弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2022年5月 1日
江戸のお勘定
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 大石 学 、 出版 MdN新書
江戸時代の人々のお金をめぐる話がたくさん紹介されています。知らないことがたくありました。
切米(きりまい)は、いわば現物支給の給料。春(2月)、夏(5月)、秋(10月)の3回、4分の1、4分の1、2分の1の割合で支給された。お米は食べるためだけでなく、売却して現金を得るためのものでもあった。旗本の56%、御家人の87%が、この切米取だった。
切米取の下が扶持取(ふちどり)。男性は1日玄米5合食べるとして、毎月人数分の扶持米が給付された。扶持取の下に給金取という最下級の武士がいる。3両1人扶持が与えられたことから「三一侍(さんぴんざむらい)」と呼んだ。
芝居に出演する人気役者は高給取りで、大坂の女形(おんながた)の芳沢あやめは千両(1億2千万円)だった。市川團十郎など、千両をこえる役者が何人もいた。この給金は一度には支払われず、年3回に分けて渡された。
幕府は役者の給金を最高5百両(6千万円)とするように指示したが、守られなかった。
寺子屋の入学金(束脩。そくしゅう)は1朱(7500円)か2朱(1万5千円)。大きな商家は1分(3万円)をもたせることもあった。月謝は200文(6千円)くらい。
授業は朝の五ツ(8時ころ)に始まり、昼の八ツ(2時ころ)まで。授業の中心は読み書きが中心で、算盤(そろばん)もあった。寺子屋では一人ひとりのスピードにあわせて進むので、落ちこぼれはなく、卒業も本人の都合により、何年間という定めはなかった。
江戸の人々は、大量の白米を食べたので、脚気(かっけ)が多かった。ビタミンB1を含む米ぬかを落としてしまうから。また、江戸時代には新米は人気がなかった。古米だと水を吸って、かさが増えるので、これをお得(オトク)と受けとめる人が多かったから。
かけそばは、そばを鉢に入れて汁をかけたもの。盛りそばは小さなせいろに盛って、そうめんのように食べた。
にぎり寿司は、初めは屋台で食べられていて、現在の寿司の2倍から3倍は大きかった。マグロの大トロは江戸の人々の口に合わず、捨てられていた。
豆腐は超高級品だった。1丁が56文(1680円)から60文(1800円)もした。
江戸の町では、朝一番に納豆を売りに来た。
卵は、生卵もゆで卵も1つ20文(600円)で、庶民には、なかなか買えない高級品だった。卵を食べると悪いことが起きるとか、地獄に落ちるという人がいたけれど、値段がそれほど高くないことから、大いに売れた。
半畳(はんじょう)を入れるというのは、非難や野次ること。芝居見物のとき、半畳の敷物を観客が不満なときに舞台に投げ入れたことからきている。
相撲が土俵でたたかわれたのは元禄のころ。それまでは、相手を倒すまで勝負が続けられた。
武士でない人がお金を出して武士になった人を「金上侍(かねあげざむらい)」と呼んだ。農民は50両(600万円)で名字帯刀が許され、250両(3千万円)で武士になれた。1000両もあれば、大番組という役職につけた。藩財政の足しになった。
いやあ、世の中は知らないことだらけですね...。でも、それがあるので、みんな学問するし、楽しいんですよね...。
(2021年8月刊。税込891円)
2022年5月 2日
シカの顔、わかります
生物
(霧山昴)
著者 南 正人 、 出版 東京大学出版会
このタイトルの意味、分かりますか?
宮城県の牡鹿(おしか)半島の先にある小さな島、金華山(きんかさん)には、660頭のシカが生息している。ここで、黄金山神社の周辺で生活する150頭のシカ全部に名前をつけて、1989年から33年間、観察を続けて現在に至っている。今では、33年間の家系図もできている。シカの寿命は長くて15年なので、これまで1000頭のシカ全部に名前をつけて追跡したというわけ。いやあ、これってすごいことですよね、シカを個別に識別するなんて...。
シカを個体識別するには...。白髪染め液を2メートルほど離れたところから噴射して、シカの毛の一部を黒く染める。ところが、これだと、シカが座っていたら毛染めが見えないので識別できない。では、どうするか...。
シカの顔をじっくり観察していると、次第に顔の違いが分かるようになってくる。ええっ、うっ、うっそでしょ...。
これは、ニホンザルの顔を識別して名前をつけて行動観察するのと同じ手法。
うむむ、それにしてもサルとシカの違いはないのでしょうか...。
シカの顔の違いといっても、極端に違いがあるわけではありません。体型は遺伝によって似てくるようです。シカの顔を見て、あっ、これはあのシカの母か娘だと言いあてることもできるのだそうです。いやはや、すごーい。
シカのオスには角(つの)がある。この角には、いろんな形があるので、オスは、それで識別できる。
シカのオスは、メスの発情期にだけなわばりをもつ。メスは四季を通じてなわばりをもたない。メスは2年に1回、子どもを産む。メスは発情期の秋に、24時間だけオスを受け入れる発情状態になる。
シカの鳴き声は13種類ある。シカの鳴き声のほとんどは秋に集中している。そして、鳴き声は1キロメートル先まで届く。「メェーフーン」には、威嚇の状態がある。
生まれてくる子ジカは、直後の30分間を乗り切れば、あとは自力で移動して、自分の身を守ることができる。その動けない30分間をカラスは狙ってやってくる。うむむ、何と厳しい生存競争でしょうか...。
シカの母子間の認知は、音が役にたっているものの、最終的には、匂いが母子間の認知のカギになっている。
シカは基本的に集団で生きている動物。シカの子は、祖母やその姉妹、そして自分の姉たちとともに生きる。
オスの多くは2歳までにメスの家族群から離れて生活するようになる。メスは、生涯をずっと家系集団で暮らすことが多い。オスもメスも母と子の関係は、母親が死ぬまで続く。
捕食者から狙われる草食獣にとって、集団で生活することは、自分の身を守り、さらに血縁者の身を守り、自分の遺伝子を残すことにつながる。シカにとって、この母系の血縁グループは、とても大切なものである。
オスは孤立している。成長したオスは、オスになっても孤独を愛している。
シカが、匂いを使ってもコミュニケーションしているのは間違いない。
シカの歯は、すり減ってしまえば、生きていけなくなる。
いやあ、まったくもって驚きました。サルの顔が識別できるというのにも執念すら感じますが、150頭のシカ全部を識別して名前をつけて行動観察するなんて...、すばらしいにもほどがあります。ぜひ、手にとって読んでみてください。出色のできばえの本です。そのすごさに、ついつい目を見晴らされました。
(2022年2月刊。税込3960円)
2022年5月 3日
アリたちの美しい建築
生物・アリ
(霧山昴)
著者 ウォルター・R・チンケル 、 出版 青土社
アリの地中にある巣を掘り出し、溶けた亜鉛を流し込んで型をつくったアメリカの学者の本です。見事な造形のアリの巣を見ることができます。驚嘆してしまいました。
アリは社会性昆虫で、1億年から1億4000万年前にカリバチの祖先から分岐した。
アリの社会(コロニー)の特徴は、個体間に明確な機能分担がみられること。受精卵を産むことができるのは、1匹か数匹の女王だけで、残りの大半は、コロニーの仕事の大部分を担う不妊の働きアリ。社会機能を担っている個体はすべてメスで、オスは女王と交尾するためだけに生まれてくる。オスは、1年のうち数週間しか出現しない。
一般的にアリのコロニーは単一の家族で構成されていて、母親が女王、娘が働きアリ。
アリは完全変態をする昆虫で、卵、幼虫、蛹(さなぎ)、成虫という段を経て発達する昆虫の典型。
アリはこれまで、1万4000種が確認されているが、最終的には2万~4万種にのぼると考えられている。
アリは、赤道付近がもっとも多く、そこから離れるにつれて、減少していく。北極圏には2種だけ確認されている。
アリにもっとも近いのはハナバチとカリバチ。
湿潤な熱帯地域では、半数のアリが地中ではなく、樹木に巣をつくる。
アリの巣づくりは4日から6日で完了する。著者が掘った地中のアリの巣は、3メートル10センチが最深。そして、アリの巣を体積としては、11リットルが最高記録。アリは地中に向かって螺旋(らせん)構造でおりていく。右巻きも左巻きもある。反時計回りの両方が混在している。下に伸びる坑道から、ときに左右に広がる坑道があり、そこから、部屋が広がっている。この部屋は、どんなときにも完璧に水平かつ滑らかである。
アリは巣づくりに非常に多くの時間と労力を費やす。ところが、アリのコロニーは、実は自由に移動している。しかし、なぜアリのコロニーが頻繁に引っ越すのか、その理由・メリットは、今までのところ判明していない。
アリは深い層から浅い層へと大量の砂を運び、投棄していた。
あらゆる働きアリは、年齢に応じて従事する仕事を変えていく。働きアリは、年齢を重ねて、巣の上方へと移動し、仕事を変えていく。
採餌アリは、毎日、全体の3~5%が死に、1ヶ月で丸ごと入れ替わる。
規模が最小のコロニーは、平均寿命が4年、中規模だと平均寿命は17年に延びた。もっとも大きいコロニーでは30年を超えた。
アリがつくる地中の巣の姿をまざまざと示してくれる本でした。
(2021年1月刊。税込1600円)
2022年5月 4日
時間は存在しない
人間
(霧山昴)
著者 カルロ・ロヴェッリ 、 出版 NHK出版
大変興味深い内容でした。よく分からないまま、なんだか考えさせられました。あたりまえだと思っていたことが、実は、あたりまえではないというのです。
飛行機に正確な時計をのせたところ、その時計が地上に置かれた時計より遅れた。
ええっ、何、どういうこと・・・。それって、いったいどうやって測るの...。不思議な話です。
時間には、最小幅が存在する。その値に満たないところでは、時間の概念は存在しない。ええっ、いったい何の話をしてるの...。
時間は唯一ではなく、それぞれの軌跡に異なる経過期間がある。そして時間は、場所と速度に応じて異なるリズムで経過する。時間は方向づけられていない。
この広大な宇宙に、私たちが理にかなった形で「現在」と呼べるものは何もない。
事物は「存在しない」。事物は「起きる」のだ。
世界とは、ほかでもない変化なのだ。この世界は物ではなく、出来事の集まりなのだ。
時間の流れは、山では速く、低地では遅い。低いところでは、あらゆる事柄の進展がゆっくりになる。
これが本書の冒頭にある話です。ええっ、どうして、何のこと...。
物体が下に落ちるのは、下のほうが地球による時間の減速の度合いが大きいから。何なに、いったい何のこと...。
時間が減速するからこそ、物は落ち、私たち人間は足をきちんと地面につけていられる。
足が舗道から離れないのは、体全体が、ごく自然に時間がゆったり流れる場所を目ざすから。頭よりも足のほうが時間の流れが遅いからだ。
うむむ、なんだか、よく分かりませんよね...。
熱は、熱い物体から冷たい物体にしか移らず、決して逆は生じない。これは熱力学の第二法則と呼ばれるもの。
たとえば、知人が地球から4光年はなれた惑星にいるとする。その人に、今、何をしているのと尋ねたら、どうなるか...。この質問は、まったく意味がない。光が届くのに4年かかるというのは、望遠鏡で見たとしても、それは4年前にしていたことであって、「今」していることでは決してない。
私たちの「現在」は宇宙全体には広がらない。「現在」というのは、自分たちを囲む泡のようなもの。宇宙全体にわたってきちんと定義された「今」という概念が存在するというのは幻想にすぎない。宇宙全体で定義できる「同じ瞬間」というのは存在しない。
時間が事物から独立していて、他のあらゆるものとは無縁に規則正しく、ゆるぎなく経過するというニュートンの考えは間違いだ。
