の心理を細かく洞察して情報戦を駆使し、本音を明かさない政治家はいない。古賀誠は、大牟田市内のスナックに夕刻から番記者を集め、記事への引用を一切禁じる「完オフ懇談」する。そして、カラオケを3巡させたあと、夜8時から裏話を語りはじめる。
そこには、偽情報がまじっていて、それは政界を動かすためのもの。そのやり口が、古賀誠は人一倍、巧妙だった。
遺族会の元会長として、古賀誠は平和憲法9条を守れという点では、全くぶれることがありませんが、いまなお政界ににらみをきかす現役の政治家なんですよね。
著者は、朝日新聞が東京オリンピックのスポンサーに加わったのは、経営悪化が原因だと指摘しています。なーるほどですね。
2009年まで、800万部の発行部数が、2014年に700万部、3年間で100万部のペースで激減。2016年には500万部を割り込み、2021年には442億円の赤字に転落した。
私は紙媒体の新聞を熱烈に愛読していますが、いまどきの若い人は新聞を読まなくて平気というか、読まないのがフツーになっています。そんななかで新聞が、ヨミウリ・サンケイのような政府広報紙に転落しないよう、マスコミを監視し、また励まし、支えたいものです。いや、もうダメなんだと、早々に決めつけないで・・・。
(2022年7月刊。税込1980円)
2022年8月10日
無人戦の世紀
アメリカ
(霧山昴)
著者 セス・J・フランツマン 、 出版 原書房
今や、世の中、ドローン万歳の時代になっています。たしかに観光地を上空から、居ながらにして眺めることができるなんて、うれしい限りです。マチュピチュ遺跡のような遠いところだけでなく、身近な所員の新居まで上空から眺められるのですね...。
でも、上空にいるドローンが、私たちの毎日の私生活を観察・監視し、さらには上空から小型ミサイルを撃ち込まれてしまったら、もう逃げようがありません。それは、もう、本当に怖いことです。
2020年までに使用された軍用ドローンは2万機をこえた。
ドローンは、ビジネス規模も大きい。2019~2029年の10年間に軍用ドローンに投じられる金額は960億ドルにのぼるとみられている。いやあ、とてつもない金額です。想像を絶します。
2020年に、アメリカは前から暗殺しようと狙っていたイランのカセム・ソレイマン司令官をドローン攻撃で暗殺することに成功した。
アメリカ政府が気にくわないと思ったら、外国で、空港から出てきたばかりの人物をドローンからミサイル攻撃して暗殺できるって、ホント、恐ろしいことですよね。
ソレイマン司令官の命を奪ったミサイルを発射したのは、重さ2200キロ、翼幅20メートルのドローンだった。つまり、小型のドローンではなかったのです。
この本によると、ドローンのパイロット(操縦者)のなかには、任務と日常生活との不協和音に苦しんでPTSDを発症したものが少なくないとのこと。ドローン・パイロットは、夜になれば帰宅してフツーの市民生活を送る。そのギャップのせいで、神経に混乱をきたす。しかも、それを避けるすべはない。カメラの性能が向上していけば、攻撃のボタンを押したあとで見る悲惨な映像は、いっそう生々しいものとなる。そうなんですよね。彼らが見ている映像は、市民向けにもつながっていると言えますね...。
ドローンそれ自体が責任を問われることはない。ドローンは、世界中で、大規模な秘密作戦のもとで、ときに標的殺害を目的として使用されている。そこに戦略はなく、ただ殺すのみ。今や、ドローンはテロリスト集団も手にしていて、改良を続けている。まずは既製のドローンを購入するところから始める。超小型ドローンでも25分間は飛行可能だ。中国は、ドローンの発展とともに勢いを増した。いやあ、ドローンって、ほんと怖いですよね。改めて実感しました。ドローンが戦場で活用されている状況を知ることのできる本です。
(2022年3月刊。2800円+税)
2022年8月11日
高く翔べ
江戸
(霧山昴)
著者 吉川 永青 、 出版 中央公論新社
紀伊國屋門左衛門の一生を描いた痛快小説です。コロナ禍第7波が爆発的に拡大するなか、涼しい車中と喫茶店で読みふけり、つい暑さを忘れてしまいました。
歴史小説ということですが、史実を知りませんので、どれほど事実を忠実に反映しているのか知りませんが、ときの権力者である柳沢吉保と荻原重秀が登場しますし、次の有力者である新井白石には批判的です。
柳沢と荻原に紀伊國屋が初めて会うのは吉原。吉原で遊ぶには厳格なルールがあった。まず、仲の町にある引手茶屋に入り、茶屋を通して妓楼(ぎろう)に渡りをつけてもらう。「必ず」ではないが、そのほうが「上客」とされる。引手茶屋には、客の勘定をまとめて立て替える役割がある。妓楼の側は取りはぐれがなく、客にしても、何かしら注文するたびに勘定をすませるというわずらわしさがない。帰りに茶屋に立ち寄って、まとめて支払えばすむ。
女郎には、上から、大夫(たゆう)、格子(こうし)、散茶(さんちゃ)、局(つぼね)、切見世(きりみせ)という順番の格がある。引手茶屋に手持ちのお金と女郎の好みを言えば、数多ある妓楼の中から何人かの女郎をすすめてくれる。
女郎とは、自らを贄(にえ)にして家族を助けた孝行娘。男が女郎を買うのは孝行の手助け。世の中はそう受けとっている。ゆえに妻は、夫の遊里通いをとがめない。不平をもらせば、妻の側こそ無粋だ、無情だとそしられるのが常だった。
ちなみに明治初期に活躍した政府高官の妻には、高名な芸者が何人もいましたよね・・・。
江戸の町人は、月に2両で暮らすのがフツーだったとき、紀伊國屋は見込まれて200両を元手にとして商売を始めることができた。紀伊國屋は材木問屋だ。しかしある時、ミカンを紀州で仕入れて江戸で売る話が飛び込こんできた。必要なお金は425両。自分は140両しかもたないので、300両は借りた。もうけたときには3千両にして返すという約束で。貸す側は紀伊國屋が死ぬかもしれないというので、「香典代わりだ」として貸した。
10月末の江戸にミカンを乗せた紀伊國屋の船が着いた。江戸中の果物問屋がつめかけていた。ひと籠で8両。運んできた3500籠を全部売り切り、得たのは2万8千両。
紀伊國屋は、このとき1万5千両を得た。
すごいですね。あとは、材木商としてがんばります。江戸は火事の多いところ。なので、人の不幸がもうけどころなのです。
紀伊國屋の商売敵は奈良屋茂左衛門。真剣勝負で火花を散らしたようです。
新井白石の権勢が長くは続かなかったのは、1千石取りの寄合衆、つまり無役の旗本のままだったから、いかに六代将軍徳川家宣の側近とはいえ、ただの旗本にすぎないのなら、除くことができる、高位の幕閣にそう思わせてしまったことが新井白石の失脚した要因。六代将軍家宣は50歳の若さで亡くなり、その子、家継も3年半後、わずか8歳で死亡した。このあとの8代将軍は、かの吉宗。結局、新井白石は政治の世界から身を引いた。
紀伊國屋門左衛門は、真心こそ商売繁盛の要だとした。腹が立つのをのみこんで、しくじった人を許す。すると、相手も次は必死になる。
一代で門左衛門は紀伊國屋を閉店した。宝永7(1710)年のこと。名前も別所武兵衛と改めた。閉店するとき、番頭には1万両ずつ与え、3人の弟たちには2万両ずつ。これも倒産して閉店したからではないからできたこと。すごいですね、この見極めが。
門左衛門は、享保19(1734)年4月に66歳で亡くなった。よく出来た経済小説でもありました。
(2022年5月刊。税込2090円)
2022年8月12日
グーグル秘録
アメリカ
(霧山昴)
著者 ケン・オーレッタ 、 出版 文春文庫
世界はグーグル化された。私たちは情報を検索するのではなく、「ググる」。
アメリカで電話の普及率が50%をこえるのに71年かかった。電気は52年、テレビは30年かかった。ところが、インターネットはわずか10年で普及率が50%をこえた。DVDは7年、FBは5年で2億人のユーザーを擁した。
グーグルは絶対権力になった。アメリカのネット検索の3分の2、世界全体の70%を占める。グーグルは、230億ドルの規模をもつアメリカのネット広告市場と540億ドルの規模をもつ世界のネット広告市場で各40%のシェアを占める。
社員には食事またはスナックが無料で提供されている。5か月間の育児休暇中の給料は全額支給される。社員は、勤務時間の20%を好きなことにあててよいという「20%ルール」がある。
グーグルは、平等主義であると同時に、エリート主義を貫く。創業者2人とCEOのシュミットは、既に10億ドルの資産をもつビリオネア。ほかの役員は45万ドルのほか、その150%のボーナスを受けとった。
ラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンの父親は、ともに大学教授で母親も科学関係の仕事をしていた。ともに1973年の生まれで何事にかけても、とことん議論を尽くすような家庭で育った。子どもの自発性を重んじ、画一的な授業をしないモンテッソーリ式の小学校に通い、好きなことを自由に学ぶことを許された。
