弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2022年4月 5日

マルクス主義とキリスト教を生きる

司法


(霧山昴)
著者  下澤 悦夫 、出版 ロゴス

 いやあ、すごいですね、こんな裁判官もいたのですね・・・。まさに反骨そのものの生き方を貫いた裁判官です。
 なにしろ裁判官40年間、ずっとずっと現場の裁判官を続けました。しかも、同期(18期)が次々に地裁所長となり、高裁長官になっていくなかで、それらとは全く無縁、それどころか裁判長(部総括)に指名されることもなく、いつまでもヒラの裁判官。そして、任地たるや、いつだって地方と支部ばかり。
岐阜地裁多治見支部に3年、水戸地家裁に4年、山形地家裁に6年、津地家裁に5年、名古屋家裁に5年、名古屋地裁一部支部に4年・・・。何ということでしょう、信じられない移動先と在勤期間の長さです。実は、私の活動する支部にも、引き取り手がなく5年もいた裁判官がいました。これは、まさしく身から出た錆で本人の責任だと私は考えていました。気の毒なのは本人ではなく、そんな裁判官を支える職員と裁判にかかわった市民でした。私はひたすら5年間、耐え忍びました。
なんで、そんなことになったのか・・・。著者は東大法学部を卒業し、民間大企業に就職内定、司法試験にも国家公務員上級職試験にも一度で合格しています。こんな三つの選択肢で悩んだというのですから、成績が悪いはずはありません。裁判官になったのは24歳ですから、まさしく最短エリートコースに乗ることもできました。
 しかし、大学時代では、マルクス主義の文献を読み漁り、無教会キリスト教にはまった著者は青法協(青年法律家協会)の裁判官として、また、青法協が消滅すると、裁判官ネットワークの熱心な会員として最後まで活動したのです。もちろん、著者は最高裁による差別を苦にすることなく、意気軒高です。それでも、40年間の裁判官を退任したときの退職金が9千万円もらっている同期生より3千万円も少なかったというのには、これまた驚かされました。
 給与は、同期生が判事1号になっているのに、判事3号のまま16年間ずっとそのまま昇給してなかったというのです。これほど露骨極まりない差別を受けたというのには言葉もありません。
 青法協の会員裁判官は1969年当時300人。著者が裁判官になったときは判事補の3分の1が会員だった。1971年には250人の会員裁判官がいた。それが1984年には150人となり、会員が青法協から脱退し、任意団体をつくったが、やがて消滅した。裁判官ネットワークは20人の会員から増えることはなかった。つい先日、そのうちの有力メンバーだった裁判官が滋賀県の長崎市長に当選するという、華麗な転身をみせて注目を集めています。住民本位の市政を実現してほしいものです。
著者は裁判官ネットワークが広がらなかったのは、裁判官組合の方向を目指さなかったからだとしていますがそうなのでしょうか・・・。
 今や、反共を売り物にする連合会長のように労働組合とは労働者の利益を守って戦う存在だという認知に乏しい日本で、裁判官組合が若手の裁判官に受け入れられるものなのか。申し訳ありませんが、私にはまったくピンときません。
 40年間現場の裁判官として頑張ってこられた著者に心より敬意を表したいと思います。と同時に、それに続く心ある裁判官が出てくることを私は本心から待ち望んでいます。
(2022年2月刊。税込1980円)
 いま、庭のチューリップは満々開です。いくつか雑草に埋もれてしまったのもありましたが、だいたいの花を咲かしてくれました。これから咲くのもありますので、だいたい1ヶ月近くは楽しむことができます。
 日曜日の午後、雑草取りに精を出していると、ウグイスが遠くで鳴いていました。もう、ずいぶんうまく鳴いています。
 アスパラガスを今年はじめて収穫しました。店頭にあるのよりは細いのですが、水洗いして電子レンジに1分かけて食べます。シャキシャキした春の味を楽しめました。
 自宅から事務所に行く途中にカササギの巣が3つあります。電柱の高いところによくもうまく巣をつくるものです。九電は、いつも子育てが終わったら巣を撤去しますから、毎年、巣づくりします。誰からも教えられなくて、本当にうまくつくるものです。
春爛漫の候です。ロシアの戦争を一刻も早くやめさせたいです。

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