時間は空間と一体化した広がりであり、過去と未来を区別する方向性もなければ、「現在」という特別扱いされるべき時刻も存在しない。
よく分からないなりに、時間という不思議な、つかみどころのない概念を少しばかり考えてみました。こんな本が7万部も売れたなんて、不思議でなりません。
(2021年9月刊。税込2200円)
2022年5月 5日
僕に方程式を教えてください
人間
(霧山昴)
著者 髙橋 一雄 、 瀬山 士郎 、 村尾 博司 、 出版 集英社新書
少年院で数学教室をやったらどうなるか...。なんとなんと、目の覚めるような、あっと驚く成果をあげたのでした。
著者の一人である高橋一雄の『語りかける中学数学』(ペレ出版)は、私も読みました。初心者に語りかける口調ですすんでいく数学のテキストの傑作です。部厚い本なのですが、内容は平易で、なにより分かりやすい。このシリーズは微分・積分もありますが、私は中途で止めてしまいました。高校では理系クラスにいて、数Ⅲまでやったのですが、微分・積分なんて、今や何のことやら...という感じです。残念ですが...。
著者は少年たちと3つの約束をしました。その一は、分からないことは恥ずかしがらずに質問する。その二は、間違った答案は消さず、必ずノートに残しておく。その三は、自信をもって間違える。いやあ、こんな約束でいいのでしょうか...。
少年院に入っている少年の数学の学力は、7割強が小学4年生以下、9割強が6年生以下。ふむふむ、きっとそうなんでしょうね。
数学の授業は、他人(ひと)の意見の素直に耳を傾ける機会として、もっとも適している。それは、数学の解法は、いく通りかあるが、解答は一つしかないから。これは、納得です。
数学の授業は、少年たちの抽象的表現能力を伸ばすのに、大きな意義がある。
中学1年生の数学レベルを超えられたら、高認(高校認定)試験の数学Ⅰの最低合格ライン40点を高率で突破できる。今は、「大検」はありません。
昔の非行の主な原因は、貧困だった。今は、学業の失敗によって、居場所を失っていくパターンが多い。
少年院に収容されている少年の多くは自分自身を語る言語資源を十分もちあわせておらず、言葉にならない自己を抱えている。
学校教育において、子どもの文章力、読解力の欠如は著しく、そのため、論理的思考、論理力を育(はぐく)むための、国語教育の重要性が指摘されている。そうでしょうね。
中学数学は、数学だけでなく、他のさまざまな分野、自然科学に限らず、社会科学までの視野を入れて、これからの学びの基礎を形づくるうえで、とても大切な分野だ。同感です。
分数の理解は抽象的にものを考える初めの一歩。間違いを間違いだと本人が理解できること。これは数学の大切な性格の一つ。同感、同感です。
少年院や刑務所は、更生施設であり、本来は懲罰のための施設ではない。とくに少年院は、犯した罪を少年が反省し、社会に復帰するための準備する施設のはず。
今や、非行少年同士が面と向かってしのぎを削った時代は去り、非接触型の、顔の見えにくい現代型非行が到来している。非行の周辺には、陰湿ないじめや不登校・引きこもりといった、青少年のホンネを見えにくい状況がある。手のかかる少年が増え、その多くは発達障害をかかえている。非行少年たちは、家庭での虐待や貧困などのさまざまな事業により、安全で安心な居場所をもてずに孤立感を深めている。なので、少年たちの生きる力を育(はぐく)むためには、自分をきちんと肯定できる自尊感情と、やればできるという自己効力感が不可欠。まったく、そのとおりだと思います。
髙橋一雄による集団授業によって、入院時に小学校の算数レベルだった6割の少年が、中学数学レベルにまで到達でき、7割以上が高認試験に合格した。いやあ、実にすばらしい。
数学の意味を理解しながら得られる達成感は、学ぶ喜びとともに、自身の可能性を認識しながら、未来に向かって挑戦しようとする力を養うことにつながる。
「先生、オレたちに能力はある。学力がないだけなんだよ。だから教えてくれよ」
少年の悲痛な叫びにこたえた素晴らしい実践記録です。ぜひ、あなたも、この新書をご一読ください。おすすめの本ですよ。
(2022年3月刊。税込990円)
2022年5月 6日
日本でわたしも考えた
社会
(霧山昴)
著者 パーラヴィ・アイヤール 、 出版 白水社
インド人女性ジャーナリストが日本に4年ほど住んだ体験記です。今はスペインに住んでいるそうですが、2人の子と一緒に日本で生活したときの驚きが率直に語られています。決して日本賛美ばかりの本ではありません。
たとえば、日本では、政治は、おそらくもっとも日本人の興味をそそらないショーなのだろうと断じています。投票率が5割ほどでしかない日本の現状は、残念ながら、著者の見立てはあたっていると言うほかありません。維新とかいうウルトラ右翼が「改革の党」であるかのように日本人にうつるというのは、その典型でしょう。
著者はインド人の作家・ジャーナリストで、夫は外交官(どうやらインド人ではなく、ヨーロッパ人のようです)。5つの言語で話せます。英語、中国語、インドネシア語も話せます。あと一つは、フランス語でしょうか...。
日本に来て、ケータイが簡単にもてなかったことに著者は衝撃を受けたとのこと。そうなんですか...。どうやら、銀行口座の開設が外国人には難しいことと関連がありそうです。
日本のいいところを、まず二つあげると、その一は、小学生が1人で、バスに乗り、地下鉄に乗って、学校へ行くこと。これはインドでもヨーロッパでも考えられないこと。信じられないと著者は叫びます。たしかに誘拐の心配が、日本ではありませんよね。
その二は、落とし物が、現金も財布も戻ってくること。 日本では、万一、お金を落としても9割近くの確率で戻ってくる。東京だけで、1年間に38億円も届出されたとのこと(2018年)。まあ、私も届けますね。地面に500円玉が落ちていたら、黙って自分のものにしますけど...(でも、ごくごくまれにしかありません)。著者の日本滞在4年間の結論。信頼は信頼を生み、善き行いは別の善き行いをもたらす。まあ、いつまでも、そうありたいものですよね...。
しかし、日本のまったくダメなところは...。
日本が受けいれた難民は44人(2019年)。申請件数は1万件をこえているのに...。
今度、政府専用機で連れてきたウクライナの避難民は、たった20人のみ。500万人もの国外避難民がいるというのに、日本政府は20人だけ日本に連れてきたことで、何か「やってる」感を演出した。これって、ひどすぎませんか...。
著者は断言します。中国社会はカオスと同時に統制されている。インドには、思いやりと残酷さが同居している。日本は深い癒しをもたらしてくれると同時に、深く傷ついている。
東京の江戸川区民にはインド出身者として初めて区議会議員に当選したヨギ氏がいる。著者はこのヨギ氏に子連れで取材に行きました。
在日インド人は1万人余で、その3割の4千人が、この江戸川区西葛飾地区に居住している。その多くは、ITエンジニア。
日本社会に人種差別は現在するが、それは上品であり、暴力的ではない。静かに煮えている。社会全般の内気さや抑圧の文化の中に存在している。なるほど、アメリカのようなむき出しの暴力にはさらされませんが、ヘイトスピーチはかなり暴力的ではありますよね...。
著者は自販機とトイレ(ウォシュレットと公衆トイレ)にも注目します。自販機が、日本全国に500万台ある。こわされて、現金を抜き取られるということはほとんどない。そして、売られている商品は、まさしく驚くほど多様。最近とくに目立つのは冷凍ギョーザの無人販売店です。
トイレ掃除は、インドでは、特別のカーストの人々の仕事。しかし、日本では、学校で子どもたちがみんなでやるもの。
日本人の哲学において、清潔さは、中心的な位置を占めている。
アベ元首相についても、著者は批判的に紹介しています。日本では、細かい規則にこだわるあまり、大規模な逸脱に目を向けないという、「木を見て森を見ず」の傾向がある。まったくそのとおりです。アベ元首相の「桜を見る会」は、後援会員の供応そして買収であることは明々白々なのに、検察庁は黙認してしまいました。勇気がなかったのです。まさしく忖度(そんたく)したのでした。
この本がユニークなのは、古典的な俳句がたくさん紹介されていることです。わずか4年の滞在で日本の俳句までモノにするとは...。なんともすごいジャーナリスト・作家です。
(2022年3月刊。税込2530円)
連休中に、近くの小山(388m)にのぼりました。
風薫る5月の青空の下、頂上の見晴らしのいいところで梅干しおにぎりをいただき、至福のひとときでした。アザミの青紫の花、アゲハチョウそして、ミガーは白い花をつけていました。
山道にヘビが昼寝していて、お互いびっくり。なぜか子どもの姿を見かけませんでした。
わが家の梅が落下しはじめましたので、梅の実をちぎって、梅酒にしてもらいました。
ロシアの戦争がまだ続いています。エスカレートしないことを祈るばかりです。
2022年5月 7日
塞王の楯
日本史(戦国時代)
(霧山昴)
著者 今村 翔吾 、 出版 集英社
戦国時代。絶対に破られない石垣をつくる穴太衆(あのうしゅう)の職人たち。それに対抗するのは、どんな城をも落とす鉄砲衆。
穴太衆。近江国(おうみのくに)穴太に代々根を張り、石垣づくりの特技をもって天下に名を轟(とどろ)かせた。
穴太衆は、石垣づくりの技術において、他の追随を許さなかった。そして、この穴太衆には、20を超える「組」があり、それぞれが屋号をもって独立して動いている。それぞれが諸大名や寺院から造垣づくりの依頼を受け、その他に赴いて石垣をつくる。
穴太衆の技(わざ)は、大きく三つの技によって成り立っている。その一は、山方。石垣の材料となる石を切り出すことを担っている。石には「目」というものがあり、それにそって打ち込む。それに失敗すると、思わぬ形でひびが入ってしまう。その目には熟練の職人でなければ見ることができない。
その二は、荷方。切り出した石を石積みの現場まで迅速に運ぶ役目。これは、石垣づくりの3工程のなかで、もっとも過酷とされる。巨石を運ぶときには安全に相当配慮しなければならない。途中で大惨事が起きないように配慮しつつ、期日までに何としても石を届けるのが荷方の役目だ。
その三は、積方。これをきわめるには、ほかの二組以上の時を要する。石垣の中に詰める「栗石(ぐりいし)」を並べるだけで、少なくとも15年の修行を要する。
穴太衆は、道祖神を信奉し、「塞の神」を祀っている。
穴太衆は、紙に一切の記録を残さない。城の縄張りは重要な機密であるため、穴太衆は紙に一切の記録を残さず、すべて頭の中に図面を引いて行う。それは同じ穴太衆であっても決して外に漏らさない。積み方の技術も同じく一子相伝(いっしそうでん)。しかも、すべて口伝(くでん)。こうやって穴太衆の技術の漏洩を防ぎ、依頼主の信用を勝ちとってきた。
穴太衆では、一つの組・飛田屋を総動員し、空貫で石積することを「懸(かかり)」と呼んだ。
穴太衆であり続けるための二つの条件。その一は、5年に1度は必ず穴太の地を訪れ、自分の技を師匠や後継者に見せること。その二は、技を書き残さないこと。穴太衆の技は口伝のみで受け継がれる。
打込接(うちこみはぎ)と野面積みの二つがある。
打込接は、積み石の接合部分を加工し、石同士の接着面を増やして、より隙間をなくす工法。ところが、この打込接でつくった石垣には、目に見えない弱点があった。水はけが悪く、長石だと、途中ではぜるようにして崩れることがある。
天候に左右されず、数百年もたせようとするなら、野面(のづら)積みのほうが良い。
穴太衆が得意とする積み方は...。それは乱積みであり、布積みであり、あるいはその両方の中間。基本は野面だが、時と場所によっては、打込接も使う。いかに城の護りを厚くするかだけに焦点をしぼり、臨機応変にやっている。
矛(ほこ)と楯(たて)のいずれが勝つかで、泰平の質が変わるだろう。矛が勝ったときは、数少ない兵力でも、良質な武器さえ集めれば天下を覆せると考える者があらわれるだろう。楯が勝ったときには、兵を集められても、城ひとつも容易には落とせない。踏みとどまる者も出てくる。つまり、こんどの決戦は、泰平の形を決めることになる。