ブリンは、友骨精神が強く、ユダヤ人としての教育を受けたものの、礼拝には顔を出さなかった。ブリンは、高校でも大学でも、ほとんど勉強せずに、すべての試験に合格した。
ペイジの父親はコンピュータサイエンスの教授で無宗教、母親はユダヤ教信者だった。
ブリンとペイジが出会う2年前の1993年の時点では世界50ヶ国でインターネットを使っていたのは1500万人でしかなかった。
スタートした時点のグーグルは徹底して検索にこだわった。2000年、グーグルの1日あたりの検索処理件数が平均700万件に達した。すぐに1日の検索処理件数は1億件になった。
グーグルは世界中に数十か所のデータセンターを置いている。物理的にデータセンターを世界中に分散すれば、データ処理の効率は大幅に高まる。
グーグルは広告がクリックされた回数しか広告料を受けとらない。ユーザーが広告のその他の情報をどれだけ眺めているか、何をクリックするか、何を検索するか、何が好きで何は嫌いかといった情報は、広告主にとって測りしれない価値がある。
グーグルはそうした情報を、直接、広告主に渡すことはしない。だが、それを使って、特定の顧客にターゲットを絞って広告を表示するのを手助けしているのは確かだ。グーグルの顧客は広告主なのか、それともユーザーなのか・・・。
今日のグーグルは難攻不落に思える。しかし、本当に盤石とみてよい根拠は何もない。かつてのトップ企業IBMもマイクロソフトも凋落してしまった。
いやぁ考えさせられる文庫本でした。私たちの個人情報がどこかで集積され、売られ。利用され、狙われているのですよね・・・。本当に怖い世の中です。
(2013年9月刊。税込1232円)
2022年8月13日
土砂留め奉行
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 水本 邦彦 、 出版 吉川弘文館
奉行と下役(したやく)、中間(ちゅうげん)、荷物運びの人足(にんそく)などからなる10人前後の武士たちの一行(集団)があった。「土砂留め(どしゃどめ)奉行」とか「土砂留め役人」と呼んでいる。この奉行が巡回するのは、その藩の領地だけでなく、他の藩内にも足を運んでいた。
奉行による村々巡見の本務は、普請(ふしん)場所や新たな崩れ所の見分・点検だった。
奉行を受け入れた側の床屋の日記が丹念に掘り起こされています。スミの毛筆で書かれた「日記」を丁寧に読みといていく作業は本当に骨の折れるものだと思います。慣れたら、草書・くずし字ばかりの「日記」であっても、さっと読めるようになるものなのでしょうか...。アラビア文字をタテにしたような、モンゴルのパスパ文字のような、草書体の文章をすらすらと読めたら、どんなにいいことでしょうか...。
高槻藩の土砂留め奉行だった人の日記も解読されています。奉行の巡回は、3ヶ国7郡と広範囲に及んでいて、しかも、京都、大坂の町奉行所に出向くことも重要な業務の一つだった。この制度は、大名(領主)の家臣を幕府主導の土砂留め行政の奉行(役人)と位置付けて事業を担わせた。
土砂留めの管理が土砂留め奉行の支配下に入ったことにより、工事現場はもちろん、周辺エリアの現状変更についても、その村の領主の専権ではなくなった。
工事に必要な諸経費は村々や当該村の領主に依頼していた。つまり、地元では、工事に力を入れれば入れるほど、負担が増えることになった。
17世紀に急速に進行した新田開発は、自然的環境に加重して災害を激増させる人為的要因だった。魚肥(金肥)以前の農業における草や柴の役割は大きく、その確保のためには、田畑面積の数倍から十倍にも及ぶ草山が必要だった。
江戸時代においても土砂災害対策や禿げ山対策が行われていたこと、そのため江戸幕府が土砂留め奉行をおくなどして、それなりに機能していたことを知ることができました。
江戸時代を日本史のなかの暗黒史とみるのは、まったくの誤解だと、つくづく今、考えています。
(2022年6月刊。税込1700円)
2022年8月14日
江戸の道具図鑑
江戸
(霧山昴)
著者 飯田 泰子 、 出版 芙蓉書房出版
江戸時代の人々がどんな生活をしていたのかが、ビジュアル(視覚的)に分かる図鑑です。なので楽しく眺めることができました。
たとえば、江戸時代の歴代天皇はすべて土葬された。これは、昭和天皇まで続いた。
庶民の棺は桶型の座棺。依頼されて素早く作るので、早桶ともいった。
子ども時代の遊びは、時代で変わるけれど、春のタコ揚げと、四季のコマ廻しは相当の努力が必要になっている。子どもの遊びとして「タコ揚げ」があるが、京阪では「いかのぼり」と称し、単に「いか」と呼ばれることもあった。全国的には「いか」が優勢だった。
銭湯では洗髪を禁止するところも多かった。大量の湯を使うことになるためで、洗髪を禁止させる銭湯が多かった。洗髪するのは、せいぜい月に1回くらい。江戸時代には、かなりの高家でも内風呂がないのはフツーだった。洗髪のための市販の洗剤はなく、なんと自作していた。
江戸時代、女性はみな、結婚すると歯を黒く染めた。
箪笥(箪笥)は、一般庶民には無縁だった。部屋に箪笥はなく、行李(こうり)に入れるか、風呂敷に包んで、部屋においていた。
畳は、古くは座るところだけに敷く敷物だった。室町時代のあと、部屋全体に敷きつめるようになった。
囲碁の歴史は古く、平安時代に始まる。下々に流行しはじめたのは、江戸後期。碁会所ができ、人々は町の碁会所に通った。女人禁制の銭湯の2階は、やりたい放題で、そこで碁をうつ人々もいた。
江戸時代、識字率はかなり高かった。それは高家に奉公するにしても、職人になるにしても、読み書きは大切だったから。侍の子弟はもちろん、町人の子も寺子屋で学んだ。
紙は貴重品だったので、書き損じても捨てずにとっておき、紙屑屋に買いとってもらい、これを専門の漉返(すきかえ)し屋が再生する。このようにして再利用されるのがフツーだった。江戸時代の風俗について、大変勉強になりました。
(2022年5月刊。税込2750円)
2022年8月15日
寝ても覚めてもアザラシ救助隊
生物
(霧山昴)
著者 岡崎 雅子 、 出版 実業之日本社
北海道は紋別(もんべつ)市に日本で唯一のアザラシ保護施設「オホーツクとっかりセンター」があり、そこでアザラシの保護活動に従事している著者によるワクワクドキドキのレポートです。
アザラシって、ほんと可愛いですよね。著者は小学3年生のときにアザラシに魅せられ獣医となって、その保護のために日々たわむれながら働いているのです。幼いころの夢を実現しているって、素晴らしいですね・・・。
アザラシは人間と同じ哺乳類。アザラシには18種いる。
アザラシはアシカに比べて前肢が小さく、主として後肢を使って泳ぐ。デコボコの少ない流線形の体形は、水の抵抗を減らし速く泳ぐし、体熱の放散を最小限に抑えるのに適している。
アザラシの個体識別、つまり全頭を見分けるのは、とても大切なこと。
紋別のとっかりセンターでは、27頭のアザラシを飼育している。保護されるアザラシは漁網に迷いこんでつかまったり、ケガした個体がほとんど。
アザラシは乾いても大丈夫で、かえって、水をかけると体温を奪われ、衰弱させてしまうことがある。うひゃあ・・・、そうなんですね。
アザラシは、一般にはとても臆病な生き物。どころが、例外はあり、人間を怖がらないアザラシもいる。
保護の必要なアザラシは、いったん海へ逃げても、陸上にとどまるような個体だ。保護したアザラシの生存率は、この10年間で、70%。残り30%は助からない。その死因に、寄生虫感染も多い。
アザラシは個体によって、好みが異なる。イカが好きなアザラシは多い。ホッケ(魚)は頭、胴、尾のそれぞれについて好みが分かれる。なので、飼育員は、アザラシの好みに応じてエサを与える。いやぁ、これは大変ですね・・・。
アザラシは頭が良い。飼育員にある名前を覚えている。本名だけでなく、ニックネームも分かっている。そして、他のアザラシの名前も分かっているので、その名前が呼ばれると、その周囲に近づいて、エサを横どりしようとするものもいる。
アザラシの寿命は30年。保護したアザラシはなるべく海に戻してやる。健康なアザラシは、1週間くらい食べなくても、なんともない。
ゴマフアザラシは、メスがオスを選ぶ。相性が悪いと、メスはオスをまったく寄せつけない。
ワモンアザラシのメスは、気が強くて、怒りっぽい。オスはメスの尻に敷かれて、うまくいく。
ゼニガタアザラシは、一夫多妻制。それでも激しい闘争は見られない。幼いころから顔見知りなので、順位関係ははっきりしているからのようだ。
アザラシは、飼育員を見分けるのに、声を重要視している。
アザラシが死亡して解剖しているのを見たアザラシは、そこにいた飼育員を敬遠するようになる。アザラシは賢いだけでなく、仲間の死をいたむ気持ちがゾウのように強いようです。
たくさんのアザラシの写真があって、とても楽しい飼育日記になっていました。
(2022年7月刊。税込1650円)
2022年8月16日
八路軍の日本兵たち
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 香川 孝志 ・ 前田 光繁 、 出版 サイマル出版会
