弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2022年7月16日

音が語る、日本映画の黄金時代

人間・社会


(霧山昴)
著者 紅谷 愃一 、 出版 河出書房新社

私は以前から映画をみるのが大好きで、月に1回はみたい気分です。自宅でDVDでみるのではなく、映画館に行って、大画面でみるのが何よりです。最近は、パソコンのユーチューブで「ローマの休日」の断片を繰り返しみて、オードリー・ヘップバーンの笑顔の輝きに見とれています。
この本を読むと、映画製作にはカメラワークと同じく録音も大切だということがよく分かりました。でも、同時録音するとき、マイクを突き出して、カメラの視野に入ったら台なしですし、周囲が騒々しかったり、時代劇なのに現代音が入って台なしにならないような仕掛けと苦労も必要になります。
著者は映画録音技師として映画の撮影現場に60年いたので、たくさんの映画俳優をみていて、そのコメントも面白いものがあります。
著者は1931年に京都で生まれ、工学学校(洛陽高校)の電気科卒。
戦後まもなくの映画製作の現場では徹夜作業が続き、そんなときには、ヒロポンを注射していた(当時、ヒロポンは合法)。
映画「羅生門」のセリフは、ほとんど後でアフレコ。
戦後まもなくの大映の撮影現場は、ほとんどが軍隊帰りで、完全な軍隊調の縦社会。
溝口健二監督は、近づきがたい威厳を感じた。ある種の威圧感があった。
映画製作の現場は、週替わりで2本ずつ公開していたので、月に8本を製作しなくてはいけなかった。1本を4日でつくる。いやあ、これって、とんだペースですよね。セリフと効果音を別々に撮るようになったのは、かなりあとのこと。
今村昌平監督は、「鬼もイマヘイ」と呼ばれていた。著者も、すぐにそれを実感させられた。
石原裕次郎の出現で、日活撮影所の空気が一変。それまでの2年間、日活は赤字が続いていて、全然ダメだった。
著者は映画「にあんちゃん」も録音技師として担当した。
1970年ころ、日活はロマンポルノへ方向転換した。このとき、日活を支えてきたスターがほとんど辞めた。
沢田研二は、素直に注文を聞くし、わがままも言わない。いい男だった。天狗にもならなかった。高倉健は、本当に礼儀正しい。オーラがある。笠(りゅう)智衆は、テンポがゆったりとしていて、セリフを聞いていて、気持ちがよくなる人。
黒澤明監督は怖い。いきなり金物のバケツをけ飛ばして、いかりや長介を一喝した。
黒澤監督は、役者の段取りをもっとも嫌い、常に新しい芝居を見たがった。
黒澤監督は、ともかく発想がすごい。傑作した天才というほかない。「世界のクロサワ」だけのことはある。
映画「阿弥陀堂だより」(02年)もいい映画でしたね。南木佳士の原作です。長野県の飯山市あたりでロケをしています。もちろん、セットを現場に組み立てたのです。四季を表現するのに、一番目立つのは小鳥の鳴き声。なるほど、録音技師の出番です。北林谷栄は、当時90歳だったそうです。そして、北林谷栄は、セリフをアドリブで言う。直前のリハーサルとは全然違うことをしゃべった...。
まず脚本を読む。そして自分なりのアイデアを考える。しかし、現場へ行くと少し違うこともある。そして、編集の段階で、また考えが変わることがある。作品にとって何がいいのかを考え、どんなに気に行っていても捨てる勇気が必要なことがある。一つのやり方に凝り固まっていてはいけない...。
撮影の木村大作、録音の紅谷と並び称される映画づくりの巨匠の一人について、じっくり学ぶことができました。ああ、また早くいい映画をみたい...。
(2022年2月刊。税込2970円)

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