国友衆は新しい鉄砲や大筒が実践に投入されるとき、参陣依頼が来て、砲術専門の軍司と同じような役割をつとめる。新式の銃は、雨をものともせずに放てる。
なにしろ、550頁もある大作です。そして似たような名前の人物がたくさん登場しますので、一読してもなかなか簡単には状況が理解できにくいのです。休日の朝から読みはじめて、場所を何回も変えて、夕方になる前に読了しました。550頁というのは、やはり長過ぎですね。直木賞を受賞した作品です。
(2022年1月刊。税込2200円)
2022年5月 8日
熊を撃つ
生物・熊
(霧山昴)
著者 西野 嘉憲 、 出版 閑人堂
岐阜県は飛騨(ひだ)の山奥で熊を撃つ状況をド迫力でとらえた大判の写真集です。
トップ頁の写真は、銃を構えて熊に狙いを定める漁師の目つき、その迫力に圧倒されます。
飛騨市の山之村は昭和の半ばまでは秘境と呼ばれていた。麓(ふもと)の神岡から片道20キロ、車で40分。人口は64戸、132人。冬の積雪は2メートルをこえ、最低気温は氷点下20度。保存食となる寒干し大根が名物。
ここらの熊は絶滅危惧種どころか、数が増えるとともに大型化しているとのこと。その理由は、天然林は多く、餌になるニホンカモシカが増えているため。
熊のエサはカモシカなんですね。カモシカの方が逃げ足は速そうなんですが...。
熊は、肉や毛皮以上に、熊の胆(い)と呼ばれる胆のうに価値がある。熊の胆は万病の薬として昔から珍重されていて「医者の代わり」とか「命のようなもの」として尊ばれた。
熊の胆は、1匁(もんめ)あたり金より高い額で取引され、貴重な現金収入となる。
熊を探すのには猟犬が活躍する。ここでは、地犬の柴犬を使う。冬ごもりの穴に潜む熊を猟犬が探し出す。鉄砲を使う前は、猟師は槍を使った。
冬眠時の熊の肉は全体の8割が部厚い白い脂肪。上品なうま味で、しつこさがない。凍った状態で口に入れると、舌の上で溶け、チーズのような食感と風味が楽しめる。また、汁が冷めて固まることがない。
熊の胆は、米粒の半分ほどの大きさに割り、お湯に溶かして飲む。
東京から石垣島に移り住んだ著者が、熊猟の現場写真を撮るべく、厳冬期の飛騨に入ってつかんだシャッターチャンスの数々の写真です。大判だけあって、その迫力がすごいです。熊を撃つ写真が何枚もあり、よくぞこんな写真が撮れたものだと驚嘆しました。
もよりの図書館に購入してもらってでも、ぜひ手にとって眺めてみてください。
(2022年2月刊。税込3960円)
2022年5月 9日
野ネズミとドングリ
生物
(霧山昴)
著者 島田 卓哉 、 出版 東京大学出版会
ネズミは、鋭い一対の切歯(前歯)をもち、このネズミの切歯は一生伸び続けるため、年をとっても歯がすり減って堅いものがたべられなくなるということがない。
ネズミ算という言葉のようにネズミは多産の象徴として扱われることが多いが、実はそれほど多産ではなく、2~8匹(平均4~5匹)というネズミが多い。日本の野ネズミでは、アカネズミは2~8匹、ハタネズミは1~6匹。最多のアフリカのサハラタチチマウスは平均10~12匹の子どもを1回に出産する。少子のほうではウオクイネズミは1回に1匹のみ。
野生のアカネズミの寿命は半年から1年ほど。
アカネズミは、冬眠しないが、低温やエサ不足のとき、支出エネルギーを節約するため、日内休眠という低代謝状態に入る。
アカネズミにドングリを与えると、2日間から様子がおかしくなり、やせてきて、ふらふらしだし、そのうち数匹は死亡した。ブナの実を食べていたアカネズミはフツーだった。
好物のはずのドングリを食べたアカネズミが異常な状態になるのはなぜなのか...。
ドングリにはタンニンが含まれている。タンニンとは、植物によって生産される、タンパク質と高い結合能力を有する分子量500以上の水溶性ポリフェノール。赤ワインに含まれるポリフェノールや、お茶に含まれるカテキンもタンニンの一種。
タンニンの最大の特徴は、タンパク質との高い結合能力にある。
タンニンは、穏やかに作用する消化阻害物質だとみなされてきた。しかし、それだけなく、消化管の損傷や臓器不全といった、急性毒性をもつ物質だ。これが、タンニンは、量的防御物質でありながら、質的防御物質でもあるといわれる所以だ。
ドングリを日常的に食べているアカネズミにとっても、コナラやミズナラのドングリは、潜在的には有害なのだ。そして、この有害なのは、ドングリに含まれるタンニンによって生じていることが明らかになった。
アカネズミが、ドングリなどのタンニンを含むエサを少しずつ食べて、体がタンニンに馴(な)れた状態になると、ドングリに含まれるタンニンを克服することができるようになるのではないか...?
つまり、アカネズミは、馴化(じゅんか)することで、ドングリのタンニンを克服できるのだ。
ドングリは、植物学的には種子ではなく、果実である。多くのドングリはタンニンを豊富に含み、潜在的には危険。
北米産のドングリと比べると、日本産のドングリは、全般的にフェノール類が多い。要するに、ドングリを食べなれていくうちに、毒性が弱まっていくということのようです。それを観察と実験、そして数式で証明していくという地道な作業を繰り返していくのです。大変ですよね。でも、そもそも森林に入るのが好きな人にとっては、苦にならないのでしょうね。
(2022年1月刊。税込3740円)
2022年5月10日
「トランプ信者」潜入1年
アメリカ
(霧山昴)
著者 横田 増生 、 出版 小学館
4年間のトランプ現象。分断を煽(あお)り、混沌をつくり出した。これが2021年1月6日、ワシントンDCの連邦議会議事堂を「トランプ信者」たちが暴徒と化して占拠するという前代未聞の暴挙をもたらした。
トランプは、あらゆる場面で、自分の味方と敵に分け、味方を絶賛し、敵をこきおろした。
トランプに敵対する議論をはるメディアを「フェイクニュース」として罵倒し続けた。事実かどうかは関係なく、自分の盾突くメディアは、何であれ、フェイクニュースと呼んだ。支援者を集めた集会では、必ずメディア席を指さし、「あそこにフェイクニュースの奴らがいるぞ」とけしかけ、聴衆は一斉にメディア席にブーイングを浴びせた。
トランプは、トランプが語ることなら、何でも信じたいという鉄板支持層を開拓することに成功した。その中心は白人層。近い将来、人口比で少数派に転落するだろう、それを不安視する白人層だ。
トランプは、大統領の4年間、分断と混沌がつくり出した対立軸という細いロープの上を歩く曲芸師のように、絶妙なバランスをとりながら政権運営してきた、稀有(けう)な政治家だとも言える。連邦議会議事堂を暴力的に占拠した事件は、現職のアメリカ大統領が企てたクーデターだ。トランプは、アメリカ史上もっとも嫌われた大統領だ。
ロシアの侵略戦争が始まったころのゼレンスキー大統領の支持率は30%前後の低さだった。ところが、ロシアによる侵略戦争が始まると、8割以上の支持率にはねあがった。
トランプ大統領の支持率は平均41%、最低は34%。50%を超えたことがない。
ブッシュ(子)政権は90%、クリントン政権73%、オバマ政権69%。これに比べると、トランプがいかに人気がなかったか、明々白々。そして、トランプの不支持率のほうは、47%が最低で、60%に達したことが5回もある。
トランプの演説は、原稿を読まず、プロプターを見ることもない。数字や固有詞を間違えずに、よどみなく話す。その緩急をつけた話術は、聴衆の心をつかみ、飽きさせることがない。
トランプの演説は、大衆の感情を煽り立て、不安につけこみ、怒りに火をつける扇動者を連想させる。聴衆はトランプの手のひらの上で転がされ、歓喜し、叫び、怒りながら、大満足して帰っていく。
アメリカ社会では、一般に、社会主義というのは、マイナスの意味あいが含まれている。
社会主義体制では、人々の個々の能力や努力は評価されない。均等に富が分配されるので、競争原理が働かず、社会全体が停滞してしまう。アメリカ人の多くが、まだまだ「アメリカン・ドリーム」の幻想から脱け出せていないようです。残念です。
アメリカの二大政党のうちの共和党は白人中心の党だ。トランプと、その政治手法を考えるうえ、ウソと切り離して話をすすめるのは不可能だ。トランプとウソは、密接にからみあっている。トランプのウソは次元が違う。その回数と頻度、また自分の再選に有利だと考えたら、たとえウソだと指摘されても、何度でも同じウソを繰り返す。
アメリカでは、居住区分を三つに分ける。一つは、裕福な白人が多く住む郊外。その二は、黒人などが住む都市部の低所得者地域。その三は、白人を中心として、農業・酪農従事者などが住む、カントリー・サイド(田舎)。
トランプは、オバマに対しては激しい怒りと憎悪を示す。オバマケアをまっ先に廃止しようとした。しかし、オバマケアに代わる政策なんてないものだから、司会者から、代わる政策は何かと訊かれたとき、壇上で立ち往生した。
トランプが何より恐れたのは、新型コロナのせいで、自分の再選が危機に直面すること。つまり、アメリカ国民の生命と健康なんて、トランプにとっては、どうでもいいのです。自分に幻想を抱いて、とっとと死んでしまえというのです。
トランプは科学を軽視し、役職者を任命する基準は役職にふさわしい実績があるかどうかではなく、トランプへの忠誠心があるのかどうか...。
トランプ自身も郵便投票を2回も実行しているのに、郵便投票だからこそ多くのインチキ投票があるというのは根本的に間違っている。
トランプのツイッターには8800万人ものフォロワーがいた。
今の共和党は、トランプ党になったし、なっている。トランプが大統領を退いてから設立した。
著者はフリーランスの記者として、「トランプ信者」のように装ってトランプの選挙運動にボランティアとして加わって取材していたのでした。いやあ、日本でもそこまでやるのでしょうか...。フリーランス記者は、まったくあなどれませんね。
(2022年3月刊。税込2200円)
2022年5月11日
追跡、謎の日米合同委員会
社会
(霧山昴)
著者 吉田 敏浩 、 出版 毎日新聞出版
本当は、読めば読むほど腹が立ってきますので、こんな本は読みたくもないのです。いえ、著者に文句を言っているのではありません。日本という国が、いかにだらしないか、とてもまともな主権国家、独立国とは言えないことを再認識させられ、日本人として腹立ちがおさまらないということです。
日米合同委員会の議事録も合意文書も原則として非公開。ところが、その内容は、日本の高級官僚と在日米軍高官の合意が「日米両政府を拘束する」というのです。バカみたいな話です。
それで何が起きるのかというと、たとえば新型コロナウィルスの検疫が日本にいるアメリカ軍兵士に対してはできない。感染者の把握もアメリカ軍の発表にたよるしかない。
アメリカ人は、横田などの基地に自由に降りたちできる。そのとき、日本政府は検疫すらできない。実数把握もできていない。ひどいものです。
日本の上空にアメリカ軍は「横田空域」や「岩国空域」なるものを設定している。この両空域は、日本の空なのに、日本の航空管制は及ばず、管理はできない。空の主権がアメリカ軍によって制限・侵害されている。民間機を両空域から締め出して、アメリカ軍が軍事訓練・演習や空中給油や作戦出動のため独占・使用する軍事空域を「アルトラブル」という。これには固定型と移動型の二つがある。
古く、松本清張は、「日本の空は、ひき続き日本国のものではない」と喝破していた。本当にそのとおりなので、涙が出ます。
そして、アメリカ軍は、日本の上空で日本の民間機を標的として攻撃する訓練までしている。実に恐ろしいことです。直ちにやめさせなければいけません。だからあなたも、ぜひ読んでください。腹立たしいばかりなんですけれど...。
(2021年12月刊。税込1980円)
2022年5月12日
ウィグル大虐殺からの生還
中国
(霧山昴)
著者 グルバハール・ハイティワジ 、 出版 河出書房新社