八路軍(戦前の中国共産党の軍隊)による百団大戦で負傷して捕虜となった日本兵たちのなかに八路軍に共鳴して、その兵士として活動するようになった日本人がいました。
1940年8月、陸軍伍長だった日本兵(25歳)が戦闘で負傷して昏倒したまま八路軍の捕虜として、八路軍の前線司令部に連行されたのです。八路軍は捕虜を殺さないというのは知っていたけれど、日本軍は中国で聖戦を遂行していると思い込んでいたので、八路軍を容易に使用できなかったのでした。
戦前の日本軍兵士にとって、生きて虜囚の辱(はずかし)めを受けるなと叩き込まれていたので、日本軍に戻ることは危険だった。
そこが米英軍の兵士との大きな違いですよね。彼らは捕虜となって助かる道を選ぶのは当然のこととされていました。ところが、日本軍は自ら捕虜にならないというだけでなく、敵の兵士を捕虜としたとき、簡単に殺害していました。手間がかかるうえに、食糧確保の問題もあったからです。
やがて八路軍の言っていることのほうが正しいことが分かると、延安で日本労農学校を設立し、そこで学習を重ねるのでした。この状況を、アメリカ軍代表部からも視察に来ていました。このアメリカ軍将校は、アメリカ本国への報告のとき、蔣介石の軍隊より八路軍の方が断然良いとしたら、左遷されてしまったようです。
八路軍の幹部兵士には、日本に留学して日本語ペラペラの人が何人もいて、捕虜となった元日本兵と親密な交流をしました。
陸軍伍長としては死亡し、別の名前の人間として八路軍の兵士に生まれ変わったのです。八路軍の兵士となった元日本兵たちは、日本軍との最前線に出かけていって、日本兵に投降を呼びかけています。最前線にマイクなんてありませんから、メガホンを使った肉声です。50メートル先は敵(日本軍)の陣地。実際、元日本兵2人が戦闘中に死亡しています。
7年間に捕虜となった日本兵は2407人、自発的に投降してきた日本兵は115人いた。
このなかから、のべ300人が延安の労農学校に入って教育を受けた。
反戦兵士が日本軍の部隊に慰問袋(石けん、タオル、日記帳、下着類)を送ると、返礼として、みそやコンブが送られてきた。そこで、さらに酒やニワトリを送ったこともあるという。日本兵から慰問袋のお礼状が3通届いたとのこと。中国の戦場の最前線で、そんな交流があっていただなんて・・・、信じられませんね。第一次大戦中、最前線のドイツ軍とフランス軍の兵士がクリスマス停戦して、交歓していたのは映画にもなりました。
日本敗戦後、野坂参三は随行員3人を連れて長春(新京)に入り、ソ連軍中佐と少佐の肩章をつけたソ連軍将校の軍袋を着用したので、ソ連軍からそれなりに処遇された。
そして、野坂参三ともどもシベリア鉄道でソ連に行き、モスクワに1週間ほど滞在した。その後、朝鮮経由で日本に帰国した。博多港に入港したのは、1946年1月12日だった。
貴重な体験記だと思いました。
(1984年6月刊。税込1320円)
2022年8月17日
音声学者、娘とことばの不思議に飛び込む
人間
(霧山昴)
著者 川原 繁人 、 出版 朝日出版社
うちの子が幼いころ、「とうもろこし」は「とうもころし」と、「ヘリコプター」は「ヘークリッパ」と呼んでいました。今でもよく覚えています。
この本によると、よく似た例として、「オタマジャクシ」は「オジャマタクシ」に、「ジャガイモ」を「ガジャイモ」と言う子もいるそうです。「テレビ」を「テベリ」と言うに至っては、聞く側は少しばかり想像力を働かせなくてはいけませんね。
著者の幼い娘たちは、着換えのとき、「ばんざーい」を「じゃんばーい」と言ったそうです。すかさず録音したのは、さすが音声学者。
子どもたちの発音を録音して分析し、それに意味づけしていくのが学者の仕事なのです。
ことばの順番がひっくり返る現象を「音位転換」と呼ぶ。
「ピカチュウ」は「カプチュウ」に、「おさかな」は「おかさな」となる。
著者は夫婦そろって音声学者。アメリカにも留学し、中学生のときから英語が好きになって、アメリカに留学して、ペラペラになったとのこと。なので、幼児のときから無理して英語を勉強する必要はなく、好きになったら英語は話せるようになるものだと自らの体験をもとにしています。同感です。もっとも、私のように好きでフランス語を始め、今なお続けていても、ちっともうまく話せないような人もいるわけですが...。
一般に「声を出す」というと、ノド(声帯)を意識しがちだが、呼気(肺から出てくる空気)がなければ、声は出せない。声は肺から始まる。よって、肺の仕組みを意識的に理解すると、声が出しやすくなる。ふむふむ、そうなんですか...。
保育園児の著者の娘は、「うさぎぐみ」、「たんぽぽぐみ」にいたので、「あたしの『ぐみ』では...」と「ぐみ」と濁って言った・
そして、一匹、二匹を、「いっぴき」、「にぴき」と言った。なるほど、それは、そうなりますよね。同じように「さんぴき」、「しっぴき」、「きゅっぴき」です。いやはや、ホントそうですね。
著者は都内・渋谷のコギャルたちにも突撃取材しています。勇敢ですね。
「ちょべりば」は、「ちょーべりーばっど」。「ちょべりぐ」は、「ちょーべりーぐっど」。「ちょばちょぶ」は、「ちょーばっど、ちょーぶるー」。「けろんぱ」は「毛がロングで、ぱつきん」。「カリパク」は、「借りたまま、ぱくる」。いやはや、すごい略語です...。日本人は、このように、4文字リズムが好きだ。
赤ちゃんに話しかけるときは、高い声で話したほうが赤ちゃんの注意をひきやすい。高い声を出すと、赤ちゃんの共感を得やすい。
女性の名前は、「共鳴音を含んだ名前」が魅力的で、男性名は、「阻害音を含んだ名前」が魅力的とされる傾向が強い。共鳴音は、マ・ナ・ヤ・ラ・ワ行。阻害音は、パ・タ・カ・バ・ガ・サ・ザ・ハ行。この区別は「濁点をつけられるか、つけられないかで判断できる。とはいっても、『魔女の宅急便』の「キキ」は阻害音だけど、魅力的な女の子だ。日本人の女性名に含まれる子音のうち67%が共鳴音で、男性名に含まれる子音は64%が阻害音。怪獣の名前は、濁音を含むものが73%にのぼる。
この本の結論は、音声学を知ると、人生がとても豊かになるということ。ええーっ、そ、そこまで果たして言えるのでしょうか...。それにしてもわが娘を、いわば実験台にして音声学を深く研究した著者のご苦労に対して、心より敬意を表します。面白い本でした。
(2022年6月刊。税込1925円)
2022年8月18日
続・新中国に貢献した日本人たち
中国
(霧山昴)
著者 中国日中関係史学会 、 出版 日本僑報社
1945年8月15日、日本敗戦後、ソ連軍の次に満州に入ってきた八路軍(中国共産党の軍隊)は、日本人に次のように言った。
「日本に帰るまで八路軍に入りませんか。腹いっぱいご飯が食べられるし、時期が来たら必ず帰国させます」
翌日、数十人の日本人が八路軍に加わることにした。それは脅しに屈したというより、腹ペコの毎日だったので、食べさせてくれるのなら、それでいい。あとは帰国の日を待つだけだと考えたことによる。八路軍の共産思想に共鳴したからでは決してない。だいいち八路軍とはどういう軍隊か知らないし、共産思想については怖いというイメージしかなかったから。
ところが、八路軍とともに行動するなかで、多くの日本人が民衆を尊重し、共に戦うという点を文字どおり実践している八路軍に共鳴し、本心から八路軍を支えるように変わっていった。そして、それは多方面にわたった。多くの医師・看護婦が中国に残った。あたかも日本人経営の病院であるかのように...。工場の技術者として、また鉄道技師として...。新聞を発行し、映画製作にもあたった。
それだけでなく、中国人とともに最前線で八路軍の兵士として戦う日本人も多数いた。中国空軍のパイロット養成にも大きな力を発揮した。器材が乏しいなかで飛行機を飛べるようにしたうえで、中国人飛行士を養成していったというのです。すごいですね。
少なくない日本人が勤勉であり、創意・工夫に長(た)けているという特色を生かして毎日のように奮闘していたとのこと。
八路軍では階級の上下の差を少なくし、集団討議を重んじ、教育・学習の優先順位が上位にあった。ある日本人医師は連隊長級の待遇を受けて、毎月230万元をもらっていたとのこと。これは当時の日本のお金で3万円に相当し、日本人にとってもかなりの高収入を意味した。
日本敗戦後、中国の戦後復興は、国共内戦もあって本当に大変だったと思いますが、そのなかで少なくない日本人が新中国の建設に寄与していた事実を知るのはうれしい限りです。私の叔父(父の弟)も八路軍の要請に応じて紡績工場の技術員として戦後8年間、中国にいて、1953年5月に日本に帰国しました。
(2005年11月刊。税込2900円)
お盆休みは遠出することなく、天神へ出かけて韓国映画「キングメーカー」を見ただけでした。庭にブルーベリーの青い実がぎっしりなっているのを摘み、夕食のデザートとしました。玄関脇の朝顔がとてもきれいで、自然に「お早よう。がんばってるね」と声をかけたくなります。雨も多いので、あっというまに雑草だらけになってしまいますので、雑草とりもしました。
