弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2022年3月25日

蓬莱の海へ

台湾・日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 青山 惠昭 、 出版 ボーダーインク

台湾で戦後まもなく起きた蒋介石の国府軍による大量虐殺事件、二・二八事件の被害者には日本人もいたというのです。日本敗戦時まで日本は台湾を支配していたのですから、戦後まもなくの出来事として日本人が虐殺被害に巻き込まれたのは不思議なことではありませんでした。
台湾へ中国本土で共産党軍に負けていた蒋介石の軍隊が渡りつつあるなかで、台湾支配政治のひどさに台湾民衆が怒って立ち上がったのを蒋介石は軍隊をつかって大々的に弾圧したのです。それが1947年2月28日に起きたことから、二・二八事件と呼ばれました。
台湾は1987年まで戒厳令のもとにあり、政府批判なんてとんでもないということから、軍によるこの大量虐殺事件は、いわば台湾のタブーとして、語られることもなかったのでした。今でも、その犠牲者がどれだけなのか明確ではありません。当局の公式発表でも2万人前後とされていて、いや5万人、10万人という説もあるほどです。
3月8日、台湾の基隆(キールン)に国府軍の8千人と警察官2千人が中国本土から上陸し、たちまち無差別の住民殺戮(さつりく)が始まった。そのなかで著者の父・青山惠先(えさき)も殺害された。父親は与論島出身で、著者自身は台湾の基隆で生まれたので、湾生という。
与論島出身者が大牟田に移住し、三池炭鉱で働いていたのは知っていました。与論長屋があって、固まって生活していたようです。コトバと生活習慣が少し違うので、「ヨーロン、ヨーロン」と地元も子どもたちからはやしたてられ、差別扱いされていたと聞いています。大牟田には、与論島出身者の親睦団体があります。
そして、与論島から満州へも移民団体635人が渡っていたことを本書で初めて知りました。日本敗戦後、その移民団は日本の悪行を一身に背負って、地元住民から襲撃され、多くの移民が命を奪われ、また59人も自死していったというのです。政府の言いなりになって、国策に乗せられて行動すると、とんでもない目にあってしまうという悲劇が起きたのでした。
著者の父・青山惠先は明治41(1908)年生まれ。実は、私の父は明治42年生まれですので、ほぼ同世代なのです。
著者は父・惠先が二・二八事件で殺されたことに確信をもつと、まずは家裁へ失踪宣告の申立をした。それが認められて、父は戸籍上も死亡した。
そして、次に二・二八事件における殺害で死亡したことで台湾政府に賠償請求した。これに対して台湾当局は、いったんは請求を認めないと決定した。あとになって、これは政府当局の指示によるものだと判明した。そこで、台湾の人権派弁護士に依頼して台湾で裁判を起こしたところ、ついに請求が認められた。すごい執念ですね。
二・二八事件の被害者は当局の認定だけでも2万人前後はいるのに、このうち賠償が認められたのは、わずか900人ほどでしかない。あとの多くは、病死したことにして、遺族は当局を恐れて申立自体をしなかった。
日本人が二・二八事件で賠償を認められることについては、台湾の内部にも、日本政府は台湾出身の慰安婦に対する賠償すらしていない現実があるから、なんで、日本人にまで二・二八事件の賠償をする必要があるのか...という反対意見もあったようです。
日本政府の対応は本当にひどいと思いますが、かといって、二・二八事件に巻き込まれて虐殺された日本人の存在が判明した以上、それなりの賠償があって当然だと思います。なかなか難しいところですね...。大牟田の堀栄吉さんという、与論島出身者の子であり、三池炭鉱で働いていたという好人物も案内人として登場します。私もよく知る、思わず年齢を忘れさせる活発な人です。
大変苦労しながら父親が軍による虐殺にまき込まれて殺害された状況を掘り起こしたという執念の固まりのような本です。
(2021年11月刊。税込2420円)

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