中国の西方に新疆ウィグル自治区があります。ウルムチ、そしてトルファンには、私も一度だけ行ったことがあります。シルクロードの旅でした。トルファンは、まさしく炎熱砂漠地帯です。羊を目の前で殺してくれ、その羊肉をみなで美味しくいただきました。ウィグル族の抵抗運動が激化する前のことです。
ウィグル人は、スンニ派のイスラム教徒で、その文化は中国ではなく、トルコに起源がある。ウィグルの分離独立を目ざす運動があって、中国政府は厳しく弾圧している。街のいたるところに顔認証カメラと警官が配置されている。そして、2017年に再教育収容所が開設された。ここにのべ100万人ものウィグル人が入れられた。
新疆には、1200ヶ所もの再教育収容所があり、1ヶ所あたり250人から880人が入っている。収容所では、授業で暗記を強制され、グロテスクな軍隊風の行進をし、木製かセメント製の寝床で眠る前に、まず人格を奪われる。汚れたつなぎと布製の黒い上靴を身につけると、女性収容者はみな似かよった存在となる。そして、その瞬間から、名前ではなく、通し番号で呼ばれる。心が弱っていく。服従することによって、自分の好みや感情を押し殺す。
収容所のシステムは、生活に結びついていたものを次々に奪うことで、収容者の個性を消し去る。共産党をたたえる同じ言葉を何度もくり返す。プロパガンダづけになりながら、同じ熱心さで自分の再教育に励み、しだいに自分のアイデンティティを失っていく。みんなが一様に壊れていき、しまいには、肉体的にも精神的にも似たり寄ったりになる。無気力で、何も感じない。中身がからっぽの亡霊だ。人間ではなく、死者同然。
収容所では、まぶしい蛍光灯に照らされ、似たような授業、食事、行進の練習を続けさせられるうちに、時間の感覚がなくなっていく。
著者は、警官の暴力の前に屈してしまいました。心にもない「自白」をするほどまでに屈したのです。罪を認めるのが早ければ早いほど、ここから早く出られる、と聞かされていた。疲れ果てた末、その言葉を信じた。
その役割を受け入れたのは、無意味な再教育にしたがう境遇のなかで、ほかの出口は何もなかった。警察はきわめて巧みに人をあやつる。精神をしなわせて、無敵の盾のように使うことで、真実を決して忘れずにすんだ。
1949年に中華人民共和国が建国された。人民解放軍が新疆に進駐した。同時に漢民族の入植が本格化した。1949年にウィグル人は76%だったが、今や、ウィグル人と漢人は、40%台と拮抗している。
新疆では、「三、六、九の規則」したがって行動(申告)しなければならない。他人の訪問があったら住民は30時間以内に、地区委員会に知らせ、地区委員会は6時間以内に地元の警察署に知らせ、警察署は9時間以内にその訪問者の連絡先をファイルに保存するという決まりのこと。いやあ、すごいですね。こうやって人々の生活は隅々まで厳しく監視されているのです。
フランスからウソの名目で呼び戻され、収容所に閉じ込められたウィグル人女性が、自らの体験を実名で語った貴重なレポートです。
(2021年10月刊。税込2550円)
2022年5月13日
韓国カルチャー
韓国
(霧山昴)
著者 伊東 順子 、 出版 集英社新書
お隣の韓国を知るということは、実は、日本をよく知ることでもあるということを実感させられる本(新書)です。
韓国には、小学校から大学までのエスカレーター校はない。日本の慶応大学には、小学校(幼稚舎)があり、内部進学のルートがある。早稲田大学も同じ。韓国には、この内部進学という制度がない。日本の早慶とたとえられる高麗大学と延世大学にはエスカレーター式の附属高校はない。
日本の都会にみられる熾烈(しれつ)な中学受験はないし、東大にごっそり入る中高一貫の男子校もない。医学部も韓国では、他の学部と大きな差はないので高学費を理由として、私大医学部をあきらめる必要はない。逆に、日本以上に倍率が高いので、韓国では医者の子どもも医者にはなれない。日本によくある親子二代続きの病院も韓国にはない。韓国の大学入試は、機会的等、フェアな競争が大前提。
日本の東大の入学者の8割は男子学生だが、韓国のソウル大学では4割強が女子学生。
韓国で「 S K Y 」の意味は特別。ソウル大学(S)、高麗大学(K)、延世大学(Y)のこと。韓国では、この3大学の地位が突出して高く、雲の上の存在。
日本人が考える何倍も、韓国社会においては「学歴」の価値は重い。
韓国の財閥は伝統貴族ではない。彼らは経済活動に成功した人々であり、さらに重要なのは、その経済活動が現在進行形であること。この躍動感こそが韓国の財閥の魅力。国民に夢を与え続けている。
財閥ファミリーがすることを一般富裕層が追いかけ、さらに普通の人々もそれに刺激される。財閥は企業体として韓国経済を牽引するが、それ以外の面でも韓国社会に与える影響力はすさまじく大きい。
韓国の財閥ファミリーは、過去の身分制とはつながっておらず、創業者の多くは自らの力で成功した起業家。韓国では、財閥ファミリーは「公人」扱いされている。
韓国人には徹底した水平思考があり、財閥ファミリーは「別世界」などと分けてしまうことはない。
韓国の人口は5,000万人(北朝鮮は2,500万人)。海外同胞は700万人。ピーク時は毎年3~4万人がアメリカの永住権を取得していた。その結果、1970年当時は8万人だった韓国系移民が1990年代には100万人をこえていた。
首都のど真ん中に、かつては広大なアメリカ軍基地があった。今は、国立中央博物館や龍山家族公園になっている。
今では、アメリカ軍基地の中に、韓国人が憧れるようなものは何もない。
韓国人にとって、ベトナム戦争は非常に重い記憶である。日本は憲法9条のおかげで自衛隊の海外派兵は当時できませんでした。盛んだったベトナム反戦運動がそれを与えていたと思います。しかし、韓国軍はベトナムに派遣され、大勢の韓国人が戦死し、負傷して帰国してきたのです。ところが韓国経済は、それで立ち直ったと言われています。朝鮮戦争が日本経済に好景気をもたらしたのと同じですね。
私の孫たちも韓国に住んでいますが、学歴競争に巻きこまれず、のびのびと育ってほしいと願うばかりです。
(2022年1月刊。税込946円)
2022年5月14日
長崎丸山遊郭
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 赤瀬 浩 、 出版 講談社現代新書
長崎の出島との関わりで、丸山遊郭で働く遊女たちは莫大な収入を得ていた。遊女たちは10歳から25歳ころまで働いたが、10両(100万円)の借金をかかえて商売をはじめ、運と実力があれば、揚代だけで年1000万円をこえて、一度に数百万円単位のプレゼントを受けとることもあった。遊女の収入は、家族・親戚そして出身地域まで潤していた。
遊女は、長崎の第一の「商品」だった。
長崎では、ほとんどの遊女は、実家と密に連絡をとり、遊女になったあとも、地域社会の構成員としての意識をもち続けていた。そして、奉行所をはじめ、都市をあげて遊女を保護し、嫌な仕事は拒むことも可能だった。現代の価値にして数千万円の収入を得る可能性もある遊女は、必ず長崎市中の出身者でなければならなかった。
長崎の遊女にとって、遊女奉公を終えると元の実家に戻り、結婚し、子を産むという、「普通の」生活サイクルに復帰するのが、ごくごく当たり前のことだった。
丸山遊郭は、1万坪ほどの空間に、最盛期は遊女1500人を擁していた。新吉原遊郭は2万8千坪、島原遊郭が1万3千坪ほどに比べると、やや狭い。
丸山遊郭では、外国人を客にとるという、他の遊郭には見られない独特の性格があった。それは、出島に居留するオランダ高官関係者と唐船で寄港する唐人。
唐人は、元禄時代に長崎に1万人も単身男性がいた。つまり、遊女たちの主客は唐人だった。唐人たちにとって、遊女の格式など、たいした意味はなかった。
長崎の住民は、大なり小なり、貿易に依存して生計を立てていた。
遊女には賢い者が多く、言葉も対応も巧み、化粧も上手で、美しい顔に見事な衣装を着けている。
14~15歳が妙齢、25歳になると廊を出る。30歳になると年寄り。
享保16(1731)年の1年間で、のべ2万人余の遊女が唐人屋敷に入り、銀高103貫690目(2億5千万円)に売り上げがあった。
遊女は、揚代の2割ほどの収入があったようだ。そして、収入源としてもっとも大きく魅力的だったのは、唐人とオランダ人からのもらいもの(プレゼント)だった。砂糖のほか、日用品、小物、装飾品をもらっていた。
遊女が出島のオランダ人の寵愛を得ると莫大な収入を得ることができた。そのため、遊女たちは、オランダ人の心に食い込もうと涙ぐましい営業活動をくり広げた。手紙がそのツールだった。
丸山遊女は、子を産む女性として認められていた。
出島のオランダ人のカピタンは30代、そのほかは10代、20代の男性。
円山遊郭の遊女は、女性であれば誰でもつとめられるような安易な稼業ではなかった。
遊女の取り分は、短時間の場合は4割、長時間だと3割だった。
長崎の丸山遊女の実際、そしてオランダ人・唐人との関わりについて、目を見開かされる新書でした。
(2021年8月刊。税込1320円)
2022年5月15日
黄金旅程
社会
(霧山昴)
著者 馳 星周 、 出版 集英社
競馬場に生きる人と馬を描いた感動巨編です。私自身は競馬にはまったく興味も関心もありませんが、馬には関心があります。この本には、馬と人との心理的な駆け引きが活写されていて、よくよく実感できました。
今はありませんが、近くに地方競馬場があり、そこで働く厩務員が私の依頼者でしたから、馬の話はよく聞きました。馬は自分を世話してくれる厩務員の足音を聞き分けていて、その人が入っていくと、担当の馬だけが反応し、ほかの馬は知らん顔しているとのことでした。
日本全国に数万頭のサラブレッドがいる。彼らは競馬があるからこそ、人に養われている。競馬がなくなれば、彼らのほとんどがこの世から去ることになる。一頭の馬を養うのに、年間で少なくとも百万円のお金がかかる。
野生の馬に人が手を加えることで生まれたのがサラブレッド。彼らは、人なしで生きられない。そして、人は競馬がなければ、彼らを養えない。日本だけでも、毎年、7千頭ほどのサラブレッドが生まれている。世界では数万頭になる。そのうち、天寿をまっとうできるのは、ひとにぎりにすぎない。
馬は、あっけなく死ぬ。馬に関わる人間にとって、馬の死は日常茶飯事のこと。
日高(ひだか)地方は、日本有数の馬産地。日高の主要産業になっている。日高に、まず皇室向けの御料牧場ができた。起伏の少ない土地、降雪量が少ないことによる。積雪量が、せいぜい20~30センチなので、馬に運動させることができる。1メートルをこえたら難しい。
騎手を目ざす者は、若いうちから、食事量を制限する。厩務員の仕事は給料制。そして、担当する馬が獲得する賞金の5%がもらえる。中央競馬の厩務員なら、給料だけで500万円を軽く超えるし、重賞に勝てば、収入は一気にはね上げる。しかし、地方競馬は給料が安いし、賞金もはるかに安い。
私の知っている厩務員は昇給制度がなく、若いころは高給だったが、年齢(とし)をとっても同じ金額なので、結局、給料は低いとこぼしていました。
馬と一番長い時間を過ごすのは、厩務員だ。馬房を清潔に保ち、飼い葉を与え、運動したあとは体を洗ってやる。なので、たいていの馬は、厩務員には気をゆるす。ところが、たまにしか顔をあわせない人間(騎手)が自分にまたがり、ああしろこうしろと指示を出してくる。従順な馬なら、黙って従うが、気性の荒らすぎる馬は、やがて、騎手の姿を遠くから見かけただけで、気持ちをたかぶらせるようになってしまう。
人間と同じで、馬もいかには平常心で走るかが大切。気持ちのたかぶりは力みを生み、力んで走る馬は、最後まで息を保てなくなる。
耳は、馬たちのコミュニケーション・ツールだ。その形や向きで彼らの感情をうかがい知ることができる。耳を絞っている馬は、なにかに怒っているか、警戒している。こういう馬に不用意に近づくと、かまれたり、蹴られたりすることになる。