子どもたちがいなくなった子ども部屋を書庫としていますが、どうしても捨てられない愛着のある本、資料として残しておきたい本を選んで、この基準にあわないものは捨てるようにしています。そして、ジャンル別にまとめつつありますが、これが楽しい作業です。もう少ししたら、「私の本棚」シリーズとして私の個人ブログにジャンル別で紹介していくつもりです。
お盆前まで、孫たちが来ていました。来てうれしい、帰ってうれしい。孫たちが来るたびにそう思います。「柱のキズ」を測ったら、この2月から半年間で3センチも身長が伸びていました。私のほうは身長が縮んでいくばかりです。
室内でフワフワボールのキャッチボールをして遊んでもらったり、絵本を読んでやったりしました。今回は、「ダンプ園長やっつけた」が大人気でした。
2022年8月19日
死刑について
社会
(霧山昴)
著者 平野 敬一郎 、 出版 岩波書店
この著者の、ときどきの社会的発言は、いつも大変鋭く、共感することがほとんどです。
このタイトルで著者が何を言うのか、恐る恐る読みすすめたのですが、まったく同感するばかりで、改めて著者の見識の深さに心より敬服しました。
著者も、大学生のころは、なんとなく死刑制度「在置派」だったとのこと。死刑制度があるのも、やむをえないと考えていたのでした。今は「廃止派」です。
恐怖心による支配の究極が死刑制度だ。
人間に優しくない社会は、被害者に対しても優しくない。被害者への共感を犯人への憎しみの一点とし、死刑制度の存続だけで被害者支援は事足れりとしてきたことを私たちは反省すべきだ。
いやあ、本当に、この指摘のとおりだと私も思いました。すごい指摘です。
著者が死刑制度に反対するようになったきっかけの一つは、警察の捜査の実態を知ったから。この点は、弁護士生活48年になる私の実感にも、ぴったりあいます。
日本の警察は(恐らく世界中の警察も、そうなんでしょう...)犯人が無実、つまり冤罪だとわかっていても、いったん「犯人」だと決めつけた以上、決して自らの過りを認めようとはせず、むしろ自分たちの正当性を守るため、場合によって証拠を捏造(ねつぞう)してまでする。その結果、死刑判決が下され、執行されても、警察は「自己責任」とウソぶくだけ。これが警察捜査の真実です。私は弁護士として体験的に確信しています。
警察官にとって、やってもいない犯行を「自白」させるなんて、朝飯(あさめし)前のことでしかありません。窓のない狭い小部屋に押し込められ、一日中、「お前がやっただろ。やってないというのなら証拠を出してみろ」と怒鳴りあげられたら、フツーの人は3日ももたないと私は思います。私だって、2日以上もつ自信はありません。
劣悪な生育環境に置かれて育っていたり、精神面で問題をかかえていたりして、それが放置されていたのに、重大な犯罪を起こしたら死刑にして、存在自体を決してしまい、何もなかったようにしてしまうって、国や政治、私たちの社会の怠慢なのではないのか...。
著者の鋭い問題提起は胸に響きます。
そして、死刑執行。法務大臣と法務官僚たちが、どのタイミングで、いつまでに何人執行しようか、政治状況をにらみながら話し合いをしている。こんな、人間の命を絶つことを同じ人間が話し合いながら決める、なんて、やっていいことなんでしょうか...。人を殺すための計画をたてて、話し合って決めるなんて、そんな話し合いは、根源的に誤っている。たしかに、私もそう思います。
死刑執行のボタンを押すのは現場の刑務官であって、法務大臣でも法務官僚でもありません。刑務官の精神的負担の重さに、私はひしひしと痛みを感じます。
自分の人生に絶望している人が「拡大自殺」として殺人行為を敢行する。そんな人たちに死刑という刑罰は、まったく意味がなく、抑止効果もない。本当に、そのとおりです。むしろ、助成効果があるだけでしょう。
著者は日本の人権教育は失敗している、欠陥があるとします。とても共感できない人の人権をこそ尊重するような教育が子どものころから必要なんだというのです。これにも、まったく同感です。
犯罪の抑止のためには、共感よりも人権の理解が重要であり、そうである以上、死刑制度は背理だ。
著者による問題提起の深さに心が震えるほど共鳴しました。わずか120頁の小冊子です。弁護士会での講演会がベースなので、とても読みやすくなっています。あなたも、ぜひ、ご一読ください。
(2022年6月刊。税込1320円)
2022年8月20日
笑いの力、言葉の力
人間
(霧山昴)
著者 渡辺 文幸 、 出版 倫理社
「井上ひさしのバトンを受け継ぐ」というサブタイトルのついた本です。井上ひさしは私のもっとも尊敬する偉大な作家の一人です。
井上ひさしは中学生時代、成績優秀で、いつも全校10番以内にいた。ところが、仙台一高では、なんと1学年300人のうち250番内に入ったことがなかった。ただし、国語については、抜群の優等生だった。
いったい、高校生の井上ひさしは何をしていたのでしょうか...。
井上ひさしは、勉学の道から離れて、映画監督か脚本家を目ざした。そこで担任の教師に対して、「仙台に来る映画を全部みたい」と申し出た。これに対する教師の回答は、なんと...。
「まあ、やってみたらいいじゃないか。その代わり、学校には3分の2は必ず出てこいよ」
そして、映画の半券と感想文の提出を求めた。
いやあ、いい時代ですね、うらやましい限りです。
井上ひさしは、早朝割引と学割を使って、同じ映画を最低2回みた。2回目は、暗闇のなかでメモをとりながらみたのです。これには、さすがにたまげました。映画館の暗闇のなかでメモをとるなんて、私は考えたこともありません。結局、高校3年間に1千本もの映画をみたというのです。これはもう人生の大きな財産に間違いなくなったことでしょう。そして、映画批評を書いて送ったら、第一位に入賞して、賞金2千円などをもらったとのこと。さすが天才的な人は、やることが違います。
井上ひさしは、医師になろうとして、医学部を受験して、2回も失敗します。それで、次に作家になろうと考えたのでした。
井上ひさしは、読むのが速い。1日に30冊から40冊も読んだ。そして、「遅筆堂」と名乗って、書きあげるのは遅かったが、本当は書き出したら速かった。書くためには調べ尽くさないといけない。調べるのは大好き。自分への要求が高い。それで書き始めるまでに時間がかかってしまう。
井上ひさしの遅筆は完璧主義によるもの。追い詰められないと力が出ない。遅くてもいいから、納得のいくものを書きたい。いいものを書くために、練って練って、何度も何度も書き直す。そして、「悪魔が来」て、傑作が出来あがる。
私も小学生のころ、「ひょっこりひょうたん島」を楽しみにみていました。1964(昭和39)年4月6日に始まったのです。私が高校1年生のときですが、これは生意気盛りの子どもにとっても共感を呼ぶ内容でした。大人中心の社会に対する子どもたちの異議申し立て、大人たちのおかしさを笑いのめす子どもたちがひょうたん島にはいるのでした。
私と同じ団塊世代の著者による井上ひさし評伝です。天才的な井上ひさしに、今なお、私はあこがれています。
(2022年7月刊。税込1430円)
2022年8月21日
花散る里の病棟
社会
(霧山昴)
著者 帚木 蓬生 、 出版 新潮社
九州で四代、百年続く「医者の家」が描かれている本です。
「町医者」がぼくの家の天職だった。オビにこう書かれています。でも、戦争はそんな「町医者」を戦場にひっぱり出します。
軍医にもいくつかのコースがあったのですね、知りませんでした。
赤紙で招集される医師には相当な苦労が待っていた。まず二等兵で入営するから、ビンタなどの苛酷な軍隊生活を覚悟しなければならない。医師だからといって手加減されない。
ところが、軍医補充制度というものがあって、衛生上等兵となり、1ヶ月の軍人教育が終わると、衛生伍長として陸軍病院で軍人医学を学び、修了したら衛生軍曹になる。
主人公は、再招集されて衛生軍曹から軍医見習士官となった。そして、フィリピンに派遣された。ルソン島の陸軍病院で働いていると、レイテ島への異動命令が出た。ところが、それは困ると上司がかけあってルソン島にとどまった。レイテ島に行った将兵は全滅した。運良く助かったというわけ。
ルソン島では薬剤もなく、食糧も尽きてしまって、多くの日本軍将兵の患者は栄養失調のなかで死んでいった。運よく日本に帰国できたので、戦病死した上司の軍医中尉の遺族宅へ行き、当時の実情を報告した。
現代の「町医者」の活動を紹介するところには、ギャンブル依存症を扱う精神科医に講演してもらったという記述もあり、著者が自分のことをさらりと紹介しています。
また、コロナ禍に「町医者」がふりまわされている状況を描写するなかでは、例の「アベのマスク」に対する批判など、政府の対策の拙劣され対しても厳しく批判しています。
「町医者」を四代も続けるということが、いかに大変なことなのか、少しばかり実感できる本でもありました。
著者は、次はペンネームの由来である「源氏物語」の作者である紫式部の一生に挑戦すると予告しています。楽しみです。
(2022年6月刊。税込1980円)
2022年8月22日
沖縄美ら海水族館はなぜ役に立たない研究をするのか?
魚
(霧山昴)
著者 佐藤 圭一 ・ 冨田 武照 ・ 松本 瑠偉 、 出版 産業編集センター
前に、このコーナーで紹介しました『寝てもサメても。深層サメ学』の続編です。むずかしい記述もありますが、そんなところは読み飛ばして、とても面白い、ハラハラドキドキの研究が紹介されているのに目が強く惹かれます。
なにしろ、ガラパゴス諸島に出かけて、その近海で1週間も潜水調査するのです。お目あては、かの巨大なジンベイザメ。巨大ザメに取りつき、注射針を刺して採血し、また水中エコー機で腹部をスキャンするのです。いやあ、すさまじい、涙ぐましい努力ですよね。興奮のあまり録画ボタンを押し忘れるなどの失敗もしながら、見事に血液サンプルを確保し、腹部エコー画像もとったのでした。しかも、それをしたのは日本人研究者の男女です。もちろん、現地の人たちがサポートします。なにしろ水深30メートルほどもあり、水中でエア切れになったりするのですから、サポートなしでやれるものではありません。
本職が看護師の村雲さんは、採血するにあたって、胸ビレには針が刺さらないので、背ビレの付け根に針を刺して成功した。このとき、ジンベイザメのヒレにつかまっているので、そのまま海の向こうに連れていかれないよう、サポーターが見守っている。いやはや、怖いこと。
美ら海水族館で独自に開発した健康管理の技術がガラパゴス諸島の周囲に生息する野生ジンベイザメの生態研究に貢献したというのです。すごいことです。
水族館は、博物館などと比較して、運営コストが群を抜いて高い。というのも、水中にすむ動植物を多数飼育しているから、その飼育水を維持するには、ライフサポートシステムを24時間、絶えることなく稼働させる必要がある。沖縄美ら海水族館は、年間1000万キロワットの電力を消費している。これは一般家庭2800世帯の年間消費量に相当する。そのほか、エサ代そして人件費が必要となる。
水族館のスタッフは研究する必要がないのか、研究成果の発表なんて不要なのか、という問いかけがなされています。いやあ、必要ですよね。見物客に向けたショーをやっているだけでいいなんてことはありません。
でも、その研究って、いったい、何の役に立つのか...、と声を低めてしまいます。
でもでも、目先の役に立てるものばかりが人類に真の意味で役に立つのかどうかは別ですよね。生物の多様性、多様な生物の形態を保持・維持することは人類の生存の保持にもつながるものです。
沖縄美ら海水族館には、私も2回だけ行きました。年間入場者200万人を記録したとのことですが、コロナ禍の下では、入場者も激減したのでしょうね。だけど、沖縄に行ったら、ぜひ行ってみたいところです。ただ、那覇から遠くて、バスかタクシー、レンタカーしかないのが難点です。早く地下鉄を延伸してくれませんかね...。
この水族館では、サメの人工子宮をつくっています。人為的にサメの子宮内環境を再現した装置で胎内の胚発生を観察し、サメを産み出すのです。そのため、人工子宮の中を満たした水「人工羊水」を開発しました。サメの体液生成に似せた液体を人工的につくって、本物の羊水の代わりを果たさせるのです。そして、サメ人工出産に成功したのでした。いやあ、すごいことです。
そして、著者(の一人)は、こう書いています。
私には、自分の研究の重要性を他人に認めてもらいたい一方で、自分の研究の重要性が他人に分かってたまるかという気持ちがある。お前は、いつから「人に役に立つ研究」なんぞするような研究者に成り下がったのか...。研究者とは、かくも我がままで、矛盾に満ちた生き物なのだ。
いやあ、面白い本です。挑発的なタイトルもいいですね。こんな問いかけをする研究者がいるからこそ、世の中は発展するわけで、それを阻害する政府の日本学術会議の任命拒否は、ますます許せないという気持ちが強まりました。一読を強くおすすめします。
(2022年6月刊。税込1980円)
2022年8月23日
ジャカルタ・メソッド
アメリカ
(霧山昴)
著者 ヴィンセント・ベヴィンス 、 出版 河出書房新社
国際勝共連合・統一協会は日本の支配層にがっちり喰い込み、日本の政治を自分たちの思う方向に動かそうとしてきました。ただ、非武装の団体ですから、不幸中の幸いにも大量虐殺とは無縁(少なくともこれまでは)です。しかし、本家本元のアメリカ(CIA)は、それこそ世界中、いたるところで共産主義者の大量虐殺を敢行してきました。
この本は、1965年にインドネシアで起きた大量虐殺がアメリカ(CIA)の差し金によるものであること、その方法(方式)はじゃカルト公式(メソッド)として、世界各地であてはめ、実行がなされ、今なお「ジャカルタ」と言えば共産主義者を有無を言わさず大量虐殺し、その国の民主主義を圧殺するものとして「活用」されているという恐るべき事実を実証しています。
著者はまだ若い(38歳)アメリカのジャーナリスト。ロサンゼルス・タイムズの特派員やワシントン・ポストの記者として活躍中です。
1965年10月、インドネシア在のアメリカ大使館は、CIA分析官と協力して、数千人の共産主義者および共産主義者と疑われる人物の名前を記載したリストをインドネシア軍に手渡した。それは、リストにある人物を殺したら印をつけられるようになっていた。このリストにもとづき軍と反共団体が大量虐殺を実行していった。
バリ島では、住民の5%にあたる8万人が殺害された。人々が虐殺された現場の浜辺には、今、高級ホテルが建っていて、痕跡も見あたらない。
虐殺されたインドネシア国民は100万人。それ以外に100万人が強制収容所に入れられた。虐殺の間接的犠牲者は数百万人にのぼる。なぜ、こんなに多数を占めるのか。それは、当時、インドネシア国民の約4分の1がインドネシア共産党(PKI)と関わっていたから。連行された囚人の15%は女性だった。
PKIは、インドネシアで、もっとも有能かつ本格的な政党だった。PKIは、清廉(せいれん)潔白だと評判だった。農村部で農民のニーズにこたえる活動をしていた。PKIは武装闘争を否定していた。PKIは、しばしばモスクワの指示を無視し、スカルノ大統領に接近していた。
PKIは国内の資本家階級と手を結び、反封建的な「民族統一戦線」を目ざした。
スカルノ大統領は「ナサコム」と命名し、PKIも包含する政治をとろうとした。スカルノ、軍部そしてPKIという三つの政治勢力のバランスをうまくとっていた。
PKIは300万人の党員をかかえ、系列組織として、労働者機構、農民戦線、人民青年団のほか、婦人団体のゲルワニを擁していた。ゲルワニには、2000万人もの会員がいた。
PKIはあくまで平和的に活動していた。毛沢東は中国を訪問したPKIのアイディット議長に対して警告した。アイディットは、武装闘争を否定した。
インドネシア軍による民衆の大量虐殺の主導権を握っていたのはアメリカ政府だった。途方もない圧力をかけ、作戦を進行させ、規模を拡大させた。アメリカ大使館は一貫して軍を焚きつけ、より強硬な態度をとり、政権を乗っとるように仕向けた。
インドネシア軍の将校たちは、人を殺せば殺すほど、左翼は弱体化し、アメリカ政府は喜ぶと知っていた。
このとき、ソ連はスカルノの失脚とPKIの滅亡をほぼ黙認した。すでに中ソは対立状態にあり、ソ連政府は、歯に衣着せぬ中国の盟友(PKI)の成功を望んでいなかった。
アメリカ政府関係者は、ほぼ一様にインドネシアでの大量虐殺を称賛した。そして、アメリカの財界エリートは、インドネシアがアメリカの企業に門戸を開いたことを大歓迎し、さっそくインドネシアを次々と訪問した。
インドネシアとブラジルでは反対勢力の存在は許されなかった。買収と暴力が日常茶飯事で、国民は恐怖に口をつぐみ、汚職は劇的に増加した。
1960年代、インドネシアには、ソ連の最悪の時代に匹敵する規模の強制収容所が存在した。そして、アメリカが、そのシステムを支援していた。