厩務員によるインチキの手口が紹介されています。
馬房に入って、犬笛を吹いたあと、馬が嫌がることをする。それを毎晩、短時間だけど繰り返すと、馬は犬笛を聞いただけで条件反射してしまい、本番で本当の力を出せなくなる。馬は、犬と同じく、人間には聞こえない高周波の音を聞きとれる。
馬がダービーのようなレースで優勝するには、馬の能力が抜きんでているのはもちろん、ベストコンディションでレースにのぞめるかどうか、天気や馬場の状態、そしてジョッキー(騎手)の調子、すべてがかみあってやっと、勝つチャンスが出てくる。完璧に仕上げて、完璧に騎乗しても、勝てないことのほうが多い。
ありあまる能力をもちながら、気性が激しすぎて、レースで力を発揮できない馬、逆に臆病すぎて他の馬に囲まれると、すくんで走れなくなる馬、調教を嫌って、まったく動かなくなる馬、そんな馬が嫌になるほどいる。
そして、牡馬(オス)は、著しく良い成績をおさめなければ種馬にはなれない。種馬になれなかった馬は引退したあと、厳しく暗い現実が待ち受けている。
サラブレッド、そして、そのまわりで生活している人間たちの厳しい生き様が、まざまざと活写されている小説でした。さすがの筆力です。
(2021年12月刊。税込1980円)
2022年5月16日
ビーバー
生物
(霧山昴)
著者 ベン・ゴールドファーブ 、 出版 草思社
ビーバーについての480頁もある部厚い本です。
ビーバーは、その毛皮が狙われ、また、ダムをつくるので農家から目の敵とされ、一時は壊滅的状況に追い込まれた。しかし、その後、保護策が功を奏して、今や北アメリカには1500万匹のビーバーが生息していて、絶滅の危機は脱している。ヨーロッパでも同じで、わずか1000匹にまで減っていたのが、今や100万匹に急増している。
とはいっても、実のところ、かつての北アメリカ大陸には、ビーバーは6千万匹から40億匹はいたと推定されているので、とてもそこまでは復活していない。
ビーバーがダムをつくるのは、捕食者からの安全確保、風雨からの避難、食料の貯蔵のため。ビーバーは、水中では15分も息を止めていられる。水かきのある後ろ足のおかげで、水中の動きはパワーアップする。まぶたは透明なため、水面下を見ることもできる。
ビーバーは、摂取したセルロースの3分の1を消化する。これは、ビーバーが自分のウンチを食べること、非常に長い腸と多様な腸管内菌叢(きんそう)によって助けられている。
ビーバーの上下各2本の門歯は、死ぬまで伸び続ける。そのため、門歯でものを削っても、大丈夫。自生発刃作用(じせいはつじんさよう)がある。
ビーバーは、家族を大切にする動物で、一夫一婦制をとっていて、4~10匹で一家をなしている。子は2歳になり、下の子(弟妹)が生まれると、自分の縄張りを求めて巣立ちする。
ビーバーのつくるダムは、地表水と地下水をあわせて1基あたり2万2千~4万3千立方メートルの水を貯める。存在するものには、合理的な理由が必ずあるという昔からの格言どおり、ビーバーにも自然サイクルのなかで大きな役割を果たしてきたし、果たしていることを実感させてくれる本でした。
(2022年2月刊。税込3630円)
2022年5月17日
九州装飾古墳のすべて
日本史(古代)
(霧山昴)
著者 池内 克史 、 出版 東京書籍
日本列島にある装飾古墳は600基ほど。古墳総数10万基のなかではごくわずか。
半数以上が九州の北部ないし中部に集中している。次いで、北関東から南東北にかけての地域と鳥取県を中心とする山陰東部。
福岡の石人山古墳は石棺系の装飾古墳。福岡の竹原古墳は石室の奥壁に被葬者の事続を表したと思われる物語風テーマが描かれている、壁画系。ほかに、石障系と横穴系もある。
奈良県の高松塚古墳で壁画が発見されたのは1972(昭和47)年のこと。このとき、極彩色の飛鳥美人が突然、世の中にあらわれ、世間の耳目を大いに集めました。私も本当にびっくりしました。まるで源氏物語絵巻が古墳時代にもあったと思いました。写実性と革新的な描画技法が注目され、また使われた顔料も、それまでの装飾古墳とは異なっていたのです。
装飾古墳は、古墳文化の中心である近畿地方中央部になぜか存在していない。著者は、ここに注目しています。さらに著者は、「磐井(いわい)の乱」と一般に呼ばれている筑紫君・磐井の墓とみられている福岡・八女の岩戸山古墳が、継体大王の墓である大阪の今城塚古墳と類縁関係が認められることを強調しています。両者は対立ばかりしていたのではないというのです。
福岡の筑後川流域にある装飾古墳では、同心円文が好んで描かれ、また、船が主要な画題になっている。その船は、天鳥船(あまのとりふね)、つまり葬送船。これは海上他界観が存在したことを裏づけるもの。
装飾古墳は、いったい誰のため、誰が見るものなのか...。著者は会葬者に見せるためのものと考えています。なるほど、と思いました。
装飾古墳は、実物は日々劣化しているので、それをどうやって保存するか、著者たちは、最新のコンピューター技術を駆使して、その保存に挑戦しています。CG技術を駆使することで、実際には古墳の中に立ち入らなくても、あたかも古墳の中にいるかのような体験を味わってもらう技術です。すごいことですね...。
少しばかり高価な本ですが、実は、DVDが付録としてついていて、それによって3Dを見て楽しめます。本もカラー写真がたくさんあって、装飾古墳を居ながらにして見て楽しめる貴重な本となっています。ぜひ、あなたも手にとってみてください。
(2015年6月刊。税込3080円)
2022年5月18日
良心の囚人
ミャンマー
(霧山昴)
著者 マ・ティーダ 、 出版 論創社
ミャンマー(ビルマ)の政治犯として監獄に6年を過した人権活動家の体験が切々とつづられています。著者は女性作家であり、医師であり、敬虔な仏教徒でもあります。
著者はアウンサンスーチー(マ・スーフ)と同じくNLD(国民民主連盟)の若き活動家だった。軍部によるクーデターのあと、軍政権ににらまれて、政治犯として刑務所に入れられたのです。本書は、6年ほどの刑務所生活の実情を詳細に描きあげています。さすが作家です。さまざまな嫌がらせに対して、毅然として最後までたたかい続ける著者の不屈さには頭が下がりました。
ミャンマーで政治活動に加わることは棒高跳びのようなもの。扱いにくい長いポールを持って全力で走り、バーに触れることなく、それを飛びこえ、反対側に優雅に着地する。運が悪ければ、地面に叩きつけられることもある。刑務所への着地は、人生が数年間妨げられることを意味し、そこから回復できない者もいる。
刑務所の中では、貴族のように暮らせる人がいた。家族から高価な品や素晴らしい食事を差し入れしてもらい、それをばらまいて「救世主」になることができる。看守の大半は初等教育しか受けておらず、麻薬取引、詐欺、また汚職などの罪で収監されている囚人は、そんな看守を簡単に買収できた。たとえ他の囚人をいじめても、賄賂のおかげで、この場のスターになっているので問題になることはまったくない。
他方、お金がない人、面会に来る者がいない人は、抑圧され、虐待された。ここでは、お金がなければ、自分の名前すら書けない若い看守に下品な言葉でいじめられる。刑務所では毎日それを耐えなければならない。
著者は1993年10月10日、禁固20年の刑を宣告された。緊急事態法によるものが7年、非合法結社取締法が3年、そして非合法出版取締法が各5年だった。
力のある者が常に弱者を打ち負かすというのが刑務所の不文律。看守長は看守たちを抑圧し、その看守たちは、水浴びや寝台の割りあてなどを司(つかさど)る囚人頭を抑圧する。そして、高慢な囚人頭たちは、わずかな権力でもって、その他の囚人をいじめる。
刑務所は無法地帯であり、家族からの差し入れを監査する看守は、検閲委員会よろしく、いつも自分たちの有利になるように、規則をねじ曲げていた。看守たちは、ほとんど教育を受けておらず、刑務所と受刑者しか知らずに人生を送ってきた。いつも受刑者や部下に叫んだり、怒鳴ったりしているので、受刑者から同じことをされたら、どう反応すればよいのか分からなかった。
収容所は、毎日、45分間、午前中に30分と夕方15分だけ散歩するのが許されていた。
看守の給料は決して十分ではなかったので、副収入や食べるものを手に入れるためなら何でもしていた。看守が見て見ぬふりをすれば、監房等にご飯やお茶をもち込んできた受刑者に話しかけることができた。彼女たちも、政治犯に敬意を払い、親交を結ぼうとした。
ミャンマーの刑務所生活がどういうものなのか、民主化を求める人々は、どのように闘ったのかを認識できる、貴重な体験記です。
(2022年1月刊。税込2420円)
2022年5月19日
サウジアラビア
中近東(アラブ)
(霧山昴)
著者 高尾 賢一郎 、 出版 中公新書
サウジアラビアって、どんな国なのか、行ったこともありませんし、これから行くこともないでしょうから、とんとイメージが湧きません。それで、手軽な新書を読んでみたというわけです。
サウジアラビアはアラビア半島の大部分を領土とする王制国家で、日本の原油輸入量の3割強を供給する産油大国。また、メッカとメディナという二大聖地を擁するイスラーム世界の盟主とされている。
イスラームは、ユダヤ教やキリスト教と同根のセム系一神教である。
イスラームという宗教は、ムハンマドに啓示を授ける以前から存在し、ムハンマドが開祖というわけではない。ムハンマドは、自らを最後の預言者と表明していた。また、預言者のうち、神から授かった啓示を人々に伝える役割を負った者を使徒と呼ぶ。したがって、ムハンマド以降は、預言者も使徒も存在しない。
サウジアラビアには、数千あるいは数万とも言われる多数の王族が存在する。このため、サウジアラビアの王室は、親族のあいだで、いかに権力を分散させ、共存するかを課題としてきた。
さらに、サウジアラビアは建国当初より王室は宗教を職掌としてこなかった。サウジアラビアは政教一致国でありながら、政治権威と宗教権威を厳密に分ける政権分離国家でもある。
ムハンマド・イブン・サウード初代国王の子孫をサウード家といい、4500人もいる。この王族のなかにも権力の中枢にいる人と、そうでない人がいる。
そして、シャイフ家という宗教の名家が正統性を与えることで、王制が維持されてきた。
サウード家は、自らの権威を強化するためにシャイフ家と婚姻を重ね、さらには、アラビア半島征服の過程で、各地の有力部族の顔役とも婚姻を進めることを支配の方法とした。
アラムコを国営企業としたことで、サウジアラビアは国有財産としての石油の収益を一手に握り、これを国庫に収めることで国家財政を潤してきた。石油部門による収益は、国家歳入の7~8割、GDPに占める割合は1979年に87%超だった。
この潤沢な資金によって、政府は国民に税金を課さず、一方で手厚い福祉や補助金政策を用意することができた。
サウジアラビア人労働者の3分の1は、公務員、公共部門の労働者の7割を占める。逆に、民間部門に働く人が少ない理由は、産業の少なさにある。
サウジアラビア国内のシーア派は人口の10%強。シーア派はワッハーブ主義からみて異端と呼べる存在。スンナ(スンニ)派は、預言者ムハンマドの言に従う人々。これに対してシーア派は「従わない人々」の筆頭。
9.11の首謀者としてアメリカに暗殺されたオサマ・ビン・ラディンは、サウジアラビアの大手ゼネコンのビン・ラディン・グループの経営一族の出身。ただし、サフワの主流だった知識人層には該当しない。
世界には、さまざまな国があり、多様な考え方が存在することを実感させてくれる本でもありました。
(2021年11月刊。税込902円)
2022年5月20日
文学で読む日本の歴史 田沼政権
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 五味 文彦 、 出版 山川出版社
田沼意次(たぬまおきつぐ)の台頭は、郡上(ぐじょう)一揆をきっかけとしていたことを初めて認識しました。
田沼時代は九代将軍・家重の時代に始まりますが、八代将軍・吉宗の政権末期の政治的停滞を吉宗将軍の近くにいて見ていたというのです。
田沼時代の始まりは、明和6(1769)年に、側用人(そばようにん)から老中格になって始まった。意次は、御家人から側用人、老中になった初めての人物だった。
美濃の郡上一揆は宝暦8(1758)年に始まったが、家重将軍の命により意次も評議に加わった。というのも、老中が郡上藩と結びついていたので、評議が混沌として収拾つかなかったから。ただし、このとき意次が目覚ましい動きをしたというのではない。郡上一揆は、百姓らの獄門、老中の罷免、若年寄の改易(かいえき)、郡上藩主の改易で収拾された。
田沼政権の経済政策は、民間の経済活動を後押しし、その利益にもとづく運上金によって幕府財政を好転させようとするもの。また、田沼政権は、財政部門を担当する勘定方の権限を拡大して、長崎貿易を強化することを狙った。
京の絵画として著名な伊藤若冲も、この田沼時代の画家なのですね。円山応挙(まるやまおうきょ)もそうです。
百姓一揆が起きると、その経過を示す実録がつくられた。久留米藩大一揆(17万人参加)の顛末は、二つあるのですね。『筑後国郡乱実記』と『南筑国民騒動実録』。現代文で読めるのであれば、ぜひ読んでみたいです。
そして、この実録をもとにして、講釈師が一揆物語を語ったのです。百姓一揆が『太平記』の世界に移され、その正当性が語られ、明君が一揆の主張に応じて仁政をしいて太平の国になるという物語が語られた。
このような一揆物語を講釈する講釈師の存在が宝暦期に目立った。その中で、馬場文耕は郡上一揆を語り、幕政を悪政と批判したため、獄門に処されてしまった。
百姓一揆と講釈師との関わりについては、まったく認識不足でした。
薩摩の殿様である島津重豪(しげひで)は、蘭学に興味を示し、自ら長崎のオランダ商館に出向き、オランダ船に搭乗した。いやぁ、これまた知りませんでした。オランダ商館に殿様本人が出向いていたんですね...、驚きます。
田沼時代に、天明の大飢饉が起きました。天明3(1783)年は、寒気が厳しく、長雨と冷気のため作物が生育しなかった。大風霜害によって、未曽有の大凶作となった。
天明4(1784)年4月、田沼意次の子で若年寄の田沼意知(おきとも)が、城内で旗本に切りつけられ、まもなく死亡した。意次が、人脈を通じて党派を形成し、大奥を掌握し、幕閣の人事を独占し、次代にも継承されるようにしていったことへの不満とみられている。
天明6(1786)年に将軍が亡くなると、田沼意次は最大の庇護者を失うと、失脚し、所領は没収された。
村の文書が宝暦年間から全国的に残されているが、これは村が持続・存続するようになったからである。なーるほど、そういうことだったのですね。
江戸時代の実情は、知れば知るほど奥が深いと思いました。
(2020年7月刊。税込3960円)
2022年5月21日
信長家臣・明智光秀
日本史(戦国)
(霧山昴)
著者 金子 拓 、 出版 平凡社新書
明智光秀がなぜ突如として信長を本能寺に攻め滅ぼしたのか...。いろんな説があります。この本の著者は、信長の四国政策の転換、そして信長による光秀の殴打などを原因としています。いずれも別に目新しいものではありません。
四国の長宗我部(ちょうそかべ)氏の処遇は、たしかに光秀にとって大問題だったと思います。長宗我部は光秀の媒介によって、四国全体を制圧しようとしていた。ところが、信長は急に阿波の南半分の土佐のみに限定すると言いだした。これでは、光秀の面目は丸つぶれ。
光秀が信長から殴打されたというのは、いつ、どこで、何か原因だったか、いろいろあるのです。著者は、諸大名(有力武将)の面前での殴打だったので、光秀の心が大いに傷ついて、それが叛逆に走らせたことはありうるとしています。まあ、たしかにありうることですよね。
本能寺で信長が死んで、その遺体(遺骨)が見つかっていないことはよく知られていますが、この本は、信長の「死に方」を次のように紹介しています。
畳2帖を山形に立てて、その中にもぐって、「さい」という女房がもっていた「蝋燭」(ろうそく)を取りあげて火をつけて焼け死んだというのです。
畳2枚によって完全燃焼したため光秀たちは信長の遺骨を探し出せなかったということになります。これまた、ありうるかな、と思いました。
熊本藩の支藩である宇土藩の初代藩主・細川行孝の命令で、その生前に成立していたとみられる「宇土家譜」に書かれている説です。細川家は、光秀の娘(玉・ガラシャ)が嫁入りした先ですので、光秀について詳しく語られて不思議はないのです。
日本史のミステリーに一歩近づいた気になりました。
(2019年10月刊。税込924円)
2022年5月22日
鄭和、世界航海史上の先駆者
中国
(霧山昴)
著者 寺田 隆信 、 出版 清水書院
15世紀のはじめ、明の鄭和は、当時の世界最大の船隊を率いて、東南アジアからアフリカ東海岸にまで航海した。その航海は、1405年から1433年までの29年間に7回、訪問国は30数ヶ国。バスコ・ダ・ガマがインドに達したのは1498年なので60年も早い。
鄭和の航海は軍事行動というのではなく、主目的は通商にあった。明帝国の政治使節であり、通商代表だった。政府ないし宮廷直営の貿易を行うための活動だった。鄭和が来たことで、明帝国に国王みずからやってきた国が4ヶ国、使節を派遣した国は34ヶ国にのぼる。
ただし、鄭和を送り出した明の永楽帝そして宣宗が亡くなると、明帝国は対外進出が消極的になり、国力も衰えてしまった。そのため諸外国からの朝貢も自然に消滅していった。
シルクロードといっても、実は陸上よりも海路の方が、はるかに輸送力がいい。商船1隻はラクダ2000頭に匹敵した。朝貢貿易は、朝貢国に莫大な利益をもたらした。一度、入貢すると、元本の5倍か6倍ほどの利益が得られた。
成祖永楽帝は内政よりも対外政策に非常な積極性を発揮した。鄭和は宦官(かんがん)だった。宦官は、本来、皇帝個人の家庭生活に奉仕すべき存在。鄭和の大船団は、2万7千人以上の乗員を乗せた62隻から成っていた。船は大きいものでは船長150メートル、船幅62メートル。これは、発掘された船の装備から、決して誇大な数字ではないとされている。
鄭和はイスラム教徒だった。明の中国では、イスラム教徒が弾圧されたり、迫害されたことはなかった。なので、多くのイスラム教徒が鄭和の大船団に参加していた。
鄭和の船団は、中国に珍しい動物を連れて帰国した。キリン、ラクダ、ダチョウ、シマウマ、アラビア鳥など。そのなかでとくに注目を集めたのは、キリンだった。日本にキリンが来たのは明治40(1907)年なので、中国のほうが500年も早かった。
鄭和の後に続く航海者がいなかったこと、明帝国が対外進出に国力をさけなくなったことなどから、この偉大な先駆者は、今も、あまり評価されていないのが残念。
実は、この鄭和の大船団について、どんな構成だったのか、船団に女性が本当に乗っていたのか(女性も乗っていたようなのです)、もっと詳しく知りたかったのですが、そこは残念ながら書かれていませんでした。
(2017年8月刊。税込1980円)
2022年5月23日
フランス料理店・支配人の教科書
社会
(霧山昴)
著者 大谷 晃 、 出版 キクロス出版
久しくフランス料理を食べていません。イタリアンは先日、連休中にいただきました。コロナ禍のせいでしょうか、私たち夫婦以外に客がなく、心配しました。私たちが帰ったあとに客が来てくれたらと願っています。2年ぶりに行ったのです。その前でも年に1回くらいしか行っていませんでしたが、とても美味しい店です。
この教科書は、出された料理皿をシェアしてはいけないと書かれていますが、私はいつもシェアしています。すると、一人で行ったら、せいぜい3皿も食べれば腹一杯になるところ、なんと7皿も注文できます。年齢(とし)とると、少しずつ、美味しいものをいただきたいのです。フランス料理の店でも、ぜひ彼女とシェアして食べたいです。
この教科書によると、今ではヌーベル・キュイジーヌとは誰も名乗らないのだそうです。1980年代までのことだったとのこと。知りませんでした。
私の好みは「リー・ド・ヴォー」です。仔牛(ヴォー)のうち、乳だけで育てられた(草食を始める前の)生後2、3ヶ月のもの、胸腺肉の料理です。もう久しく食べていません。ああ、ぜひぜひ食べたい...。
この教科書に出てくる日本のフランス料理店では、銀座にあった『マキシム・ド・パリ』そして『銀座レカン』、そこで司法修習生の接待を口実として会食させていただきました。私もまだ若く、しかもバブル時代のことです。まず赤ワインを飲み、次に白ワインを注文したら、ソムリエに叱られてしまいました。注文する順番が逆だというのです。魚は白、肉は赤という定石すら知りませんでした。無知であっても、若さは怖いもの知らずでした。
少し年齢(とし)とってからは、新宿のジョエル・ロビュションの店や『タテル・ヨシノ』にも行きました。南フランスのホテルで一つ星レストランに行ったときは、アラブの若い富裕層の一団が店内にいたせいで、とても料理が出てくるのが遅く、延々と時間がかかり、夜10時ころにやっと食べ終わり、さすがにくたびれました。同じ南フランス・リヨンの『ポール・ボーキューズ』は、さすがにサービスも満点でした。シェフが各テーブルに挨拶してまわるのにも驚きました。
著者は、あとがきに「食品ロス」のことに触れています。大切なことですよね。飢えに苦しむ大勢の人がいるのに、食べものを大量に捨ててしまう現実があるのは、本当に悲しい現実です。
支配人の役割について書かれていることは、弁護士にもあてはまることが多いと思いながら読みすすめました。たとえば、観察力をみがいて、お客様(の心理)を読みとく必要があるというのです。弁護士もそうです。目の前の人が結局、何を求めているのか、よくよく観察する必要があります。
「支配人はどう思いますか?」と意見を求められたとき、まず封印すべきは感情。これは、ショックでした。ああ、そうなんですね。誰も、感情なんて聞きたくないのです。冷静に問題の全体を見渡し、最善の策を意見として述べる。そして、このとき、その意見の背景、判断の基準とした情報もあわせて示す必要がある。なーるほど、ですね。
注文された料理の食材がないことを知っているときでも、「ありません」と即答せず、「調理場に確認してまいります」と言って、いったん引っ込む。「ない」と言ったら、客はしらけてしまう。そして、調理場と相談して、注文の品に近いものを代案として提案できないか考えてみる。うむむ、そうなんですね、そういう手があるのですか...。
この教科書のすごいところは、「調子の良いときほどスタッフを休ませる」ことをすすめているところです。休むのも仕事のうち。スタッフが疲弊しないで働けるように配慮するのも支配人の大切な努めなのです。私も心したいと思いました。
久しく行けていないフランス料理店の裏側をのぞいてみようと思って読んだ教科書ですが、弁護士の私にとっても、大変勉強になる内容で一杯でした。
(2022年3月刊。税込2970円)
2022年5月24日
維新政治の本質
社会
(霧山昴)
著者 冨田 宏冶 、 出版 あけび書房
「自業自得の人工透析患者なんて、全員、実費負担にさせよ。無理だと泣くなら、そのまま殺せ。今のシステムは日本を亡ぼすだけだ」
なんと恐ろしい言い草でしょうか、信じられない暴言です。これは日本維新の会公認候補者の主張です。こんな主張に賛同する人は、自分はいつまでも健康で、ガンになんてかからないし、老化現象もありえないと思っているのでしょう。でも、日本人の半分近くはガンになり、そして全員が老化していくのです。
日本維新の会を支持する岩盤層が存在することを著者は明らかにしています。それは、「格差にあえぐ若年貧困層」ではありません。そうではなく、30代、40代の「勝ち組」、中堅サラリーマン層、その多くはタワーマンションに住む層。この層の人々は税や社会保険などの公的負担への負担感を重く感じつつ、それに見あう公的サービスの恩恵を受けられていないという不満をもち、逆に、公的負担を負わないで福祉や医療などの公的サービスの恩恵を受けている「貧乏人」、「年寄り」、「病人」に対して激しい怨嗟(えんさ)、憎悪に身を焦がしている。