チリのアジェンデは、社会主義者でありながら、洗練されたサンティアゴのエリートだった。
ニクソン大統領はCIA長官を呼び出し、アジェンデの大統領就任を阻止せよと命じた。
ブラジルで「ジャカルタ作戦」が始動した。それは、インドネシアと同じく、大量殺人だった。
1973年にチリのクーデターは成功し、アジェンデは失脚し、死んだ。ピノチェトとその部下は、独裁政権を誕生させて数日間のうちに3000人もの市民を殺害した。
アメリカは世界各地で、インドネシアを重要なモデルケースとして、暴力すなわち「絶滅」プログラムを実行していった。一般市民に対する残忍きわまりない暴力を頂点とするアメリカ政府の反共十字軍の「成功」が現代国際社会を形成している。
このアメリカ化の構築に役立ったのが、インドネシアで敢行された大量殺人プログラム(ジャカルタ・メソッド)だった。
お手本であるアメリカの現状はどうか。アメリカは総体としてみると、並はずれて豊かで強力な国だ。しかし、その内実は、社会の最上層に他国から入って来る富がますます蓄積される一方で、底辺にいる多くのアメリカ市民は、旧第三世界の人々と変わらない貧しい暮らしをしている。
1965年で起きたインドネシア国民100万人もの大量虐殺事件が日本で話題となることはほとんどありません。でも、これを主導としたアメリカ政府(CIA)の冷酷そのものの政策(「ジャカルタ・メソッド」)は、決して日本人の私たちに無縁ではないことをしっかり認識しておく必要があると、つくづく思いました。お盆休みに、喫茶店をハシゴして360頁もの大著を、重い気分に浸りながらなんとか読み通しました。あなたも、ぜひ手にとってご一読ください。
なお、『インドネシア大虐殺』(中公新書、倉沢愛子)を前に、このコーナーで紹介しています。あわせてお読みください。
(2022年4月刊。税込4180円)
2022年8月24日
聞くだけの総理、言うだけの知事
社会
(霧山昴)
著者 西谷 文和 、 出版 日本機関紙出版センター
一見ソフトな「聞くだけの岸田」は、選挙前、あたかも新自由主義と決別するかのようなウソをついた。国民に寄りそうフリをして当面の選挙を乗り切り、あとですべてをホゴにする作戦に出たので、自民党は選挙で負けなかった。
「言うだけの吉村」は、分かりやすい。コロナ対策に「イソジンがいい」と明らかなウソを言ってのけた。これで塩野義製薬の株価が上がった。松井と吉村をトップとする維新の目玉はカジノと大阪万博。これには吉本興業と維新そして大阪財界がカジノ利権で結託している。吉本興業はカジノに隣接する劇場の運営利権を手に入れる予定。そして万博の大使(アンバサダー)に吉本の会長が、マネージャーのダウンタウンが就任。芸人が権力にすり寄っている。その代表格がダウンタウン。コロナによる死者は大阪が日本中で最悪。
橋下徹は大手サラ金・アイフルの子会社の弁護士で、吉村知事はサラ金最大手だった武富士の弁護士だった。サラ金の顧問弁護士だから悪いということではありませんが、そんな仕事をしていたことは広く知られていいことです。
大阪テレビ局の朝・夕のワイドショーに吉村知事がずっと出ている。大阪では「へつらい」がまかりとおっている。
パソナの竹中平蔵は公共・切り崩し作戦。公務員を削って、パソナがもうかる仕組み。水道も鉄道も民営化して、パソナと竹中平蔵がもうかる仕組みをつくろうとしている。
橋下徹の1回の講演料は200万円。年に何回もするので数千万円になっている。その原資は維新の会なので、結局のところ、私たちの税金。
維新の汚れた部分は報道されないので、なんとなく維新が改革者だと誤解している人が多い。でも、本当は違う。
ロシアのウクライナ侵攻戦争で、1日2.5兆円の戦費がかかっている。それでもうけている人たちがいる。そんな人は戦争が早く終わるのを決して望んでいない。
安倍首相はロシアのプーチン大統領と27回も会って、会食もし、3000億円を渡した。
「ウラジーミル(プーチン大統領)、キミとボクは同じ未来を見ている。ゴールまで駆けて、駆けて、駆け抜けようではありませんか」。よくもまあ、こんなことを臆面もなく、言い切ったものですよね、聞いているほうが恥ずかしくて思わず赤面します。
漫然とテレビも新聞も見ずに、好きなネット情報だけに頼っていると、維新を改革政党だなんて、とんでもない誤解をしてしまう。ホント、そうですよね。わずか160頁ほどの小冊子ですが、ぜひ多くの、とくに若い人に呼んでほしいと思いました。
(2022年6月刊。税込1430円)
2022年8月25日
亜鉛の少年たち
ロシア
(霧山昴)
著者 スヴェートラーナ・アレクシエーヴィッチ 、 出版 岩波書店
ソ連時代、アフガニスタンの戦場へ送られ幸いにも帰還できた将兵の証言集。
著者は『戦争は女の顔をしていない』の作家でもあります。苛酷すぎる戦争体験を聞きとり、活字にする作業をすすめていったわけですが、そのあまりの生々しさは反戦記録文学とみることもできます。なので、それへの反発から、誰かが黒幕となって、聞き取り対象となった兵士や遺族の母親から、自分はそんなことは言っていない、アフガンで戦った兵士の名誉を侵害したとして、ロシアで裁判になったのでした。
著者が法廷で、あなたはあのとき私に本当にそう言ったのではありませんかと追及されると、彼らも全否定はできず、いや、そのつもりではなかったんだ、と話をそらそうとしたのです。裁判所は、結局、事実に反するとは認めなかったものの、一部は兵士の名誉を毀損しているとして、著者にいくらかの損害賠償を命じました。
銃弾が人間の身体に撃ち込まれるときの音は、一度聞いたら忘れられないし、聞き違えようがない。叩きつけるような、湿った音だ。
戦場にいる人間にとって、死の神秘なんかない。殺すってのは、ただ引き金を引くだけの行為だ。先に撃ったほうが生き残る。それが戦場の掟だ。
オレたちは命令のとおりに撃った。命令のとおりに撃つよう教え込まれていた。ためらいは
なかった。子どもだって撃てた。男も女も年寄りも子どもも、みんな敵だった。オレたちは、たかだか18歳か20歳だった。他人が死ぬのには慣れたけど、自分が死ぬのは怖かった。
アフガンでの友情なんて話だけは書かないでくれ。そんなものは存在しない。
なぜ、相手(敵)を憎めたのか。それは簡単なこと。同じ釜の飯を食べた、身近にいた仲間が殺される。さっきまで、恋人や母親の話をしてくれていた仲間が全身、黒焦げになって倒れている。それで即座に、狂ったように撃ちまくることになる。
罪の意識は感じていない。悪いのは自分たちを戦場に送り込んだ人間だ。
兵隊になって、オレはなにより味方に苦しめられた。古参兵たちのいじめだ。
「ブーツをなめろ」。全力でぶちのめされる。背骨が折れそうなくらいズタボロにされる。
ヘロインは文字とおり足元に転がっていた。でも、オレたちは大麻で満足していた。
戦場で生き残るもうひとつの秘策は、なにも考えないこと。将校は自分では女や子どもを撃ちはしない。撃つのは自分たち兵士だ。しかし、命令するのは将校。なのに、兵士がみんな悪いって言うのはおかしいだろ・・・。兵士は命令に従っているだけなのに。
死体はさまざまだ。同じ死体はひとつとしてない。
兵士が死ぬのは、戦地に到着して最初の数ヶ月と、帰国する前の数ヶ月がいちばん多かった。最初のうちは好奇心が旺盛だからで、帰国前は警戒心が薄れてぼんやりしているからだ。
著者を訴えた兵士や遺族は、「息子は殺されたというのに、それを金もうけのタネにしている」「裏切り者」「あなたは、私の息子を殺人犯に仕立てあげた」と強調した。
死んだ兵士は亜鉛の棺に入って自宅に届けられる。一緒に届けられるのは、歯ブラシと水泳パンツの入った小さな黒いカバンひとつだけ。