しかし、実のところ彼らは厳しい生き残り競争にさらされていて、いつ自分も転落してしまうかもしれないという不安定さを実感している。だからこそ、社会的弱者に対して同情や共感することを拒否し、激しい敵意や憎悪を抱くことになる。
「維新の会」を支持する人々は大阪に60万人前後いるが、大半がよそ者なので、彼らが大阪という地域に共感することは全然ない。
橋下徹や吉村府知事がテレビにずっとずっと出ていると、あたかも自公政権の受け皿になるかのような幻想を与えている。
今では、「維新の会」は大量の地方議会議員を擁しているので、「国」だのみのポピュラリストではなく、固い組織票をもつ組織勢力だとみる必要がある。
維新の会が牛耳る大阪府・市のコロナ対策は悲惨な結果をもたらしました。それは、275万人もの大都市に保健所がたった1ヶ所しかなく、しかも、その職員も削減されすぎていることによります。これについては、かつ橋下徹も「考えが足りませんでした」と、一応はしおらしく反省の弁を述べています。「維新」政治の無責任さを示す典型です。
コロナ感染症による100万人あたりの死者は、大阪市で484人、大阪府で348人。これは全国平均147人の3.3倍と2.4倍。いやはや、「維新」政治は人々が健康で生きていけないということなんですよね...。
こんな恐ろしい事実がテレビなどで広く報道されていないというのは、本当に困った状況だと思います。
(2022年3月刊。税込1760円)
2022年5月25日
ハレム
トルコ
(霧山昴)
著者 小笠原 弘幸 、 出版 新潮選書
ハレム(ハーレム)は「酒池肉林」につながります。
ハレムという言葉はアラビア語(その元はアッカド語)の「ハラム」から来ている。聖なる、不可視の、タブーとされたという意味。
オスマン・トルコの前、アッバーズ朝は改宗の時期を問わず、ムスリムであれば信徒はみな平等とした。そこで、イスラム帝国とされている。その前のウマイヤ朝は、アラブ帝国だった。
アッバース朝のカリフの寵姫たちは、ほとんど奴隷身分の出身だった。アッバース朝のカリフ37人の母親のうち35人は奴隷身分の出身だった。イスラム教では、女奴隷の子は認知されたら、正妻の子と変わらない権利が認められていた。また、ムスリムを奴隷にすることは禁じられていた。逆に奴隷はムスリムになった。
君主にとって、みずからにとって代わる可能性のある親族よりも、奴隷の側近はよほど信頼のおける臣下だった。イスラム世界の諸王朝では、「君主の奴隷」が国や軍事の中心を占める例がしばしば見られた。
ハレムで働く女官や宦官も、基本的に奴隷身分だった。ハレムはまさしく奴隷の世界だった。奴隷はイスラム世界の諸王朝の発展の原動力のひとつだった。
ハレムには400もの部屋があり、一見すると無秩序のように見える。しかし、実際には、住人と役割に応じて、きわめて合理的に空間が分割されていた。スルタンの区画、母后の区画、使用人の区画(女官の区画と黒人宦官の区画もある)という三つの空間から成り立っている。母后の区画は、中央に位置し、スルタン・黒人宦官・女官の区画とそれぞれ個別に直接つながっていた。すなわち、母后は、ハレムの最高権力者だった。
奴隷は、戦争捕虜と有力者からの献呈によって入ってきた。たとえば、ムラト3世の母后は、ベネチア船に乗っているところを海賊に捕らえられて奴隷になった。
女官になると、まず、イスラムに改宗し、新しい名を与えられた。トプカピ宮殿のハレムで働く女官の人数は、残された俸給台帳の記録から500人を上回ることはなかった。
ハレムの女官たちが料理をつくることは基本的になかった。スルタンに叛逆したとされた女官は袋に詰めて海に沈められた。
ハレムで働く女官は25歳までが多く、7年間から9年間ほど働いた。その後は官邸の外で市井の帝国臣民として人生を過ごした。奴隷身分から釈放され、自由人として新しい人生を歩みはじめた。
ハレムから出廷(卒業)した女官はまず、第一に改名した。そして多くは結婚した。その多くは時計を所有したが、それほどステータスが高く、豊かな財産を有するものもいた。ハレムは、管理された後継者生育の場だった。
アッバース朝の宮廷には、1万1千人の宦官がいた。その内訳は7千人の黒人宦官、4千人が白人だった。
ハレムは王位継承を円滑に運用するため、厳格に運用された。ハレムは、王位継承者を確保するといいう目的に最適化された組織だった。ハレムは、まぎれもない官僚組織だったが、王位継承者の生育という目的に奉仕する、特異な性格を持つ、官僚組織だった。
江戸城の大奥という、女性ばかりの空間に好奇心をもっていますが、同じようにオスマン帝国のハレムについても知りたくて一読しました。基本的に目的を達成しました。
(2022年3月刊。税込1815円)
2022年5月26日
ミャンマー金融道
ミャンマー
(霧山昴)
著者 泉 賢一 、 出版 河出新書
ゼロから「信用」をつくった日本人銀行員の3105日。これがサブタイトルの新書です。ええっ、どういうこと...。そんな好奇心から手にとって読んでみました。アフリカのウガンダで銀行員として苦労した人の本を思い出させる本でもありました。
表紙のキャッチコピーは次のとおりです。
「英語もミャンマー語も話せないまま、47歳で初めて海外に赴任した、銀行員が通貨や銀行が信じられていない国で、中小企業のための融資の仕組みをつくり、自分以外が全員ミャンマー人の地場銀行のCOOになった...」
いやはや、すごい冒険物語でもあります。
著者の経歴は、次のとおり。1966年生まれ。神戸大学を卒業して太陽神戸三井銀行に入る。2013年から、ミャンマーで中小企業への融資制度づくりに尽力。2019年に古巣の三井住友銀行を退職し、ミャンマー住宅開発インフラ銀行のCOOを2020年までつとめる。現在は住友林業に勤務。
ミャンマーは長く軍政にあったりして(今も再び軍政)。人々は銀行を信じていない。
2013年の調査では、銀行口座をもっている成人はわずか5%。銀行に口座がないから、「お金を借りる」という発想がほとんどない。
著者の英語力は、初めはTOEICで400点前後だった。そして、心機一転、勉強して2年するとコンスタントに850点とれるようになった。
ミャンマーに1人派遣されるといっても、銀行の利益にはまったく直結しない。
2013年ミャンマーに行って分かったことは三つ。その一、不動産担保しか審査時に考慮していない。その二、銀行には経営目標がない。その三、中小零細業者は銀行を利用する習慣がない。つまり、ミャンマーでは、金融はほとんど機能していなかった。ミャンマーの人々は、通貨に対しても不信を抱いていて、金(ゴールド)で貯めている。
融資期間は最大で1年。1年以上先の情報に対しては信用がない。
ミャンマーの名物料理モヒンガは、ナマズの骨などで出汁をとったスープに、米粉でつくったヌードルを入れた料理、ドロッとした濃厚な味が特徴。
日本では、信用保証と信用保険の二つの制度から成りたっている。ところが、ミャンマーでは、預金を長期の融資に貸し出すことができない。ミャンマーの金融市場では最長1年までの預金しかできず、それを原資とした貸出も最長1年までという規制がある。
著者は、一介の銀行マンだったのに、いきなりミャンマーの住宅金融をつかさどる銀行の実質CEOをつとめることになった。著者は、現場に寄りそって、「一緒に解決する人」たらんと務めた。えらい、ですね...。
COOは、再考業務執行責任者。ただし、事案を決済する権限はほとんどない。ミャンマーには、2017年まで、不良債権という概念は存在しなかった。
ミャンマーが再び軍政に戻ってしまい、コロナ禍もあって、日本に戻った著者ですが、大きなタネをまいたことは間違いないようです。本当にお疲れさま、としか言いようがありません。読んで元気の湧いてくる新書でした。
(2021年12月刊。税込935円)
2022年5月27日
「部落」は今どうなっているのか
社会
(霧山昴)
著者 丹波 真理 、 出版 部落問題研究所
弁護士になって25年目くらいだったと思います。なので、今から40年以上も前のことです。 中年の女性がやってきて、息子の結婚相手の女性が「部落」の人だと分かったので、結婚をやめさせたいが...という相談を受けました。内心、今どき、こんなバカなことを言う人がいるんだ...と驚き、かつ、呆れ、また怒りがこみあげてきました。なので、やんわり諭して、帰ってもらいました。しかし、私が「部落差別」に関わる相談を受けたのは、これだけです。あそこは「部落」だと聞かされたことは何回かありましたが、当時も今も、どこも混住していて、他地区と変わるところはまったく感じられません。私の兄も建売住宅を買って「部落」だと言われるところに移住しましたが、誰も気にしませんでした。
この本は、愛知県のある「部落」に移り住んだ団塊世代の女性が、「部落」に住み、また転出していった人々に聴き取りをしたレポート集のような内容です。同じ団塊世代の私にも実感としてよく分かりました。
60年前、600世帯も住む大型部落には、真ん中に共同風呂があり、そこを取り囲むように店があり、住居が密集していた。お好み焼屋、うどん屋、八百屋、肉屋、床屋、貸本屋、散髪屋、花屋、たばこ屋、パーマ屋、クリーニング取次店があった。ビリヤード場、古着屋もあり、公会堂では芝居が演じられた。地域の中だけでこと足りる生活があった。
今、当時の面影はまったくない。道路が広げられ、銭湯もほとんどの店もなくなり、今は、たまに開く肉屋が1軒あるだけ。居住しているのも、地区出身が多いけれど、地区から転入してきた人も半数近くいる。
この地域は常に水とのたたかいだった。何回も床上浸水した。同時に貧困とのたたかいもあった。地域には、少数の富裕層と多数の貧困層が多数の貧困層が入りまじって生活していた。地域の人々には、全国各地を行商してまわる人も多かった。暗く、いじけた人々ではなく、いたって人間好きで、たくましく、明るい人々が住んでいた。
地域内の富裕層の多くは、一族もろとも地域外へ転出していった。
この地域で育った30代前半の男性は、「歴史上の話でしか知らないこと。ぼくらの世代には実感なかったし、関係ないと思っていた。まわりに、そんなことを言う人もいなかった」と語った。
地域内で建て売り住宅が売りに出されたとき、この地域だから安いということもなく、また値段が適正なら、すぐに買い手がついた。
著者は、部落差別は全体として大きく解消の過程にあるとしています。まったく同感です。ヘイトスピーチは、今でも存在していますというか、自分と異なる人の存在を許さないという風潮は依然として根強く、ときに牙(きば)をむくこともあります。在日、ゲイ、LGBTそして、アカ...。いろんな「少数」者を差別し、自分の優位性を誇示しようとする嫌な人が存在するというのが哀しい現実です。
「部落」の昔と今が曇りなき目で丹念に掘り起こされている貴重な労作だと思いました。
(2021年10月刊。税込1000円)
2022年5月28日
ソーニャ、ゾルゲが愛した工作員
ロシア・イギリス
(霧山昴)
著者 ベン・マッキンタイアー 、 出版 中央公論新社
第二次大戦後、イギリスの田園地帯に住む平凡な「主婦」が、実はソ連赤軍の大佐であり、受勲歴もあるスパイだった。この女性はソ連のスパイ養成学校で厳しい訓練を受けたあと、中国、ポーランド、スイスでスパイとして活動し、東西冷戦下では、原爆情報をソ連に提供するスパイ網のリーダーだった。彼女の名前はウルズラ・クチンスキー。ドイツ系ユダヤ人。彼女の子ども3人は、全員、父親が違っている。彼女は無線技師であり、秘密文書の運び屋であり、爆弾製造者でもあった。彼女の暗号名は、ソーニャ。彼女の父親はベルリンに住む裕福なユダヤ人であり、もっとも著名な人口統計学者だった。母親は、同じくユダヤ人不動産開発業者の娘。