ソ連によるアフガン侵攻の戦争は1979年から1989年まで10年間も続いた。そして、ソ連は侵略者でしかなく、しかも勝利はしなかった。今のウクライナへのロシア(プーチン大統領)の侵略戦争と同じですよね。一刻も早く、ロシア軍が撤退して、ウクライナに平和が戻ることを願うばかりです。
(2022年6月刊。3520円)
2022年8月26日
「小倉寛太郎さんに聞く」
人間
(霧山昴)
著者 小倉 寛太郎 、 出版 全日本民医連共済組合
『沈まぬ太陽』(山崎豊子。新潮社)の主人公である恩地元(はじめ)のモデルである小倉(おぐら)寛太郎(ひろたろう)氏が今から20年以上も前、2000年ころに話したものをテープ起こしした、40頁ほどの小冊子です。
書庫を断捨離しつつ整理していたら、ひょっこり出てきました。『沈まぬ太陽』は本当に傑作です。いかなる苦難・困難にも耐えて、不屈にがんばり続ける主人公の恩地元には、大いに励まされます。まだ読んでいない人は、ぜひぜひ、私から騙されたと思って、明日からでも読んでみてください。決して後悔することはないと断言します。
私は第1巻を1999年8月28日に読了し、完結編の第5巻を9月15日に読み終えました。速読をモットーとする私が5冊を読むのに珍しく2週間以上もかけたのは、あまりに素晴らしく、泣けてきて、読みすすめるほどに胸が熱くなるので、読み飛ばすなんて、もったいなくて出来なかったからです。それは今でもよく覚えています(少し前に読んだ、アメリカの本『ザリガニの鳴くところ』もそうでした・・・)。
小倉さんとは、私も一度だけ会って挨拶させていただきました。大阪の石川元也弁護士の同級生だというので、日弁連会館2階「クレオ」でのパーティーのときでした。いかにも古武士然とした風格を感じました。
「私も辞めたくなるときがあった。でも、私が辞めると喜ぶ奴がいるし、反対に悲しむ者がいる。そして、私が喜ばしたくない奴が喜び、悲しませたくない者が悲しむのだったら、やはり辞めないほうがいい」
「子どもに知られて困るようなこと、子どもに見られて困るようなことはしたくないと思った」
「何も特別のことはしていない。ただ、愚痴ってもしょうがない。こそこそ陰で恨んでもしょうがない。そして、どんな所へ行っても、胸はって、そこの土地のもとを糧(かて)にしていけばいい」
「次の世代のためにも、自分があとで考えて後ろめたく思うような心の傷をもってはいけない」
「余裕とユーモアと、ふてぶてしさとで生きていかなければいけない。とくに働く者は、ふてぶてしくなければいけない。転んでもただでは起きない。何か拾って、立ち上がったという生き方、そんな生き方を伸び伸びとしたい。いつも悲壮な顔をしていたら、ほかの人はついていきようがない」
「人間に必要なのは冷静(クール)な頭脳と温かい心(ハート)だ」
「JALに来るような東大卒はクズかキズものだ。頭がよくて人柄もいい。そんな人間はJALには来ない。JALには頭は良いけれど、人柄が良くないのが来ることが多い。一番困るのは、頭の悪さを人柄の悪さで補うという者。こんな人間が、けっこう世の中にいる」
いやあ、さすが苦労した人のコトバは重みがありますよね。
小倉さんはナイロビ支店長に飛ばされたあと、1976年に、戸川幸夫、田中光常、羽仁進、渥美清、小原英雄、増井光子、岩合光昭の諸氏らと「サバンナクラブ」を結成しています。また、8年間のナイロビ勤務を通じて、アフリカのケニアやウガンダ、タンザニアなどの国の首脳陣とも親密な交流をしたのでした。まことに偉大な民間交流です。
20年以上も前の、わずか40冊ほどの小冊子ですが、ひととき私の心を温めてくれました。
(2022年3月刊。非売品)
2022年8月27日
進化の謎をとく発生学
生物
(霧山昴)
著者 田村 宏冶 、 出版 岩波ジュニア新書
エンハンサーという聞いたことのないコトバが登場してきます。
進化しているのは形づくりの仕組みだ。
動物の特徴は、エサをとること。それは、細胞がエサを必要としているから。
タンパク質は、ヒト(人間)の体の組成成分としては、水(17%)に次いで多く、全体重の16%を占めている。ヒトの体はタンパク質でできているどころか、タンパク質によって作られる。
エンハンサーは、ある遺伝子が脳で発現したり、心臓で発現したり、あるいは筋肉で発現するのに使われる配列。
ゲノムは数万個以上になるだろうエンハンサー配列がちりばめられていて、その組み合わせで2万5千種類の遺伝子がどの細胞で、いつ、どれくらい機能するかが決められている。
ヒトでは、200種類に分化した細胞が、さまざまな機能をもつことによって、ひとつの生命体として統合された運動をしている。遺伝子は2万5千種類しかないので、200種類、37兆個から成るヒト1個体分をつくり出すためには、遺伝子をあちこちで使いまわす必要がある。遺伝子の時空間特異的な発現を可能にするのがエンハンサーだ。
エンハンサーの働きによって、遺伝子は、いつ、どこで発現して、どれくらいタンパク質をつくのか、制御される。 すなわち、受精卵からゲノム情報をもとに発生する。
鳥の先祖は恐竜。そして、現生の動物で恐竜に一番近いのは、ワニ。恐竜のゲノムは不明。 化石のなかにDNAや塩基はほとんど残っていない。「ほとんど」というのは、少しは残っているということなのでしょうか...。
魚のカレイはヒラメに近い仲間。ヒラメは成魚になる過程で右眼が左に移動し、左半身にだけ色がついて、左を上に向けて泳ぐ。カレイは逆に、すべて右に動き、右を上にして生活する。 例外もあるが、ひだりヒラメにみぎカレイと覚える。
世の中、ホント、知らないことだらけですね...。この本は、とてもジュニア向けだとは思えません。
(2022年3月刊。税込902円)
2022年8月28日
「ネコひねり問題」を超一流の科学者たちが全力で考えてみた
猫
(霧山昴)
著者 グレゴリー・J・グバー 、 出版 ダイヤモンド社
猫は高いところから落ちると、最初にどんな姿勢であっても、必ず、足から着地するという驚きの能力をもっている。
この本は、超一流の物理学者たちが、この「ネコひねり問題」を理論的に解明し、説明しようとした苦闘の歴史を解説しています。
なので、その理論のところは、とても難しくて、正直言って私にはよく分かりませんでした。
それでも、長い尾がなくても、目隠しされていても、そして宇宙(無重力)空間でも無事に着地できるという猫の能力には、改めて驚くばかりです。
しかも、猫は高層ビルから落下したときにも、意外や意外、ほとんどケガせずに着地するというのです。それも9階より高いほうが猫はケガしないという、私たちの常識に反する事実があるのです。
信じられません。その理由の一つは、猫の体重が人間よりはるかに軽いからです。
猫は高いところから落下するとき、完全に無重量状態にある。なので、「加速」を感じることはない。しかし、終端速度に達すると、通常の重さを感じて、衝突に備える。
32階の高さからコンクリートの地面に落ちた猫は、軽度の気胸と歯が1本欠けただけですんだ。いやあ、まったく信じられません...。
イスラムの世界では、猫が西洋よりも、はるかに敬意をもって扱われている。それは預言者モハメッド(ムハンマド)が猫を愛したことにもとづく。
いずれにせよ、猫の身体が想像以上に柔軟であることに関連していることは確実です。
世の中には、本当に不思議なことが山ほど、次から次に出てくるものなんですね...。だからこそ、この世は果てしなく面白いのですが...。
(2022年5月刊。税込1980円)
2022年8月29日
ブラックホール
宇宙
(霧山昴)
著者 二間瀬 敏史 、 出版 中公新書
ブラックホールの姿が見えた、だなんて、不思議ですよね。だって、光が吸い込まれていくんでしょ。その姿が見えるはずありません。なので、ブラックホールの周囲が見えたので、その真ん中の黒いものがブラックホールというわけです。なるほど、なーるほど・・・。でも本当なんんでしょうか。ブラックホールって、いったい何でしょうか・・・。
そこにある物質が詰まっているわけではない。物質のかたまりではなく、時間と空間のかたまり、のようなもの。ええっ、いったい何のことでしょう・・・。ともかく、わけが分からないまま、読みすすめました。この世の中、わけが分からないけれど存在するものというのは、いくつもいくつもあります。コロナ禍が爆発的に増えているのに、行動制限なし。旅行するのも自己責任で自由。ロシアのウクライナ侵略戦争が終わる目途が立たないなか、日本も核をもてという声が強まる不思議さ。日本が核をもったら攻められないなんてノーテンキな幻想でしょう。いったい日本に原発(原子力発電所)がいくつあるのか知っているのでしょうか。休眠を入れたら50ヶ所以上になります。その一つでも攻撃されたら、日本はおしまいなんですけど・・・。
ブラックホールの中に物質はない。どこにも物質はない。重たい割にはすごく小さい天体。そして重力がとても強い天体、それがブラックホール。
えぇ、物質がないのにすごく重く、重力がとても強いって、どういうことなんでしょうか・・・。
ブラックホールの表面は、時間が凍りつくところ。時間の流れが止まるところ。
それではブラックホールをつくった物質、その後にブラックホールに落ち込んだ物質は、いったいどこに行く、行ったのか・・・。これは、今なお答えが見つかっていない現代物理学の宿題だ。
ブラックホールの正反対のものとしてホワイトホールと呼ぶものがある。このことも知りませんでした。外向きに一方通行の面に囲まれた時空の領域です。
この宇宙には、大小無数のブラックホールが存在している。これらのブラックホールは、太陽質量の10倍以上重い大質量星の重力崩壊で形成されたものと考えられている。
かの有名なホーキング博士は、タイムマシンができないことを意味する「時間順序保護仮説」を主張した。ホーキングはいまだかつて未来からの旅行者がいないことがその証拠だとした。そうですよね。映画や小説だとタイムマシンで時空を行ったり来たりしますし、できますけど、いったい父親が母親と巡りあわずに私が存在できるものでしょうか・・・。どう考えてもおかしいです。
光さえも逃げ出せない時空の領域、それがブラックホール。では、それは何なのか・・・。こんな日常生活とはまったく無縁な思考の遊びのような世界に、しばし浸っているのも心地良いものなんですよね・・・。
(2022年2月刊。税込946円)
2022年8月30日
七三一部隊と大学
日本史(戦前)
(霧山昴)
著者 吉中 丈志 、 出版 京都大学学術出版会
七三一部隊を支えていたのは京大そして東大医学部の教授たち。彼らのほとんどは戦争犯罪人となることもなく、アウシュヴィッツの医師メンゲレのように身を隠すこともなく、それどころか戦後日本の医学界や製薬会社のトップを占めています。そして、彼らは、「戦争だったから仕方がないこと」だとウソぶいて反省することもなく、真実を明らかにしようともしなかったのです。それは医学界の大きなタブーとなっていました。それを打破したのは『悪魔の飽食』(森村誠一)でした。
この本は、中国・ハルビン市にある「七三一罪障陳列館」の副館長(楊彦君)の著書の翻訳を前編とし、後編は日本の研究者の論文集から成っている、550頁もの大著。お盆休みに早朝から読みはじめ、午後になんとか読了しました。
七三一部隊とはどういう組織だったのか、総合的にとらえることができます。
それにしても3000人もの犠牲者を生体実験して、堂々と医学文献に発表するなんて、並みの神経ではありません。犠牲者たちが面前で死んでいき、その遺体が焼却されていくのを知っていたのですから...。
犠牲者は15歳から74歳までで、女性もいます。中国人、朝鮮人そして白系ロシア人。なぜか病気になった七三一部隊員まで被験者になっています。
白系ロシア人が看守をだまして反乱を起こしたものの、すぐに鎮圧されたこともありました。なにしろ七三一部隊の実験棟は、外に3メートルもの深い溝があるうえ、その内側に2、5メートルの高い塀があるから、脱出なんて不可能なのです。
そして、「マルタ」と呼ばれた被験者は憲兵隊がどんどん連れてきます。それは抗日分子だったり、ソ連のスパイだったりします。日本軍に友抗的な人はいくらでもいたでしょう。そして、そんな「反日」の人間は匪賊として、即決射殺してよいという法律が満州国にはありました。面倒な裁判を経ることなく、憲兵隊は即決処刑できたのです。そして、殺すより「人体実験」で役に立たせようと考え、七三一部隊に送り込んだのでした。
七三一部隊の悪業が世間に知られなかったのは、アメリカ軍が七三一部隊のトップに君臨していた石井四郎軍医中将たちから医学的データの提供を受けるのと交換に免責したからです。取引が成立したのです。石井四郎は、部下たちには墓場まで秘密を持って行けと命じておきながら、自らはアメリカ軍の尋問にペラペラとしゃべり、データを提供したのでした。
本格的な学術研究書です。大変勉強になりました。
(2022年4月刊。税込3960円)
2022年8月31日
リセットを押せ
アメリカ
(霧山昴)
著者 ジェイソン・シュライアー 、 出版 グローバリゼーションデザイン研究所
ニューヨークタイムズがアメリカのベストセラーとして紹介したゲーム業界の栄枯盛衰の話です。私は今なおスマホは持たずガラケー、メールは見るだけで自ら発信することもない、もちろん、ゲームなんて、かのインベーダーゲーム以来、とんととんと無縁に生きてきました。
ゲームの面白さを知らずして人生を語るな。こう言われてしまいそうですが、私に言わせてもらえば、他人(ひと)の手の平(ひら)の上で踊って(踊らされて)何が面白いの...、ということです。それでも、かくもたくさんの人々を惹きつけてやまないゲーム業界とはいったいどんな状況なのかは知りたいのです。なので、ざっとざっと読んでみました。
ゲーム業界とは、どんなところなのか...。この業界で一番嫌いなところは、開発者たちの生き血をすすり、骨までしゃぶってから捨てる。
ビデオゲーム業界に安定という言葉はない。確実なものは何もないのだ。ビデオゲーム業界で30年以上も働いたという人は、あまり多くない。
ビデオゲーム業界で働いていて、一番辛(つら)いのは、友人ができても突然引き裂かれる可能性があること。
ビデオゲームは楽しんでもらえることを目指して作られる。ところが、実際は、企業の冷酷な論理の下で製作されている。
ビデオゲーム制作会社の社員たちは、自分の時間も家族との時間もあきらめて完成にまでこぎ着ける。その犠牲の代償が失業、だとしたら、あまりにも不条理なのではないか...。
いやあ、ホント、本当ですよね。
ビデオゲーム制作会社での不安定な労働環境はあたり前になっている。従業員は、5年間にフルタイム勤務で2.2社、フリーランスで3.6社つとめている。それほど雇用の不安定は際立っている。しかも、収入は良くても、燃え尽きてしまう。アパートの1室で1日16時間も働くという生活は、明らかに持続不可能だ。ときには休息が必要なのだ。
年収10万ドルの高給取りでさえ、物価の高いサンフランシスコでは生活に苦労する。悪くない収入を得ていても、裕福というほどではなく、生きるのに精一杯というのが実際だ。
ビデオゲームの開発は、2つの段階に分けられる。ゲームを設計するプリプロダクションと、実際に制作するプロダクションだ。ただし、2つのあいだに明確な境界線はない。時間と予算に応じて、短くなったり、長くなったりする。
たかがビデオゲームをつくるのに、何日間も徹夜するなんて、まったく信じられません...。
若さにかまけて、そんなことしていたら、年齢(とし)をとって、身体中が内臓をふくめてガタガタ、病気もちの身になってしまいますよ。気をつけてください。
(2022年6月刊。税込2420円)