ウルズラは中国に行き、上海で活動するようになった。そして、そこで憧れのアグネス・スメドレーに出会った。ウルズラは『女一人大地を行く』を読んでいた。スメドレーは共産党に入らない共産主義者であり、ソ連のスパイだった。そして、上海で、ウルズラはリヒャルト・ゾルゲに出会った。ゾルゲは日本に来る前は中国・上海でスパイとして活動していたのですね...。
ゾルゲは第一次大戦時の戦闘で負傷していて足を引きずって歩き、左手は指が3本、欠けていた。ゾルゲは、上海にいるなかでは、もっとも高位のソ連側スパイであり、赤軍情報部の将校だった。同時に、経験豊富なプレイボーイでもあった。ゾルゲはドイツ人の父とロシア人の母とのあいだに、ソ連のアゼルバイジャンのバクーで1895年に生まれた。
女性の暗号名のソーニャは、動物のヤマネ、「眠たがり屋」、そして、上海では「ロシア人売春婦」を意味していた。上海で、ウルズラはゾルゲの愛人となり、ゾルゲのスパイグループの活動に場所を提供し、見張りをし、また、文書を届け、武器をかくした。ウルズラは、安全と安定のある生活には物足りなく、スパイ活動に心が惹かれた。スパイ活動は依存性が高い。秘密の力という薬物は、一度でも味わったら断つのが難しい。
ウルズラにとって、スパイ活動は経済的報酬を得ることではなかったようです。そして、共産主義の実現を目ざすというのでもなかったようです。それは、家族との関係もあり、彼女自身の欲求にこたえたものだったということです。つまり、彼女の心の中に潜んでいた野心とロマンと冒険心が入り混じった並々ならぬ気持に突き動かされたものというのです。
ウルズラは中国に戻り、満州の奉天に住むようになった。日本軍が支配し、隣にはドイツ人の武器商人、ナチ党員が住んだ。そして、ウルズラは、赤軍将校として、現地の中国共産党の軍事破壊活動に爆弾を提供するなどして援助した。そして、中国、奉天から次はポーランドに活動の舞台を移した。どこも危険と隣りあわせの生活だった。
このころ、スターリンの大粛清が進行していて、ウルズラの上司や同僚たちが、次々に消されていった。なにしろ、スターリンはNKVDの「第4局全体がドイツ側の手に落ちている」と言っていた(1937年5月)のですから、どうしようもありません。ゾルゲも召還対象になったが、日本から戻るのを拒否したので、助かった。その上司たちは、次々に粛清されていった。
ウルズラが助かったのは、ウルズラに、「相手を誠実にさせるという稀有な能力があった」からだと著者はみています。スターリンの犠牲になった誰一人としてウルズラの名をあげなかったというのです。まことにまれにみる幸運の持ち主です。
ウルズラは、イギリスにいて、女性であり、母親であり、妊娠していて、表向きは単調な家庭生活を送っていることが、全体として完璧なカムフラージュになっていた。
ウルズラがイギリスにおける最大のスパイ網を運用しているのを見破ったのは、イギリスのMI5の女性、ミリセント・バゴットだった。
ウルズラは、2000年7月に93裁で死亡した。プーチン大統領は、亡くなったウルズラを「軍情報部のスーパー工作員」だと宣言し、友好勲章授与した。
よくぞここまで調べあげ、読みものにしたものだと驚嘆しながら、休日の一日、読みすすめました。
(2022年2月刊。税込3190円)
2022年5月29日
阿蘭陀通詞
日本史(江戸)
(霧山昴)
著者 片桐 一男 、 出版 講談社学術文庫
オランダ語を通訳する人々を紹介した本(文庫)です。南蛮人と紅毛人を使い分けていたなんて、本当でしょうか。ポルトガル人は南蛮人で、オランダ人は紅毛人です。いったいどんな違いがあるのでしょうか。
来日した南蛮人は日本語の習得に努め、布教と貿易に従事した。そして日本で南蛮文化は開花した。ところが江戸幕府は、一転して禁教と密貿易を厳禁したため、来日したオランダ商人には日本語の習得を許さなかった。それで日本人の通訳(通詞)が活躍するようになった。
江戸時代、通詞と通事は書き(使い)分けていた。通詞はオランダ語の通訳官で、通事は唐通事で、中国語の通訳官をいう。通詞も通事も、身分は長崎の町人で、通訳官と貿易官を兼ねて務めていた町役人。そして、長崎通詞も長崎通事という役職名は存在しなかった。長崎に外国船が姿を見せると、通詞の船が接近し、どこの国から来た船なのかを「聞き分ける」力が要求された。オランダから来た貿易船だと判明すると、たちまち「宝船」だとして歓迎された。
通詞の職階は、大通詞、小通詞、稽古通詞、大通詞助役、小通詞助役、小通詞並、小通詞末席...。そのほか、内通詞。売買業務を手伝って口銭を得ていた数十人の集団。
商館長ブロムホフは、結婚まもない妻チチアと、1歳5ヶ月の長男ヨハンネスを連れ、乳母や召使いも一緒に1817年8月に来日したが、婦女子の入国が許されなかったので、泣く泣く家族は送り返した。独身となったブロムホフは、丸山から傾城(遊女)を招いていた。その請求書が残っている。なんと1ヶ月のうち27日だ。つまり商館長たちの出島での生活は、ずっと、そのそばに遊女たちがいたということ。出島で同棲するのも許されていた。湯殿、台所つきの遊女部屋が出島にあったことが絵図面で確認できる。
商館長カピタンの江戸参府は、166回にのぼる。カピタンの江戸の定宿は長崎屋で、宿泊逗留は21日を基本としていた。通詞は、日本語に翻訳して太陽中心説を紹介し、ケプラーやニュートンの天文学、ニュートン物理学を吸収して解読した。すごい人たちがいたのですね...。
(2021年7月刊。税込1518円)
2022年5月30日
となりのハト
鳥
(霧山昴)
著者 柴田 佳秀 、 出版 山と渓谷社
まさに身近でよく見かけるのがハトです。カラスも見かけますが、人間への警戒心が強く、いつも少し離れています。ハトは、いつも足元近くにまで迫っても逃げようとしませんので、「どいて、どいて」と声をかけるほどです。
世界に350種もいるハトの体型はほとんど同じで、例外がない。小さい頭に、ぽっちゃりした丸い体。嘴は小さくて、足が弱い。
ハトには目立った武器はなく、丸腰でも、天敵のタカに食べ尽くされないのは、逃げる天才だから。
鳩胸。胸が大きく張り出して発達しているのは、大きな筋肉があるから。その割合は体重の31~44%にもなる。このハトの胸は強力なエンジン。巡航速度で60キロ、風に乗ると100キロ超。この大きなエンジン(胸)があるおかげで、ハトは高速で飛び、タカの猛追を振り切って逃げのびることができる。
ハトの羽毛は、とても抜けやすい。タカに追いつかれて、尾羽がタカにつかまれると、ごそっと羽毛が抜け、逃げ出せる。
また、ハトの羽毛には、粉になる羽毛がある。タカがつかもうとすると、粉が邪魔になり、つかまえられない...。
ハトは地上を首を振って歩いているように見えているが、それは誤解。よく見ると、ハトは、頭を静止させている。そして、首振り(実は静止)しているから地上のエサを見つけて食べる。
ハトは、基本的にベジタリアン。ハトは、水をごくごく飲むことができる。ハトの舌は注射器のピストンのような働きをし、口の中の圧力が下がるため、水を吸い上げられる。鳥は、一般に水をあまり飲まない。ところが、ハトは水をとてもよく飲む。
ハトがヒナを育てるときの「ピジョン・ミルク」は、食道の「そのう」の壁がはがれ落ちて出来ている。オスの「そのう」も、ヒナが出来ると肥厚し、ピジョン・ミルクが出来るようになる。つまり、ヒナを育てるには、オスとメスがともにミルクを与える。
ハトは、ヒナにピジョン・ミルクという完全栄養食をまさしく我が身を削って与えている。
ハトは、種子さえたくさんあれば、ピジョン・ミルクができるので、昆虫の発生時期に左右されることなく、1年中、繁殖が可能。ハトの繁殖期間は1年中。だから、求愛の様子は1年中、見ることができる。
日本で記録されたハトは12種。一般人が出会うのは、ドバトとキジバトの2種。しかし、実は、ドバトというハトはいなくて、カワラバトのこと。カワラバトを家禽(かきん)化したのをドバトと日本では呼んでいる。
イスラム教では、ハトは神聖な鳥なので、食べない。砂漠では、ドバトの糞(ふん)は、燃料として貴重だった。
ハトは、平安時代末期から、戦いの神様の使い。ハトは、勝利をもたらす瑞鳥だ。
ドバトが少ないのは、公園でエサやりが減ったから。
ミノバトは乱獲されて、少なくなったうえ、砂肝にある「石」が磨くときれいになるので、宝石としての需要まである。
ナポレオンの戦争のとき、ワーテルローでイギリス軍が勝った情報を、ロスチャイルドは伝書鳩を利用していち早く知り、株価が上昇する前に大量の株を買い付け、大もうけした。
レース鳩は、最高時400万羽もいた。鳩レースは、短くて100キロ、長いと1000キロをこえる。北海道の最北から関東まで、ハトは15時間で飛んで来る。ただし、100キロ級のレースだと、無事に帰ってくるのは1割しかいない。
ハトにまつわる面白い話のオンパレードでした。
(2022年4月刊。税込1485円)
2022年5月31日
生き直す免田栄という軌跡
司法
(霧山昴)
著者 高峰 武 、 出版 弦書房
この本の表紙裏に簡潔に免田事件が要約されています。免田(めんだ)事件とは、日本で初めて死刑囚として確定した人が、再審で無罪になった冤罪(えんざい)事件。
事件は、1948年12月末に熊本県人吉市で起きた一家4人の殺傷事件。翌年1月に免田栄さんが強盗殺人事件容疑者として逮捕された。免田さんは一度容疑を認めて自白調書がつくられた。その後、容疑を否認し続けたが、1952年1月に死刑が確定した。その後、6回もの再審請求がなされたあと、1983年7月に免田さんのアリバイが認められて無罪判決となり、即日釈放された。免田さんは釈放後は福岡県大牟田市に居住し、2020年12月に95歳で亡くなった。
免田さんは1925(大正14)年、11月熊本県球磨(くま)郡免田町(現・あさぎり町)に生まれた。免田さんが強盗殺人などの罪で逮捕されたのは23歳のとき。それから34年間も獄中生活にあり、「自由社会」に出てきたときには57歳になっていた。
免田さんは筆まめで、獄中から家族に充てて400通もの手紙を書いて送った。この本によると、その手紙の原本は残っていないものの、コピーが残っているとのことで、その一部が本書で紹介されています。
死刑判決を受けてヤケになっていた免田さんに、再審請求という手だてがあることを教えたのは、同じ死刑囚のUだった。免田さんの再審請求には何人もの弁護士が手伝っていますが、日弁連も後押ししています。
免田さんは死刑囚として、拘置所で長く過ごしていますが、花壇をつくり、カナリアを飼っていた。拘置所で死刑囚がカナリアを飼っていた、飼えるというのを始めて知りました。
熊本について、「ねずみ講」が始まったところ、オウム真理教の教祖・麻原彰晃の生まれたところだと紹介されています。騙される人は多いけれど、騙す側の人も熊本は生み出しているということです。
「よう生きてきたなあ」という免田さんの述懐が紹介されていますが、本当にそのとおりです。
一度は死刑判決を受けて最高裁で確定しながら、再審裁判で無罪となり、その後は、「自由社会」で結婚し、全国に出かけて冤罪を生み出す裁判の問題点を鋭く告発していました。
95歳まで長生きできた免田さんの生涯、とりわけ無実の人がなぜ自白してしまうのか、その心理は究明されるべき現象です。ご一読を強くおすすめします。
(2022年1月刊。税込2200円)
土曜日の夜、近くの小川にホタルが飛びかうのを見に行きました。
フワリフワリと飛んでいるのを、ひょいと両手でつかまえ、手のひらに乗せて明滅するホタルを間近に見ます。心がなごむ瞬間です。
竹やぶにとまっているホタルたちが5匹か6匹ほど、同時に明滅していました。初めてです。
田舎に住む良さは、歩いて5分でホタルを眺めることができることです。
日曜日の夕方。庭のジャガイモを掘り上げました。大きなバケツ2箱ほど収穫できました。メークイン、男爵、キタアカリです。当分、ジャガイモ料理が食卓をにぎわしてくれます。初日は、小粒のものをオーブンで焼いて、塩こしょうをふりかけ、また、マーガリンを塗って食べました。